追い出された悪の行き先は【5】
「アルディナはまるでお前を悪にしなければ気が済まないとでも言わんばかりだな。お前が悪なら、正義は妹と言ったところか。まあいい、もしもこの先あの国が私たちに同盟の要請をしてくるようならばその時に考えるさ。次の外交官はどんな奴だろうな」
「おそらくですが、妹が来ることになるかと思います。両親は一度失敗しておりますし。アルディナではグリーディ家が外交官のトップですので、まずはそこから出すことになるはずです」
「ほう」
ファクル相手の外交で、グリーディ家に行っていない人間がいるというのに他の家から出せるはずもない。
ただゲームと違ってプルムは一切他国との交流をしてこなかった。
幼い私をファクルへと送り出した両親は、プルムのことは平穏な同盟国相手の外交の場でも決して出さなかったからだ。
成長とともに繋いでいくはずの他国の良家との縁を、あの子は一切持っていないことになる。
そんなあの子がいきなり外交の場に出ることの意味を両親はわかっているのだろうか。
友好関係は先着順と言う訳でもないし、人数制限がある訳でもないのに、私の友人とすら交流をしなかったプルム。
近く、また皇太子様方の勉強会があったはずだ。
婚約者の変更は伝えられるだろうが、他国の方々はどう思うのだろう。
皇太子様方の勉強会の横で開かれていた、彼らの婚約者である令嬢たちの集まり。
表面上は和やかであっても、彼女たちは将来王を支える立場の自覚をしっかりと持ち、己が次期正妃であるという誇りと責任を持っている方々だ。
そんな中に、身分なんて関係ないわ、仲良くしてね、なんて言いながらプルムが加わることを考えて背筋にぞっと寒気が走った。
あの子ならば言いかねない。
アルディナの立場を考えれば、格上である彼女たち相手にとてもではないがそんなことは言えないはずなのだが。
彼女たちの中には、私にファクルとの交流があるというメリットがあったからこそ親しくして下さっていた方もいる。
その彼女たちが、礼儀も立場も考えず、加えて交流しても何の旨味もないであろうプルムを相手にして親しくなろうとするだろうか。
あの交流の場は将来の為に妃候補たちが縁を作る場でもあり、見極める場でもある。
誰と親密になれば将来の役に立つのか、自国のために関わってはいけない人間はいるのか。
にこやかに笑いながら交わされる話し合いの陰で、常にお互いを見極めている場所。
勿論普通に仲の良い人たちもいるのだが、その場合も彼女たちの頭の中での大前提は自国のためという考え方。
ある意味ファクルよりも怖い場所、将来正妃として権力を持つことになる女性たちの読み合いの世界だ。
プルムに関する補正がどの程度働くかはわからないが、少なくとも私が参加してきた過去の雰囲気を考えると、アルディナほど効果があるとは思えない。
正直プルムのことは好きではないが、あの会合に何の知識もなく放り込まれることだけは本当に同情する。
それに、その会合が終われば待っているのはファクルとの外交だ。
レオス様はアルディナとの同盟の停止を明日にでも正式に宣言するだろう。
ファクルは他国とのしがらみなど考える必要がない。
外交官が死去した場合などは少し待ってはくれるが、私の様に追放という形でいなくなれば同盟関係は即終わりを迎える。
我らのお気に入りの人間を追い出すということは、ファクルからの施しはいらないということだろう、と以前王が笑っていたのを思い出す。
ファクルとの同盟が途絶えれば、国内どころか今まで安全に使用できていた街道すら危険になる。
他国から街道の使用料としていただいていた金銭も無くなれば、アルディナの収入は一気に落ちるだろう。
つまり、アルディナから新たな外交官が来るまで時間はかからないということだ。
そしてそれは高い確率でプルムのはずだ。
もしかしたら不慣れなことと婚約者だということでユート様も来るかもしれない。
