46話 着せ替え人形になりました
私の肩書きは、王太子の秘書官。ですが、現在の肩書きは、王太子のきせかえ人形と断言します。
「アンジェ、次はこっちの服を着てくれ」
「えー、まだ着替えさせるつもりですか?」
「当たり前だろう。僕に妹がいたら、色々な服を着せるつもりだったんだ。
小さな頃の服装は、エルで十分だが、ちょっと成長したときの服装も見てみたいと思っていた。良い機会だから付き合え」
一人っ子の王太子、レオナール様はワガママを言います。
今日は私と、私の末の妹のエルと城下町にお忍び外出中です。
現在、王室御用達の服飾工房の一つに来ていました。
その工房の隣には、工房直売の洋服店がありまして、裕福な平民向けのおしゃれな衣服が売られています。
私はワガママ王子が見繕った様々な子供服を、着るように命じられていました。
私は十六才ですが、成長が遅いせいで、十二、三才にしか見えません。
その上、絶世の美女である母譲りの容姿とレオ様と同じ、金髪碧眼なので、妹役の洋服のモデルに最適だと、一人っ子王子は思ったようです。
元々お忍び外出の間は、うちの妹と兄弟ごっこをしていましたからね。私も、巻き込まれて、妹扱いですよ。
「もう着替えるのが、面倒くさいです。さっきから五着も、着替えてるんですよ?」
「まだ五着だぞ? 僕の衣装を決めるときは、三十着の試し着をしたこともあっただろう。それに比べたら楽だ。
お前は僕の秘書官なんだから、少しは僕の苦労を知ると良い。ほら、早く着替えろ」
「……はいはい」
三十着ですか……新しい婚約者候補たちと初顔合わせしたときのことを言っているんだと、察しましたよ。
秘書官の私は、次々と着替えさせられては、母君である王妃様の前に姿を表す王太子を見ていましたからね。
あのときは他人事でしたが、今は着替えるだけでも、気力と体力を消耗すると思い知りましたよ。
普段なら絶対に着ない、レースがふんだんに使われた、ピンクのお出かけワンピースを押し付けられました。とぼとぼと試着室に引っ込みます。
「お待たせしました、どうですか?」
「あら、かわいいわ。よく似合うわよ、さすが私の娘ね」
「え? お、お、お母様!」
試着室から姿を表して、びっくりしましたよ。喫茶店に置いてきたはずの最強の母が、レオ様の隣に居たんですから。
「ど、どうしてここへ?」
「喫茶店のお茶会が終わったので、あなたたちを迎えに来たんです。あなたと王子様の姿が、隣の小物売り場に見えないので、探しましたよ」
「えーと、もう帰る時間なのですね。では、着替えてきます」
「待ちなさい。そのまま、工房の方に来なさい。あなたを紹介します。
先ほど、工房の親方さんと会話したのですが、うちの領地の新たな取引先になってくれるかもしれません」
「本当ですか!」
「はい。北地方の領主として、きちんとあいさつをしなさい」
私の治める北地方一帯は、藍染産業に力を入れています。
元々は父の治めていた小さな男爵領地が、昔から反物を藍染に加工する産地でした。
私の代で領地が広がったのですが、一年の半分が雪におおわれた作物の取れにくい、荒れた土地ばかりでした。
四年前に国境を接する、北国から難民が押し寄せて、我が国の国民と食物を取り合ったせいで、国土が荒れはてたんですよ。
作物の取れる土地に戻るには、数年かかります。土地が回復するまで領地の収入源として、染めた藍染反物を加工するにしました。
染めた反物を加工することを思いつき、北の国の刺繍を施して、新たな特産品として売り出したのは弟ですけど。
当時七才だった弟は、天性の商才があったのかもしれませんね。ケガをして敗走してきた北国の傭兵を、加工業の裁縫職人にしてしまったんですから。
まあ、それは横に置いておきましょう。私は母に連れられ、工房の奥に通されました。そこで、親方殿に挨拶に行きました。
雑談を交わし、お互いの利益に関する化かし合いを始めます。
やはり欲しいのは、東の絹を使った貴重な藍染反物でしたか。あれは、今は品切れなんですよね……。
「親方殿、申し訳ありませんが、絹の反物は、今は販売できません。
我が国や他国の王家に献上しましたし、王家の仲立ちで、我が国の貴族に販売したあとなので新品は手元には残ってないんですよ。使いかけなら、無くもないですが。
他にも、扱っている反物がありますので、そちらはいかがでしょうか」
「それでは、話になりませんな。取引の話は、なかったことに」
「……分かりました。残念ですが、交渉は決裂ですね」
一応、北の国の貴重な綿を使った反物や、庶民も手が出しやすい麻の反物を取り扱ってくれるように交渉しましたよ。
うちの主力は、西国から輸入していた、麻を染めた反物です。ついで、北国の国境と接したことを利用した、高級な綿の藍染反物。
東国の絹は反物自体が高いのと、輸入する手間の関係で取り扱いがグッと減り、今年は十本染めるのが限界でした。
そのうち一本は先代王妃様に献上。二本は北国の王家に贈りました。
北の国の王家は、うちの下の妹の将来の嫁ぎ先ですからね。心証を良くしておかなければなりません。
