31話 十人十色ですよ
歌劇「銀のバラの王子」を鑑賞するため、王立劇場に来ています。
この歌劇は三幕から成り立っており、一幕と二幕、二幕と最終幕の間は、しばらく休憩時間になるんですよね。
今日の休憩時間は、いつもと趣が違いました。
驚きでざわめく一階観客席を見下ろしながら、親友のクレア嬢から感想をお聞きしました。
「いかがだったでしょうか、クレア嬢」
「アンジェさんが、あれほど歌の上手な方とは、思いませんでしたわ! さすが雪花旅一座の座長のお孫さんですわね」
「お褒めいただき、光栄です。ですが、私は未熟者ですので。最終幕のあとに歌う、私の母の方がよほど上手ですよ。ご期待ください」
各幕間の休憩時間は、三十分あります。そのうちの五分を借りて、私が舞台上で歌ってきました。
大勢の観客がいる中で、どれぐらいの声を出せば最後部座席まで届くか、実験してきたのです。
今日は、王太子の側近が、二階と一階の左右と中央の座席に陣取って、聞いてくれています。後で結果を伺いましょう。
ちなみに側近たちは、王太子のレオナール王子の思い付きで、王立劇場に来ることになりました。帰る間際の通達ですからね、完全に残業です。
王太子の秘書官である私は、レオ様の思い付きの行動力を、よく存じておりますからね。
側近仲間の同僚たちに、「お疲れ様です。王子がご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いします」と頭を下げましたよ。
皆さん、「仕事なので、気になさらず。無料で歌劇観賞できるから、嬉しいですよ」と、私を気遣ってくれました。
残業の元凶であるレオナール様は、いとこの宰相の子息殿、ラインハルト王子と会話中です。
「おい、王子が愛する年上の女性が、人妻って、有りか? ないだろう?」
「ええ、私もナシだと思いますよ、レオ」
「僕は王子だが、あそこまで年上だと、ちょっとな……僕は共感できんぞ。ライは、どうなんだ?」
「そうですね、やはり同い年か年下ですよ。あの王子は、歌劇の王子としては、度肝を抜かれますね」
「うーむ、世間の女たちは、あんな白馬の王子を好むのか? 意味不明だ」
「好まないから、王子が人妻に説教される場面が、入るんだと思いますよ」
歌劇に登場する王子達は、世間の思う理想の王子像を体現化させた存在が多いです。
年上の人妻を愛した王子様の登場に、本物の王子達は、頭を悩ませておりました。
本物の王子達同様に、歌劇「銀のバラの王子」を初めて鑑賞したクレア嬢にも、一幕の感想を伺います。
「クレア嬢、私の歌よりも、歌劇の感想を聞かせてください」
「王子が侍女に変装して、将軍の奥方様の所に、贈り物を持って通うのは驚きましたわね」
「奥方様に怪しまれないように、女装した設定のようです」
「登場人物が、身分を偽る歌劇は多いですけれども、性別まで偽るものは、東国でもあまり見たことありませんわ」
東地方の侯爵令嬢であるクレア嬢は、三年間語学留学をされていました。
留学先の東国は、演劇文化が、我が国よりも花開いておりますからね。クレア嬢も、歌劇の知識がそれなりにあります。
歌劇鑑賞が趣味である王子たちと、お話が会うと思いますよ。早速、宰相の子息殿、ラインハルト王子が話しかけてきました。
「クレア、あのようにヒーローとヒロインが一幕で出会わない歌劇は、東国では普通なのですか?
侍女姿の王子は、ヒロインの子爵令嬢が将軍家に訪れたとき、奥方に急かされて裏口から逃げましたよね」
「身分を偽る場合は、すれ違うことが多いはずなのですが……あまり見かけない手法ですわね」
「ヒロインが将軍家を訪れた理由が、婚約が決まったことの報告なんて、歌劇上、あり得んだろう。
まあ、新興貴族じゃあ、世襲貴族に後見人として、結婚式の仲人を頼むのは、うちの国でもよくあるが」
「レオナール様、『銀のバラの王子』は、元々四百年前に西国で発祥した舞台なのです。
当時は愚王が統治していまして、皮肉と揶揄を込めて、作られたと言われています」
「まあ、アンジェさんは、お詳しいですわね。さすが旅一座の座長のお孫さんですわ」
「我が国で、この歌劇を最初に公演したのが、三百五十年前の雪花旅一座ですからね。
今では、定番化しています。雪花旅一座で公演される舞台の知識は、座長の娘である母からすべて習いました」
「お前の祖父の旅一座か……さすが我が国最古の歌劇団だな。子供のころから、演劇の英才教育を受けるのか。
東国で公演されず、クレアが見たことないのは、なんでだ?」
「そうですね……西国が発祥なので、伝わるのが我が国までで、一つ国を挟んだ東国まで届かなかったんだと思いますよ。
国境を越えて歌劇団が移動することは、まれですし。うちの旅一座みたいに巡業する歌劇団は、国内にほとんどなく、各地で定住した歌劇団ばかりでしょう?