危険なこの国相手では本来ならばあり得ないが、その可能性の方が高そうだ。
ファクルは一人での外交を要求される国だが、自分たちの考えで強引について来てもおかしくはない。
それかまた補正が利いて、プルム以外の人間が来るかのどちらかか。
「どう出るか楽しみだな。妹が来た時にお前がファクルに慣れていたら対面してみるか?」
「……どちらでも、王のお心のままに。私はもうファクルの人間ですから」
「ふふ、そうか、そうだな」
機嫌がさらに上昇した王とは逆に、もしもそうなったらそれはそれで修羅場だろうな、なんて少し憂鬱な気分になった。
自分たちで追い出しておきながら、私がファクルにいることを責め立てて来るに決まっている。
ユート様がいたらさらに話が通じなさそうで、とても面倒だ。
私の面倒そうな顔を見たせいか、レオス様が更に笑みを深める。
彼は楽しそうに笑っていることが多いが、今日はさらにご機嫌のようだ。
「で、だ。お前はちゃんと意中の相手である執事と一緒に国を出てきたのか?」
「えっ」
想定外の話題転換に驚きの声を出した私を見て、王だけではなく幹部たちも笑いだした。
私はもしも供をつけることが許された場合は、その人も一緒にこの国の民として加えてほしいと希望した。
けれどその相手が好きな人だなんて言ってはいないし、性別すら言っていなかったのに。
笑い過ぎて涙まで出てきたらしい王が、言葉にならない私を見て口を開く。
「お前が初めてこの国に外交に来た時、町はずれどころか国からも相当離れた場所から一人で歩いてきただろう。我らが言えることではないが、経験のない幼子に我が国との外交を任せた挙句、近くまでの付き添いすらないなんてずいぶんひどい親がいるものだと話題になったのさ。他の国では家族や供が国境ぎりぎりまで来て待機して、成功すれば涙を流して抱き合っていたというのにな。ある程度お前の人となりが知れ渡ってからは、魔物たちも気にして声を掛けたりしていたが、お前はずっとこの国に来る時は一人だった。それがある日、いきなり踏み入ることを許可している位置にある小屋まで、従者がついて来るようになった。他国の人間も国の近くまでは来ても、門番の小屋までは恐怖が勝って来ることは出来ないというのにな。そして今日からは従者付きか、と聞いた私にお前は一言だけ肯定の言葉を返した」
ずいぶん始めの方から見守られていたことにどこか温かい気持ちになりながらも、混乱する頭の中が落ち着かない。
確かにフィロがある程度知識をつけた辺りから門番の小屋まで着いて来てくれるようになったが、王の問いには新しい執事が付いて来てくれているとだけ答えたはずだ。
「お前は気が付いていなかったが表情がぜんぜん違ったよ。普段はどこかすましているようにすら見えるお前が、その執事の話題になった瞬間目元をほころばせて。それ以来、お前がその男を想っているのは我ら幹部の間では周知の事実だった。お前をアルディナから引き抜けないかという声が上がってきた時は、執事との恋愛を可能にする代わりにファクルに来ないかと声を掛けることに決まったくらいだ。だがお前はそう簡単にアルディナを裏切るような真似はしないだろうとわかってはいたから、まずは様子見のために軽く声を掛けるだけにしたんだ。時間をかけるつもりだったが、まさかお前のほうから追放されそうだから保護してもらえないかと提案してくるとは思わなかった」
運が良かったな、と周りの幹部たちと盛り上がる王とは反対に、自分の気持ちが幹部たちの間で広まっていることを知らされた私は恥ずかしくてどうしようもない。
「数日して落ち着いたら声を掛けるからその時は従者を連れて来い。我らもその男の顔は見てみたいしな。門番からも問題ないだろうと言われているし、お前がそこまで信を置いているのならば問題あるまい。その男ももうこの国の一員だ。我が国では恋愛に関しては身分関係なく自由だから、まあ頑張ることだな」
