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むむっ異世界召喚の気配!(勘違い)

作者: quiet



「むむっ! 異世界召喚の気配!」


 ずぞぞ、と部屋で一人のんきにうどんを啜っていた頭髪ショッキングピンクカラーの少女は、ピーン、とアホ毛を立ち上げた。


 それから慌てて腰を上げると、ベッドの上にスライディングダイブしてこれもまたショッキングピンクの携帯を手に取った。


「ああ~キテるキテる」


 言葉のとおり少女は足の方からスゥーっと消え始めている。


「今度こそ録画した動画配信してこっちでも一攫千金するぞ~」


 少女はへらへらと余裕の表情でそれを見守っている。


 少女の名前は井ノ中(いのなか)和邇(わに)

 これが通算十二回目の、異世界召喚になる。




 はずだった。


「はいどーもー! それではこれから異世界実況の方始めていこうと……、あれ?」


 きょとん、と和邇は目を丸くした。


 というのも、目の前の光景があまりにもいつもの異世界っぽくなかったからだ。


 大抵の異世界転移というのは、森か王宮かの二択がスタート地点として設定されている。

 しかしこれはどうしたことか。目の前に広がるのは小奇麗なだけの普通の部屋だった。そう、まるで同年代の高校生の私室のような――。


「…………」

「…………」


 目が合った。

 和邇の視線の先にいたのは、リュックサックを背負った、パーカーにカーゴパンツの、肩甲骨のあたりまでさらさらと黒髪を伸ばした同年代の少女。


「おっ、」


 和邇はとりあえず声を上げた。

 それは昨日見た動画に出演していたオットセイの鳴き声に似ていた。アザラシだったかもしれない。


「おっ、す」

「ど、どうも」


 和邇がびしっ、と手を掲げると向こうもぺこっ、と頭を下げる。


 沈黙。


 和邇は困惑していた。これが森だったら突如響いた絹を裂くような悲鳴の方向にダッシュすればいいし、これが王宮だったらありがた~いイミフ説明をあくびしながら聞いていれば話は進むのだけれど、突然同年代の女子の部屋に呼ばれたときは一体何をどうすればストーリーが進展するのか皆目見当がつかない。


「あ、えっと」


 戸惑っていると向こうが先に話を始めようとした。

 がんばえー、ということで和邇は心の中で応援する。


「異世界から来た方、でよろしいですか?」

「え?」


 いやどう見ても地球産でしょ、思いながらも和邇は自分の頭髪の色について考え、向こうからはそうは見えていないという可能性に思い至る。

 だからわざわざ、いやいや同じ世界の住人ですよ、とわかりきったことをはっきり明言してやろうと思ったが、よくよく考えてみればここが自分のいたのと同じ世界という保証はない。連続性のない移動は常に何らかの存在的不安を伴うのだ。


