69話 頭と権力は、使いどころが肝心ですよ
王家御用達レストラン、壁際の薄暗い席で、私は母との口喧嘩に負けました。
最強の母は平民の旅一座の娘でありながら、男爵家の跡継ぎである、父の心を掴んだ美貌の持ち主です。
雪の天使と形容される、北地方の美人の代名詞に微笑まれたら、毒気を抜かれますよ。
母が王族に見初められていたら、側室として、一生寵愛を受けていたでしょうね。
絶世の美女の微笑みに、見惚れる王族がいました。王太子のレオナール王子です。
私の上司は、ぽつりと呟きました。
「……アンジェ、お前の母上は、本当に美しい。雪の天使の微笑みは、僕やライの母上の微笑みのようだ。
さすがは、北国の王家の血を引くだけあり、気高き美しさと慈悲を併せ持つ微笑みだと思う」
「……レオ様の婚約者候補たちも、気高く気品を持つ、麗しきご令嬢ばかりです。
年上の人妻に心を奪われるなど、『銀のバラの王子』のような愚かなことを、なさらないでください。
あの歌劇の結末のように、美しく若きご令嬢を花嫁にすべきですからね」
「分かっている、一々申すな。だが、今は僕よりも、この者たちの嫁探しが大切だ。
そこの独身貴族の次男と三男。僕を頼る前に、自分で行動してみせよ。お前たちが男気を見せるようなら、僕も協力してやろう。
少なくとも、入り婿になるつもりなら、さっき東の子爵家の次男に説明したような覚悟をして、男のプライドは捨てろ。
長男に生まれなかった時点で、家を継げる確率は低い。自分の力で、人生を生きていく心積もりを持て」
王太子スイッチが入ったようですね。いつもの気楽な口調ではありません。
呼び掛けられた独身貴族三人は、背筋を伸ばしました。
レオ様は、お見合いを受けるかどうか、悩んでいる東の子爵家の次男坊をちらりとご覧になられます。
その後、独身貴族たちに視線を戻しされました。
「長男には、長男なりの悩みがある。家を継ぐと言う義務が生じるのだ。
当主になれば、民を守り、土地を守り、跡継ぎを作って未来の子孫へ、領地を渡さなくてはならない。当主の義務がまっとうできなければ、王家が家を取り潰す。
民を苦しめるような、無能な貴族はいらぬ。必要なのは、民の生活を守れる有能な貴族だけだ」
「……本当に、家を継ぐと言うのは、大変なのですよ。
あなた方の両親や祖父母に、十五年前の東地方の洪水や、八年前の西地方の大干ばつがを起こったときの話を聞いてみてるといいでしょう。
被害にあった領地の当主は、荒れた領地を立て直さなければなりません。壊れたものを元に戻すと言うのは、とても時間がかかりますからね」
レオ様に続いて口を開いた、宰相の子息殿、ラインハルト王子の言うとおりです。
荒廃した土地を、人が住めるようにするには、何年もの歳月がかかります。
歌劇のように場面転換しただけで、元のように戻るわけではありませんから。
「昔話で実感がわかないなら、北地方へ復興支援に行ったことのある騎士たちに、話を聞いてみよ。
あそこは、今現在唯一の、未曾有の被害から立ち直ろうとしている土地だ。
王宮の騎士たちも、半年交代で北地方に行っている。僕らも四年前に半年間滞在したから、よく知っている」
「このような場所で言うことでは無いですけど、生き地獄と言うのは、本当に存在するんだと実感しましたよ。
私たちは、この国の王族として、民をあの地獄から救わねばならないと、決心しました」
……何となく、レオ様とライ様の思惑が見えてきましたね。
現在、北地方の復興支援に、協力してくれない貴族が多いです。
だから、昔起こった自然災害の話や、自分たちが赴いたときの持ち出したのでしょう。
独身貴族に聞かせるように見せかけて、現在の当主たちに協力を仰ぐように仕向けているのです。
民衆心理を誘導する方法の一つですよ。さすがは、世論を操るすべにたけた、王族ですね。
「若い世代のお前たちは知らぬであろうが、我が国の北地方は、昔から周辺国家が欲しがる価値のある土地なるぞ」
「……塩の産地だからですよね? 北地方のせいで、西国が攻めてきて、戦争になり西地方が荒廃した。
領主が殉職した貴族は没落したと、従軍した祖父が言っていました」
「西地方の貴族だけあって、さすがに詳しいな」
西地方の古い貴族は、北地方の貴族を憎んでいると、父方の祖父は言っていました。西地方が戦争の被害にあったのは、北地方のせいだと。