まあ……内容が内容ですからね。王家が気に入らなければ、公演もされないでしょう」
「それは、そうですわよね。王子様が、将軍の奥方様に横恋慕しているんですもの。
アンジェさんが、下の弟さんと妹さんを、王宮に置いてきた意味が分かりましたわ」
「……花嫁を探している上の弟と、婚約者の居る上の妹は、まあ年齢的に許容範囲でしょうね。
今回は、母が反面教師にするべく連れてきたという、理由もありますから」
クレア嬢と一緒に、独り身の上の弟、十五才。それから十八才の婚約者と過ごしている、十四才の上の妹を見ました。
妹の婚約者、王宮の医者伯爵の子息殿に、弟が厳しい口調で話しかけていましたよ。
「良いですか、うちの妹は、あんなことをしません! 夫がきちんとした人なら、寂しい思いもさせませんでしょうしね!」
「分かっています。あれは、架空の物語ですよ。
そもそも、将軍が長期演習で家を空けたから、起きたこと。常に王宮に出仕して、毎日離宮に帰る自分は、大丈夫ですよ」
「無礼な質問を、お許しいただきたいのですが、本当に家を空けないんですか? 医者は当直があって、一晩帰れないときもあると、王太子様から聞きました」
「兄君は、疑り深い。雪の天使の姫君に対して、王家の分家である自分が、姫君を泣かすわけありません。
ゆくゆくは、離宮に医者夫婦として住みますので、ご安心を」
兄と婚約者。火花を散らす男同士の会話に挟まれ、妹は泣きそうになっておりました。
潤んだ瞳で、私を見ます。父譲りの眼力で、訴えてきました。
『助けてください! 二人が喧嘩しているんです!』
『雪の天使の血筋なら、自分でどうにかしてください』
『お姉さま、見捨てないでください!』
さすがにかわいそうになったので、手招きして、妹を呼びました。妹は兄と婚約者に告げ、姉の私の所に逃げてきます。
「お姉さまは、薄情です! 私は、困っているんですよ!」
「……仕方ありませんね。来年から王都に住む予定を繰り上げて、今年の夏から王宮で過ごしてみますか?」
「お姉さま、何を言うんです? そんなことは、どうでもいいですよ!」
「あのですね、婚約者の人柄を知れば、困る要素など全部なくなりますよ。
婚約者と一緒に医者になって、皆さんを助けるんでしょう? 人の命を助ける医者が、薄情だと思いますか?」
「そうは思いませんけど……」
「あの方のおっしゃることは、すべて本心です。将来の夫が信じられないのなら、医者になるのは止めなさい。相手に失礼ですよ」
姉の私の言葉に、妹はむくれました。あっかんべーして、婚約者の傍に戻ります。
母ゆずりの演技力を発揮して、婚約者にぴたっと寄り添い、見上げましたよ。
「姫君? どうかされました」
「姉から、『このまま王宮で住まわせてもらっては、どうか』と言われました。将来の旦那さまのことを知ることから始めて、信頼関係を築きなさいと」
「王宮ですか? ……まあ、医者見習いの自分は、毎日、離宮から王宮に通います。
ですが、自分の邪魔をしないでくださいよ? 医者は命を救う仕事なんですから。医者志望とは言え、素人に邪魔をされたら困ります」
「邪魔? ……やっぱり、私は他人なんですね!?
そうですよね。だって私が将来、お母さまみたいになるなら、妻にしてくださると言いましたもの。
やっぱり、顔だけが目当ての政略結婚だったんですね……」
「違います! 父はそう言いましたが、自分はあなたが医者になりたいと言ったから、妻に迎えることにしたんです!
