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27話 理想が高すぎですよ

 ついに七月になりました。夏は暑いです。

 ……もう一度言います、暑いです。故郷よりも南にある王都は、とてつもなく暑いです!


「アンジェさん、大丈夫ですの?」

「……あんまり体調が良くありません。暑いですから」


 王立学園の昼休み、机の上でへばるのが、日々の日課になりつつあります。

 心配そうに声をかけてくださったのは、親友の一人。東地方の侯爵令嬢、クレア嬢ですね。

 王太子のレオナール王子の婚約者候補の一人であり、将来の王妃筆頭候補のご令嬢です。


 私も一応、婚約者候補に名前を連ねています。が、実際には、将来の王妃の側近候補です。

 現在の婚約者候補は、王妃候補と側近候補に分かれていまして、王妃教育を一緒に習っているんですよ。


「なんで、こんなに暑いのでしょうか。冷たい雪が恋しいです。あれが降ってきたら、最高でしょうね」

「雪ですの? 夏には降りませんわよ」

「分かっています。だから、言ってみたんですよ。夏に雪が降ったら、夢物語ですよね」

「あら、現実主義のアンジェさんでも、夢見ることがあるんですのね」


 青い瞳が見えなくなるほど目元を細め、クレア嬢は笑っておりました。夏の暑さなど、どうってことないようです。

 ですが、一年の半分以上が雪に覆われていた、北地方出身の私としては、死活問題ですよ。夢を見たくなるくらいですから。


 夏の季節のお友達、扇子を握りしめ、顔を上げました。とっさに言葉が飛び出てしまいます。


『だって、暑いんですよ! 北では、こんな温度になることは、ありませんでしたからね。北地方の人間は、寒さには強くても、暑さに弱いんです』

「……もう一度、おっしゃってくださいません? アンジェさんの北なまりがきつくて、言葉が聞き取れませんわ。」

「あー、失礼しました。北では、ここまで温度が上がることがないと言ったんです」


 ……北なまりではなく、北の国の言葉ですよ、クレア嬢。なまりは入っておらず、北国の標準語なのですが。

 どうやら、聞き取れないようですね。仕方がないので、口を濁し、我が国の言葉で説明し直しました。


 現在の北地方では、我が国の国民と、北国の難民が暮らしています。

 北地方一帯を治める、唯一の貴族。伯爵家の女当主である私は、我が国と北国、両方の言葉を日常的に使っていました。

 そのため、意識せずに、北国の言葉でしゃべってしまうときがあります。


 東の国に三年間語学留学をされていたクレア嬢も、同じ状態になるようですね。

 ごく自然に東国の言葉で、会話の続きを始めました。


『ああ、北地方は夏が涼しいんでしたわね。土地が荒れるまでは、貴族が避暑に訪れていたと聞きますわ』

『その避暑地は、街道の設備が整っていたおかげで、北国の難民が押し寄せて、一番に荒れたと聞きます。

今は、もとに戻すために、皆で協力して復興中ですよ。早ければ、来年くらいには、宿泊施設を営業できるかもしれませんね』

『そこまで、計画を立てていますの? さすが、北地方の領主ですわね。避暑地が元に戻ったら、一度招待してくださいな』

『ええ、気長にお待ちください』


 ここまで、すべて東の国の言葉です。クレア嬢は、なんの疑問も持たずに、普通に会話されていましたが。

 ちらりと視線を走らせると、聞き流している同級生ばかりでした。

 異国の言葉による、私とクレア嬢の会話内容を理解できたのは、同じクラスの中にはいないようです。

 理解できていたら、宿泊施設再開はいつ頃か、詳しく聞いてきたでしょう。あそこは、国内でも有名な、避暑地でしたからね。



******



 平日の朝は、王太子の執務室に顔を出します。公務書類をこなすレオナール王子と、いとこの宰相の子息殿に、朝の挨拶を行うためです。

 王妃教育の教育システム責任者として、講師の方々の希望意見書を提出しました。


『……おい、全員が、お前の舞台が見たいって書いてあるぞ。授業の準備費用の請求じゃないのか?』

『はい。夏の特別公演は、レオナール様が責任者なので、私に言われても舞台をお見せできませんとお答えしたので』

『レオ、二日目の招待客の中に入れましょうか』

『そうだな。朝食のときに、父上に言っておく』


 相談は、すんなりまとまりましたよ。朝食まで時間があったので、お二人と雑談を交わしました。

 なにげなく、昨日の昼休み、クレア嬢と会話した内容もお伝えしました。


『へー、クレアと王都に近い元侯爵領の話をしたのか? 僕も、子供のころから毎年行っていた』

『レオナール様もですか?』

『あそこには、王家の離宮があった。離宮は湖畔に立っていて、色々遊んだ記憶がある』

『なるほど。私は、領地が統合されてから訪れたので、以前の様子を知りません。詳しく教えてください』

『いとこは魚釣り、僕は湖で泳いで遊んだ。夕暮れ時には、船を浮かべて、納涼を楽しんだりもしたぞ。なっ?』

『ええ、夕暮れどきが一番きれいでしたよ。湖が空の色に染まりますからね。

北国の内乱の影響で難民が来てからは、危険なので行けなくなりましたが』

『四年前にあの暴動を治めるにために、僕たちが訪れたときは、暴動の余波で建物は焼け落ちて残っていなかった。幼いころの思い出がすっかりなくなった気持ちになって、衝撃を受けたぞ』

