35話 精神が崩壊しました
帰りの馬車は、思ったよりも早く乗れました。王太子のレオナール様が、王子の特権を発揮したからです。
雪花旅一座の元役者だった、私の母をエスコートして、玄関へ向かいました。
母に握手を求めた貴族たちを適当にあしらい、歩を進めます。母の後ろには、私と弟。その後ろは、私の妹と、妹の婚約者。
最後尾は、宰相の子息殿のラインハルト王子が、将来の王妃筆頭候補のクレア侯爵令嬢をエスコートして移動します。
レオナール様は、王家の馬車に、まず私の家族と妹の婚約者を乗せました。
護衛の乗馬騎士の一人に、「王家の分家である医者伯爵の子息殿は、今日は王宮に泊まる」と知らせを送ってもらいます。
私の妹の婚約者である医者伯爵の子息殿を、悪事を潰すための味方に引き込みました。
王宮に帰り、少し相談する、おつもりなのです。
母の乗った馬車が出発すると、続いてレオ様は私の手を取りました。先に馬車に乗せてくれます。レオ様は私の隣に、さも当然のように座りました。
次にクレア嬢が私の正面に座ります。ラインハルト王子がクレア嬢の隣に座りました。
レオ様の合図で馬車は出発します。
馬車の中の会話は、レオナール様の興奮ぎみの声で、始まりました。
歌劇鑑賞が趣味の王太子は、夢見がちでロマンチストです。初めて見た、本日の歌劇を、お気に召されたようでした。
そのうち、レオ様といとこのラインハルト王子が、お二人だけで熱心に話し始め、自然にクレア嬢と私が会話します。
「アンジェさん、レオナール様とは、先ほどのような会話を、よくなさっていますわね。仲が悪いんですの?」
「いいえ、仲は良い方ですよ。親友ですから。私は王太子の秘書官ですから、王子が失態をおかしたときは、苦言を申し上げるのが仕事です」
「親友……アンジェさんは、男女間の友情があると、お考えなのですわね」
「友情と言うよりは、『信頼している』が正しいでしょうか。
国民のためにも、レオ様には立派な国王になってもらわないと、困ります。
そして、おなじような理由で、親友のクレア嬢にも、忠告を差し上げてます。立派な王妃になって欲しいですからね」
「アンジェさんの忠告は、厳しいことが多いですわね。心が痛むこともありますのよ?」
「……あのですね、言われる側だけが、痛いわけじゃないですよ。言う方だって、心が痛みます。
他人に嫌がられることを、あえて言わなければなりませんので。ひどくなると、私の場合は胃痛が出てきます。
ですが、甘い言葉だけを言う友人なんて、お互いが堕落したときに助けられません。
片方が堕落しかけたときに、全身全霊で助けようと、突き放す言葉をするのも、友人の条件だと思っております」
「……深い言葉ですわね。ですけど、友情の捉え方は、人それぞれでしてよ?」
「私の考え方は、無慈悲で冷たいと心得ていますよ。ですから、影で私を嫌う人が多いでしょうね。
王宮でも、王立学園でも、目に余るときは忠告をしてしまいますので」
苦言と言うのは、嫌なことを指摘されますからね。言われて嬉しい人は、居ませんよ。
口達者な私は、理詰めで話しますからね。筋が通っており、相手は反論の余地がありません。
私自身も、相手に反論を許すような性格では、ありませんしね。
親友のクレア嬢やレオ様でも、私の忠告に怒るときがあります。
ですから、親友意外の方々は、表面的には忠告に頷いても、心の奥底では、怒りを向けて、私を嫌っていることでしょう。
「あら、意外なお言葉ですわね。アンジェさんは、どちらかと言うと好かれる体質でしてよ」
「そうですか? 心の中では、嫌う人が多いと思いますが」
「……アンジェさんは、ご自身のことを、あまり分かっておられないのかしら?」
「と言いますか、私自身、周囲のことを客観的にとらえる癖がありますね。まれに主体的に捉えることもありますが、すぐに客観的に置きかえます。
