89話 父は期待の新星でした
ロマンチストの王太子、レオナール様に言わせると、うちの両親の恋愛は、歌劇みたいに見えるようです。
有名な恋愛歌劇「雪の恋歌」の主人公たち、春の国の王子ラミーロや、雪の天使アンジェリークと同じ名前なのも、拍車をかけたのでしょうけど。
期待の眼差しを寄せるロマンチストに、続きをお話ししましょうか。
「うちの父は、北の侯爵家で騎士の修行をすることになりました。
かなりの期待を寄せられたようで、侯爵家の方々が、稽古をつけてくださることになったのです。
辺境伯のご令嬢ならば、この意味がお分かりですよね?」
「ええ、辺境伯の家の者が直々に、騎士見習いを教えるのは、 騎士としての英才教育を施す……と説明すれば、皆様に分かりやすいかしら。
将来的に、一部隊を指揮する隊長を任せたいと、言うことをですわね」
「その通りです。うちの男爵領地は、北地方の中では王都寄りで、侯爵領地とも隣接していましたからね。
侯爵家としては、すぐ近くに住んでいる新興騎士の家の息子を、将来のために鍛えようと思ったのでしょう」
すらすらと答えてくれるのは、王妃候補の一人、東地方の国境を守る、辺境伯のご令嬢です。
代々騎士の家系なので、軍事についての知識は、王妃候補の中で随一。
王妃の側近候補である現役の女騎士たちより、詳しいかもしれません。
「北の貴公子が、西地方の辺境伯である、王宮騎士団長の弟子になられたのも、お父様と同じ理屈ですわよね?」
「はい。僕は将来、北の辺境伯として、北地方の正規軍を束ねていかねばなりません。
その勉強をするために、王都にやってきました」
東の辺境伯のご令嬢が視線を送ったのは、私の上の弟、ミケランジェロでした。北の貴公子は、うちの弟の通称です。
弟は生徒たちの注目を浴びなから、堂々と答えました。前髪で目は隠れているので、表情は生徒たちからは見えませんけど、決意に満ちた口調です。
私から家督を継いで、五代目当主になるための心構えが、段々と備わってきたようですね。
「アンジェさん。北の侯爵家は、お父様をお預かりしたときから、お母様との結婚を認めておられましたの?
男爵家の嫡男と平民の娘ですのに」
素朴な疑問を投げ掛けたのは、東の侯爵家のご令嬢、クレア嬢です。
東地方の貴族の総元締めである、侯爵家のご令嬢は、北地方の総元締めの行動に不信を覚えたのでしょう。
「……将来の花嫁候補の一人として、考えていたのだと思いますよ。
母の祖母の父親は、北の侯爵当主の次男。確実に侯爵の血を持つ、親戚の娘ですからね。
側室にするにしても、見ず知らずの平民の娘よりは、自分の親戚から出したい。
この理論は、クレア嬢も実感されていると思いますけど」
「それも、そうですわね……」
平民云々と言われたので、言葉巧みに、誘導しておきました。
私にとって都合の悪い反論を、許すわけ無いでしょう。
クレア嬢は、祖父の姉である先代王妃様の推薦で、王妃候補になったご令嬢ですからね。
私の理論を否定することは、自分の王妃候補の資格を否定することにも等しいです。さすがに察したようで、大人しく引き下がりました。
「とにかく、立派な騎士を目指して、父の修行が始まることになりました。
侯爵領地を離れる母に、もう『誓い』を捧げたくらいだから、ヤル気満々だったんでしょうね」
「ほう、騎士の誓いを? 見習いなのに、もう騎士の誓いの仕方を知っているのは、両親の影響だろうな」
「なんで、騎士の誓いを捧げるのですか? 騎士の誓いは、国王陛下に捧げるものですよ」
「誓いを捧げたんだろう? ……話が見えん」
レオ様は腕組みして、眉を寄せました。私も、レオ様の意味が分からず、小首を傾げましたけど。
何かに気付いたのか、弟のミケランジェロが声を出しました。
「あ、姉さん! 王都の人は、『誓い』をやらないみたいだよ。
騎士団長様の家では、全然やってなかったから」
「やらない? あれは普通でしょう?」
「僕も普通だと思ってたけどさ。ほら、王都の人は、感性が違うみたいだから」
「……そうでしたね」
弟の説明に納得しました。
都会育ちの人々と、田舎育ちの私たちの感性は、違う部分もありますからね。
私たち姉弟の会話に、レオ様が割り込んで来ました。
「おい、アンジェ、ミケ。お前たちだけで会話を進めるな。僕にも分かるように説明しろ!
