39話 ワガママですね
私の上の弟が、早朝に西国の語学授業を受けるようになってから、三日経ちました。
この西国の授業は、西国出身の宰相の奥方様が、特別に講師をしてくれています。
私の弟を側近にしたいと、宰相の子息であるラインハルト王子が提案されたためです。
奥方様は、うちの弟の質を見極めるため、自ら教鞭をお取りくださいました。
特別講師が決まったとき、弟は絶望的な表情を浮かべました。
うちの弟は、まったく西国の言葉を知りません。王立学園で選択している語学授業は、得意な北国の言葉です。
将来の伯爵家当主になる弟は、「奥方様の不興を買えば、伯爵家を潰してしまう!」と、私に泣きつきました。
仕方ないので、弟に付き合って、西国の早朝授業を一緒に受けさせて貰っています。
『おはようございます』
『おはようございます、奥方様。ご機嫌麗しゅう』
『お……お、おはーます』
まずは朝のご挨拶から。奥方様が最初に西国の言葉で話されるので、続いて私がご挨拶します。弟は何とか発音を真似しますが……まあ、出来栄えは、仕方ないでしょう。
『アンジェリーク秘書官は、発音が上手になりましたね。去年の春、王宮に来たころとは、比べ物になりません』
『お褒めいただき光栄の極みです。国王陛下をはじめ、王族の皆様の恩情によって、すばらしき教育を受ける機会に恵まれましたので。心から感謝を申し上げます』
『そのような語句も、間違わずに言えるのですか。西国でも、通用しそうですね』
『そうですか? まだまだつたなく、外交官としてご活躍される方々の足元にも及びません』
『アンジェリーク秘書官。あなたの語学力を見込んで、お願いがあります。来月、西国で歌劇の特別公演をしてもらえませんか?』
『来月ですか? まだ勉強を始めたばかりの弟では、歌劇の台詞は言えないと思いますが』
『来月の下旬です。それ以上は待てません。王立学園の夏の長期休暇が終わってしまいます。
長期休暇の開始に合わせて、わたくしは西国に里帰りする予定です。同行する息子は、歌劇の特別公演を見れませんからね』
そう告げられた後、奥方様は二回瞬きしました。私の返事を待っておられます。
……これは、思ったよりも大事になりましたね。ラインハルト王子自ら、西国に向かわれますか。
西国で暗躍する彼女と、あちらで決着をつけることになりそうですよ。
私と奥方様の会話を聞いていた弟は、小声で尋ねてきました。
「あの……姉さん、妃殿下は、なんとおっしゃっておられるんですか?」
「西国で、『雪の恋歌』の特別公演をして欲しいそうです」
「えっ!? なんで、そんな話に……」
「奥方様は、王立学園が夏の長期休暇みに入ると同時に、西国へ里帰りされるそうですね。
ラインハルト王子も同行されるので、我が国で特別公演を見ることができないと、おっしゃっておられます」
「つまりそれって……西国でも、歌劇を演じるってこと?」
「そうです。西国で行うなら、おそらく西国の王族の前で、演じることになるでしょう。特別公演は、雪花旅一座の名前を背負っていますからね。
座長の祖父をもつ宿命と思って、諦めなさい。あなたは、西国の言葉を全力で覚えるのです」
「西国の会話ができなくても、大丈夫かな? 歌劇の台詞だけ、西国の言葉に直してもらって、それを言えばいいよね?」
「……まあ、現時点では、それが妥当でしょうね」
冷静な私の言葉に、弟の顔色が変わりました。ですが、反論はしません。静かにうなだれます。
家臣の私たち姉弟は、王弟妃である奥方様のお願いを断れません。王族からのお願いは、お願いではなく、命令なのですから。
『奥方様、王妃教育を行っている西国の語学講師に、歌劇の台詞を通訳してもらう許可を出していただけないでしょうか?
