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32話 理想と現実は違います

 王太子の秘書官である私は、現在、王立劇場に来ています。

 先ほどまで、観客席二階中央にある、貴賓室にて、歌劇「銀のバラの王子」二幕を鑑賞していました。

 現在は、幕の下りた舞台の脇で、弟が歌劇「雪の恋歌」の王子役の歌う、一曲を披露中です。

 私が領地を出て、王宮に勤めている間に声変わりをしていた弟は、少年時代のソプラノからテノールになっていました。

 栄養不足で成長が遅れ気味でしたが、いつの間にか私の身長を超えており、軽く見上げないと顔が見えない状態です。

 時間の流れと、子供の成長の早さを感じましたよ。


 あ、ぼんやりしていた間に、弟の歌が終わったようですね。お辞儀をして、舞台から脇から舞台袖に引っ込みました。

 私は貴賓室の後列に座っていたので、前列に座っていた方々の会話に加わりません。

 王太子のレオナール王子、いとこである宰相の子息殿のラインハルト王子、王太子妃筆頭候補のクレア侯爵令嬢が話されておりました。


「さすがアンジェの弟だな。歌を聞いたのは初めてだが、大人顔負けだ」

「新人の役者よりも、よほど上手ですよね。しばらく王宮で過ごすのですから、今度、晩餐会で歌ってもらいましょう」

「まあ、レオナール様も、ラインハルト様も羨ましいですわ。わたくしたち、婚約者候補もお呼びくださいな」

「よし、今度の王妃教育の食事のマナーのときに、歌ってくれるように言っておく。おい、アンジェ、お前も弟と一緒に歌え」

「……レオナール様のおおせのままに」


 振り返って命令してきたのレオ様は、私の上司です。そして、将来の伴侶になるそうです。

 レオ様と宰相の子息殿の中で、私は将来の国王の側室になる予定が、組まれているようですからね。


 王族は、北国と国境を接する北地方の女領主を、早くお役御免にしたいと考えています。

 先ほど歌を歌った弟に家督を譲れば、私は当主から伯爵令嬢に戻ります。そのタイミングで、婚姻関係を結ぶことになるのでしょう。


「……アンジェ、態度が悪いな。さっき、口論したから、僕に怒っているのか?」

「別に、私は怒っていませんよ。さっき怒ったのは、レオ様でしょう?」

「お前、なんで、すぐ割り切れるんだ? 僕は歩み寄ろうと努力しているのに!」

「……現実主義者の私と、ロマンチストなレオ様の意見が平行線をたどるのは、いつものことでしょう?