『ですから、宿泊施設ができたら、私たちも招待してください、アンジェ。あそこは、私やレオにとって、思い出の土地ですから』

『かしこまりました、いつか必ずご招待します』


 ……一見、普通に話しているかもしれません。ですが、全部、我が国以外の言語です。東西南北、周辺四か国のどれかの言葉ですね。

 王子達は、その時の気分で、色々な言語の会話を楽しまれるときがあります。私は聞き取るのに必死でしたよ。

 お二人は、幼いころから言語を学んでいるので、我が国の言葉と変わらぬレベルで、周辺四か国の言葉を操れるのです。

 飽きてきたのか、我が国の言葉での会話に戻されました。


「しかし、クレアが北国の言葉を、北なまりと判断するとはな。途中で語学授業参加を止めたからだろう」

「アンジェの北国の発音は、完璧な標準語なんですけどね。北国の言葉が話せないクレアには、聞き取れませんか。残念ですね」

「宰相の子息殿。クレア嬢は、残念な方ではありません。東国の言葉が完璧です。西国の言葉も、それなりに理解できています」

「だが、僕らの嫁を目指すなら、すべての異国の言葉が理解できないと困る」

「レオナール様に、秘書官として申し上げます。クレア嬢は年齢から考えますと、西国の言葉を覚えることができたのは、努力の結果と言えます。

けっして、本人の前で努力を否定するようなことを、おっしゃらないでください。あなたは、将来の夫なのですから」

「……わかっている。これでも、かなり条件を譲歩したと思う。

だがな、たった二か国語だぞ!? 二か国語しか話せない王妃なんて、僕の理想から遠い!」

「実現不可能な理想は捨てるように、何度も申し上げましたよ」


 やれやれですね。はっきり申しますと、レオ様や宰相の子息殿の伴侶に対する理想は高すぎます。

 王太子の秘書官として、ときおり話を聞いては、現実を認識させて方向修正をかけるように働きかけていますけどね。


 お二人とも、我が国と周辺四国の言葉を話せること。五か国語に堪能であれと、言い切りましたからね。

 王妃候補の皆さんは、もう十五才を超えています。今から学んでも、二か国語がギリギリ。我が国の言葉と合わせて、三か国語を操るのが限界でしょうね。


 我が国と東国の言葉を話せるクレア嬢でも、根を上げました。

 王妃教育が始まった当初は、東西南北、すべての語学授業に参加していたんですよ?