命を救う医者になりたい、あなたの情熱が、心に響いたから!」
「……本当ですか?」
「本当です。あなたがずっと王宮に住みたいと言うのなら、今夜すぐにでも国王様に面会して、許可をとります!」
妹は母譲りの演技力で、泣きはじめましたね。泣き落としをやって、相手の本音を引き出しましたよ。
雨降って地固まる。妹の涙の雨で、医者伯爵殿の心の地面が固まったようですね。
恋の病にかかった二人には、荒治療も必要なんですよ。
「ちょっと姉さん、なんで二人をたきつけるわけ!?
夏の間だけならともかく、ずっと王宮で暮らして、毎日、あいつと顔を会わせるなんて、僕は反対だから!」
「黙りなさい。あなたが、兄として妹を心配するのは、分かります。
ですが、自分よりも年上の男性に、失礼なことをしている自覚はありますか?
相手のことを知らないうちから、決めつけるのはよくありません。
それに、うちのお母様が、二人が一緒にいても、さっきの会話をきいても口を挟まないのです。
医者伯爵の子息殿を、全面的に信用されているということでしょう?」
「……お母さんも姉さんも、あいつの味方なのか。僕は認めない。僕が納得するまで、顔を会わせるなんてさせないから!」
「ご自由に。あなたは兄です。兄とわかり会えない男性なら、雪の天使をめとる資格はないでしょうからね。
伯爵家当主として、婚約破棄をこちらから申し込みますよ」
「よし! 当主の姉さんの許可は出た! あんなやつに、かわいい妹を嫁にやってたまるか!」
私の意見を聞くと、不服そうにしていた弟は、息を吹き返しました。
医者伯爵の子息殿を、青い瞳で睨みます。向こうは、三つ年下の相手を、憮然とした表情で眺めていました。
弟には、まだ婚約者がいませんからね。妹の婚約者の気持ちを察せないようです。
私が目をかけている婚約者候補はいるのですが、まだ水面下の話。
この機会に、母に相談をした方が、いいかもしれませんね。
そうっと母に視線を送ると、貴賓席の端っこの椅子に座り、すべての出来事を観察しておりました。
最強のお母様が何を考えているのか、私には、推し量れません。
視線を巡らせて前方に戻すと、いつの間にかクレア嬢は、宰相の子息殿と楽しそうに会話をされていました。
私の傍には、レオ様が近くにやってきていましたね。
「……なあ、アンジェ。エルを嫁にやらないと怒ったときのお前と、今さっきのお前の弟はそっくりだな」
「上の兄や姉は、かわいい妹の幸せを願いますからね。当然ですよ。
まあ、ご兄弟のいないレオ様には、理解できない感情かもしれませんね」
私の隣に座ったレオ様は、腕組みをされました。南国の言葉で話しかけてきます。
私の家族やクレア嬢は、南国の言葉が分かりませんからね。王子として、他人に聞かれたくない、内緒話をされるおつもりのようです。
『お前、さっきみたいに、妹や他人のことは良く見ているんだな。嫁を迎えたい男の気持ちが、ある程度わかってるみたいだし。
でも、自分の周囲のことが見えないのは、なんでだ? 僕の気持ちを、もっとくんでくれよ』
『あのですね。姉は、妹の幸せのためなら、常に気を配りますよ。自分のことよりも優先します。
結婚ならば、なおのこと注意を向けて、最善を尽くしますよ。一生を共にする相手なんですから。
兄弟が片付くまで、一番上の私は、結婚する余裕なんてありませんよ!』
『……そうか。お前が恋愛に興味のない理由が、少しわかってきた。下の弟妹の幸せを願うから、自分のことは後回しか。
お前には父親がいないし、兄弟の一番上と言う責任感から、そういう性格になってしまったんだろうな』
『あー、そうかもしれませんね。弟や妹には、幸せになって欲しいですから。
下の弟以外は、レオ様のおかげで、結婚相手が決まりそうなので、安心しましたが』
『……最後の弟を何とかしないと、僕の番は来そうにないな……』
『はい? なんとおっしゃったんですか?』
『下の弟はいくつだ? 結婚相手を探してやると言ったんだ』
『ご心配なく。弟には、縁談が持ち上がっています。雪花旅一座の座長の四才のひ孫です。私たちの従兄弟の子供ですね』
『旅一座? 貴族の息子なのに、平民にするのか?』
『雪花旅一座は、親族結婚を繰り返す、雪の天使の血筋ですよ?