宰相の奥方様が、実家にも贈りたいと言うので、二本献上しました。
奥方様は、西国の姫君ですからね。西国から反物を輸入している、我が家としては、当然の選択でしょう。
残った五本のうち、二本は将来の王妃の側近候補が着る、歌劇観賞用のドレスの材料として王家がお買い上げです。
法外な値段に怯まなかった、王都の二つの貴族に販売するときは、王家の仲立ちで一本を半分づつにして、販売量と値段を押さえました。
さらに一本は、うちの所有物として母のドレスになり使いかけです。もう一本は、母方の祖父の旅一座へ、麻や絹の反物と共に送りましたし。
もう私の手元には一本も残ってないんですよ。残念ですが仕方ありません。
王室御用達の服飾工房は、他にもありますし、じっくりと取引先を探しましょう。
「アンジェリーク、残念でしたね」
「はい、帰りましょうか、お母様」
「お待ちを、雪の天使の方々! このバカ息子に変わって、わしと話をしてくだされ」
「親父?」
「お前は、黙っとれ!」
帰りかけた私と母を、親方の父君が呼び止めました。
不思議そうな親方を睨み付け、黙らします。そして、私と母に向き直りました。
「できれば、この綿の反物を購入したいんじゃ。考え直してくれませぬか?」
「……まず、ご子息の意見をお聞きした方がよろしいと思いますわ。
今の工房は、ご子息に譲られたのでしょう? ならば、親は見守るべきです。私も、娘に領主の仕事は一任して、見守っていますもの」
「うーむ」
うちの最強の母が口を開き、親方の父君と会話をします。職人は引退して、工房の現場監督の父君は、考えます。ご子息を見ました。
「なぜ、話を聞かん? 王家の依頼で作ったドレスは、絹以外も、綿や麻の反物、絹糸もすべて北地方の伯爵様が提供してくれたんじゃぞ」
「親父、絹はともかく、綿と麻は布地を預かるときに値段を聞いたが、高すぎる。この不景気に、高い買い物をする客がどれだけいるんだ。
北地方のせいで、税金が上がって、売り上げが落ち込んだのに。王宮からの要請でなければ、あんな子供の話なんて、まともに聞けるわけないだろう」
ちらりと私を見やる、工房の親方。あまり、北地方に良い印象をお持ちでない様子。子供の領主である私に、不信感を持っている節も見受けられますね。
まあ、王都の布地を取り扱う店主たちも、王宮勤めの貴族たちも、同じ反応をする人が多いですけど。
一応、去年、男爵から伯爵に格上げされた貴族の女当主なんですけどね。そっちは無視されます。
王太子の秘書官という肩書だけで、私と会話してくれる人が多いです。
「親父、まともに考えろ。西国から輸入した方が安いから、皆に喜ばれる。あっちの豪商の反物問屋の方が、品ぞろえが多いから、仕入れやすいし」
およ、私は意外な情報を仕入れましたよ。この工房は、西国の豪商の反物問屋と取引していましたか。
あの悪党は、かなり勢力を伸ばして来ていますね。王室御用達の工房と取引して、我が国の経済を脅かすほどの裏の権利を手にしつつありますか。
まあ、邪魔してやりますけど。悪党の思い通りにさせるわけないでしょう。
「うちの麻も、西国から輸入していますからね。いったん、北地方に運んで染める手間がかかる分、値段は上がりますよ。
ですが、綿の方は北国の王家の御用達ですので、自信を持って勧められます。
布地を取り扱うなら、ご存知ですよね。世界的にも高級品として知られる、北国の南地方で夏にしか栽培されない綿。
四年前の内乱の影響で、更に貴重になりましたからね。それを私の領地では、北国から最優先で、出荷していただけるんですよ。諸外国の中で、唯一扱える領地とも言えますね」
「……バカ息子、産地を聞いておらんかったな! お前は、値段を優先する癖があるから、心配じゃったんじゃ!」
親方が黙りました。父君のご隠居は、こちらに気持ちが傾いておりますし、一気に押しきるべきですね。
相手に考える隙を与えず、理詰めで攻略といきましょう。
「ちなみに、この綿の藍染の反物は、我が国の王妃様をはじめ、北国と西国の王家にも献上させて頂きました。
本日、王妃様がお召しになっている上着にも、使われておりますよ。残念ながら、他の王室御用達工房の作品ですけれど。
少なくとも、高級綿の藍染反物をうちの領地以外で手にいれるなら、北国まで赴く必要がありますね。以前、私の提示した以上の値段で、買うことになるでしょう」
親方は仏頂面でにらんできますが、迫力が足りませんね。王太子の仏頂面と比べると、まるで赤ん坊のようです。
さて、そちらがそのつもりでしたら、私も外交用の兵器を投入しますよ? 父譲りの眼力をね。
「さて、親方殿、いかがしましょうか? いったん、私たちの交渉は決裂しましたからね。
私は、あなたのお父君と私の母の顔を立てて、もう一度交渉の席に着いたにすぎません」
相手が口を開きかけましたが、封じ込めました。先手必勝ですよ。
「子ど……」
「子供の言うことなど、信用できない。でしたら、今すぐ上司のレオナール王子をこの場にお呼びしますが。王子に、証人になってもらいます。
私の普段の仕事は、王太子の秘書官ですよ。親方殿も、ご存知ですよね?