 異世界召喚時のセオリーに従って、和邇は窓へと向かった。勝手にカーテンを開ける。


 月はひとつ。

 オリオン座が見える。


 地球だった。


「今って西暦何年、何月何日?」


 和邇が尋ねると、少女は戸惑いながら、和邇の知る今日の日付を答えた。


 それから二、三と和邇は質問を重ねる。

 地球の総人口、アメリカの大統領の名前、鏡の中の自分とじゃんけんしたらちゃんとあいこになるか、天使を見たことはあるか、海の底に都市があることを知っているか。


 そのすべての答えを聞いたあと、うん、と和邇は頷く。


「アイムフロムオナージセカイ」


 ちなみに和邇は異世界で第一村人を発見した際、いつも「アイムフロムイセーカイ」と話しかける。大抵通じない。


 対する少女は心底驚いた、という顔で聞く。


「髪の毛ショッキングピンクなのにですか?」

「髪の毛どピンクなのにだよ」

「す、」


 す、と少女は口をすぼめた形で止まった。

 斬新なキス待ちだな、と和邇がそれを眺めていると。


 突然、ぶおん、と。


 髪の毛に攻撃されたのかと思った。

 目の前を黒髪が通り過ぎた。そして視界が落ち着くと腰を直角に折り曲げた少女の姿が見える。


「すみません! 間違えました!」


 謝罪の姿勢だった。

 ようやく知ってる展開が来た、と和邇は胸を撫で下ろす。


「まあやっちゃったもんは仕方ないよ。チートつけてくれればいいからさ。チートスキルちょうだい。チートスキル」

「え?」

「え?」


 あっこれ微妙に型違いのやつだ。

 気付いたときにはすでに遅く、和邇の言葉を受けた少女は机の引き出しを開けていた。

 財布を取り出していた。

 三枚の紙切れを取り出していた。

 一番大きいやつだった。


「す、すみません今はこのくらいしか……」

「生々しいよ! あたしはいじめっ子か!」


 和邇はその三万円をバッと奪い取ると、うやうやしい手つきで少女の財布の中に戻した。

 誘惑が服の袖と万札を見えない引力で結びつけようとしていたが、なんとかそれに打ち勝った。


「何この状況! まずそれを説明して! クダサーイ!」


 あんまり言い方がきつすぎるかなと心配になった和邇は、なぜか途中からカタコトの丁寧語を混ぜて要求した。


 え、ええと、とそれを受けて少女が喋り出す。


「私、世を儚んでおりまして」

「出家するの?」

「ええ、まあそんな感じで。

 しかしながらいきなり宗教的なあれこれをするのもちょっと……、と思っていたところで異世界もののアニメーションを目にしまして」

「ほほう。あたしも結構見るよ」

「面白いですよね。それで、これだ!と思ったんです」

「どれだよ」

「異世界に行くしかないな、と」


 何言ってんだこいつ。

 和邇はうろんな目つきで少女を見た。

 が、自分も十一回異世界に行った身である。表立ってお前ちょっと頭アレちゃう?とは言えない。


「ちょうどそのころ魔法が使えるような気もしていたので」

「気もしてたんだ。たぶん気のせいだよ」

「ちょっと研究したらいい感じに異世界に行けそうな魔法が出来上がりまして」

「天才か?」

「で、実際に準備万端になって出発しようとしたところ、術式を誤って放出系が召喚系になってしまって。接続が甘かったのもあって、ピンクのあなたをこちらに呼び出してしまった、ということになります」


 ふーむ、と和邇は頷いた。

 こいつマジで意味わかんねえな、と思いながら。


「なるほどね。話は全然わかんなかったよ」

「わかりませんでしたか」

「わかんなかった。でもこれあれでしょ。あたし帰っていいやつだよね」

「あ、はい。大丈夫です」

「あれ、魔法的なもので送れたりする?」

「致死率九十パーセントでよろしければ……」

「なんもよくねえよ!!」


 バーン、と和邇は床に叩きつけた。

 何を叩きつけたと思う? 和邇が手に持っていたのは携帯だけだった。そして携帯を床に叩きつけることはできない。なぜなら割れるから。壊れるから。必然的に和邇が叩きつけたのは(携帯-携帯)=ゼロだった。つまりは無だった。和邇は無を床に叩きつけた。


