59話 目的を忘れかけていましたね?
「……王子様に口説かれてなびかなった女性は、東の侯爵の姫君ですよね? 口説き文句の教え方の参考にするので、教えてくださいな」
「そうだ。純情なクレアは、変に頭が良すぎて、口説き文句だと思ってもらえなかった。
それとアンジェも、同じだな」
「あら。うちの娘も、口説かれたのですか?
あのような冷静な子を、よく口説こうなんて思いましたね。
沈着冷静過ぎて、殿方の目には、止まらないと思っておりましたのに」
「アンジェは、口説いて口づけすると、恥ずかしがって思考回路が止まるから、扱い自体は楽だった。
外見も子供だし、口達者で他の男に相手にされんから、恋人にしても安心できる」
……王太子のレオナール王子は、うちの母の誘導尋問に引っ掛かりましたね。
腹黒策士のレオ様と、対等に渡り合える最強の母です。
絶望に打ちのめされているレオ様に同情するふりをして、優しい言葉で心につけ入りましたよ。
演じることにかけて、現在の王宮で、母に並ぶ者は居ないでしょう。
なんせ、子供の頃から、演技の稽古をしていた、旅一座の元女優ですからね。
同じ室内にいる侍女殿と新米秘書官殿を、そっと観察してみました。
二人とも、「え?」という顔で、レオ様とうちの母の姿を眺めています。
レオ様が、素直にペラペラとしゃべると思って無かったんでしょうね。
母は、数回瞬きをしてから、冷たく美しい、微笑みを向けました。
先代王妃様の親戚である、侍女殿は、軽く頭を下げました。
『王子様と私の会話を、聞き漏らさないようにしてください』
『はい、一字一句、間違いなく報告させていただきます』
王妃様の親戚である秘書官殿は、何度も無言で頷きました。
レオ様の味方であるよりも、うちの母や侍女殿の味方であることを選択しました。
多勢に無勢ですからね。賢明な判断でしょう。
孤立したレオ様は、そうとも知らずに、母と会話をなさっておられます。
「そうですか。東の姫君には、どの歌劇の台詞で?」
「甘い鎮魂歌の歌から引用して『 クレアなしに、僕はどうしたらいいんだ』と口説いた」
……それ、天の国に行った恋人を連れ戻そうとした男性が、神様との約束を破って、一度失敗する恋愛歌劇ですよ?
なんで、そんなものをわざわざ選びますかね。
「甘い鎮魂歌自体は、貴族や王宮向けに作られた歌劇なので、王子様が選んだのも、納得できますね」
「……母上は分かってくれるのか? あれほど、純愛に満ちた歌劇は無い。
僕も愛の誠を示し、愛の神に認めてもらうには、一番だと思ったんだ!」
ああ、あれは正統派歌劇とも言えるくらい、高貴な身分の方々には、受けが良いですからね。
恋人を取り戻すのに失敗した男性は、絶望して後追い自殺をしようとしますので。
それを止めるのが、愛の神です。男性の誠の愛情に感動し、恋人を生き返らせてくれて、めでたしめでたしになりますから。
恋愛歌劇の中では、「雪の恋歌」「謎かけ姫物語」と並んで、人気が高く、王立劇場でよく公演されているらしいですね。
「娘は、雪の恋歌の台詞ですか?」
「もちろん。僕の天使、アンジェリークだ」
「主人も、私に同じ言葉をささやきましたね」
「そうなのか? まあ、雪の天使と同じ名前なら、僕と同じように考えて当然だろう」
母とレオ様の会話は続きます。時折、母は侍女殿に視線を送りますね。
レオ様の言葉を、すべて両親である国王夫妻へ報告しろと言う、意思表示でしょう。
「……どうして、私たちが雪の天使と呼ばれるか、知っております?」
「雪のごとき、白い肌だからだろうな。
顔だけでなく、首や肩まで白くて驚いたぞ」
「あら、娘の肩を見たことがありますの?」
「一度、白粉でも塗ってるのかと思って、服をずらして観察したことがある。
触ってみたら、白粉は手につかんし、スベスベしてたから、自前の肌なのかと納得した」
ちょっと! なにやってるんですか、この王子様は!
母の青い瞳が、視線だけで私に尋ねてきました。
何度も首を振って、否定しましたよ。
『王子様に肌を見せたのですか? 嫁入り前なのに?』
『知りません! 知りません! そんなはしたないこと、やるわけないでしょう!』
『そう。王子様が勝手にやったのですね』
やっぱり、私が気を失っているとき、ちょっかいかけていたんですね。
さすがに、ひどくありません?
乙女の柔肌を、なんだと思ってるんでしょうか!
「王子様、さすがに嫁入り前の子の肌を観察するのは、いかがかと思いますよ?」
「なんでだ? 僕が頼まなくても、他の女は、勝手に見せてくれるぞ?