『誓い』って、なんだ? 北地方の儀式なのか?」
「そうかもしれません。毎日、夫婦の間で行う、愛の誓いのことですから」
「愛の誓い?」
「はい。夫が妻に『愛しき人よ、我が愛は、すべて君に捧げる』と言って、妻は『私の愛のすべては、あなたのものです』と答えます。
その後、夫は妻を抱き締めて、顔に口づけを贈るんですよ。
妻は、そのまま黙って、夫にしばらく身を委ねたり、手に口づけの返答をしてりして、愛を確かめあいます」
「なんだ。それなら、僕の両親も、よくやってるぞ」
「私の両親も、やっていますね。ただ、人前ではやりませんけど。
騎士団長のような厳格な人物ならば、尚更、人前で夫婦の愛は見せないでしょうね」
「意外ですね? 王都では、他人の顔へ平気で口づけるなど、浮気を平気で認める破廉恥な文化を持っていますのに」
「破廉恥!? あれは、親愛の証だぞ!」
「少なくとも、北地方では、心から愛する者にしか口づけはしません。
他者に平気で行うなど、浮気していると、言いふらすも同然ですね。
前回のレオ様の婚約者候補の方々を見ていれば、心から浮気性も納得できましたし。
郷に入っては、郷に従えと申しますが、この破廉恥な文化だけは、理解しがたいですよ」
場所が違えば、文化も常識も変わりますからね。
共感の持てる文化は受け入れる方針ではありますが、これだけは絶対に受け付けませんよ。
「……うん、北地方が古風なのは、分かった。
特にアンジェの家は、歌劇のような家だからな。
歌劇のような夫婦の愛が、当たり前だったんだろう」
ぽつりと漏らした、レオ様の声は、少々沈んでいました。
私が顔に口づけられるのを嫌がる理由も理解されたようですね。
二度と行わないで欲しいですよ。
「……ほら、レオ、元気だして聞いてください。
浮気をした前の婚約者候補たちと同列にされて、落ち込む気持ちは分かりますけどね」
「……ライ、しばらくそっとしといてくれ」
私は、悪くありませんよ。
王子としての自覚が少ない、春の国の王族のレオ様が悪いんです。
雪の国の王女である私に、気軽に口づけるなんて、両国の外交問題になりかねませんからね。
もう少し、王太子として、しっかりして欲しいです。
「アンジェ、レオは放っておきましょう。
両親の続きをお願いできますか?」
「あ、はい。当時の母は、まだ十才なので、さっぱり誓いの意味が分かっていませんでした。
『仲の良かった観客のお兄さんが、騎士の勉強を始めた、すごい』という認識だったようです」
十二才の父と十才の母では、ままごとのようなものですよ。
結婚の約束なんて、あてになりません。
旅一座のひいおじい様も、この辺りは承知していたようで、「子供の言うことだから」と、北の侯爵家と話していたようですね。
「それで?」
ワクワクした表情で尋ねるのは、ライ様です。
同級生たちも、同じような表情を浮かべておりました。
「十二才になった母は、よく両親に問い詰めていたようです。
一つ年下の妹には婚約者がいるのに、姉の自分に居ないのは変だと」
「父上と同じ年齢になって、さすがに結婚を意識するようになりましたか」
「はい」
雪花旅一座は、古き王家の伝統に従い、十才ごろに婚約者を決めますからね。
相手は雪の国の分家王族だったり、旅一座内部の幼なじみだったり、色々です。
私の場合は、母が旅一座から外に出たので、旅一座に戻される前提で、生まれる前から従兄が許嫁に決まっていましたけどね。
「旅一座のおじい様は、娘の追求をのらりくらりと交わしながら、北の侯爵家を目指しました。
二年ぶりに会う父が、どうなっているか、知りませんでしたからね」
……本当は、知っていましたよ。
常に雪の国の間者を使って、北の侯爵家を見張っていましたからね。
北の侯爵家は、春の国の辺境伯です。
雪の国としては、国境を守護する者の動向を、掴んでおきたいんですよ。
見張れば、副産物として、侯爵家で住み込みの騎士の修行をしている父の情報も、手に入ります。
「母は、父と会う前に、旅一座の舞台に立っていました。題目は分かりますか?」
「雪の恋歌ですよね?」
「はい。北地方で、初めて主役になることを許されたのです。
二年ぶりに会う、父のためにね」
「旅一座の座長は、本当に粋なことをしますね♪」
ニコニコと王子スマイルを浮かべる、ライ様。父の男心を察しているようです。
十四才になった父は、雪花旅一座が侯爵領地にやってくると聞いて、落ち着きを無くしたことでしょう。
初恋相手が、どのように成長しているか、自分との約束を覚えているのか、期待と不安が入り交じって、待っていたと思いますよ。




