30話 歌劇観賞に出発です
王立学園の授業が終わるのは、午後三時です。
私とクレア嬢の居る教室には、本日の王妃教育を受ける、王太子の婚約者候補が集まることになっていました。
……と言いましても、本日の授業は食事の時間以外、北国の言葉を習うだけですからね。
真面目に集まるのは、側近候補の文官のご令嬢と豪商のご令嬢だけ。
王妃候補の内、二人は「東の倭の国」と「西の戦の国」の語学授業を専門に受けるので、今日は欠席です。
四人……いいえ、学力の無さで候補を返上した者がいるので、今は三人です。王太子のレオナール王子や、いとこの宰相の子息殿に会うのが目的なんですよ。
そして、残りの二人の王妃候補は、特別授業を受けます。西地方の伯爵令嬢は「西の戦の国」の語学、南地方の男爵令嬢は「南の海の国」の語学です。
王子達が見どころがあると判断し、特別授業を受けていました。
特別扱いに、前述の四人が文句を言ってきたので「講師と一対一の授業を受けたいなら、今すぐに手配します」とお伝えしました。
私は、王妃教育の教育システム責任者ですからね。私が決定して、国王陛下の許可が出れば、すぐに新しい授業を行えます。
皆さん、貴族の微笑みを浮かべて、引き下がりましたね。元々、語学勉強が嫌いな方々ですから。
実は、語学勉強が嫌いな王妃候補たちは、もうすぐ王妃候補の資格を取り消すことが決定しています。
王太子のレオナール様は、語学力に優れた伴侶を、求めていますから。
一月前にも語学勉強を軽んじ、レオ様の不興を買った王妃候補の一人は、資格を取り消されました。
ご令嬢たちが王妃候補でいられるのは、約一月後、夏の歌劇特別公演まで。
特別公演の舞台主演女優である私が、舞台稽古をするために、王妃教育を休んでいる間だけです。
王妃教育に復帰すれば、現在の基礎の基礎授業は終わり、応用に入りますからね。
語学授業を真面目にしない令嬢は、勉強を邪魔するおバカさんに過ぎません。
王妃教育の責任者として、それ相応の対応をするのは、当然ですよ。
婚約者候補たちは、私の教室で、王宮行きの馬車を待っていました。
うちの教室の窓からだと、校門がよく見えるんですよね。
ここは去年、レオ様と親友の皆さんが通われていた教室なので、すでに決まりごとが出来ていて、婚約者候補が集まるようになりました。
婚約者候補たちと王宮に帰るため、レオ様と親友の側近たちも教室にやって来ました。
と、思ったら、レオ様は私の右手ををつかみ、急いで一緒に王宮に帰宅するように言ったのです。
「アンジェ、帰るぞ。もうすぐ、迎えの馬車が来るから急げ」
「はい?」
レオ様は私の疑問を無視して、何度か瞬きをしました。その後、婚約者候補の方々に、視線を向けられます。
……これは、適当に話を合わせろと言う、合図ですね。
「おい、お前たち。悪いが今日の語学授業は、僕らもアンジェたちも出席できなくなった。
変わりに、母上が見学するから、頑張ってくれ」
「レオナール様、どうなされたのですか?」
レオ様を、色気で陥落させようとしている、ご令嬢が尋ねます。
「アンジェの母上に同行して、王立劇場へ、歌劇鑑賞に行くことにした。来月の特別公演のための視察だ。
雪花旅一座の座長の娘の意見無くしては、成功はありえないと思っている。
お前たちには、寂しい思いをさせるが、来月のために今日は我慢してくれ」
一気に言い切り、王子スマイルを浮かべるレオ様。ここで、私が意見を申し上げれば、いいのですね。
「別にレオ様が来なくても、主演の私と監督の母が居れば大丈夫ですよ? 現場のことは、私たちの方が詳しいですし」
「僕は特別公演の主宰だぞ。責任を果たして当然だ! ましてやお前の母上は、僕らのためにわざわざ、王都まで来てもらったんだからな」
「はいはい、かしこまりました。レオ様は、責任感が強いですからね。同行していただければ、心強いですよ」
これで、私の家族とレオ様たちが一緒に出かける理由が、正当化されました。
策士の宰相の子息殿は、東の侯爵令嬢のクレア嬢に話しかけます。
「あ、クレアも、都合が良ければ一緒に来てくれませんか? 急遽で悪いとは、思うのですが。
クレアの留学していた東国は、演劇文化が我が国よりも、花開いていますからね。
アンジェの母上が、お話を聞きたがっていたんです。何か参考にされるのでしょう。
これが預かってきた招待状です。お父上に見せて貰えれば、外出の許可を出してもらえると思います」
「まあ、高名な雪花旅一座、座長のご息女からの招待状ですの?