私は西国語の日常会話くらいならできますが、弟は全くできませんので』
『許可を出しましょう。私から話をしておきます』
『かしこまりました。よろしくお願い申し上げます』
私は頭を下げます。奥方様は、西国との連絡窓口ですからね。西国と我が国を巻き込んだ、悪事については、ご存じです。
西国の親戚と連絡をとり、段取りを整えているのでしょう。
王太子のレオナール王子は、七月中に決着をつけるご予定でしたが、来月下旬にずれ込みそうですね。
******
さて、今日は連休の一日目です。早朝の語学授業を受けた後は、私の自由時間。
王太子の秘書官としても、王妃教育の教育システム責任者の仕事も、お休みです♪
王妃様が、王妃教育を全部お休みにしてくださった、おかげですね。
「来月の歌劇観賞に向けて、準備を整えるとよろしいでしょう。着飾るのも、女性の仕事ですからね」
王妃教育を受けている、ご令嬢たちに向かって、王妃様はそうおっしゃいました。
講師たちにも、休息が必要ですからね。良い機会だと、思いますよ。
外出準備を整えて、弟や妹を迎えに言っている途中で、王子様たちから声をかけられました。
「待っていたぞ、アンジェ。今日は、お忍びで街に遊びに行くぞ!」
「さあ、一緒に行きましょう。私たちの準備は整っていますから」
「……レオ様、ライ様、どうして私を待っていたんですか?」
「今から城下に、出かけるんだろう? 僕とライを、一緒に連れて行ってくれ」
「中央通りの白い屋根の喫茶店に行くと、エルが嬉しそうに教えてくれたんですよ」
エルと言うのは、私の末の妹です。お人形のように愛らしい六才児です。
かわいらしい妹は、王子たちから妹のように可愛がられていました。
「……ご遠慮ください、下の弟妹はワガママなので、お二人の手に余ると思います。お土産のお菓子は買ってきますから」
「土産は要らん、一緒に連れて行ってくれ!
僕たちには、兄弟がいないんだ。小さな子供たちと出かけて、普通の兄弟ごっこをしたい!」
「私たちは、普通の兄弟ごっこがしたいだけなんです。
アンジェには、弟や妹が居るから、一人っ子の私たちの寂しい気持ちがわからないんですよ!」
ワガママ王子たちは、無茶苦茶な理論を振りかざしました。あきれるしかありません。
レオナール様も、ラインハルト様も、一人っ子ですからね。兄弟に憧れる気持ちはわかりますよ?
ですが、別にうちの弟や妹でなくてもいいでしょう。
「王妃候補のご令嬢を誘って、その兄弟と、お出かけしたらどうですか?
将来の義理の兄弟になるかもしれないんですから」
「嫌だ! お前の下の弟や妹のような、小さな子供の方が楽しく遊べる!」
「お断りします! 理屈を語る大きな弟や妹ではなく、遊べる弟妹が良いんです!」
「うちの弟妹だって、屁理屈をこねますよ?」
「小さいから、ワガママでも許せる。だが、大きくなると許せん」
「私は怒鳴りたくないので、小さな子供でお願いします」
ワガママ王子たちは、一人っ子の屁理屈をこねてくれます。うちの下の弟妹みたいな態度をとります。
お二方は、絶対に我慢強い長子には、なれませんね。確信しましたよ。
「アンジェリーク秘書官、屁理屈をこねる息子たちのことを頼む」
「ち、父上!? いつからそこに」
「うつけ者が戻ってきたら、きつく言い聞かせておく。今は、言うことを聞いてくれ」
「えーと、父上の拳骨ですね。分かりました」
王子たちが屁理屈をこねている間に、国王陛下と王弟のご兄弟が通りかかりました。
レオ様とライ様は、青ざめながら振り返ります。外出から戻ってきたら、お二人の頭にタンコブ確定ですね。
「……かしこまりました。レオ様、ライ様、一緒に行きましょう」
国王陛下と王弟殿下の頼みとあらば、断れませんよ。人間諦めが肝心です。
ワガママ四人を連れて、お出かけですね。