他人に忠告や説得を行うときは、納得させるために、客観的に話す必要があるんですよ。
この年で領主や王太子の秘書官をしていますと、領民や将来の国民のことが、最優先になりますからね」
「あら、そうですの。客観的に話すのは、きっと職業病なのですわね」
「そうですね。だから、周囲には、嫌われていることでしょう。
自分の身になって話してくれない相手を、好きになれる人なんて居ませんよ」
「アンジェさんは、人望がおありでしてよ。平民や貴族を問わず、誰とでもお話になるから、ご友人が多いですわ。
端から見ていたら、よく分かりましてよ。貴族として、珍しいとは思いますけどね」
「やはり珍しいですか。ですが、普通の会話をするのに、身分なんて関係ありませんよ? 同じ人間なんですから。
外交などで、国民の利益が絡むときは別です。他人を蹴落とそうと考える自己中心的な相手なら、こちらが先に蹴落として見捨てます。
親身になってくれる相手なら、きちんと誠意をもって答えます。人間として、当然ですよ」
「……そうお考えになられるのが、アンジェさんの魅力なのでしょうね。ご友人が多いのも、頷けますわ」
目元を細めて、コロコロと笑う、クレア嬢。
私は当たり前のことをしゃべっただけなのに、なんで笑われるのでしょうか? 解せませんね。
「うん? クレアの家に着いたな」
「クレア、私がエスコートしますよ。行きはレオでしたからね。帰りは、私がします」
「ええ、宜しくお願いしますわ、ラインハルト様。レオナール様、ごきげんよう」
「……愛称のライで構いませんよ、クレア」
「僕も、レオで良いぞ。これから長い付き合いになるんだから」
「かしこましましたわ。ライ様、宜しくお願いします」
「良かったですね、クレア嬢。宰相の子息殿から、許可が出るなんて、すごいことですよ。
側近仲間の私ですら、名前をお呼びする許可が頂けてませんから」
あれ? なんで、降りかけたクレア嬢と宰相の子息殿の動きが止まるんでしょうか?
「……ライ様、アンジェさんに、お名前を呼ぶ許可を出していないんですの?」
「いえ、そんなはずは、ありませんが。ずっと宰相の子息殿と呼ばれるから、線引きされているとは感じていましたけど」
「何言ってるんだ? 先に線引きしたのは、お前だろう?
四年前に、北地方の平定目的でアンジェの領地に着いたとき、『二度と名前を呼ぶな!』って、命令してただろうが」
「え……そんな事ありましたっけ?」
「もしかして、覚えてないんですか?」
「あれだけのことをしでかしたのに? 覚えてないのか。本当にライは、アホなところがあるだな」
レオ様と揃ってあきれましたよ。
まあ、宰相の子息殿にとっては、人生の汚点ですからね。記憶を忘却したのかもしれません。
「あの頃のライは、神経質でワガママが酷かったからな。『領主が居るなら、お風呂があるはずだ。入れろ』ってアンジェに命令したんだ。なっ、アンジェ」
「食べ物や飲み物が無い極限状態で、おバカさん発言してくれましたからね。
正論で叩き伏せたら、拗ねて兵士に命じて、勝手に風呂をわかそうとされたんですよ」
「だから、僕もあきれて、近くの濁った川にライを連れていって、突き落とした。
はい上がろうとするたびに、突き落とした。こいつが泣いて謝っても、夕方まで川から上がらせなかったんだ」
「……レオ様、そんな事をしたんですか? お二人が帰宅したとき、宰相の子息殿だけがずぶ濡れでしたからね。なんでかと、ずっと疑問でしたよ」
「北の地獄風景を見ておいて、アホなことを言ったからな。罰を与えて当然だ。
けど、当時のライはアホだった。アンジェを逆恨みして、『ラインハルト王子様、どうなさったんですか?』と聞いてくれたのに、『お前のせいだ! 二度と名前を呼ぶな』って、怒鳴ったんだ。
アンジェは、素直なところがあるから、そのときのライの命令を忠実に守っているぞ」
「王子からの命令ですから、逆らえませんよ」