わたくしのつたない知識が求められているのでしたら、お供できるように父に相談します」
差し出された招待状を受け取る、クレア嬢。きっと、昨晩、王子たちと母が話したときに、準備したのででしょう。
私を見ると、クレア嬢も二回瞬きしました。今朝、本当の理由は伝えてありますからね。心得てくれています。
これで、クレア嬢の同行も、正当化されました。王家の馬車がクレア嬢を迎えに行っても、問題ないように、王子たちは策を張り巡らせたのです。
※※※※※
午後五時。東の侯爵家に、王家の馬車が到着しました。
馬車からおりたレオ様が、正装したクレア嬢をエスコートして、馬車に戻ってきます。
馬車に乗ったクレア嬢は、同乗していた私に驚きました。
「あら、アンジェさんも、一緒ですの?」
「クレア嬢、説明は後です。早く乗ってください」
「ほれ、クレア、早くそこに座ってくれ。開演に遅れたら困る」
レオ様に言われ、私の隣に座るクレア嬢。王子たちと迎え会わせになり、少し不満げです。
それにお構い無く、王子たちは、笑顔で会話をします。
「うんうん、良いな。見目麗しい女は、二人で座ると花がある。本当に並べて良かった♪」
「そうですよね。私たちの隣に座っていたら、正面から顔も、服装も見ることができませんから」
「……レオ様、私に一緒に乗れと命じたのは、打ち合わせのためですよね?」
「違う。お前たちを鑑賞するためだ。舞踏会じゃ、他のやつらがいるから、ゆっくり顔も姿も見れん。こういうときくらいしか、大義名分がないからな」
「美しい舞台女優と妻候補を並べて、見つめていたいと言う、私たちのワガママに付き合ってください♪」
……悪びれずに王子スマイルを浮かべて、言い放ちましたよ。この夢見がちなロマンチスト王太子は!
宰相の子息殿も、レオ様のいとこだけありますよ。
「……クレア嬢。王太子の秘書官として、情けないのですが」
「……アンジェさん、諦めるべきですわ」
クレア嬢と顔を見合わせ、お互いに、なんとも言えない表情を浮かべましたよ。まったく。
そうこうするうちに、王立劇場の侯爵以上の高位貴族が使う乗降場に到着しました。
私は、ここから出入りするのは、初めてです。物珍しくて、キョロキョロしながら歩いてしまいました。
おまけに皆さんよりも小柄なため、歩幅も小さいです。
私がついてきていないことに一番に気づいたのは、レオナール様でした。
「あれ? アンジェ、どこに行った?」
「……あ、あそこに居ますよ、レオ」
「あら、アンジェさんたら、回りを見るのに夢中のようですわね」
「仕方ないな。ライ、クレアと先に行っててくれ。あいつが一人でウロウロしてて、警備員に捕まって放りだされでもしたら困る。
僕の秘書官だと、皆に説明しておくから」
「あー、その方がいいでね。アンジェは、ここに来るのは初めてですし」
「レオナール様、お忍びで歌劇鑑賞に来るとき、アンジェさんは連れてきませんの?」
「アンジェどころか、女は連れて来たことないぞ。いつもは、僕といとこの二人で来るから。
女と来るときは、僕の将来の嫁を連れてくると決めていたからな」
「私たちと一緒に王立劇場に来た女の子は、クレアとアンジェが初めてですよ。お気に召しましたか、クレア?」
「はい、大変光栄ですわ♪」
「では、私と先に行きましょう、クレア。レオは、迷子のアンジェに、お説教をしていますから」
「ええ、ラインハルト様。アンジェさんは、本当に小さな子供みたいですわね」
宰相の子息殿こと、ラインハルト王子にエスコートされ、クレア嬢は先に貴賓室に向かいました。
私は、ラインハルト様から、名前を呼んでいいと許可を出されておりませんからね。
だから、普段は宰相の子息殿と、お呼びしています。
王太子のレオナール様からは、「レオと愛称で呼んでもいい」と、四年前に出会ったときに、お許しを得ているんですよ。
さて、レオ様に保護された私は、お小言をくらいました。
真正面に立つと、私の両肩に手を置かれ、頭上から怒鳴り声を降らすんですよ。
「アンジェ、一人でうろちょろするな! 迷子になったら、どうするんだ!