 けれども、一月を超えたあたりで、ご自分の限界を悟ったようです。集中的に、新しく習うのは西国の言葉だけに絞りました。

 本当に、レオナール様と宰相の子息殿には、現実を直視していただきたいです。


「アンジェはそう言いますが、あなたやエルが、四か国を話せるのを見ると、婚約者候補たちは物足りないですよ」

「……ですから、宰相の子息殿! 六才の子供の知識吸収速度と、十五才以上のご令嬢たちを比べないでください!」


 東西南北、すべての語学授業に参加を続けているのは、六才のうちの妹だけです。

 子供だから、柔軟なんですよ。綿が水を吸い込むように、軽々と吸収していきます。

 覚えた知識を披露したくて、たまらない年頃ですからね。舌足らずで懸命に会話をしてくるんですよ。

 勉強の予習復習に付き合わされ、私も徐々に四か国語の言語をマスター中ですけどね。


「あ……おい、アンジェ。僕たちの絵本、エルは読んでくれているか?」

「はい、レオ様。北国の言葉で書かれているものは、我が国の言葉に言い換えながら読んでいますよ。『虹色ミルクティーを飲もう』がお気に入りのようです」

「あれか……七色の世界を旅しながら、お茶会の準備をしていく話だったよな。懐かしいぞ♪」


 私と妹の部屋に併設されていた書斎は、最近、模様替えがされました。

 本棚は妹の部屋に運び込まれ、我が国と周辺四か国の様々な言語の絵本が置かれたのです。

 レオナール様や宰相の子息殿が幼い頃に使っていた、学習用の絵本だそうですね。

 下の兄弟ができたら、あげるつもりだったようです。ですが、お二人とも一人っ子のままでした。

 どうせなら、妹のように可愛がっているエルに使って欲しいと、貸してくださったのです。


 そして、政務室の本棚があった場所には、座り心地の良さそうなソファーセットが運び込まれました。

 うちの妹と遊びたい王子たちが、秘書官の私から報告を受けるなら、ここに来た方が早いと命じたからです。


 ……おもいっきり、公私混同ですよね。


「あの絵本を役立ててもらえているなら、何よりです。エルは、もう北国の言葉ができますからね。私たちよりも、他国の言語習得が早いと思いますよ」

「そうでしょうね、宰相の子息殿。妹の才能には、姉の私ですら驚きの連続です」


 我が家の五人兄弟を含め、うちの領地に住む子供たちは、ほとんどが我が国と北国の言葉を自由に操れる、バイリンガルです。

 四年前に北国の内戦がおこり、難民がうちの領地にやってきたのが、きっかけですね。

 日常的に我が国の言葉と、北国の言葉を耳にするようになりました。


 うちの場合、五人兄弟の上三人は、言語学者から必死に学んだのですが、下の二人は違います。

 七才と二才は連れ立って遊んでいた、実家のある町中で覚えました。

 子供たちに国境の壁はありません。我が国の子供と難民の子供は、混ざって遊びます。

 遊んでいるうちに、自然と両国の言葉を習得していったようですね。


 さらに下の妹は、先代国王陛下のご学友である、言語学者から学ぶようになってからは、北国の南地方なまりと標準語の違いも理解します。

 意識的に使い分け、私には南地方のなまりで、王子達には標準語で話しかけるほど、芸達者になりました。

 いずれ北国の南地方の公爵家に嫁ぐ妹にとって、生きていくために必要なことですからね。


「アンジェだって、そうですよ。三ヶ月の授業で三か国の日常会話を、さらに半年の授業で言語も書けるようになってきたじゃないですか」

「宰相の子息殿。私の場合は、北国の言葉を学んだ経験を活かし、残りの言語の基礎を身につけただけですよ」

「その理論なら、クレアだって、習得できると思わんか?」

「レオ様。普通の人間は、大勢の人を地獄から救うために、死に物狂いで勉強をする経験はないと思いますよ」

「北国の内乱の余波が、アンジェの語学力の起点ですか」

「……そうです、宰相の子息殿。北国の難民や傭兵たち。それから、王家との正規軍の引き上げ交渉。

特に、王家との交渉に失敗すれば、我が国が地図上から無くなる可能性がありましたからね。必死で、北国の言葉を覚えました。

まあ、雪の天使の血を引く私と母を、北国の王家との対話に送り込めば、北の王家は我が国から退かざるを得ないと、国王陛下は計算されていたようですが」

「だろうな。うちの国の貴族には、雪の天使の血筋が居ることを見せつけて、『南地方の新たな公爵家の嫁に欲しいなら、兵を引き上げろ』と無言の圧力をかけたんだから」


 平和な土地に生きてきたクレア嬢には、無理な学習方法ですね。

 食料を求めて、人が争った後に残された、死体の山。流れた血が変色して黒くなった道。

 そんな地獄の光景を終わらすためには、北国からの難民や傭兵たちとの対話が、どうしても必要でした。

 当時、十二才の私と十一才上の弟、十才の妹は、必至で言語学者から北国の言葉を学びました。


「たいしたもんだ。父上も宰相のおじ上も、何か行うときには、安全対策を施す」

「私たちは、まだ詰めが甘いですよ。私もレオも、アンジェからヒントを貰うまで、雪の天使の血筋の意味を全く知らなかったんですから」

「まあ、偶然の産物とはいえ、王宮の医者伯爵は、王家の分家だから、王族に雪の天使の血が入ることは入るぞ。

たまたま僕が進言したから、僕らがアンジェの血筋の秘密を知らなかったことも、バレなかったんだろう」

「レオの思い付きも、たまには役に立ちますよね。あれを国王のおじ上が決定していたら、なんでだって私たちが聞いて、怒られましたよ」

「……父上のことだから、資格なしとして、僕の王位継承権を剥奪して、医者伯爵の息子を王太子にしかねん。雪の天使の血筋を嫁にすることが決まってるからな」

「あー、おじ上ならやりますね。北国との良好な関係を最優先させるでしょうから。私は宰相のままにしておけば、母の出身である西国に面目は立ちますし。

レオ、これからは、父上たちを見習って、念入りに策を施しましょう。お互いの将来のためにも」

「そうだな。外堀を埋めて、根回しをしてから、作戦実行だな」


 ……傍で聞いて思いました。カエルの子はカエルと申しますが、本当ですね。

 王太子と宰相の子息殿は、間違いなく腹黒策士の王家の血筋を引いていますよ。

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