夢見がちな王子に、現実を認識させるのが、秘書官である私の仕事ですから」

「お前、本当に冷静だよな。クールビューティーのあだ名は、伊達じゃないぞ」

「……好きで、こうなったんじゃないですよ。ほら、前を向いて、婚約者候補に意識を向けてください。

私は家族と来ており、話し相手には困りませんが、クレア嬢はあなたと宰相の子息殿しかいないんですから」

「……分かっている」


 私に言われ、渋々前に向き直る、王太子。

 将来の王妃に対して、将来の国王として、きちんと接して欲しいですね。

 秘書官として、胃が痛くなりますよ。


 クレア嬢に話しかけるレオ様を見ながら、物思いにふけました。

 世間一般からすれば、私は羨まれる人生でしょうね。出世街道をあるき、終着点は玉の輿です。

 男爵家の女当主が伯爵家に格上げされ、その上、将来は国王の妻の一人になるのですから。


 当人である私は、どこか他人事として、とらえていましたけど。

 爵位の格上げも、縁談話も、私の知らぬうちに決められたことですから。王家の都合で決まったことです。

 私の人生には、主観と言うものは伴いません。すべて、周りに決められ、流されるままでした。


 側室になるのも、王妃になるクレア嬢を補佐するため。

 婚約者候補に指名されて喜び、自分から王妃を目指したクレア嬢とは、立場が違います。


 男爵家を継いだのも、当主の父が十才で亡くなったから、急遽決まったこと。

 父を助けるために、自分から勉強していた弟とは、立場が違います。


 ぼんやりと、そんなことを考えていました。

 そのため、前方で起こったことを、歌劇の一場面のように感じてしまったのです。


「きゃっ、何をなさいますの! あ……レオナール様、申し訳ありません!」

「いたた……大丈夫だ。クレア、気にするな。お前が、こういうことを嫌うのを忘れていた。本当にすまん」

「あの……申し訳ありません!」

「謝るな。歌劇の素敵な場面を見たから、僕の気持ちが高ぶっていただけだ。

ライ、クレアを頼む。僕は、後ろの席で頭を冷やす」

「はいはい。クレア、今のはレオが悪いですからね。気にやむ必要はありませんよ。

しばらく、私と話をしましょう。レオは、アンジェに怒られるべきですからね」

「……はい。アンジェさん、レオナール様をお願いしますわ」

「……承りましたよ、クレア嬢」


 背中と顎をさすりながら、しょんぼりした顔で、レオ様が後部座席に移動してきました。

 私の隣に座ると、南国の言葉で話しかけてきます。

 私の家族やクレア嬢は、南国の言葉が分かりませんからね。 内緒話をしたいんでしょう。


『やっぱり、クレアは凶暴だ。ついうっかり、手を握ったくらいで突き飛ばすか?』

『……見事に右手は顎に入ってアッパーされ、左手は胸に張り手で、突き飛ばされて肘置きで背中を強打ですものね。

あれは……間が悪かったんでしょう。ささいな事故ですよ』

『ささいな事故か? クレアは、手を握っただけでも、嫌がるからな。やっぱり僕と相性が悪いんだと思う』

『今、宰相の子息殿が両手を握っても、クレア嬢は怒りませんよ?

すべては、レオ様が女心の分からない唐変木だからでしょう。

クレア嬢の性格だと、話の途中で、いきなり手を握られたら、びっくりしますよ』

『だって、仕方ないだろう! 「銀のバラの王子」の二幕は、僕の理想の場面ばかりだったんだ!』

『はいはい、どこが気に入ったんですか? 話くらいは聞きますよ』

「本当か? お前が話を聞いてくれるのか!? よし、お前なら、安心して話せるぞ♪」


 多分、クレア嬢は、レオ様の話の途中で突き飛ばしてしまったのでしょう。

 歌劇鑑賞が趣味のレオ様は、私を含む王太子の側近に、見てきた歌劇の話を熱心に語るくせがあります。

 最後まで聞いてほしかったと、お顔に書いてありましたので、対応しました。

 よほど嬉しかったんですね。私の右手を両手で包み込んで、王子スマイルを浮かべましたよ。


 歌劇の演技や歌に注目するレオ様は、側近の中では、私との会話を一番喜ばれます。

 私は巡業旅一座の座長の孫ですからね。普通の人よりも、歌劇の知識が豊富なんですよ。

 周りにも、感想を聞かせたかったのか、我が国の言葉に戻されました。


「冒頭の王宮の舞踏会で、婚約の決まった子爵令嬢に、王国の決まりで王子が銀の装飾をついたバラを送る場面は、アンジェの言うとおり歌劇の真骨頂だと思う!

初めて出会った二人が、一目で恋に落ちる瞬間、あの絶妙な表情と演技。

そして、感情のこもった、王子と子爵令嬢が一人づつ歌いあい、最後は二人で歌うなんて、音楽も相まって素晴らしいじゃないか!

きっと僕の父上と母上も、こんな風に出会いをとげたんだ。そう思うと、胸の高まりが止まらなくなった!」

「あれは、レオ様の言う、運命の赤い糸の名場面ですよね」

「その通り! さすが、お前はよく分かっているな♪」


 夢見がちなレオナール様は、ロマンチストですからね。政略結婚よりも、恋愛結婚を望むんです。

 ご両親である国王夫妻が、お互い一目惚れの末に、婚約者候補の選出を経て、結ばれましたからね。

 レオ様も、そのような恋愛に、憧れているんですよ。


「それから、田舎貴族の男爵の息子に変装した王子が、子爵令嬢の婚約者を決闘して打ち負かす場面は、胸がスッとする!

好色のアホ伯爵は、舞踏会で王子から銀のバラをもらっておきながら、王子の顔も分からんくらいの愚民だ。

子爵令嬢との婚約を権力と金で買うなんて、男の風上にもおけん! 男なら、実力で女の心を射止めろよ!