今後の工房との付き合い方は、次期国王である、レオナール様のお心ひとつで決まりますから。
正直、王家にうちの反物を直接販売して、あなたの工房には布地の持ち込みで王家の衣装を製作していただくこともできますよ。先日のドレスのようにね。
先に私の足元を見たのは、そちらです。こちらだって、足元を見て当然でしょう」
私が相手の反論を許すと思ったんですか? そんなわけないでしょう。私の独断場に決まっています。
今回は、悪党の収入源を減らす目的も、付随しましたからね。なりふり構っていられません。
いつものような、正論で叩き伏せるのではなく、絡め手を使いました。
「親方殿。綿の反物だけでも、取り扱ってみませんか? ここがお互いの妥協点でしょう。
販売の利益の一部は、北地方の復興支援に使っておりますので、同じ国民を助けることにも繋がります。
私は王太子の秘書官ですので、その家と取引があるとなると……もしかしたら、王太子の覚えもめでたくなるかもしれませんね」
一応、飴も、ばらまきました。王家の権力を使うのは、私の力ではないので、気に入らないのですけど。
今は、結果を出すのが、最優先です。
「息子の負けじゃな。綿の反物を、うちで取り扱わせてもらうぞい。
ただし、藍染と白の二種類じゃ。藍だけでは、衣服の服の広がりが出ん」
「ご隠居殿は、根っからの商売人ですね。ならば、反物だけではなく、糸も取り扱いませんか? 勉強させていただきますよ」
「おぬしも、商売人じゃのう」
「いやいや、ご隠居ほどではありませんよ」
どこぞの歌劇のような場面を繰り広げる、私とご隠居殿。お互い、底の見えぬ笑みを浮かべ会いました。
自分の父親と対等に渡り合う私を見て、親方は考えをあらためたようですね。
細かい条件決めは、真っ向から勝負してきましたよ。
「北の国の伯爵様、それでは今後ともご贔屓に」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
というわけで、北地方の反物取引先が一つ増えました。今後は綿と絹の反物を主力にしていく予定でしたので、ちょうどよかったですけど。
西国からの麻の輸入が、悪党たちのせいで途絶えましたからね。悪党退治をするまでは、麻に変わって、綿の反物で頑張りましょう。
「おい、アンジェ、ずいぶん遅かったな。待ちくたびれたぞ」
工房の奥から出ていくと、王太子のレオナール王子が声をかけてきました。
あ! 王族の皆様をお待たせしていることを、すっかり忘れていましたよ!
王弟である宰相殿の奥方様も、レオナール王子の母君である王妃様も、じっくりと私を観察しておられている様子です。
……小柄な私は、ピンクのレースがたくさんついた、子供用ワンピースを着たままでした。
「あらあら、最近の女の子のお出かけ服って、意外と凝っているのね」
「娘が居たら、こんな服を着せましたのに。残念ですわ」
「うちの娘に試着させてみます? このお店の服は、かわいらしくて、見ているだけでも楽しいですわ」
「お母様!? 試着だけなんて、お店の人に迷惑ですよ!」
「試着するたびに、お店の前の道を行き来してから戻れば、お店の宣伝になりますよ。親方さん、構いませんよね?」
うちの母は、旅一座の元女優ですからね。微笑み一つで、親方夫婦を陥落させましたよ。
「子供服の試着でしたら、弟と妹にさせた方がいいと思いますよ、レオ様」
「お前の弟と妹は眠たそうにしてたからな。文官の娘が伯爵家の馬車で、一足先に王宮まで送ってくれた。
二人は僕のいとこと、秘書官に頼んであるから、心配するな。
さあ、アンジェ、お前の衣装を母上たちと選んでやるぞ!」
王子スマイルを浮かべるレオさま。ものすごく嬉しそうに宣言されました。
……私は、しばらく皆様の着せ替え人形になりましたよ。
新たな取引先の売り上げに貢献するためと割り切って、衣装モデルを演じきった自分をほめたいと思います。