私とレオ様の思い出話に、宰相の子息殿の顔色が変わっていきました。どうやら思い出されたようですね。
見かねたクレア嬢が、宰相の子息殿に話しかけます。
「あの……今でも、アンジェさんを嫌っていますの?」
「そんなわけないでしょう!」
「あれ、今でも腹立たしい相手なのでは、無いのですか? いつまで経っても、名前を呼んでもよいと言われませんので」
「ライ、ちゃんと説明してやれ。アンジェは、お前の本心は知ってるはずだ。
でも、お前は王子で、アンジェは貴族だからな。命令を出されたら、守らないといけない」
「はいはい、アンジェ。私のことは、ラインハルト……いえ、ライと呼んでください。それから、もう逆恨みしてませんよ。
アンジェは、性別をこえた親友ですからね」
「かしこまりました。これから、親友のライ様とお呼びします」
「では、クレアも安心した所で、送っていきますよ」
「はい。レオ様、アンジェさん、ごきげんよう」
宰相の子息殿、いえ、ライ様に手を取られたクレア嬢とお別れします。
ライ様が戻ってくるまで、レオナール様と二人っきりになりました。
「……アンジェは、自我が希薄なんだな。さっきのクレアとの会話を聞いていて、そう思った」
小さな声で、言いながら、腰に手を回して、引き寄せられました。
予想は、してましたよ。なので抵抗はせずに、されるがままになりました。
そして、レオ様を見上げて、小声でお話しします。
「そうですか? 客観的にとらえる癖は、ありますけど」
「……お前、しゃべれるのか!?」
「レオ様の行動は、予想していたので。お芝居と思えば、対応できますよ」
「僕は、芝居なんてして欲しくない。ありのままのお前が良い」
「惚れ薬を使おうとしたのに、そんな事を言うのですか? レオ様の言うことを聞いて、思い通りに動いてくれる、私が欲しかったんでしょう? そう理解しました。
そして、以前、恋人と甘い語らいをするのが理想と言っていたので、現在対応しています。どのような言葉を、おのぞみでしょうか?」
私の言葉に、レオ様は表情を歪めました。青い瞳に、怒りの感情が浮かびます。
どうして怒るんですか? あなたの望み通りに行動しているのに。理解不能ですよ。
「僕が欲しいのは、そんなお前じゃない!」
感情を押し殺した低い声で、言い放ちます。はっきりとした、拒絶でした。
「お待たせしました、帰りましょう」
馬車の扉が開き、ラインハルト王子が乗り込まれました。
私たちの方を見て、軽く眉を動かすと、レオ様の正面に座ります。
馬車の窓から、出発するように使用人に合図しました。
走り出します。ガタゴトと、無機質な音が響きました。
「……レオ、なんで怒っているんですか?」
「こいつが、恋人を演じるって言うから! 僕が欲しいのは、そのままのアンジェなのに!」
「レオ様の発言は、理解不能です。私は私ですよ?」
「違う。こんなの僕の理想じゃない!」
「また、十八番の理想論ですか」
ジト目になって、レオ様を見てしまいました。
レオ様と私は、親友としては相性良いですけど、伴侶としては最悪ですよね。
「レオ、落ち着いてください。気長にやるんでしょう? アンジェは保守的で慎重派ですからね。
きちんと考えてから、行動した方が良いと思いますよ」
「……単に受け身なだけだろう? 受け身のやつは、押した方が良い」
「恋の駆け引きとしては、失敗する発言ですね」
ライ様に指摘され、レオ様は仏頂面になりました。自覚がおありのようです。
この際ですから、便乗してご意見を申し上げておきましょう。
「あのですね、そもそも恋の駆け引きなんて、私相手にできませんよ? 恋愛に興味ないんですから。
分かったら、無駄なことを二度としないでください」
「……僕の行動は迷惑だと?」
「迷惑とは、言っていませんよ。家臣の私に、拒否権は無いんです。受け入れているでしょう?