しかし、なんで男爵に変装するんだ? 王子なんだから、堂々と会えに行けば良いのに」

「レオ様は、子爵令嬢に会いたいと、王子が変装した理由を知りたいんですか?」

「そうだ。僕はやらないが、王子には特権がある。

気に入ったやつが人妻だろうと、婚約者が居ようと、王子が命じれば、王宮に召し上げて嫁にできるんだぞ。

銀のバラの王子は、この特権を最初から使わない変な王子なんだ。むしろ、伯爵がこの特権を使っていた。

この歌劇は、愚王の統治時代に、皮肉と揶揄を込めて作られたと言っていたから、それと関係があるのか?」

「そうです。国民を思い、国民を守ってくれる国王陛下や王妃が欲しいと、当時の民衆は望んでおりました。

悪者を退治するのは、正義の味方を求め、正しき国王を求めたからです。

そして、一目惚れした子爵令嬢が、心優しい娘かどうか試すために、王子が変装して会いに行く場面は、国王夫妻に国民を思って欲しいと願いが込められています」

「子爵家より家柄が劣る男爵の息子が、婚約祝いを持ってきたんだ。

普通の令嬢なら、出迎えたりしないな。使用人にすべてを任せる。

出迎えてもてなしてくれるのは、心根が優しい証拠だ。

でも、王子の変装が男爵はないだろう! せめて、伯爵だぞ。衣服がボロすぎて、舞台に映えん」

「当時は、男爵の衣装すら、贅沢品なんですよ。衣服を重ね着できるのは、特権階級に許された贅沢でしたから」

「そうなのか? 服だぞ?」


 ……これは、どうしましょうか。口を開くと、お説教になりそうですね。

 私が沈黙すると、レオ様は服を引っ張って、催促されました。


「アンジェ、当時の服装はどうなんだ、教えてくれ!」

「あー、その……あまり楽しくない話なのですが、よろしいんですか?」

「別に構わない。民衆は不幸な時代に生きていたんだろう? 想像はついている。

第一、僕は王太子だ。国民を不幸をしないために、知る権利がある」

「……その思考回路は、レオ様らしいですね。かしこまりました。

四年前、我が国に来たばかりの北国の難民を覚えていますか? 当時の国民は、あんな感じだったと思いますよ」

「あー、あれは衝撃だった。雪解けの季節を迎えたとは言え、あんな服装でよく逃げてきたと思う。

お前の男爵領地から北の地で見た、凍え死んだ者たちの死体は、一生忘れん。

一番悲しかったのは、父親が嫁を抱きしめ、嫁の腕の中には、赤ん坊がいた家族だ。

北国では、愚かな王族が反乱を起こして、国民たちの幸せを奪った。

僕の生きている間は、国内でそんなことを起こさせない。絶対に」


 レオナール様は、王太子ですからね。常に国の将来のことを考えておられます。

 私と出会うきっかけになった、北国の公爵の反乱による内戦。それが我が国でも起こらないか、危惧してるようですね。


「レオ様、暗い話は、それくらいにしましょう。

お心に残った場面は、『王子と子爵令嬢の出会い』『伯爵がこてんぱんにされる』の二つですね?」

「……お前は、なんでそんなに冷静なんだ? 僕の感動の名場面を一言でまとめるなよ!」

「まとめないと、レオ様は次の話に移ってくれませんから。心当たりは、あるでしょう?

秘書官として、毎日接していれば、いやでも覚えますよ!」

「うっ……確かに。お前は、本当に僕のことを分かっているんだな。秘書官と言わず、ずっと僕のそばで居ろよ?」

「はいはい、親友ですからね。将来は王妃の秘書官として、お仕えしますよ」


 私の親友発言に、少し動きを止めたレオ様。ぐっと表情を引き締めました。

 口を開きかけたとき、最終幕の開演一分前を告げる音が、劇場内に響きます。


「レオ様、歌劇が始まります。席に、おもどりください」

「……戻らん、ここで良い。今は、クレアの隣に行きたくない」

「子供じみた発言をなさらずに、将来の王妃のところに行って下さい」

「お前、どうなるか分かっていて、言ってるだろう」

「分かっていますが、私は王太子の秘書官です。私の仕事を察してください」


 私の進言に、気分を害したのか、レオ様は仏頂面になりました。

 いとこのラインハルト王子に、南国の言葉で話しかけます。内緒話ですね。


『……おい、ライ、クレアの隣に座ってくれ。僕は、行きたくない』

『はいはい、わかりましたよ』


 レオ様に言われた宰相の子息殿は、肩をすくめると、クレア嬢との距離を詰めます。


「クレア、隣にお邪魔しますよ」

「レオナール様は?」

「その……察してください。顔が会わせ辛いようなので」

「……わかりましたわ。わたくしも、同じですから」


 まあ……予想はしてましたけどね。一応、王太子の秘書官ですからね。

 皆さんが最終幕に夢中になるなか、レオ様は私に顔を近づけてきました。南国の内緒話のままです。


『これで良いだろう。僕は、ここにいる』

『はいはい、おおせのままに。今度のときは、王太子の義務を果たしてくださいよ』

『……僕の理想の生き方じゃない』

『理想なんて、持つだけ無駄ですよ。現実を受け入れてください』

『なんでお前は、現実主義なんだ。理想を追い求めろよ。領主じゃなくて、お前個人の夢を追う、人生を生きろよ!』

『私個人の夢なんて、ありませんよ。私の人生は、私のものではなく、周囲の人のものです。ご存じでしょう、王子様』

『……もういい。歌劇を見るぞ』


 前を向いたレオ様は、右手を肘置きに乗せて、頬杖をつきます。

 私の右手と繋いだままの左手は、ぎゅっと握りしめられておりました。

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