「なんっもよくねえ! 逆になんでいいと思ったの!?」

「世を儚んでいる可能性もあるかな、と……」

「頭ピンク色のやつが世を儚んでるわけないでしょーが!」

「そんなことないです。陰鬱なピンク髪のキャラクター、アニメでたくさん見ました」

「あたしは馬鹿な方のピンク髪なの! 馬鹿ピンク! わかる? 馬鹿ピンク!」


 和邇は自分の頭髪を指し示しながら、ピンク!馬鹿ピンク!と迫った。勢いあまってもふぁっと少女の顔面がピンク色の毛髪で埋まった。


「ていうかあれでしょ! これから自分で異世界行くのに使う魔法なんでしょ! なんでそんな致死率高いわけ!?」

「世を儚んでいるので……」

「命を粗末にするなー!」


 べしーん!と激しく振った和邇のピンク髪が少女の頬を打った。

 うっ、と少女がうめいたのを見て、うわ痛そ……と和邇のテンションがクールダウンした。


「悩みがあるならお姉さんに話してみ? あたしこれでも十一回異世界救った女だからさ、大抵のことならババーンと解決したげるよ!」

「えっ」


 和邇は親切心を出してそう申し出た。

 元々和邇はおせっかいの気質がある。というかおせっかいでなかったらどう考えても人生で十一回も世界を救うわけがない。


「なんで十一回も異世界に行ってるんですか? 怖い……」

「おいこら急に引くな」


 親切すぎてちょっと異常者入ってるよね、と十一中九つの世界で言われた。


「いいから言ってみ? とりあえず言ってみ? 楽になるから言ってみ?」

「いやでも、関係ない人にはちょっと……」

「関係なくなくなくないって。人類皆姉妹。ラブアンドピースでいえーいよいえーい」

「なんかちょっと鬱陶しい人ですねあなた……」

「お前結構口出るな」


 それでもめげずに言ってみ、言ってみ?と和邇がゼロ距離で迫ると、渋々少女は口を割り始めた。


「まずはその、名前からなんですが。

 私、犬歩(いぬあるき)一岩(モノリス)と言います」

「すっげえあれだね。こう、コズミックな名前だね」

「そういうあなたは」

「井ノ中和邇」

「鮫だか鰐だか海だか井戸だかよくわからない名前ですね」


 二人はにらみ合った。段々と瞳と瞳の距離は狭まっていき、額が当たった瞬間に一岩が身の危険を感じて離れた。


「名前からわかるとおり、」

「石柱なの?」

「じゃああなたは鰐なんですか? ……私、犬歩グループの跡取りなんです」

「犬歩グループってなに」


 和邇がそう聞くと、信じられない、と言いたげに一岩は目を見開いた。

 これたぶん常識だったやつだな、と恥ずかしくなった和邇は頬をかき、


「うへへ、ごめんごめん。あたしこっちの世界事情には疎くてさー」

「完全に物言いが異世界人ですね。犬歩グループというのは……」


 一岩は少し考え、


「超大金持ちです」

「すげえ! 大金持ちってだけでもすごいのに! 超がつくの!?」

「つきます」


 ほええ~と言った和邇の目線はちらりと一岩の財布に向かった。


「それはアレかな? その……王、的な……?」

「どうして現代日本における地位を君主制における例で示さなくてはいけないのかはわかりませんが、大体そんなイメージで大丈夫です」

「ほっへ~。ふぁたんじあ~」


 ぽけーっと口を開いてそんな感想を述べる和邇に、一岩はこの人ちょっとやばい人だな、という目線を送る。


「しかしその跡取りとしての重圧に耐えかね、世を儚んだというのが私の状況です」

「重圧かあ。たとえばどんな?」

「基本的なところで言えば、試験で満点を逃すと罵られますね」

「えっ」


 和邇は驚き、


「えっ」


 もう一回驚いた。


「……中学生?」

「そう見えますか?」

「見えない……。もっとアダルティな感じ……」

「和邇さんと同年代だと思います。平均点が二十点の試験でも当然のように満点を求められます」

「へえ~」


 和邇は自分の成績を思い出す。

 学年順位は大きいほど強い、成績表は整然と並ぶ針葉樹林をリスペクトしていると豪語することで事なきを得ているそれのことを。


「わかった。反知性主義政府を樹立すればいいんだね」

「誰もそんなこと言ってませんよ!?」


 一岩は和邇の曇りない瞳に恐怖を覚えた。


「私、言っては難ですが天才ですので、」

「ほんとに難だな」

「テストでいい点を取れと、それ自体に不満はありません! ただ、毎回満点というのが度を超しているというか、神経をすり減らすというか……」

「あー、確かにケアレスミスとか減らそうと思っても減らないもんね。あたしもよくケアレスミスで九十九点くらい失ってるよ」

「それはただの勉強不足では」

「あんだとこら! ほんとのこと言ってりゃこの世すべての人間が幸せになると思ってんのか!」

「意外に哲学的なことを考えてますね」


 和邇はふと気になり、部屋の本棚に目をやった。場合によってはその場で部屋の主に斬り捨てられても文句の言えないような破廉恥行為であるが、和邇に躊躇はなかった。


 確かにそこには参考書がずらりと並んでいる。なんとそれぞれの高さごとに教科わけしてもぴったり収まるほどの数がそこにある。たとえば、国語の棚。

 『基本現代日本語文法』『応用日本語文法』『超越国語文法』『統一言語入門』『テレパシりたい人のために』『人はなぜ生きるのか』『人間失格』『チンパンジーと99%DNAが一致しているあなたでも安心! 字の書き方講座』


