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プロローグ

 ある日不意に思い出した前世と呼ばれる記憶。

 今の自分の立場が前世で好んで遊んでいたゲームの悪役令嬢と呼ばれるものだと気が付いた時、私の胸に湧きあがった感情は苦しみよりも歓喜のほうが強かった。

 よくあるストーリーのゲームだったと思う。

 剣と魔法の国のファンタジー、魔物との戦いが日常にある中世のような世界。

 主人公であるプルム=グリーディが嫌がらせにも負けずに王子と結ばれ、プルムを陥れようとした悪役である令嬢は婚約破棄の後に一人だけ従者をつれて国を追放されハッピーエンド。

 悪役令嬢の名前はリウム=グリーディ。

 主人公の姉にあたる彼女は妹を見下し、陰でねちねちといじめ続けていた悪女としてゲームに登場していた。

 今の私の名前はリウム=グリーディ。

 あまり会話のない妹の名はプルム。

 婚約者の王子の名前はゲームのメイン攻略対象だったユート。

 窓から見下ろす町並みも、国や関係者の名前も、私たちの容姿も、すべてがゲームそのままの世界。

 ゲームと違うのは私が妹に嫌がらせなどというものをしていないこと。

 そしてゲーム中のリウムは何の働きもなく地位を笠に着て威張っていたが、今の私は我が国アルディナの外交官として大きな結果を出していること。

 けれど、物語はゲーム通りに進んでいく。

 筋書き通りにいかない部分を強引に捻じ曲げ、それを真実として。

 プルムはこの国で一番に幸せになることが決まっている女の子。

 リウムは彼女を引き立てるための悪役。

 この国ではそれがすべて。

 そうなることが定められているかのように、誰がどう行動しようともゲームの話通りに時間は進んでいく。

 まるでゲームの補正でも掛かっている様だ。

 町で向けられる侮蔑の籠った視線とひそひそと交わされる私の悪口、それも身に覚えのないことで。

 本来ならば嘆き悲しみ、深い失意の底に沈んでしまいそうなそんな現状を、私はただ喜んでいる。

 早く、早くと。

 断罪の日が訪れるのを、心の中でずっと願っている。


「リウム様、どうかなさいましたか?」

「ううん、なんでもないの。ありがとうフィロ」


 考え込む私を心配してか横に控えていた執事が声を掛けて来る。

 彼が少し首を傾けた拍子に、肩口で束ねられた薄い青色の髪がサラリと流れた。

 柔らかく細められた海を思わせる深い青の瞳が熱を含んで私を見ている。

 ピシッと伸びた背筋も、細い体を包む皺ひとつない執事服も、私に向けられる視線も、少しだけ低い声も。

 伝えることは許されなくても、彼のすべてを愛している。

 私の言葉に光栄です、と返してくれる彼の瞳は隠し切れない歓喜でトロリと蕩けそうに細められていた。

 私の胸に宿った彼への恋心、フィロも同じ気持ちだと気が付いた時、湧き上がった歓喜とそれ以上の絶望。

 彼は私が奴隷商人から買ったことで、私の執事になった。

 王族との婚約が許されるほどの家に生まれた私と、奴隷だったフィロの恋はとてもでは無いが許されるものではない。

 私の身体はこの国、アルディナの人々が納める血税で出来ている。

 動くたびにサラサラと流れる腰までまっすぐに伸びる艶のある薄紫色の髪。

 乾燥などとは無縁の白く柔らかな肌。

 少し切れ長の瞳も髪と同じ薄紫色で、顔の造作も整っている。

 身を包む美しいドレス、美しい調度品の数々と大きな家、高い地位。

 それらすべてを保つ事が出来るのは、アルディナの民たちのおかげだ。

 彼らが作った農作物を食べ、彼らがくみ上げた水を飲み、彼らが作る服に身を包んで。

 国民たちが国に税を納めることが義務だというのならば、私の義務は彼らの生活を守ること。

 そこに私の身勝手な感情は許されない。

 生まれた時からある高い地位は私の結婚相手を定め、やるべき仕事も定めた。

 それを受け入れて国民のために働くことが私に課せられた義務だ。

 自分の地位にあったこの国の王子との婚約、家が代々勤めてきた外交官という職。

 すべて捨てることは許されないもの。

 そのことを当たり前のこととして生きて来たし、疑ってもいなかった。

 だからその過程で生まれた彼への、私の執事であるフィロへの想いも押し殺さなければならないとわかっている。

 そう、叶わないことは当然のことだと思っていた。

 彼との間にある見えない壁は、私が私である以上壊れることのないものだとわかっていたから。

 記憶のすべてを取り戻し、この国のことを知るあの日までは。


 ……だから、今この時は私がずっと待ち望んでいた時間。

 私の、悪役令嬢リウムの“罪”が暴かれる、婚約破棄のイベント。


「リウム、君との婚約は解消だ!」 


 広く美しい広間、美しいドレスを着飾った人々は軽蔑のまなざしで私を見ている。

 豪華なシャンデリアの下で、大きな窓から差し込む光に照らされた王子が私に断罪を下す瞬間。

 王子の後ろには桃色の瞳を涙で揺らしながら震える可愛らしい少女。

 震える彼女を慰めるように王子が彼女の頭を撫でた拍子に、肩の上で切り揃えられたウェーブがかった桃色の髪が揺れる。

 物語の主役の女の子が王子の力を借りて悪を裁き、幸せになるための一歩を踏み出すシーン。

 次々と王子の口から発せられる私の罪を聞きながら、零れ落ちる笑みを隠すように口元を扇で覆う。