警備員に捕まって、劇場の外に追い出されても、文句は言えんぞ。侯爵のクレアと違って、お前は伯爵なんだから」
「……申し訳ありませんでした」
言い返せませんね。今回は、私が全面的に悪いので。
無意識のうちに、しょんぼりした表情になっていたようです。
レオ様はため息をつくと、声音を切り替えました。
「ほら、手を出せ。迷子にならないうちに、移動するぞ。
お前が僕の秘書官だと、警備員に説明してから、貴賓室に行く」
「……はい」
「絶対に一人で移動するなよ! 僕や、いとこと行動しろ。
お前は、部屋も出入り口も分からないんだ、迷子確定だからな!」
「……はい」
……そんなに大きな声で、怒鳴らないでください。警備員の皆さんや、高位貴族の方々の注目の的です。
私の手を引き、歩きだしたレオ様は、途中で年輩の警備員に声をかけられました。
「おい、そこの警備員」
「はい、何でしょうか? 王太子様」
「今連れている、こいつは、僕の秘書官だ。もし迷子になっていたら保護して、僕かラインハルトに知らせてくれ」
「王太子様の秘書官と言うと……あの伯爵家になった?」
「そうだ。ついでにこいつが、来月、特別公演をする主演女優だからな。一か月くらいは、時々劇場に来ることになると思う。
王立劇場に来たのは、今日が始めてだから、もし迷子になっていたら、声をかけてやってくれ」
「王太子様のご命令とあらば、喜んで」
年輩の警備員は、私を見下ろしました。
大きな方だったので、思わずレオ様の背中に隠れながら、見上げてしまいました。
「初めてまして、王太子様の秘書官殿」
「はじめまして」
「来月の特別公演と言うと……あの雪花旅一座の座長のお孫さんですよね?」
「はい、そうです」
「握手してください。自分は、雪花旅一座の大ファンなんです」
にこやかな笑みとともに右手を出しかけた、警備員。あっ、と思いとどまり、左手を差し出しました。
私の右手は、レオ様に繋がれてますからね。左手でしか、握手できません。
……ここは、孫として、おじい様の旅一座の宣伝をしておくべきですね。
レオ様の背中から出て、雪の天使の微笑みを浮かべました。
「祖父の旅一座のファンの方にお会いできて、光栄です。
私は未熟者ゆえ、祖父ほどの演技はできませんが、雪花旅一座の子役として、来月の特別公演は頑張ります。
舞台の打ち合わせなどで、こちらに来た際は、宜しくお願いいたしますね」
私は微笑みを浮かべたまま、警備員と握手をしました。相手は、ぼうっとしているようですね。
「おい、雪の天使に見とれるのは、その辺にして、そろそろ手を離してやれ。
僕らは実際に舞台が行われている所の視察に来たんだ、開演時間に遅れたら困る」
「これは、申し訳ありませんでした、お許しを」
「構わん。これから、アンジェのことを頼むぞ」
「はい、王太子様」
レオ様の声で我に返った警備員は、握手していた手を離してくれました。
年輩の警備員は、レオ様に一礼すると、仕事に戻られます。
警備員を横目に見ながら、レオ様は歩き出しました。私にしか聞こえない声で、話しかけてきます。
「おい、あまり笑顔を振り撒くな」
「なぜですか? レオ様が教えてくれた、民衆心理掌握術ですよ。特別公演をするなら、警備主任は、味方にしておくべきですね」
「……お前、そんなことを考えていたのか?」
「ここでは、私はレオ様の秘書官の伯爵に過ぎません。
高位貴族の出入り口で、侯爵や公爵家に絡まれたとき、味方を増やしておかないと、どんな目にあうかわかりませんから」
「……ふん。お前らしいな。抜け目がない。しかも、警備主任と見抜いていたか」
「そのために、あの警備員を選んだのでしょう?
レオ様にご迷惑をかけないために、自衛対策しておくのは当然ですよ」
「……やれやれ、僕のためか。まあ、色目を使っているんじゃなくて、安心した」
この口調は、ブラックレオ様が降臨されていますね。
お顔は周囲の目があるため、王子スマイルを浮かべて、貴族たちの挨拶に頷きを返しておられましたが。
私の歩幅にあわせて、ゆっくり歩いていてくれたレオ様。
しばらく進み、足を止めました。豪華な階段を指差します。
「アンジェ、あそこの階段を登れば、二階に行ける。二階の中央が、貴賓室だ。玄関からの道はおぼえたな?」
「……いいえ、ここから玄関まで帰れません。王宮みたいに広いです」
「僕の家よりは、狭いぞ?」
「……似たような壁ばかりで、階段を間違えそうです。人混みに紛れたら、ここから脱出できる自信がありません」
「あー、もう、この迷子が! いいか、絶対に僕の手を離すな!
人混みの中から、お前みたいに小さなやつを探すのは、本当に大変なんだからな!」
「うっ……背が低いのは、しかたないでしょう!」
「黙れ。ちびっこを探す、こっちの身にもなれ!
いいな、僕から絶対に離れるな。命令だぞ! 返事は?」
「……レオナール様のおおせのままに」
「よし」
レオ様は感情的になって、怒鳴りました。そんなに大きな声を出さないで欲しいです。
周囲の貴族たちから、小さな笑い声が聞こえてきましたね。チラッと視線を巡らせると、幾人かと目が合いました。
皆さん、田舎貴族をからかうような感情や、小さな子供を見守るような感情を浮かべておりましたよ。
「ほら、歩くぞ。アンジェ、ぼさっとするな!」
「……はい」
レオ様に手を引っ張られながら、歩き始めます。
私は、周囲の同情を引くために、ちょっとむくれた表情を浮かべましたよ。




