44話 王子と抜け出しました
休日の午前中は、城下町の喫茶店で過ごします。
私の家族に同行していた王族の皆様が、王妃候補のご令嬢とお茶会をしていたので、予定よりも滞在が長引きましたけど。
お昼が過ぎても、王妃様と王弟妃様、王妃候補たちのお茶会は止まりません。
王妃候補の一人、東の侯爵令嬢のクレア嬢が中心になり、留学していた東国について話していました。
東国は、我が国よりも演劇文化が花開いております。なので、うちの母が興味を持ち、お茶会に混ざってしまったんですよ。
実はうちの母は、国内外で有名な旅一座の元役者です。
母の隣で座っている、下の弟は、もうすぐ祖父の旅一座に弟子入りしますからね。
異国の演劇について知識を深められると、一緒に聞いておりました。
本日、うちの弟と兄弟ごっこをしている、ラインハルト王子も、それなりに歌劇鑑賞が好きです。
うちの母が歌劇の一曲を披露してくれるのが楽しいのか、王子スマイルを浮かべて、拍手をしていました。
「あーじぇおーちゃま、えりゅ、おちょといいきちゃあでちゅわ!」
(アンジェお姉さま、エル、お外にいきたいですわ!)
「エル、外に行くのは、我慢しなさい。お母様やお兄様をほっといて、お出かけできないでしょう」
「ちゅまんにゃいでちゅの!」
(つまらないですの!)
「つまらないと、ワガママを言わないでください。お姉様だって、暇なんですから」
エルは私の妹です。六才の末っ子は、最初は大人しく歌劇の話を聞いていましたが、飽きてきたようです。
子供は集中力がないですからね。文句を言い出しました。
「エルは外に行きたいのか?」
「あいでちゅの、れーにーちゃま」
(はいですの、レオ兄様)
「そうか、そうか。レオ兄様が何とかしてやるから、アンジェ姉様と少し待っててくれ」
「あいでちゅの♪」
(はいですの♪)
私と妹のやり取りを気遣ってくれたのは、妹を膝に乗せて可愛いがってくれていた王太子でした。
王太子のレオナール王子も、一人っ子ですからね。
ラインハルト王子同様に、今日はうちの妹と兄弟ごっこをして、楽しんでおられるんですよ。
レオ様は何か思い付いたのか、妹を膝から下ろして、椅子に座らせました。
母君である王妃様に近付き、耳打ちします。王妃様は、うちの妹を見ると頷きました。
二言三言交わし、レオ様が戻って来られます。お二人は、何のお話をしたのでしょうか?
「エル、エルはキラキラ好きか?」
「きりゃきりゃ?」
(キラキラ?)
「キラキラしたリボンや、キラキラしたボタンを見に行くか?
この近くに服飾工房があるから、見学に連れていってやる」
「きりゃきりゃ、いきまちゅの!」
(キラキラ、行きますの!)
「よし、決まりだ。アンジェ、小さな女の子なら、そこに行けば喜ぶだろうと、母上が言ってくれた」
「ああ、あの工房ですね。手間がかかっているボタンや、リボンを、小分けで売ってくれるので、衣服を手作りするとき、重宝するんですよ」
「……なんだ、お前は知っているのか」
「行きつけですよ。あそこに行くと、時間を忘れそうになりますね」
「あーじぇおーちゃま、きりゃきりゃ、ちゅき?」
(アンジェお姉さま、キラキラ好き?)
「ええ、キラキラは好きですよ。見てるだけで楽しくなりますから」
「そうか、キラキラが好きか。なら良い♪」
「えりゅも、きりゃきりゃ、ちゅき!」
(エルも、キラキラ好き)
レオ様は、王子スマイルを浮かべました。エルがキラキラ好きと聞いたからでしょうね。
妹が答える前に、私の顔を見て、喜んでおられていましたからね。よほど、自信があるお店なのでしょう。
「レオ様。それでは、護衛の組分けを……」
「おい、アンジェ。今日は休みだぞ。エルの姉でいてやれ。
秘書官の業務は、できるやつを連れてきている。なっ?」
「その通りです。後任の私にお任せください、雪の天使の姫君」
レオナール様が振り返ると、ずっとそばで控えていた新米秘書官殿が、頭を下げました。
私の後任の秘書官殿は、有能ですからね。さっさと、護衛の騎士たちに指示を出します。
喫茶店の滞在時間が、長かったですからね。騎士たちは、王家の貸し切り状態の店内で昼食を取ったようです。
騎士たちの食事代は、王宮に請求されるでしょう。
王太子が店の外に出る話をしたので、店長自ら出入口を開けてくれました。
妹の手を引き、外に出ようとしたレオ様を呼び止めましたよ。
「レオ様、まだお土産とお会計を済ませていません」
「会計……おい、店長。すまんが、後日、まとめて僕宛に請求してくれ。
母上たちが、まだ居座りそうだ。騎士たちも食事をしたから、計算が大変だと思う」
「かしこまりました。王太子様の仰せのとおり、後日、請求書を送らせていただきます」
「ありがとう。じゃあ、行くか。エル、ごあいさつは?」
「おいちかったでちゅの。またきまちゅわ♪」
「妹は、美味しかったので、また来たいと言っています。
また予約をするので、子供専用部屋を準備してもらっても、構わないでしょうか」
「常に準備しておきますので、今後ともご贔屓に」
「ありがとうございます。宜しくお願いいたします」
お土産を受け取ったレオ様は王子スマイル、私と妹は雪の天使の微笑みを浮かべてお礼を言いました。
雪の天使と言うのは、金髪碧眼、色白肌を持つ、北地方の美人の代名詞です。
北地方で生まれ育ち、絶世の美女である母譲りの容姿を持つ、私と兄弟たちは、雪の天使そのものと言えるでしょう。
雪の天使のファンを増やしながら、喫茶店の外に出ます。
好感を持てる店長にもう一度頭を下げ、空を見上げました。相変わらず曇りですね。
七月の真夏ですが、それなりに涼しいです。北の雪国育ちの私と妹には、嬉しい天気でした。
うちの妹から手を離し、腕組みをしたレオ様。立ち止まって、周囲を見渡しております。
「工房は……あっち……いや、こっちか?」
「レオナール様?」
「……アンジェ。大問題が発生した。工房の場所が分からん。おい、お前は分かるか?」
「王子、申し訳ありません。王都に戻って来て日が浅いもので、地理には疎いです。昔とあちこち変わっていますから。
王宮からでしたら行けますが、このように町中からの移動となると、難しいですね」
「お前もか。僕も、城下町は馬車で移動するからな。
今日は母上が馬車に乗って帰るから、馬車移動はできんし。困ったな、迷子だぞ」
「困りましたね、王子。どなたか、道を知らないものでしょうか」
お二人は、チラチラと私を見ます。
台詞が棒読みですよ? 無理して、言い訳しなくて良いですよ?