 ん、と和邇は目を留める。


「字、あんま上手くないの?」

「え、あっ」


 一岩は自分の本棚が見られたのに気が付いた。

 それはすさまじい恥辱であり、一瞬家を焦土と変えることすら考えた。が、和邇の表情からはそうした意図は読み取れず、顔を赤くして答えるにとどめた。


「え、ええ。正直言うと、読めたものではないんです。字が汚すぎて満点を逃すこともよくあるので改善したいんですが、これもまたなかなか難しくて」

「ふぅーん。ちょっと書いてみてよ」


 えー、と嫌がる一岩を、いいからいいから、と和邇は机に向かわせる。


「ちょっとだけですよ」


 言って、一岩はやたら高そうなボールペンでさらさらと紙に何事かを書きつけた。

 その紙を覗き込んだ和邇は思わず、うわ、と声を上げてしまう。


「ちょっと……確かにあれだね。死んだミミズを海鮮丼に乗せて醤油をドボドボかけたみたいな……。あたしには楔形文字にしか見えんぜ」

「楔形文字を書きましたからね」

「なんでだよ!!」


 バーン、と和邇は床に無を叩きつけた。


「なんで楔形文字を書いちゃったんだよ! わっかんないだろ! 理想の楔形文字を見たことがないんだから上手いんだか下手なんだかわっかんないだろ!」

「わからないように書いたんです。私にもプライドがありますから」

「いらないだろそのプライド! プライド守るために楔形文字覚えるより普通に字の練習しろよ!」


 ひとしきり叫んだ和邇は、ん、んんっ、と喉を鳴らした。ポケットからのど飴を取り出して舐め始めた。食べる?と差し出すと、素直に一岩も受け取ってのど飴を舐めた。


「はー……。で、ほかには?」

「え。今の話の解決策はなしですか?」

「いやそんなさ、乙女ゲーのヒーローみたいな悩み持ち出されても反応に困るし……。もっとこう、周辺的な話題から解決していこうかなと思って」

「あっ」


 それ、と一岩が人差し指を突き出した。反射的に和邇はそれを握った。


「それも悩みなんですよ」

「えっ、やっぱり友達からも言われてるの。やーいお前ヒロインにだけ弱みを見せるタイプの完璧超人メインヒーローって」

「いえそこまで具体的には言われてませんが、学校でのあだ名が乙女ゲーなんです」

「かわいそ」


 和邇の脳裏にげっ歯類が浮かんだ。

 カワウソだ、と思った。しかし実はカワウソはげっ歯目ではなくネコ目なのだ。和邇がカワウソだと思ったそれは実はビーバーだった。


「なんでそんなことになっちゃったの?」

「私、男子校に通ってるんですが」

「おおっとぉ?」


 和邇はすい、と一岩の全身に目をやった。


「TS仲間?」

「いえそうではなく……、仲間?」

「いやあたしも異世界で五十回くらい性別変わったからさ」

「えぇ……」

「こう……、ふわっとしてるんだよ。性別が」


 突然の異世界エピソードに出鼻を挫かれた形になった一岩だったが、気を取り直して続ける。


「ええと、私実は、犬歩家の方針で男装して男子校に通っているんです」

「面白い人生送ってんね」

「異世界十一回さんよりは平凡だと思います。まあ色々工夫して生活してるのでバレずに今までは過ごせていたんですが、最近になっていろんな人から、心当たりもないのに乙女ゲーと呼ばれるようになって……」

