63話 王族の妻の条件だそうです
七月三連休の最終日。夕食は、家族揃って、外食する予定でした。
母に抱っこされていた末っ子のエルは、何か見つけましたよ。指差すと、舌足らずな発音で懸命に告げます。
「おーちゃま、おーちゃまでちゅの!」
(お母様、王子様ですの!)
「王子様?」
私と母は、エルの指差す方向に視線を向けました。
乗馬した近衛兵と共に、王太子のレオナール王子と、いとこのラインハルト王子が王宮に戻ってこられたところです。
私たち家族は、乗馬した王子たちに頭を下げてやり過ごそうとしました。
「エル、家族でどこに行くんだ?」
「うりゃどーりのおみちぇ、いきまちゅの♪」
(裏通りのお店、行きますの♪)
「裏通りの店って、なんだ?」
「あーじぇおーちゃま、おいちーとこりょ、つゅれててくれまちぬの」
(アンジェお姉様が、美味しい所に連れていてくれますの)
レオナール様は、うちの末っ子にお声をかけられました。舌足らずの発音を、きちんと聞き分けています。
今朝から色々あって、秘書官の私に声をかけづらいので、うちの妹に話しかけたのでしょう。
周囲は、一人っ子の王子様は、エルを妹のように可愛がっているので、声をかけたと思っているようですね。
レオ様は、微妙な声音で、私に話しかけられてきました。頭を上げて、お顔を拝見しましたよ。仏頂面でした。
「おい、アンジェ。今から裏通りに行くなんて、正気か?」
「何か問題があるんですか?」
「大有りだ。エルは、将来の北国の王子妃なんだぞ。なんかあったら、どうするつもりだ!」
「何かって、なんですか? 家族で食べに行くくらい、珍しいことでもないですよ」
レオ様は、何を怒鳴られるんでしょうか?
去年、うちの家族が来たときも、我が家の使用人たちと一緒に、裏通りの店に食べに行きましたし。
「……レオ、アンジェに言うだけ、無駄だと思いますよ。去年の春まで、田舎でのんきに過ごしていた貴族なんですから」
「だって、こいつら、危機管理能力が足らなすぎるぞ。
夜に裏通りに行くなんて、ありえない!」
馬から降りながら、ライ様は、ため息をつきました。同じく、レオ様も、ブチブチと文句を言います。
私たち兄弟が首を傾げていると、うちの母が頭を上げて、言葉をつむぎます。
「もしかして、王都の夜は、まだ危険なんですか? これほど、町中に灯りが増えましたのに」
「少なくとも、貴族は裏通りに近づかん。平民の旅一座が出歩くのとは、訳が違う」
「あら、そう。外出は取り止めた方が良さそうですね」
「やー、おちょといきたいでちゅわ!」
(嫌、お外行きたいですわ!)
「エル、お母様の言うことを聞きなさい。一人ではお出かけできないでしょう」
「やー! ひとょりでいけまちゅわ!」
(嫌、一人でも行けますわ!)
母が外出を止めようとすると、末っ子はワガママを発揮しましたよ。
私が注意すると、下の弟も、ワガママを言い出しました。
「姉様、僕も外に行きたいよ! なんでダメなの?」
「お母様が危ないと言ってるからです」
「なんで危ないの?」
「お母様や王子様たちが危ないと言っています。何か、怖いことが起こるのかもそれませんね」
「怖いこと?」
「……夜、暗い道を歩いてて、オバケが出ても知らんぞ」
「おびゃけ?」(オバケ?)
「オバケ?」
「母上の言うことを聞かない、悪い子の所には、オバケがでるかもしれませんね」
「……エル、オバケだって」
「……おびゃけでちゅの」(……おばけですの)
レオ様とライ様は、わざと声を低くしました。四番目と末っ子は、びくりと体を震わせます。
こわごわと母を見上げました。
「あらあら、夜ですもの。悪い子の所には、オバケが出ても、おかしくありませんね」
「困りましたね。二人とも、お母様の言うことを聞けない悪い子ですから。
オバケが出て、遠くに連れていってしまうかもしれませんね」
ほっぺを膨らませて、ぷりぷり怒っていた四番目と末っ子は、大人しくなります。
私と母を交互に見て、泣きそうな顔になりました。
レオ様たちと話す内に察しましたよ。オバケは、権力者の小飼いの裏世界の者でしょう。
王宮にいる間は、安全に過ごせますが、外に出ると危ないと忠告してくれたのです。
うちの妹と北国の王家の婚約を、快く思わない、おバカな世襲貴族がいますからね。
「……おい、ちょっとエルを抱っこするぞ」
「あっ、はい。どうぞ」
レオ様は、泣きそうな末っ子を見て、少し眉をひそめました。
抱っこすると言うので、母は手を離して、預けましたよ。
妹を抱き上げたレオ様は、妹に言い聞かせ始めます。
「エル、いつもみたいに野菜を好き嫌いせず食べるなら、僕が秘密のお店に連れていってやる。
皆で出掛ければ、一人じゃないから、オバケが出ないかもそれないぞ」
「ひみちゅのおみちぇ? えりゅ、いきたいでちゅあ!」
(秘密のお店? エル、行きたいですわ!)