王太子と新米秘書官殿が、揃って方向音痴なんて、ショックでしょうからね。
それにしても、高位貴族や王族の方は、皆さん方向音痴なのでしょうか?
馬車で移動となると、ご自分の足で移動する経験がないかもしれません。
田舎貴族の男爵家だった私は、王都に専用の馬車を持っていません。
学校から王宮に帰るのは、すべて徒歩だったので、あちこち探検して、王都の主要な道は知っています。
護衛の騎士の中には、工房まで道を知っている人も居るでしょうが、私がご案内した方が良さそうですね。
一応、王太子の秘書官ですし。
「レオナール様、ご案内しますのでついてきてください」
「待て、先に行くな。手を繋げ。この前、王立劇場でお前が迷子にならないように、手を繋いでやっただろう!」
「そうでしたね。エル、お姉様から手を離しては行けませんよ」
「あいでちゅの」
(はいですの)
「だから、待て! 僕はどうなる? 僕も手を繋ぐぞ!」
「エル、レオ様の手を離しては行けませんよ」
「れーにーちゃま、はなちたりゃ、だめでちゅわよ」
(レオ兄さま、離したらダメですわよ)
「……エルとか!?」
背伸びしたうちの妹に、左手を捕まれたレオ様。ぼうぜんとしました。
新米秘書官殿が、固まった王太子に小声で話します。
「王子、こうなれば三人横並びで移動を。将来の練習と思って。いずれ、このような日が来ますから」
「……それも、そうだな」
「れーにーちゃま、ちょーらいのれんちゅーでちゅの?」
(レオ兄さま、将来の練習ですの?)
「エル、聞いていたのか?
……そうだ、練習だ。今度来るときは、僕が手を引いてエスコートしながら、連れていく」
「たのちみでちゅわ♪」
(楽しみですわ♪)
「僕も、楽しみだ。将来の夢が増えたぞ!」
よく分からない会話で盛り上がる、六才児と十七才児。
うちの妹の右手はレオ様と、左手は私と繋いでおりました。
三人横並びだと、道行く国民に迷惑そうなので、私と妹は遅れぎみに歩いていたのですが……。
「アンジェ、どうした? ああ、エルは歩幅が小さかったな。急いで悪かった。ゆっくり歩こう」
結局、レオ様もゆっくり歩き始めて、三人が横並びになってしまいました。
「三人並ぶと迷惑になりますよ?」
「大丈夫だろう。皆、避けてくれている。仲の良い、家族に見えるんじゃないか?」
「レオ様が一番上で、私が二番目、エルが末っ子ですか?」
「それでもいいか。どっちにしても、僕はエルの兄様だからな♪」
やけにご機嫌なレオ様は、歌劇の劇中歌の一つ、星空行進曲を歌い始めます。うちの妹も、一緒になって歌いました。
ちょっと? 星空の部分を青空に変えて、歌詞を改変ですか?
「続く青空どこまでも、我らの道は続いてく! ほら、エルの番だ」
「ゆきぇゆきぇ、ちゅちゅめ、どきょまでも、わりぇりゃのみちあつぢゅいきゅ!」
(行け行け進めどこまでも、我らの道は続いてく!」
真ん中で飛び跳ねる妹に合わせて、レオ様は左手を動かしてくれています。
一人っ子なのに、子供の扱いが上手ですね。
横から見ていたら、私の視線に気づいたのから、レオ様はこちらを見ました。
「なんだ?」
「子供と遊ぶのが、お上手だと思いまして。生前のうちの父も、私たちに同じことをしてくれました。
レオ様は、将来、良き父親になられそうですね」
「そうか? お前に面と向かって言われると、照れくさい。……エル、もう一度、歌うぞ!」
珍しく、年相応の照れた顔を見せられたレオ様。妹を誘って、再び、星空行進曲……いえ、青空行進曲を歌い始めました。
周囲にいた護衛の騎士たちも、新米秘書官殿も、笑みを浮かべてお供しています。
真っ昼間の行進曲も、たまには良いですね。私も、ハミングでお付き合いしましたよ。