「いやそれバレてるよ」

「は?」

「いやもうそれ完全にバレてるよ!」


 和邇はきょろきょろ部屋の中を見回した。そしてちょっと大きめの手鏡を見つけると、それを一岩の目の前に掲げた。


「客観的に見てみろやい! 男に見えるか自分が!」

「押し通せなくもなくないですか。私もちょっと性別ふわっとしてますし」

「うーーん。まあなあ。美形設定でゴリ押せなくもないよなあ」

「でしょ」

「ってそうじゃなくて! 男子校なんて男だろうが女だろうが顔綺麗で華奢な感じなら姫とか呼ばれて囲われるものなんだよ!」

「そういう漫画の読みすぎでは」

「そういう漫画読みすぎてるよ! 悪いか! だから元の設定がどうこうにしろもうそういう対象として見られてるしすぐにバレるの! バレてるの! バレバレパレードの先頭座席に座ってるんだよお前は!」

「バレバレパレードってなんですか」

「あたしが聞きたいわ!」


 ぜーは、と和邇は肩で息をした。

 バレバレパレードってなんだろう。そういうことを真剣に考えていたり考えなかったりしていた。


「それはね、バレてますよ」

「そんな。私これでも学内ミスターコンテスト上位ランカーなんですよ」

「女装コンテストは?」

「チャンピオン」

「バレてるよ! なんで出ちゃったんだよ!」

「友達が勝手に……」

「清純派アイドルか!」

「あ、アイドル、ですか……」


 その言葉に一岩の視線が泳いだ。

 和邇はそのスイミング先を追う。部屋の片隅。というかベッドの下。


 躊躇なく和邇は床に這いつくばりベッドの下を覗き込んだ。


「ひええ、変態!」

「望むところじゃあ!」


 暗がりでよく見えない――、と思いきやもう露骨に巨大な物体が潜り込んでいたのですぐにわかった。


「ギター?」

「ああ、見られてしまった……」


 一岩は顔を覆ってしくしくと泣きだした。

 和邇はそれをへっ、と。生娘じゃあるまいしぶってんじゃないよ、と平然とギターを引っ張り出す。


「うわーかわいいこれ。何よこういうの好きなのかよ」

「ええ、その。実は音楽が大好きで」

「えーいいじゃんいいじゃん。いい趣味してんじゃん。ちょっと触ってみていい?」

「どうぞ。あ、チューナー……」

「あ、大丈夫」


 一岩が机の引き出しを開こうとしたのを和邇は手で制する。それから弦を弾きつつペグを回して音を整えていく。


「こんなもんかな」


 じゃんじゃかじゃーん、と聴いたことのあるようなフレーズを弾き鳴らす。


 それを一岩は呆然と見ている。


「み、」

「み?」

「耳で合わせられるんですか?」

「まあねー。これでもあたし、十一の世界を音楽とダンスで救ってきた女だからね」

「えっ! なんですかその面白そうな話!」


 一岩が身を乗り出す。

 が、和邇はそれに苦笑で答える。


「まあまあ。いいじゃんあたしの話は。それよかもったいないじゃん。折角異世界行くのにこれ置いてっちゃったらさ」

「いや何を露骨に話を逸らしにかかってるんですかふざけないでください普段死ぬほど喋りまくって超うるさいくせに合コンのときだけ急に聞き上手ぶろうとして一切面白いところ発揮できない女ですかあなたは」

