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わりとまじめに書いた物語(短編)

脊椎、鉄、そして歌

作者: 鳴海 酒


『あるとき、月は地球を恋しく思いました。そして、何も考えずに、地球へと落ちてきました。

 地球はそれをやさしく受け止めました。

 地球と月はそのままくっつき、とけかけの雪だるまのようにいびつな形のまま、太陽を回り始めました。



 ねえおじいさん、ぼくは旅に出ようと思うんだ。


 その町は、にきびのような月のせいで、一日中ひかげでした。


 どうしたんだい、ガムカシュル。この町に気に入らないことでもあったのかい。


 ぼくは、太陽が見てみたいんだ。


 それは、どの家の子どもも必ず一度はすませるやりとりです。おじいさんは気にせず言いました。


 いいよ、行くがいい。



 ガムカシュルは歩く。疲れたら休み、そしてまた歩く。

 休むときは、足を土の中につっこんで、そこから水分を吸いこんだ。

 両腕を広げて、太陽の光をあびた。それだけで、力がわいてきた。


 歩いていると、木々が見える。

 肉でできた木だ。

 皮でできた樹皮だ。

 そして、悲しげにないている。


 ガムカシュルは本で見たどうぶつというやつを思い出す。

 本は、ヒトの皮でできていた。

 ガムカシュルは知っている。遠い昔、しょくぶつたちは刈られてすりつぶされ、なめし皮にされたのだ。


 人とは。まず、それの定義から始めなければならない。


 どうぶつが、まだ私たちを食べていたころ、私たちは食べられるだけだった。

 月が落ちてきて、肉は土に根を張ったのだ。

 人とはどうぶつのことではない。この星で一番栄えたものへの、称号だ。ヒト。ニンゲン。


 かつてのニンゲンを見たことはなかった。けれど、本で読んで知っている。

 そして今は、ガムカシュルたちがニンゲンだ。



 ガムカシュルは太陽が見てみたい。しかし、もっと見てみたいものがあった。

 それは、キカイだ。

 キカイは、かつてのヒトが作ったものだ。大きくて、強い。

 それを使って、月を引っぺがせばいいと思っている。

 ガムカシュルの住む町にも、日があたるようになるかもしれない。


 機械とは何なのか。それをまだ、彼は知らない。

 知る人間は、すでにみんな、木になっていた。今にも枯れて折れそうになっている草が、かつて知恵を持ち、ヒトだったことを、ヒトは知らなかった。



 ガムカシュルは油の海を――』



「ねえ」

「なんだい?」

「また書いているの? そのお話も、気持ち悪いわ」


 これはね、一大叙事詩なのさ。男は言った。

 月が地球に衝突し、その拍子に動物と植物が逆転したんだ。男はこぶしを握り、説明した。


 女は、ふしゅると鼻を鳴らし、興味なさそうにベッドでごろりと寝返りを打った。

 部屋は、暗闇に包まれていた。


「私も考えたの」

 女は寝ころんだままで言った。

 男は何も言わなかった。他人の創作物にはさして興味が無かった。


「聞いてよ、ねえ」

「わかったよ。どうぞ?」


 女は顔だけを起こし、言った。

 恋物語なの、悲恋なのよ、と。


 女は机の上の書きかけの原稿を指さす。


 男は伸びをすると、それを手に取り、聞いた。

 アーケード?