私が言いたいのは、私に無駄なことをなさらず、クレア嬢を大切にしてと申し上げているんです」
「……なんで、クレアばかり勧めるんだ。僕とあいつは、相性が悪い!」
「クレア嬢は、将来の正室ですよ。レオ様の寵愛を一身に受け、お世継ぎを生み、国母となられる存在です。
そして、私は側室です。王家の道具として、正室を補佐するために、レオ様の妻になるんです。
王家が大切にするべき人間と、王家の手駒の道具の扱いを間違えないでと、申し上げているんです。ご理解頂けましたか?」
「……お前、自分の人生は、自分のものではなく、他人のものだと言っていたな。あれが本心なのか?」
「なんで、そんな当たり前のことを聞くんですか? 私の今までの人生は、周囲の人が決めてきました。
領主代行になったのも、王宮に召しあげられてレオ様の秘書官になったのも、自分の意思ではありません。
そして、将来の人生も、もう決められています。
宰相の子息殿の側室予定から、レオ様の側室に変更になり、クレア嬢を補佐することになっているじゃないですか」
どうして、王太子であるレオナール様は、当たり前のことを再確認するのでしょうか?
おそらく、クレア嬢にささいな事故で突き飛ばされて、ショックを受けたから、私を逃げ道にしようとしているのでしょう。
「レオ様が、クレア嬢に突き飛ばされて、ショックを受けているのは、分かりますよ。
ですが、現実逃避して、私を都合の良い逃げ道に使わないでください。
あなたは将来、国を背負う方です。逃げ出さず、現実を見つめて、よりよい道を歩いてくださいよ!」
語尾を強めて意見を申し上げると、仏頂面のレオ様は瞳に冷淡な感情を乗せました。
「……お前、本当に面倒臭い女だな。僕のことを親身に思ってくれるのは分かるが、腹立たしい」
「王太子に苦言を言うのが、秘書官ですから」
「……だったら、その口をふさげば、問題ないな」
そう言うなり、私の顎を持ち上げて、顔を近づけてきました。
ちょっと、何するですか! 不意打ちなんて卑怯ですよ!
しゃべれなくなって、口をパクパクしました。
「お前は、頬に口づけるだけで黙るからな。扱いが楽で良い。
そうやって、すぐに赤くなるところは、初々しくて可愛いしな♪」
仏頂面から、いじめっこの笑顔になった、レオナール様。堂々と言ってのけます。
「お前の唇に口づけるのは、両思いになって、婚約発表するときだな。
安心しろ、僕は他の女の顔に口づけしたことはあっても、唇同士はまだだ。
僕の初めては、お前にやる。お前の初めては、僕がもらうぞ。本当に楽しみだな♪」
だから、なんでそんなに恥ずかしい台詞を、さらりと言えるんですか!
王子スマイルを浮かべて!
私の思考回路が停止したことを感じとったのか、両手を回して堂々と抱きしめます。
「ライも、嫁とこんな風にできるようになると良いな?」
「……さすがにレオほどの手腕は、持っていませんよ。怒っている相手に、恋の駆け引きなしで、そこまで持ち込めませんって」
「駆け引きか? 等身大でぶつかっているだけだが。
これから、僕の魅力を、自分を道具と言いきっている受身のアンジェに、教え込んでいく予定だ。
自我を持たせて、僕が好きで好きで、たまらなくしてやる。
身も心も、僕のものにできる日が、本当に楽しみだぞ♪」
なんちゅう会話をしてるんですか、この王子様は! 逃げ出さないと私の精神が持ちません!
「いや……はなし……て」
「うん? なんだもう我にかえったのか。王宮につくまで、僕のことだけを、考えていろよ」
レオ様は、私の思考回路が戻ってきたことに、気づいたようです。
私の耳元に顔を近づけて、いつもよりも優しい声を出しました。
「……愛してる、僕の天使、アンジェリーク」
甘い口調のあと、流れるように頬に口づけてます。
恥ずかしさの余り、私の精神が崩壊しました。レオ様以外のことを考えられなくなります。
「よしよし、そうやって、僕のことだけを思ってくれ」
動けない私の髪を撫でたり、何度も口づけて、堪能するレオ様。
見ていられなくなったラインハルト様は、王宮まで寝たふりでやり過ごされましたよ。
……心底思います。
夢見がちなロマンチスト王子は、伊達ではありませんでした。