「うっせえ! アイドルは合コン行かないんじゃ!」


 沈黙。


「……アイドル?」


 しまった、という顔で和邇は口を覆う。

 音楽は止まった。


「アイドルなんですか?」

「idleです」

「idolなんでしょう!」


 一岩はものすごい勢いで和邇に詰め寄った。

 ものすごい勢いで詰め寄ったので、ものすごい勢いでギターが腹部にめり込み、苦悶の声とともにうずくまった。心配した和邇も屈み込んでその背中をさする。


「……大丈夫?」

「アイドルなんでしょう」

「……まあ。そっすね。異世界限定すけど」

「道理でピンク髪だと思いました……。アイドルといえばピンク髪ですもんね……」


 あー……、と微妙な声を出して和邇は自分の髪を一房つまんだ。


「そうなんだよねー。ファンが百億人超えると自動でピンク髪になっちゃうみたいでさ」

「百億人!? なんですかその小学生が考えたみたいな数字は!」

「いや、最初に百億って数字を考えたのは数学者とかだと思うけど……」

「百億人!? なんですかその数学者が考えたみたいな数字は!」

「そのツッコミによって一体君は何を伝えたいの?」

「動揺を」

「そういうのどうよ?」

「は?」

「しゅ、しゅみましぇえん……」


 和邇は頭の中に浮かんでしまった言葉をそのまま口に出した罪の重さに涙目になり縮こまってしまった。


 一方、一岩は一岩でぼたぼたと涙を流しながら床を叩いている。


「こ、こんな寒いギャグを言う人ですら百億人のファンを抱えて音楽で世界を救えるというのに、私ときたら……」

「ちょいちょい。ひどくないっすか。ねえ」

「く、悔しい……。憎い、両親に逆らえず音楽を諦めようとする自分が……」

「あー、難しいよねえ。音楽で食べていこうとするのってさ。実家が裕福ならやりやすいかっていうと、案外それはそれで雁字搦めだったりするし……」

「そしてセミの鳴き声しか出せない自分のギターの腕が……」

「セミの鳴き声しか出ないの!?」


 和邇は叫んだ。驚愕のあまり。

 今日一番の驚愕だった。現代日本人が召喚魔法を使ったことよりも、ギターでセミの鳴き声しか出せないという情報の方が驚きだった。


「そうですよ! 私はどれだけギターをかき鳴らしてもセミの鳴き声しか出せないんです! 笑えばいいじゃないですか! どれだけ才能に恵まれてても本当に欲しいものは手に入らないんだなって!」