『恋は、アーケードで始まった』


 序文だ。素っ気なさを感じ、男は少し首を傾ける。


「アーケードよ。商店街とかがある、屋根のついた、あのアーケード」

「ふむ」



『恋は、アーケードで始まった。

 僕は特に趣味も無く、かといって生活に困っているわけでもない。

 ただ、アーケードを歩き、通っていた。いつもの本屋へと。


 毎日店の入り口ですれ違う、看板を持った女。安売りの広告だったり、会員証の勧誘だったり。きれいな長い黒髪を、いつも雑に束ねていた。


 女はいつも、何かを恨んでいるような目をしていた。地獄の鍋の底に立ち、鍋をつつく鬼たちを見上げるような顔だ。

 単に目が悪いだけかもしれないなどとは思わなかった。そんなのは、空想としてはつまらない。


 ただ、そうだ、うらみつらみがつのったような顔だ。


 男はその女に、うらみつらみ子とあだなをつけて呼んでいた。


 今日も彼女は看板を持って立っている。

 最近、女の子の後輩が入ってきた。可愛くて愛嬌のあるそいつのほうが、同僚たちには気に入られているんだろう。

 いいさ、どうせ私なんか誰も見てはいない。

 そんなことない、僕が見ている。


 暑い日も寒い日も、ずっと立っている。交代の男は来ないのだろうか。

 後輩にもうらみつらみを向けているのだろうか。

 でも、きっと行動に移すような子じゃあない。きっと、ため込んでため込んで、どんどんと一人で暗闇に落ちているんだ。

 その様子を見たくて仕方がなかった。


 ある日、うらみつらみ子は定位置にいなかった。その代わり、アーケードの出口で、花束を持って笑っていた。

 何があったのかは知らない。

 横には友達もいた。当然、僕の知らないやつらだ。


 その笑顔はあまりに自然で、僕はうらみつらみ子だとすぐには気付かなかった。ああ、なんだか見たような顔だ。そう思っていた。


 僕は、その笑顔を壊したくなった。

 僕以外に向ける笑顔なんかいらないし、うらみつらみ子にはもっと世の中の色々なものを恨んでいて欲しかった。


 そのとき、僕の恋は終わったんだ。』



「なんだい、これは」


「悲恋よ」


 悲恋か。 そうよ。 二人は顔を見合わせ、同時にため息をついた。 



 ねえ、恋って何だろうか。

 好きなら、恋なのよ。きっとそうね。


 女は言いながら、男の手を取った。




「昔の話をしようか。誰の記憶だというわけでもない、手を伸ばした本の中身みたいなものだと思ってくれ」

 前置きにしてはやけに弱気な台詞だった。男は語りだす。

 それはまるで走馬燈だった。



『夜道を、一台の車が走っていた。

 郊外のバイパスだ。ろくにすれ違う相手もおらず、次第にアクセルは強く踏み込まれる。強く、強く。


 時計を見ると、午前三時を過ぎていた。まぶたが重たい。

 男は窓を開けた。風が顔を叩き、眠気は少しだけましになる。


 先の信号が赤に変わり、男はギアを落とす。腰から脊髄に伝わる振動がわずかに強くなる。

 止まると同時に、ねっとりと湿気を含んだ空気が車内にあふれた。男はすこしだけ目をつぶった。


 まぶたの向こう側でオレンジ色がちらついた。男は薄眼を開けたが、激しい光を浴びて何も見えやしなかった。

 二つの白い光は、車のライトは左右にふらふらと動いていた。それが急に上へと跳ねる。

 男から見てもわずかな動きだったが、光が一気に自分に近づいてきたのは理解できた。


 まずい、と男は思った。間に合わないだろうとも思った。

 頭とは別に、体は体で最善を尽くそうとする。

 エンジンを吹かし、クラッチを蹴り飛ばす。前も確かめずにハンドルを切る。

 最後の一瞬、向かってくる車の屋根が見えた。そこまで近づいて尚、男の意識ははっきりしていた。


 がしゃんという大きな音が響いたが、その後、動き出すものはその場にはいなかった。




 目の前には、中年の夫婦がいた。男は、それが誰かをすぐに思い出すが、名前までは出てこなかった。

 男は椅子に座っていた。


 見覚えのある応接室。


「ええと、土日は入れるんだよね?」

「はい」

「深夜は代わりの人がいないから、勝手に休まれたりしたら困るんだけど、そこは大丈夫?」

「はい」


 男の体は、勝手に返事をした。

 素っ気ない応接室には、音が無かった。かちかちと時計の針の音がやけに大きく響いた。


 やめておけ。男は、男へ忠告した。

 この仕事は、やめるんだ。休みも少ないし、きついし。単純作業でつまらんぞ。


 男は言ったが、音は発生しなかった。

 ただ、ネクタイの下の首元に、じわりと汗が溜まっていく感覚だけはあった。

 沈黙が続く。中年の旦那は、書類をじっと見つめて動かない。

 汗が、とうとうしずくを作り、胸の方へと垂れて腹へと伝った。

 