アンジェは見せてくれなかったから、僕自ら確かめただけだ」
「……他の女性って、どなたですか?」
「僕の嫁になりたがってる、貴族の女たちに決まってる」
「……王子様。王都の貴族のご令嬢は、そうなのかもしれませんけれど、田舎育ちのうちの娘には、そんな真似はできませんからね」
「そうだろうな。何度、王都の貴族の恋の駆け引きを教えても、アンジェは習得してくれなかった。
僕が手取り足取り、教えてやったのに」
「あら、そう」
……墓穴を掘っていますよ、王子様。
うちの母や侍女殿の冷たい視線に、まだ気づいていませんね。
つくづく夢見がちで、幸せなおバカさんですよ。
レオナール様は、信頼している者を前にしてご自分の世界に入ると、長々と説明するくせがありますからね。
敵認定や中立で信用ならないと思った者には、こんな隙を見せないのですが。
うちの母は、レオ様の中で、味方認定されたようです。
だから、年上の母に対して、ため口でしゃべっているのでしょう。
「アンジェは二人っきりになると恥ずかしがって、すぐに逃げようとするから、捕まえておくのが大変だったぞ。
まあ、初々しい女の方が、僕の好みだと分かったから、苦にはならなかったが」
「……初々しい方が王子様の好みなのですか?」
「そうだ。普段は頭の回転が早くて、冷静な女が、口づけ一つでひどく驚いて、取り乱して驚いたからな。ものすごく新鮮に感じて、興味がわいた。
同時に、王都でやっていけるのか将来が心配になったから、色々と教えてやろうと思ってな」
……たれ目のはずの母が、つり目に見えた。
きっと、女の敵である王太子への怒りが、再燃してるんでしょうね。
ペラペラとしゃべる王太子を、見限ったようでした。
「……王子様。そろそろ、おしゃべりを止めていただけません?
演技の指導は、王様の許可を取ってからになりますから、今日はできませんの」
「それもそうだな。母上には、僕のアンジェに対する愛の深さを分かってもらえたようだし、西の公爵家の話に戻るか」
……のんきに王子スマイルを浮かべたレオ様に、軽く憎しみが沸き上がった私は、悪くないと思います。
侍女殿は、国王陛下に報告してくれますからね。
母は言外に、レオ様の父君とお話しすると告げていましたし。
ご自分の世界に浸っているおバカさんは、ちっとも察していませんね。
理解した新米秘書官殿は、ものすごく顔色を悪くしていましたよ。
それにしても、王都の王侯貴族と、地方の田舎貴族の違いが、浮き彫りになりましたね。
都会育ちのレオ様にとって当たり前でも、田舎育ちの私には、非常識な内容が多いです。
なんで、額への口づけが、軽い挨拶変わりになるんですか! 信じられませんよ!
胸中で愚痴っていたら、レオ様に声をかけられました。
こういう時、レオ様は切り替えが速いですね。
もう少し、恋愛に関しても、切り替えをして欲しいです。
早く私から、クレア嬢に関心を移してくださいよ!
「アンジェ、単刀直入に聞く。医者伯爵に渡した植物の出所はどこだ?」
「西の伯爵領地から公爵領地に運ばれる、荷物の中です。
麻の束のなかに、巧妙に隠されていました。
荷物は、強風にあおられ、一度バラバラになりました。そのときに、配下が拾ったようです」
「ふむ。伯爵領から公爵への荷物の中か。隠していたなんて、怪しすぎるな。
……もしかして、公爵家の護送する荷物か?」
「はい、公爵家の裏の者が同行しているようですね」
「分かった。父上に告げて、きちんと調べて貰う」
「ならば、伯爵家から西国へ向かう、反物もお調べください。
麻ではない反物が流れているようですよ」
「ほう? もうその情報を掴んでいたか。さすがアンジェだな。僕が知らせるまでもなかったか」
およ? 偽の反物情報は、レオ様が知る方が先でしたか。
おそらく国王陛下から、私へくださった情報だったのでしょう。
「引き続き、間者たちの面倒を頼むぞ。お前なら安心して預けられる。
働き次第では、北地方の正規軍にすることも考えて、父上に掛け合ってもいいと考えている」
「王太子の恩情、痛み入ります。
手駒の少ない北地方としては、優秀な間者は喉から手が出るほど欲しいですからね。
それに根なし草が定住できるとなれば、やる気も違いましょう」
うちの母と、先代王妃様の親戚である侍女殿が同席している場所での会話ですからね。
あいまいな表現にとどめておきました。
王族の皆様には、私が雇っている間者は、レオ様から預かっていることにしています。
子供の私が私的な間者を持っていると、大人たちに知られれば、どんなことになるか、想像がつきません。
暗殺されるなんて、まっぴらごめんですからね。
そして、雇っている間者は、北国から逃げてきた傭兵たちです。
どちらかと言えば、頭脳戦よりも、武力戦争に長けた筋肉自慢たち。
本格的な間者の真似事なんて、できませんからね。
派遣先を指定して、傭兵として運搬稼業をしてもらって、その運搬課程で手にいれた噂話を私へ寄越してもらってるだけです。
傭兵たちは、四年前に北国の内乱で負けた敗者ですからね。
そう簡単に、故郷へ帰れないんですよ。
ほとぼりが冷めたと判断して、二年前に帰った傭兵団もいました。
一応、雇い主の私や傭兵仲間は、止めましたよ? 分からず屋たちは、引き留めるだけ無駄でしたけど。
結局、戦った敵の顔を覚えていた北国の兵士に捕縛され、反乱の首謀者に荷担した国賊として、処刑されたようです。
北国から綿の反物販売に来た商人が、教えてくれました。
そんな事があってから、傭兵団の中には、うちの領地で定住することを望む者が出てきたんです。
北国の王家が、国境を接する我が国の北地方に強気に出られないので、領主である私が、堂々とかくまえますしね。




