53話 ねむりましょう
私の妹の婚約者である、医者伯爵の子息殿が、話しかけてきました。
「姉君は、今も歌劇を鑑賞してるわけ?」
「はい、私は観客ですよ?」
「んー、この顔は、なんで当たり前のことを聞くのって、思っている?」
「当然です。最近の歌劇は、観客も参加するようなので、斬新だと思いますけどね」
「そっか。姉君、ちょっとレオたちと話してくるから、そのまま待っててね。
会話内容は、聞き流してくれるかな。歌劇の相談だから」
「分かりました」
そう言って笑うと、将来の義弟は、私のベッドから離れました。
王太子であるレオナール王子様や、宰相の子息である、ラインハルト王子様。
そして、王妃様の親戚である、王太子の新米秘書官殿と会話を始めます。
「……やっぱり、一時的な現実逃避だと思うよ。
四年前に、大怪我が元で亡くなったはずの親戚たちが、本当は薬で暗殺されたと知ったんだもん。
姉君の心が、ショックに耐え切れられずに、現実を歌劇の世界と解釈することで、なんとか受け止めたんだよ」
「現実逃避にしては、頭が回りすぎないか? いつものあいつと、変わりないぞ」
「レオ。今の姉君は、暗殺の黒幕に復讐することで、頭がいっぱいだからね。
思考回路が、黒幕に関する情報処理を、最優先にしちゃったんだと思う」
「アンジェは、復讐以外のことについても、きちんと受け答えできているように思えますが」
「ライ。姉君は、普段から感情を切り離して考える、現実主義だったからね。
夢の世界の今でも、ある程度の思考には、差し支えが無いんだと思うよ。
自分がみたことのある、現実逃避の中では、かなり珍しいタイプだけどさ」
「現実逃避と聞いたら、気がふれて、ずっと夢の世界に生きる人物を浮かべていました。
ですが、雪の天使の姫君のような場合もあるんですね」
「自分たちと、きちんと意志疎通ができてるからね。まだ、治ると思う。
ショックを受けて、感情がぐちゃぐちゃになって、頭が混乱しちゃたんだろうね。
自己防衛反応で、思考回路から感情のコントロールを切り離したのかもしれないよ」
「だから、普段なら嫌がることを、平気で受け止められたんだな。あいつにしては、似合わない願いもしてきたし。
このままで、いいんじゃないか。僕は、こっちの甘えてくれるアンジェが嬉しい」
「……姉君に確認しておきたいことがあるから、治療するかどうかは、それから決めるよ」
青い瞳の王子様の言葉に、将来の義弟は、顔を曇らせました。
私のそばに戻ってくると、口を開きます。単刀直入に聞いてきました。
「姉君は、北の貴族が亡くなったのは、王家のせいだと思ってる?」
「はい。先ほどのお話から推測するに、王族の権力争いの被害者だと思います。
私の王子様が、北の貴族を懐柔しようとしなければ、親戚たちは暗殺されなかったのですから」
「王族が憎い? レオたち本家も、妹の婚約者である分家の自分も」
「それは、わかりません。すぐには答えれません」
心の奥底で浮き沈みする感情。私自身にも、理解できないことが、起こっています。
「姉君、愛と憎しみは、表裏一体の感情だよ。どちらにでも傾く感情だからね。
今は、心を休めて、起きてからゆっくり考えればいいよ」
医者伯爵の子息殿は、笑顔を浮かべておりました。
そして、しゃがみこむと、持ってきていた医者の道具箱をあさります。
「じゃあ、姉君の治療をしておくよ。これを飲んで、横になってて。
そのうち眠くなるから、無理に起きておこうとせずに、眠気に従ってね」
「……寝るんですか?」
「眠り病にする薬じゃないから、安心して。心の興奮を鎮める薬だよ。
ぐちゃぐちゃになった感情は、眠っている間に頭が整理するからね。
混乱気味の姉君には、必要な薬だよ」
「……わかりました。あなたがそこまで言うなら、飲みます」
「じゃあ、水をとってくるね」
客室においてある水差しを取りに、将来の義弟は、移動します。
移動する背中に向かって、声をかけました。
「あ、あなたに言っておくことがありました」
「なに、姉君?」
「先ほどの観客参加型の心理テスト分析ですが、出演者にも行った方が良いと思います。
仮定を述べると言え、私の王子様は恐怖を感じたのか、私に抱きついてきましたから」
「おい、アンジェ? お前、さっきの僕の嬉しさを、そんな風に思っていたのか!?
このド天然! ひどいじゃないか! 夢見る乙女でも、天然ボケなんて、最悪だ!」
私の言葉を聞いて、青い瞳の王子様は怒鳴りました。
「あー、バカと天才は紙一重と言いますからね。アンジェも、その部類のようです」
「……本当に、レオ王子が、尻にしかれる未来しか見えませんね」
いとこの緑の瞳の王子様と、王太子の秘書官殿がひそひそと会話しています。
お二人とも、ちょっと失礼な言動ですね。
歌劇の一場面でなければ、私も怒っていましたよ。
そんな会話をしている内に、将来の義弟が戻ってきました。
私は水の入ったコップを受け取り、薬を飲みました。説明されたように、ベッドに横になります。
私は顔を動かして、私の王子様を見ました。医者伯爵の子息殿と、会話中です。
「レオが、姉君を選ぶはずだよ。これだけ有能な女の子なら、納得できるね。
きちんとレオのことを見て、心配してくれてる。
でも、最悪の未来は、考えておいた方がいいよ。治療して目覚めたあとの、姉君の様子が想像つかないから」
「……受け止める。僕は、王太子だ。
将来の国王として、王族の罪と向き合う必要があるだろう」
「あっそ。立派な心がけだね。まあ、一縷の望みは、残されているけどさ。
もしも、王族から平民になっても、ついて来てくれるなんて、嬉しいこと言ってくれるじゃない。
自分の婚約者と同じことを言ってくれるのは、姉妹だからかな?