 時は止まっていた。

 中年夫婦は微動だにしていない。出された茶の湯気も止まっていた。

 男は立ち上がり、つかつかとドアをあけ、退出した。

 止めるものはいなかった。



 次に気付いたとき、男は海の中にいた。

 目の前には浮き輪があるが、手を伸ばすとひょいと先へと遠ざかる。

 波が高いのだ。

 波が高く、浮き輪はふらふらと沖へ、沖へ。


 気付いた時には、すでに浜からはかなり遠ざかっていた。

 男は、まずいと思った。

 しかし、焦ってはいない。彼は一度、同じ経験をしたからだ。

 いや、今がまさにそのときだった。

 彼は、子供になっていた。


 少年は浮き輪をあきらめ、浜へと腕を向け、ゆっくりと泳ぎ始めた。

 溺れかけることは、なかった――』



「これは何?」

「わからないかい、きっとこういうのが芸術だよ」


 恋愛も知らないあなたが、芸術ですって?

 芸術を知らない君が、恋愛を語るのかい?


 二人の意見はぶつかったが、そこまでだった。



 かすかに、モーターの音がする。金属が擦れ始めるときの、かすれるような音だ。


 男は黙って、オイルを取り出し、補充した。

 暗闇の中、男は寸分の狂いもなくその作業を行っていく。


 何年目? 女が問う。

 さあ、わからない。

 男が知る前から使われている部品だった。替えがあるのかどうかもわからない。

 探しに行きたいのだが、砂を噛んでしまうと厄介なので、外には極力出ないようにしている。



 ねえ。女が聞く。


「ライオンは、どうなったの?」


「ライオン?」

 男は聞き返した。


「さっきの話よ。動物が植物になったなら、ライオンはどうなったの?」


 ああ、と男は思い出したように答えた。

「骨と皮だけにやせこけ、足の、爪の先から養分を取るんだ。それで生きている」


「光合成はしないの?」

「そうだね、するかもね」

「じゃあ、体は緑色なのね」


 男は手の甲に顎を乗せて、少し考えた。そして、いや、と言った。


「体は茶色で、ガムカシュルたちの肌は緑色さ。でもその世界の肌色とは、緑色なんだ」

「そんなの変だわ」

「変じゃないよ、だってガムカシュルたちは植物だ。目なんかないから、見えやしないし、気付かないもの」

 


 そんなものかしら。女は言った。

 そんなものさ。男は返した。



 空調が調子を変えた。風がふわりとカーテンを震わせた。

 星明りが、夜のひかりが部屋にとびこんだ。

 男が腕を動かすのに合わせ、金属の光沢が、わずかなひかりを拾い集めて反射する。


 それが、今の肌色だった。


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[一言] 最初の挿話はかなり好き。 真ん中のは普通。 最後のは嫌いなやつ。 私の好みだとこんな感じでした。 でも、きっと真逆って人もいるんですよね~。 万人に好まれる話って存在するのか? って、なん…
[良い点] 作者と、読み手と。登場人物たちと。 それぞれの認識に違いがあって……なのに、どこかで何かしら共有してしまっている部分もある。そしてそれがまた認識をズレさせる……。 そんなギクシャクした、で…
[良い点] 全体の雰囲気が抜群に良かったです。読んでいる間、心地よい感覚が流れていく感じがしました。あと、時折ハッとするような文章が紛れ込んでいて、奥深い。個人的には『にきびのような月』という表現が一…
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