60話 猫可愛がり、し過ぎです
今日は、七月三連休の最終日です。
本日の王妃教育の授業には、うちの家族全員が見学にくることになりました。
きっかけは、私の下の妹、エルの一言です。
「あーじぇおーちゃま、むりちまちゅの。えりゅひとり、ちんぱいでたまりまてぇんあ」
(アンジェお姉様、無理しますの。エル、一人では、心配でたまりませんわ)
姉を慕う末っ子は、お節介を焼きました。
一昨日、一緒に外出していて、翌日に姉の私が寝込んでしまったからでしょうね。
王妃教育には、エルも、私のオマケで一緒に参加しています。
授業の途中で姉の私が倒れたらと思うと、心配で堪らないと、うちの母に訴えたようでした。
「母は王様に謁見をするので、午後のお茶の授業から途中参加します。
お姉様の言うことをよく聞いて、授業の邪魔をしてはいけませんよ」
「おーちゃま、きまちぇんの?」
(お母様、来ませんの?)
「ええ、午前中は行けません。お姉様は体が弱いので、今後のことを、王様に相談してきます。
エルは、お姉様の体調に気をつけて、面倒を見てあげてください。
王子様から、授業参観しても良いと、許可は取ってありますからね」
「あいでちゅの」
(はいですの)
……兄弟の面倒を見るはずの長子の私が、末っ子に面倒をみられる事態になりました。
いや、他の弟妹も、母の言葉に力強く頷いたので、全員で私の面倒を見るつもりのようです。
あはは……乾いた笑いしか浮かびませんでしたよ。
王妃教育に授業参観した弟妹たちは、たちどころに講師や参加者、世話役の使用人たちの注目を集めました。
太陽の光を集めたような、まばゆいほどのサラサラした金髪。
雪解けの春の空を思わせる、くりくりの青い瞳。
真っ白で、雪と形容されるほどの、色白の肌。
北地方の美人の代名詞、「雪の天使」が目の前で闊歩しているのですから。
天から授かった自然の色。そこに、絶世の美女である母譲りの容姿が加わります。
無邪気な子供の笑顔に、とてつもない破壊力をもたらしましたよ。
しかも、母流の演技教育を受けて育った結果、全員が魅せる立ち振舞いを身につけております。
去年まで、貴族の最下位である男爵家の子供だったとは思えぬようで、貴族のご令嬢たちを驚かせたようですね。
西の伯爵のご令嬢である、男勝りの女騎士は、私にぼやきましたよ。
「……アンジェ秘書官のご兄弟は、今すぐお茶会や晩餐会に参加しても、問題なさそうだな。
末っ子のエルを初めて見たときから、下級貴族の割にはしつけが行き届いていると思ったが、兄弟全員がそうだったのか」
「礼儀作法は、まだまだですよ。王妃教育を受けさせていただいたおかげで、ようやく皆様に追い付けそうですから」
「うかうかしていたら、エルに抜かれるかも知れないな」
苦笑いを浮かべた女騎士殿は、マナー授業が苦手な伯爵令嬢ですからね。
うちの弟妹が見ている手前、今日は、きちんと礼儀作法を学んでくれるでしょう。
母の教えてくれた演技の中には、テーブルマナーやダンス、話し方や立ち振舞いなど、貴族の教育に通じるものが多いのです。
大きく違うのは、衣服は服飾職人に任せるのではなく、自分で作って、手入れすることぐらいでしょうか。
田舎貴族の元男爵令嬢だった私や妹が、王妃教育でマナー授業などをそつなくこなせるのは、母の教育のお陰ですね。感謝しています。
……感謝しないと将来が怖いので、自分に言い聞かせて、思い込むようにしているのが現実かもしれません。
貴族の奥方になったあとも、母は女優魂を忘れていませんでしたからね。
子供たちに、自分の持てる演技のすべてを叩き込みましたよ。
「アンジェリーク、母は背筋を伸ばして歩くように言いましたよ? どうして頭の上の本を落とすのですか、やり直しなさい!」
「申し訳ありません、お母様」
長子の私は、一番怒られた回数が多いです。熱心な教育ママだった母の怖さを、一生忘れないでしょう。
「あらあら、エルは天才ね♪ 次はアンジェお姉さまみたいに、背筋を伸ばして歩いてみましょうか」
「あいでちゅの!」
逆に末っ子のエルは、母に加えて、兄姉という手本があり、恵まれた環境で習得します。
同じ姉妹でも、ものすごく格差を感じましたよ。
※※※※※
王妃教育の最後のお茶会の授業で、ようやくうちの母が合流しました。
レオナール王子にエスコートされ、王妃様の前までくると、優雅に淑女の礼をします。
旅一座の元女優だった母の仕草は、洗練されていますからね。使用人からは、感嘆のため息がもれていました。
お茶を入れるときも、飲むときも、舞台の一場面を再現して、皆さんを楽しませていましたし。
休憩時間に、こそこそと近づいてきた王宮の侍女が、話しかけて来ました
「アンジェ秘書官のお母様は素敵ですね♪ お揃いのストールが欲しくなりました、今度、仕入れてくださいな!」
新たなファンを獲得しつつ、さりげなくうちの領地の特産品を売り込む、母の手腕には、脱帽しましたよ。
王宮の中には、二十年以上も前になる、雪花旅一座に在籍していた母の役者時代を知っている人もいました。
先代国王陛下と先代王妃様は、雪花旅一座の熱狂的なファンで、母の子役時代からの大ファンだったようですね。
うちの兄弟が勢揃いしているお茶会の授業に、乱入されましたから。
そして、熱狂的なファンは、無謀なお願いを始めましたよ。
「ときにアンジェリーク伯爵夫人、王宮勤めの役者にならぬか?