外部に出た母の血筋を、一族に戻さないといけません。
そして、うちの父方は元男爵とは言え、貴族の血筋に違いはないですからね。
確実な雪の天使の血を引く貴族の弟と、雪の天使の直系の血筋の座長のひ孫の結婚話は、願ったり叶ったりなんですよ』
私の台詞を聞いたレオナール様は、突然、仏頂面になりました。低い声音で話しかけてきます。
『政略結婚じゃないか!』
『そうかも、しれませんね。だいたい十才を過ぎれば、一座内で将来の結婚相手が決められます』
『……もしかして、お前も、雪花旅一座に婚約者がいるのか? だから、お前の母上は、お前を返せといってきたのか?
お前は、僕の嫁になりたくないから、僕の気持ちを無視するんだな!』
『……はい? 最後の言葉の意味は、わかりかねます。
ですが、前半の部分は違いますよ。私の場合は十才で父が亡くなり、急遽、男爵家を継ぐことになりましたので。
母の兄の息子との縁談は、お流れになりました。破談ですね。
いとこはもう結婚して、双子の子供がいます。双子の片割れが、下の弟の結婚相手ですね』
『……お前に婚約者が居ないと分かったのは、安心した。
だが、お前は、疑問に思わないのか? 弟をお前の両親のように、恋愛結婚をさせようと思わないのか?』
『雪花旅一座の内部なら、恋愛結婚ばかりですよ。本来は、年の釣り合う、気心知れた幼なじみ同士をくっつけます。
弟はもうすぐ、雪花旅一座の衣服担当として、入団し、婚約者と一緒に過ごすことになりますし。
子供のころから、婚約者と一緒に毎日過ごせるなんて、貴族にはできない生活ですよ』
『……そういう考え方もありか。じゃあ、お前も安心して、僕と恋をすればいい♪ 僕の嫁なんだからな』
『お戯れを……レオ様が恋するべきは、クレア嬢ですよ。私は王家の手駒に過ぎません、ただの道具なんですから。
北国との問題を円滑に解決するために手に入れた道具に、王太子が情けをかける必要などありませんよ』
『僕はお前を道具だなんて、思っていない!』
『ありがたきお言葉ですね。王家にとって単なる道具に過ぎない私に、性別を超えた親友とまで、言ってくださるようになったんですから。
ですが、秘書官として、申し上げます。
私は、国王の側室です。将来の王妃を補佐する、王家の道具に過ぎません。道具を愛でるなど、おろかな行為です』
『ふざけるな!』
『ふざけていません。将来の国王として、きちんとご理解ください』
秘書官として言った私の言葉に、レオ様は激高しました。
いつものように、私とレオ様の会話は、平行線をたどります。
現実主義者とロマンチストの会話は、なかなか交わりません。
いい加減、なんとかならないものでしょうか?
私に言い募ろうとしたレオ様を、宰相の子息殿が止めました。
『レオ、そろそろ、二幕が始まります。席に戻ってください』
『ライ! 邪魔をするな!』
『レオ、落ち着いて。今は、お互いの意見が平行線をたどっていますよ。もう少し、歩み寄る方法を考えましょう。私も協力しますから』
『ちっ。これだから、切れ者に見えて、ド天然の女はやりづらい。もう少し、僕や周りのことを推し量れよ!』
『無理ですよ、アンジェ、なんですから。何も知らない、純真無垢な相手を選んだのは、あなたなんですよ。無理難題を言わないでください』
『ちっ! 分かってる、気長にやるさ』
宰相の子息殿の言葉に、レオ様は舌打ちしました。仏頂面のまま、さっさと最前列の自分の席に戻られます。
宰相の子息殿は、肩をすくめるとレオ様の隣に座りました。クレア嬢が、宰相の子息殿に聞いていますね。
「……ラインハルト様。レオナール様は、どうなさったんですか? ずいぶん機嫌が悪いようですが」
「どうやら、特別公演の演出で、アンジェともめていたみたいです。皆さんに内緒にするために、異国の言葉で相談していたんですよ。
お互いの意見が平行線をたどって、喧嘩を始めたので、私が止めました」
「あら、レオナール様はロマンチストで、アンジェさんは現実主義ですものね。いつものように意見交換が、うまくいかないかもしれませんわ」
私は後列に移動し、王子達と距離を取りました。
……クレア嬢みたいに、異国の言葉が分からない方が幸せかもしれませんね。
言葉の分かる私は、レオ様との会話が、おもしろくありませんでした。




