71 ヲサイヤの過去5
彼は起きていた。鈍色のが、絵の具で藍色に塗り替えられるように空の色が移り変わっている最中だった。
意識がぼんやりとしている。自分がたった今起きたことにさえ気づかないほど朧気で、ぼんやりとした感覚だった。視覚は鈍り、聴覚もゆっくりと目を覚ましている状態だった。
ただ一つ、嗅覚のみが彼の身体にサイレンを鳴らし、組織全体を活性化させた。その信号はどんどん脳の内部に入り込んでくる。彼の脳は、その刺激によって直ちに呼び覚まされ、正体を分析していた。
―臭い。
―よくない臭い。
―どんな?
―著しく不快だ。
―どうして?
―生物が本能的に苦手としている臭いだ。
―生命の危機か?
―そうだ。
―具体的には?
―ツンとした刺激臭。それでいて暖かく、柔らかい質感がある。
―その特徴はまさか、炎か。
彼は今や、意識まで冴えわたっている。生命の危機だ。その匂いはどうやら下の方から昇ってきている。くそっ。
ヲサイヤは階段を駆け下りた。聴覚も覚醒し、よく火の燃える音を捕らえた。暖炉ではない。唯一火の元として可能性のあった場所ではなかった。その逆側の壁が燃えていたのだ。
「なんなんだ、一体!」
父親が下りてきた。母親も一緒だ。どちらかが相手を起こしたのだろう。
「なんでこんなところが燃えている」
「ニッカを呼んでこないと」母親がその場にいない弟を呼びに階段を上る。
かなり火はもう広がっている。生憎出口である扉からは遠い位置でが燃えているのですぐ脱出はできるが、咄嗟の判断が命取りだ。
「母さんまだか、早くしろ!」
「今行くわよ!」
「ヲサイヤ、お前は早く外へ出ろ。今すぐにだ!」
彼は走った。扉を破り外へ出る。振り返るとやはりそこには自分の家があったが、彼から見て左手の側の部分が火をあげていた。
すぐに母親、父親と抱きかかえられたニッカが追い付く。4人で茫然と立ち尽くし家が燃えるのを眺めていることしかできなかった。家の周りは木が伐採されているので燃え広がることはないだろうが、逆に山火事などで別の場所から燃え移ることのない場所においての出火であったことが謎を呼んでいた。
彼の脳は処理が追い付いていなかった。今晩のこととか、これからどうしていったらよいか等、通常大人が考えるような冷静な事柄などは全く頭になく、何を考えたらよいのかすら分からなった。
「ねえ、あそこにいるのは誰?」
誰よりもその場の状況を観察できていたのは一番幼いニッカであった。彼の指さす方を見ると、そこにはしゃがんでいる一人の男の姿があった。よりによって家の燃えている側の近くに腰を下ろしている。そしてその男の姿を父親、母親、及びヲサイヤは夕方に認知している。