普通は、嫌がるよ。自分たちの花嫁になりたがる子は、王家の権力目当てだから」
「権力目当てで、気をつかわないといけない女は、もうたくさんだ!
やっぱり、アンジェのような、本音を話せる相手がベストだな。気を使わずに、自然体で過ごせて楽だぞ。
天然ボケは、諦める。完璧過ぎるよりは、ちょっと隙のある女の方が、愛嬌もあるだろうから」
「……レオって、変なことに細かいよね。そんなんだから、女運が悪いんだよ」
「お前だって、女運が悪かっただろうが!
片っ端から見合いをしては、断ってたじゃないか。権力目当ての嫁は要らないって。
よくもまあ、見合いで嫁を決めたと感心したぞ」
「あのさ。自分に見合い話を持ってきたのは、レオとライだよ?
本家の王子たちが、分家の自分に持ってきた相手は、北国の王家の最も古い分家、雪の天使の直系の血筋だったし。
北国との関係を良くするための政略結婚かと思って、断りにくかったんだ」
王子様たちにしたら、雪の天使の血筋は、オマケ。私の妹の願いが最優先。
国王様にしたら、雪の天使の血筋が最優先だから、王子様の進言を認めたのだと思いますよ。
「……お前、今でも、政略結婚だと思っているのか?」
「きっかけはそうだと思ってるけど、姫君に決めたのは、自分の意志だよ。
レオは、姫君が医者になりたがってたから、自分を勧めたんでしょう?
いざ見合いをしてみたら、情熱が伝わってきたから、姫君に決めたんだよ」
私の父は、はやり病で亡くなったので、妹は医者になりたがっていました。
その夢を、お見合いのときに、語っていましたからね。
上の妹は、直球勝負をする子です。自分の意見は、きちんと伝えます。
お見合いのときも、自己紹介の後に言いましたからね。
「私が医者になるために、医者伯爵様を利用していると感じたのなら、この場ですぐに断ってください。
王家の力を借りなくても、自分で師匠を見つけて、弟子入りして医者になりますから」
横で聞いていた私は、目を丸くして、ハラハラしましたよ。
保護者の母は「意志が固くて、口達者な子ですから」と微笑みフォローしましたけど。
「王子公認の新興伯爵と王家の分家の見合いなんて、普通は実現しないって。
外堀を埋められてて、しかも自分にドンピシャの見合い相手を、断る理由なんて、どこにもなかったよ」
「レオは、お似合いの二人をくっつけるのが得意な、仲人ですからね。
自分の女運と結婚運が無いぶん、周囲に縁が向くのでしょう」
「ライ、余計なこと言うな!
今度こそ、僕は自分好みの女と恋人になって、幸せな結婚をするんだ!」
いとこのラインハルト王子の言葉に、青い瞳の王子が怒鳴ります。
医者伯爵の子息殿は、同情の視線で、私の王子様を見ました。
「……女運の無いレオが言うと、切実だよね。
改めてきくけど、なんで姉君を選んだの? 王太子なんて、他国も含めて、花嫁なんて選び放題なのにさ」
将来の義弟の質問に、私の王子様は無言です。
私があくびをして目を閉じ、ウトウトし始めるまで、頭をなでてくれました。
途切れがちになる意識の中で、声だけが聞こえてきます。
眠くて、何を言っているか、ちっとも理解はできませんでした。
右から左に聞き流しましたよ。
「……決め手は、アンジェが初恋すら知らない、純真無垢な美少女だからだ。
僕好みの女に育てられる。理想の嫁が居ないなら、作れば良いと、僕は悟った」
「レオ王子、それは外道の考えですよ! 秘書官として、さすがに苦言を言わざるを得ません!」
「え? 私は、レオの考えに賛同しましたよ?
他の男に色目を使う娘を妻にするよりも、純情な娘を自分好みに育てて妻にした方が、絶対に幸せになれます。
前回のレオの婚約者候補を見ていて、実感しました」
「ライ王子!?」
「あー、あれね。自分も横目で見てたけど、あんな女の子はごめんだね。
王都の女の子なんて、男と遊び慣れてるもん。あれは、本当にひどかった。
自分の婚約者もそうだけど、何にも知らない女の子の方が、結婚相手には最適だと思うよ。自分の色に染められるからね」
「医者伯爵様まで!」
「安心しろ。お前の新しい婚約者は、男遊びを知らない。父親の内務大臣が、大切に育てた箱入り娘だからな。
それに、権力目当ての変な男に捕まらないように、王家が密かに見張って保護していた」
「……王子、それは本当ですか?」
「本当です。内務大臣は、宰相である父上の腹心ですからね。王家が保護するのは、当然ですよ」
「だから、お前も、婚約者に色々教えてやると良いぞ。自分の好みとかな」
「いやいや、そんな甘言には、乗りませんよ!」
そこまで聞こえましたが、それ以降は記憶がありません。
私は本格的に眠ってしまったようですね。
お知らせ。
リアルの都合で、10月後半は、不定期更新になります。
次回は、10月20日頃の予定です。