ここに滞在している間だけで構わぬ。是非とも、そなたの歌を、わが妻のために聞かせて欲しい」
「私と夫の仲人をしてくださった、先代様の頼みでしたら、断るわけには参りませんね。
つたない歌ですが、先代妃様のために、歌わせていただきます」
「妃よ、わしからの贈り物、受け取ってくれるな?」
「はい。喜んで♪」
優雅に微笑む、先代国王夫妻とうちの母。
使用人たちは、ようやく国王夫妻が仲直りされたと、安堵していました。
……うちの母が王宮に到着した頃まで、話は遡ります。
母が先代国王夫妻のお茶会に招待されたとき、どちらが先に母にお茶を入れてもらうかで、少々もめたんですよ。
「元国王であるわしに入れてくれるな?」
「あなたは、下がっていてください。私が先にいただきます!」
「いや、ここは、夫を立てるものだろう!?」
「あら、妻のわがままを聞いてくださるものでしょう?」
先代国王夫妻は、大人げなく、口喧嘩されたんですよね。
くじ引きの結果、先代国王陛下が勝鬨をあげました。
このときに、先代国王陛下が譲ってくれなかったことを、先代王妃様は怒りましてね。
その夜から昨日まで、ずっと寝室を別にされたんですよ。
熱狂的なファンだと、理性を失った立ち振舞いをすることがあると、母から聞いたことがありました。
このときのお二人は、まさに当てはまるでしょう。
ケンカしていた両親が、お茶会の授業に揃って乱入したと聞いて心配したのか、国王陛下や宰相殿もやってこられました。
仲良くうちの母の歌を聞く、先代国王夫妻の姿を見て、ご子息であるお二人も、安心されたことと思います。
母の歌を初めて聞いた、王妃教育を受けるご令嬢たちは、拍手喝采。
我が国最古の歌劇団である、雪花旅一座の元女優の虜になったようですね。
母の歌がひとしきり終わったころ、公務の終わった宰相の奥方様も、合流されました。
先代国王夫妻とうちの母は、のんきに同じ机でお茶を飲み始めましたよ。
「子供も、孫も、男ばかりで、むさ苦しかったからのう。
アンジェちゃんの娘が王宮に来てくれて、華やかになって嬉しいことじゃ」
「先代様、私はもう五人の子供がいる、大人ですよ。いい加減、子役時代のように『アンジェちゃん』と呼ぶのは、お止めくださいな」
「アンジェちゃんは、アンジェちゃんじゃ。
生まれた頃から知っているわしらにとっては、娘のようなもんじゃからな。
アンジェちゃんの子供たちは、孫のように思うとるよ。エルは特に可愛いのう」
「あなたったら。エルがアンジェちゃんの子供の頃のように可愛いからと、構いすぎです。
いずれ、北国の王家へ嫁ぐのですからね。孫離れしてください」
じっと聞き耳を立てていると、面白い昔話が聞けました。
先代王妃様が懐妊された頃、お二人揃って雪花旅一座の舞台を、ご覧になられたそうです。
雪の恋歌幕が降りたあと、生まれたばかりのうちの母が新たな旅一座の一員として、観客に紹介されました。
……当時、若座長だったおじい様は、親バカだったようですね。
娘を自慢したくて、堪らなかったのでしょうけど。
母は、美男美女揃いの雪花旅一座に生まれた、赤ん坊ですからね。
きっとお人形さんのように、可愛らしい赤ん坊だったのだと、推測できます。
雪花旅一座の座長の最初の娘は、アンジェリークと名付けられる事が多いです。
おじい様は古き言葉で、天使を名前の意味に持つと、母を紹介したようですよ。
うちの母を見た国王陛下は、固く決意しました。
生まれてきた子供が姫君だったら、「アンジェリーク」と名付けようと。
自分達に授かった天使だからと言う、親バカの理由で。
けれども、生まれてきたのは。息子でした。その次も、息子。
男ばかりで、孫に夢を持ち越したようですね。
その孫も男ばかりだったので、ひ孫に最後の望みを託されているとか。
「ひ孫が姫じゃったら、今度こそ、アンジェリークと名付けるんじゃ! わしの天使じゃからのう。
レオナール、ラインハルト、期待しておるぞ! はよう、婚約者を決めて、花嫁を迎えてくれ」
突然話をふられた孫たち。レオナール王子も、ラインハルト王子も、盛大に紅茶にむせました。
「お、おじい様、ここには、もうアンジェリークが二人も居ますよ。
旅一座よりも、王家伝統の名前をつけませんか?」
しどろもどろで答える、王太子。私と、うちの母に視線を向けます。
「安心せい。アンジェリークも、王家伝統の名前の一つじゃ。
妻に反対されたとき、過去の王家の名前を調べて説得したから、問題ないぞい」
「五百年ほどの王家の歴史のうち、五人のアンジェリーク王女を確認しました。
歴代の王妃の中にも二人のアンジェリークが居ますし、問題無いとわたくしも、判断しています。
早くひ孫のアンジェリークを、抱かせてください」
祖父母からの思わぬ反撃に、顔をひきつらせる王子たち。
ちなみにアンジェリーク本人である私と母は、おもいっきり入り口の方に顔を向けて、他人のふりをしました。
目の前で名前を連呼されたら、さすがにこのような態度をとりますよね。