……西地方の公爵が、四年前に私の親戚である、北地方の貴族たちを暗殺したのも、その辺りが絡むのかもしれません。
「ならば、西国との戦争の混乱に乗じて、東国も密かに攻めてきていたのは知っているか?」
「いいえ。それは初めて聞きます」
「であろうな。世間では、北国と東国の戦争と認識されている。
おそらく、今となっては……当時を知る、アンジェの祖父しか語れまい」
「東国は山脈沿いに移動して、北地方に攻めてきたから、気づくのが遅れたんですよ。
北地方の兵を率いて、西地方に出陣する途中だった北の侯爵は、進路変更をせざるを得なかったんです。
雪の残る山での戦いは、我が国では北地方の貴族しか、対応できませんからね」
「西地方へ、南北地方から援軍を送るつもりが、北地方からの援軍が見込めなくったのは、痛手だった。
東国から攻めて来られることも考慮すると、東地方の貴族は動かせぬ。
西と南だけで、西国と戦うことなり、西地方の戦いは熾烈を極めた」
「北地方の戦いは、王太子のおじい様が北国へ援軍を要請して、終結させたんですよ。
北地方の貴族たちは、北国の王家の血を持つのを理由にね。
東からの驚異が少なくなり、やっと北地方の兵を、西地方へ送れたと言っていました」
「北地方の兵は、東国と戦った直後で負傷者も出て、戦力は半減。その上、西から東へ引き返したあと、再び西へ移動だ。
西地方の貴族にしたら、南地方からの援軍より送れた上、戦力も足らぬし、見劣りして見えたのかも知れぬな」
「他の地方の貴族である、あなたたちは、北地方の戦いを知らなくても、仕方ないですね。
東国との戦いを伏せるように進言したのは、当時の宰相です。漁夫の利を狙って、南国が攻めてくる可能性がありましたから。
西地方の公爵としたら、西地方を守るためにそのような選択をしたのでしょうけど」
言ってしまいましたよ、この王子様たち。北地方の秘密の一つを。
北地方の貴族である私が、何か言わないと行けなくなったじゃないですか。
ちゃんと、フォローしてくださいよ?
「……レオナール王子、ラインハルト王子、あの北地方の戦いは国民に伏せておくのでは、無かったのですか?
北地方の貴族には、一生口をつぐんでおくように、王家から命令があったと祖父から聞いていますよ」
「心配いらぬ。北地方の貴族が、アンジェの家だけになった時点で、王家としては公表するつもりで方針を転換していたのだ。
我が国に北国の王位継承権を持つ者が、まだ居ると示して置かねばならぬ。
北国との同盟が切れたと判断して攻めてくる、愚かな国があっては困るからな」
「簡単に言うと、西国の王家の血を持つ私と、北国の王家の血を持つアンジェたちの立場は、同じなんですよ」
「平民の祖先を持つ私と、貴き王家の祖先しか居ないライ様を、同列扱いされても戸惑うだけです」
「混乱するアンジェの反応は、仕方あるまい。ついさっきまで、北国の王位継承権のことを知らなかったのだから」
「そうですね。他国の王位継承権を持つものが、国内に居る重要性というのは、代々外交を担う南地方の貴族以外には理解しがたいかもしれませんね。
ですが、私たちが居るから、国家間の同盟も成り立ちやすくなりますし、同盟を結んでいない国も、他国からの援軍を警戒して攻めて来にくいのです。
国家間の同盟の大切さは、先ほどの東国との戦いで、証明されてしますからね」
「……北国の内乱の余波ですら、北地方にあれほどの被害を受けている。西国との戦争による西地方の被害など、もっと酷かったであろう。
僕は、将来の国王として、争いによる悲劇は繰り返したくない。だから、王太子として、この場で話すことにした。
北国からの使者を迎える大事なときに、さっきの西地方の伯爵家の次男のような、北の伯爵を愚弄する者があっては困るのだ」
王子の威厳たっぷりで語る、レオ様とライ様。
伯爵、子爵、男爵の中位から下位貴族を、話術で丸め込みにかかります。
国家間の同盟について説明しながら、平民上がりの男爵家の私たちへ、味方する貴族を増やすように仕向けていますよ。
この場には、高位貴族の公爵や侯爵が居ないから、使える戦法ですね。
外交に精通する高位貴族なら、他国の王位継承権を持つ者を自国に置く危険性を、指摘するでしょうから。
今回だけは、のんきに舞踏会を開いて、高位貴族を招待してくれている、敵の西の公爵に感謝しておきます。
「銀のバラの王子」の詳しい内容は、33話をご覧下さい。
元ネタは、オペラ「薔薇の騎士」です。