「……はい、ありがとうございます」
笑いながらも渡された家の鍵と地図を恥ずかしさを堪えながら受け取り、うながされるままこの場を後にするために王に一礼してから振り返る。
歩きだそうとした瞬間、王に呼び止められてもう一度彼の方へと向き直った。
今までの不敵な笑みとは打って変わって、優しい笑顔で見つめられて不思議な気分になる。
「リウム、お前はきっとアルディナの民への罪悪感のようなものがまだあるのだろう。だが忘れるな、お前がどれだけ彼らのために尽くしても、あやつらはお前のことを認めなかったのだ。ファクルの魔物たちはお前のことを大切に思うだろう。ファクルのために働けば働いただけ、この国の民はお前を評価する。だからもう、アルディナのことなど何一つ気にせずにファクルのために働けばいい。お前にしてもアルディナの民にしても、それが選択した責任というものだ。アルディナはその王子と妹が守るだろう。お前ではなく、彼らに守られることをアルディナの人間たちが選んだのだ。お前がいつまでも心を割く必要などない」
王も、周りで見守る幹部たちの笑顔も優しくて、なんだか泣きそうになる。
新しい家に行くと良い、そう言った王に心からの感謝を述べて今度こそその場を後にした。
来た道を歩いてフィロの待つ小屋へ戻りながら、王との会話を頭の中で繰り返し思い出す。
「……やっぱり、気付かれていたのね」
小さく呟いた声が、自分の胸に突き刺さる。
アルディナへの未練はまったくないし、これからの暮らしは楽しみだ。
けれどアルディナにとって大きな脅威となるかもしれないこの国へ来てしまった罪悪感だけはある。
国民が私を忌むべきものとして見ていたのはゲーム補正という抗えない力があったからだ。
そして彼らが私に向ける感情が悪いものだったとしても、私の生活は生まれた時からずっと彼らの働きで支えられていたのも事実。
「はあ……」
思わずため息が零れる。
魔物の国の住人になるという覚悟は決まっているが、罪悪感ばかりはどうしようもない。
ただこの感情もファクルでの暮らしに慣れれば、この国を大切に思える様になれば、きっとなくなっていくだろう。
今はそう考えることにして、フィロの待つ小屋への道を急ぐ。
時折すれ違う魔物たちが笑顔で歓迎してくれるのは素直に嬉しい。
この国の居心地が良かったのは彼らが見守ってくれていたからだ。
ゲーム補正がないこの国ではやったことはそのまま評価されるし、フィロとの恋も許される。
他国民として対面する王は恐怖を覚えるが、この国の一員になった今、向けられる視線は優しさしか含んでいなかった。
あの国にいた時よりもずっと楽しく、やりがいを持って仕えることが出来そうだ。
「私の、居ても良い場所……」
そう呟いたことで、居場所が出来たのだという現実感が湧いてくる。
誰だって冷たく突き放す人よりも優しく接してくれる人の方を大切に思うだろう。
王の言う通りだ。
ゲーム補正があるとはいえ、あの国は私がどれだけ尽くそうとも存在することすら許してはくれなかった。
生まれた国から理不尽に拒絶される寂しさは、彼らへの罪悪感よりも大きく私の中に存在している。
けれどここでは違う。
私を拒絶するアルディナではなく、私を歓迎してくれるファクルのために。
そして笑顔で歓迎してくれる魔物たちのために。
今までアルディナに捧げていた以上に、この国のために力を尽くそう。
新しい決意の宿った胸元をぎゅっと握りしめる。
どのみち、アルディナへ戻るという選択肢はない。
たとえ戻って欲しいと言われても、レオス様がアルディナを攻めると言い出しても、私は戻らないだろう。
アルディナへの罪悪感はあれど未練は欠片もない私は、やはりあの国が定めた通り悪役令嬢という役職にふさわしいのかもしれない。
道中で出会う魔物たちから更に歓迎の言葉を貰い、嬉しさに笑みが深まった。