「野菜を残さず食べるのが条件だ、ピーマンもきちんと食べろ」
「えー、にぎゃいの、きらいでちゅわ!」
(えー、苦いのは嫌いですわ!)
末っ子は、ワガママを発揮します。舌足らずでレオ様に言い返しました。
エルは苦いピーマンが嫌いでしたからね。
『食べ物を粗末にする子は、連れていかん。オバケに出会っても、助けてやれんかもしれんぞ』
『おびゃけ、こわいでちゅの』
(オバケ、こわいですの)
『良い子にするなら、助けてやるぞ』
『……いいきょにちまちゅわ』
(良い子にしますわ)
レオ様は、北の国の言葉で話しかけ始めました。近衛兵たちに。あまり聞かれたくない話のようですね。
うちの弟妹は、我が国の言葉も、北の国の言葉も、理解できるバイリンガルです。
王太子の言葉が急に切り替わったので、全員が注目しました。
『いいか、エル。王族の条件には、好き嫌いせずに食べることも含まれるんだ。
外交で他の国に行けば、食べ物が全く違うこともある。
歓迎して出してくれたご馳走を、苦いからと食べ残せば、向こうの国に無礼だと受け取られて、戦争になる場合もあるんだぞ』
『……ちぇんちょーって、にゃんでちゅの?』
(戦争って、何ですの?)
『戦争が起こるというのは、エルの住んでいた街のように、皆が不幸になると言うことだ』
『エル、食べるものがなくて、大勢の人たちが住む場所を無くして逃げ出すことと言えば、分かりますか? エルの故郷のようになることです』
……子供には、戦争の話なんて、難しいのでは無いでしょうか。
レオ様は、意に介さず、淡々と告げますけどね。
苦笑いを浮かべながら、ライ様が説明を付け加えましたよ。
故郷の様子を思い出したのか、エルは泣きそうな顔になりました。
『エルは戦争が好きか?』
『いやでちゅの! ちぇんちょー、きらいでちゅわ!』
(嫌ですの! 戦争、嫌いですわ!)
妹に聞こえるように、きちんとお説教するレオ様。けっこう話が壮大になってきましたね。
たった六才の子供相手に、哲学でも、とくつもりでょうか。先が読めませんよ。
『エルは、将来、北の国の王子様の所に行くんだからな。
今から好き嫌いを直さないと、王子様に嫌われて、北の国とうちの国が戦争になりかねん』
『ちょれはだめでちゅわ!』
(それはダメですわ!)
『だったら、好き嫌いをせず、きちんと全部食べろ。僕もエルくらいの頃は、父上からそう教わった。
エルはこの国の代表として、将来、北の国に行くんだ。戦争を起こさせず、皆を不幸にしないことが大切な仕事だぞ』
『……えりゅ、ぎゃんばりゃないと、いけまちぇんの?』
(……エル、頑張らないといけませんの?)
『エルは故郷で、不幸になった人たちを、たくさん見てきたんだろう?
不幸になった人たちを助けてくれたのが、お前の姉上だ。
だから、エルも頑張って、姉様を手伝って助けてるんだぞ』
『えりゅ、あーじぇおーちゃま、おてちゅだいできまちゅの?』
(エル、アンジェお姉様のお手伝いできますの?)
『そうだ。好き嫌いを無くすことだって、将来の戦争を起こさせないことに繋がる。
エルが姉様を助けられる、立派なお手伝いだぞ』
『……えりゅ、やりまちゅわ。あーじぇおーちゃま、たちゅまちゅの!』
(……エル、やりますわ。アンジェお姉様、助けますの』
……策士のレオナール様は、とんでもない理論で、うちの妹を丸め込みました。
子供って素直ですからね。妹は目を輝かせて、決意してくれましたよ。
まあ、好き嫌いを無くしてくれるだけでも、姉としては大助かりですけどね。