 やっと、やっとこの日が、この時間が訪れた。

 ずっと心待ちにしていた、願っていたこの日が。

 私を庇う様に一歩前に立つ彼の背中を見てこみ上げる感情。

 私の唯一、絶対の味方……私の愛するたった一人。

 彼と出会ってからこの胸に消えることなく燃え上がり続けた火を、ようやく伝えることが出来る。

 待っていた、この断罪の日を。

 私と彼の間にあるこの見えない壁を、堂々と取り払うことが出来る唯一の方法。

 婚約者だった王子から告げられる、婚約破棄と追放の言葉を、ずっと。

 笑い出してしまいそうなのを必死に堪えて、扇を更に口元へ近づける。

 まるで自分に酔っているかのように私への断罪を口にする王子を見て、今の私も同じように自分に酔っているのかもしれない、なんて思う。

 隠した口元の笑みがどんどん深くなる。

 王子の後ろで庇われながら、意識したのか無意識なのか私を見て小さく嘲り笑う妹は気が付いてもいないだろう。

 今この場にいる誰よりも私が喜びに包まれているということに。



 物語はクライマックス。

 この国が望む通り、主人公である妹が幸せになる最高のイベントだ。

 悪役である私がこの国を去り、障害などすべてなくなったこの国にプルムと王子の仲を邪魔するものなど誰もいない。

 ……この国、には。

 私を追い出すというのならば、私はすべて持って行こう。

 今まで生きてきた中で命を懸けて手に入れたものを。

 隣国との交渉で手に入れた水場の配分や、輸出入の税金に関する交渉の結果も。

 各国の令嬢との交流で手に入れた、同盟国内で私が結んだ縁も。

 何よりも大きく価値のある、魔物の国との繋がりも。

 幼い頃、一人きりで放り出された外交の場で、自分の身を必死に守りながら私が築いてきた周辺国との関係。

 プルムに対するゲーム補正のようなものが効くのがこの国だけなのは、私にとっては救いだった。

 他国の中では、私が外交官だからこそ融通を利かせてくれている人もいる。

 それを報告しているはずの、外交時に横にいたこともあるはずの両親すらその事実を忘れていたとしても、それは私がこの国の外交官の令嬢としてのプライドと命をかけて得たものだ。

 タダで追い出されてやるつもりなんてない。

 この婚約破棄が自分が心から願っていることとはいえ、それはそれ、これはこれ。

 私が命懸けで手に入れたものを置いていく義理などない。

 必要ならば自分達でまた改めて手に入れればいい。

 どのみちそれは他国から私個人への評価だ。

 個人への評価はその個人についてくるもの。

 私がいなくなった後に当然の様に自分たちも貰おうだなんて虫が良すぎる、いや、貰うことは出来ないものだ。

 私のことがいらないということは、私についてくる評価もいらないということ。

 両親たちが外交官として同盟を結んでいる国との関係は変わらないのだから、そちらだけでどうにかすればいい。

 私が他国の方々に一声かければ少しは融通されるかもしれないが、今の周りの環境でそれをしたいとはどうしても思えない。

 もしもこの国の国民たちが少しでも私を慕うなら置いていっただろう。

 もしも両親が少しでも私を庇うなら置いていっただろう。

 もしも妹が、王子が、少しでも申し訳なさそうにしたら置いていっただろう。

 私を追い出し二人祝福されて永遠に幸せに暮らしました、なんて、どうしても許せない。

 向けられる敵意に対して永遠に優しくし続けるほど聖人にはなれない。

 私と彼が遠くで幸せになった時、あなたたちには試練が訪れるだろう。

 ストーリーが終わった後だとはいえ、主人公とその運命の相手だというのならば、ゲーム中のように乗り越えられるはず。

 幼い頃から評価されずとも積み上げてきた私の功績、私がいなくなることでその基礎と言えるものが無くなった時。

 世間を知らず、感情に流されるままその地位を使うという選択肢しか持たないあなたたちに何が出来るというのだろうか。

 たとえどんな理由があろうとも、何度説得しても変わらない理想の世界で生きる婚約者。

 甘えるだけで何かを指摘する私を怖がり、悪者にする世間知らずな妹。

 そんな妹を可愛がり、私を平気で死地へと送り込む両親。

 私の功績をすべて妹のものだと思い込み、私への視線を冷たいものに変えた国民。

 ゲーム補正というどうしようもないものがあったとしても、私はもう以前のようにこの国を愛しくは思えない。

 尽くすことが当たり前の令嬢という立場でも、向けられる視線で気持ちは目減りし、心はすり減っていく。

 だから……

 出て行けというのだから出て行こう。

 地位に家名、住む場所、取り上げるというのだから渡してしまおう。

 私は彼らの望み通り着の身着のまま、この身に残るものだけを持って、唯一の味方であるフィロと一緒にこの国を出ていく。

 幸せになりたい、他国ならばそれが叶うと気づいてからもう止められなくなってしまったこの想い。

 少しだけ過去の日々を思い出しながら、私を庇う愛しい人の背をじっと見つめる。

 断罪の時が訪れたのは私か、それともあなたたちか。


 私の目にはずっと渇望して来た幸せな未来へと続く道しか見えないけれど。



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