「いや逆に才能あるよ! ギターからセミの鳴き声しか出せない人今まで見た百億人の中に一人もいなかったよ! オンリーワンだよ!」

「セミの鳴き声を奏でる才能があったところで一体何になるっていうんですか!」

「いや確かにパッとは思いつかないというか一生思い浮かばない可能性もあるけどとにかくすごいよ! 常軌を逸してるよ!」


 ちょっと弾いてみてよ、と和邇はストラップを外して一岩に押し付ける。一岩は鼻をぐずらせながら「どうせ馬鹿にするつもりなんでしょう」と言ってそれを受け取った。


 馬鹿にするつもりは、和邇にはまったくなかった。

 ただ純然たる興味があった。


 チューニングはすでに和邇が終えている。

 一岩は慣れた手つきでコードを押さえた。Cコードだ。

 じゃん、と弦を弾く。


――シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン――


「あっすげえ。どっかで聞いたことあるわこれ。なんだっけこのセミ」

「クマゼミです」

「あっ、Cコード……」


 次に一岩はGコードを押さえる。


――ミーンミンミンミンミンミーン――


「おお、ミンミンゼミ」

「私はこれをMコードと呼んでいます」

「呼ぶなよ! 受け入れちゃってるじゃん!」

「なんですか! セミの声なんてどうせ人が聞いてもわからないんだから全部 Cicadaコードでいいだろとでも言いたいんですか!」

「言ってねーだろ! 自分のギターがセミであることを受け入れてるのがどうなんだって言ってんだよ!」


 一岩は悲し気な顔になってEコードを押さえた。


――カナカナカナカナ――


 ひぐらしの声だった。

 和邇は、あっこいつ話の内容と雰囲気合わせてきやがったと思った。


「受け入れるしかないんです。

 私が犬歩家の跡取りとして生まれたことも、ギターからセミの鳴き声しか出せないことも……」

「それは同列に並ぶ問題か?」

「どっちも運命なんだから仕方ないでしょう!」

「いや自分で異世界行く魔法編み出せるやつが運命とかなんとか言っても何の説得力もないわ……」

「馬鹿にして! じゃあ私のこのセミギターで誰かの心に響く音楽が作れるとでも言うんですか!」


 言って、一岩はさらにコードを変える。


――チィィィィィィィィィィ――


 何の声だっけこれ。和邇は考えたがわからなかった。ちなみにニイニイゼミの声である。


 一岩は涙を浮かべてニイニイゼミの音を奏でている。

 和邇は一体この声で一岩がどういう主張をしたかったのかさっぱりわからなかったので、一分くらい聴き入ってみた。


 その結果。

 なんかちょっと落ち着いた気分になってきた。


「なんかこれ、しみ入るわ……」

「岩ですかあなたは」

「岩はお前だろ」

「誰が火星のモノリスですか! 誰が!」

「誰もそこまで限定してねーだろ!」

「で、どうなんですか! このセミの鳴き声で誰かを感動させることはできるんですか! 教えてください先生!」


 そうきたか、と和邇は思った。

 普通に下手に出てアドバイスを求めてきやがった。


 何をアドバイスしろっていうんじゃ。

 和邇は頭を抱えながら、重々しく言った。


「め、メスゼミとか……」

「メスゼミに売れたところで印税が入らないでしょう!」

「わっかんないだろ! メスゼミ型のOLの間で話題になってバカ売れするかもしれないだろ!」

「どっちにしろファンが七日ごとに新陳代謝するうえ夏限定じゃないですか! しかも夏ならわざわざ私のギター聴かなくてもそこら中にいるじゃないですか! セミが! より取り見取り!」


 ぐぬ、と和邇は言葉に詰まった。

 確かに一岩の言うことが正しい。いや正しさってなんだよって話になるとそもそもこの議論自体が何かとんでもないバグから(虫だけに)発生しているような気もするが、いやそれでも確かに自分の方が分が悪い。


「もういいです! 世界を救うアイドルにすら救いようがないほど音楽の才能がない私だけど異世界では絶対に音楽で成功してみせるようです!」

「急に自分のこれからに長ったらしいウケ狙いのタイトルつけてんじゃねー! ていうか九割死ぬ旅に出ようとするな! もっと安全性に気を遣えや!」

「いいんです私、世を儚んでますから! ――セミだけに!」

「セミだって一生懸命生きようとしとるんじゃ!」

「あうっ!」


 べしーん、と百億のファンを抱える証であるところのピンク髪が一岩の頬をひっ叩いた。

 一岩は頬を押さえながら崩れ落ちる。そんなに強く叩いてないよね……?と和邇は不安になった。


 はらはらと一岩の目から涙がこぼれている。

 気まずくなったので気休めを口にすることにした。


「……あ、歌とか!」

「…………」

「歌とか、……へへ、どないすかね。ほら、ギター一本でやってるわけじゃないでしょ? 弾き語りとか……、どっすかね?」

「………………平家物語なら」

「平家物語なら!? 平家物語を弾き語んの!?」

「ええそうですよ平家物語を弾き語りますよ歌ってやりますよ諸行無常を! ――世を儚んでますからね!」


 言うと、一岩はギターを鳴らし始める。



――カナカナカナカナ――



 冬の夜に、セミの声が響く。

 なんか今日ほんとわけわっかんねえな、と思いながら、和邇は静かに目を閉じた。


 小さな部屋で、一岩が沙羅双樹の花の色を語るのを聴きながら、しみじみと、感じたことがある。



――こいつ、歌の方はめっちゃくちゃうめえ。






 この日、インターネットに一つの動画が投稿された。

 映っていたのは二人の少女。紹介文には「さっき決めた」との言葉とともに『火星のほとりで歌を聴け』というユニット名が記されていた。


 ピンク髪の異様に似合う少女の圧倒的なギターパフォーマンス。

 黒髪の少女の常軌を逸した歌唱力。


 何の後ろ盾もなかった一本の動画は瞬く間に広がってゆき――。



 最後には。

 『ピンク髪のうち、世を儚んでる方』なんて言い方まで生まれるわけだけれど。


 それはまた、別のお話。

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― 新着の感想 ―
[一言] この作品の独特な表現、控えめに言って大好きです。
[良い点] ここ最近読んだ中で一番意表をつきまくってくる作品でした、すごく面白かったです [一言] 100億人のファンをゲットしてもなお世の中に悲観的なままだったのか……
[一言] 和爾がビビッドなピンクなら、一岩さんはどんなピンクなんでしょーねぇ。 ていうかこのピンクたち、増えそう。ドラムとかベースとか?
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