23話 子守りは大変なんですよね
平日の午後八時半。うちの妹を連れたレオナール様と宰相の子息殿は、私と妹の部屋を訪れました。
舞台稽古と王妃教育の授業は、八時ごろに終わるので、王宮でお会いするのは、いつもこの時間になります。
私が王妃教育を休んでいる間、レオ様と宰相の子息殿が、妹のエルの面倒をみてくださり、授業につれていってくれています。
お二人の状業参加理由は、表向きはうちの妹の子守り。実態は、王妃教育の成果の調査です。
王妃教育を受ける王妃候補は、王子であるお二人の将来の伴侶ですからね。どうしても気になるでしょう。
お礼を申し上げ、うちの妹を受け取りました。妹から、今日の授業について聞いてみます。
「ひがしのことばでちたの。ちぇんちぇーとくれあちゃま、いっぱいおちえてくれまちたわ♪」
(東の言葉でしたの。先生とクレア様、いっぱい教えてくれましたわ♪)
「そうですか、良かったですね。ちゃんとお礼を言いましたか?」
「……えりゅ、うっかりきちゃのことばで、おれーいーまちたの。くれあちゃま、おへんじちてくれまてぇん
の。
えりゅ、まちがいきぢゅいたから、ひがしのことばでおれー、いーなおちまちたわ。くれあちゃま、わらってどーいたちまちていってくれまちたわ」
(……エル、うっかり北の言葉でお礼言いましたの。クレア様、お返事してくれませんの。
エル、間違いに気づいたから、東の言葉でお礼言い直しましたわ。クレア様、笑って「どういたしまして」言ってくれましたわ)
六才の妹は、舌足らずな発音で会話をします。
私や王子達のように毎日、朝から晩まで聞いていれば、言いたいことが理解できるのですが……夕方から夜の四時間しか接しない王妃候補の方々には理解しにくいでしょうね。
一応、王子達にも、妹の内容が合っているか確認しました。
「今日は東国の語学授業でしたよね。クレア嬢の独壇場でしたか?」
「ああ、王妃候補の中では、東へ語学留学していたクレアの右に並ぶものはいない。
だが、側近候補の二人も、半年でだいぶ単語を覚えてきたようだな。かなり、話せるレベルになってきたぞ」
「はい、新参者でも、南の男爵令嬢は『異国の言葉は思ったよりも面白い。もっと早く習えばよかった』と言っていましたよね、エル」
「はいでちゅの! えりゅとくれあちゃま、いっぱいいっぱい、おちえてあげまちたの!」
(はいですの! エルとクレア様、いっぱいいっぱい、教えてあげましたの!)
「私やレオではなく、クレアに聞く当たり、まだ見どころがありますよね」
そう言って笑う、宰相の子息殿。瞳の奥に、なにやら他の感情をお持ちのようですね。
これは、エルの同席を喜んでない感じですよ。
「……なるほど。皆さんの話をもっとお聞きしたいところですが、エルが寝る時間が来てしまいました。
エル、おやすみしましょうか。明日の朝、お話してくださいね」
「わかりまちたわ。えりゅ、おねむでちゅの、おちゃちゅみなちゃい♪」
宰相の子息殿の会話途中で、あくびをしていた妹。素直におやすみの挨拶をしました。
抱っこして部屋に連れていく途中で、寝息をたてて夢の中に行きましたよ。ベッドに入れてやり、客間に戻りました。
客間のソファーに、仏頂面で陣取っているレオ様へ、秘書官として話を伺いましたよ。
「やる気がないのは、顔出し参加の王子達に浮ついているからでしょうか? それとも、語学に興味がないのでしょうか?」
「両方だ。語学には興味がなくて、僕らには興味がある。単語が分からんのなら、講師かクレアに聞けばいいのに、わざわざ僕やいとこに聞きにくるんだぞ。話にならん」
「まあまあ、レオ、落ち着いて。私たちが相手をすることで、彼女たちの語学への興味が増して、単語を覚えられるかもしれないじゃないですか」
「無理だろう。最近勉強を始めたばかりの王妃候補の連中は、エルのレベルまで、二ヶ月で追いつくのは無理だと思う。
ただ、南の男爵令嬢は頭の良さで、王妃候補に挙がったやつだからな。あいつだけは、追いつけるかもしれん」
私の舞台稽古が終わるのは、二ヶ月後です。二ヶ月たてば、王妃教育の授業に復帰します。
レオ様としては、それまでに新参者のレベルを、先に半年間習った私たちに、追いつかせたいようですね。
王妃教育の教育プログラム責任者を兼ねている、私としては、ストレスで胃痛を感じる話ですよ。
「レオ、それ以上の話は、奥の執務室でしてください。ここが防音の部屋だとは言え、エルが起きてきて聞いたら、台無しになりますから」
「ああ、そうだな。アンジェ、奥に行くぞ。ついでに、歌劇観賞の衣装の製作状況も教えてくれ」
「わたしは、ここでエルが起きてきたり、私たちを呼びに使用人が来ないか見張っています。
今後の方針は、レオが立ててあるのでアンジェはきちんと聞いて、動いてくださいね」
「……はい、かしこまりました」
客間の先には、この部屋に併設された書斎があります。今は、政務室として、私が書類を書くときに使っているのですが。
レオナール様は、そこに入っていかれました。
※※※※※※
今後の方針を聞いた私は、レオ様の次の発言を待っておりました。
宰相の子息殿の奥方決定は、かなり難航しそうですね。レオナール様の伴侶は、クレア嬢でほぼ間違いないと思いますが。
王妃の側近候補が、歌劇鑑賞に着ていく服の製作状況報告書を読み終えた後、レオ様は唐突に言います。
「そういえば、アンジェの母上、北の侯爵の血筋にして、僕と同じ『雪の恋歌』の子孫だったんだな。ようやく謎を解き明かしたぞ!
うむ。『雪の恋歌』は、我が春の国が誇るべき、歌劇史上、最高の恋愛作品だ! 」
「最高は言い過ぎです。単に私たちの祖先の実話を基にした、寸劇ですって」
「あの有名な歌劇を寸劇と言い切れる、お前の神経が信じられん!」
「王都では格式高い歌劇として上映されていますが、母の実家は巡業旅一座ですよ? 幼いころから、身近な舞台でしたので。
あの寸劇を最高と言えるのは、レオ様がロマンチストだからですよ。あんなことが実際に起こる確率は、無いに等しいですね」
「おい、お前は現実的過ぎる! 年頃の女なら、もう少し夢を見ろよ、今すぐに! 第一、座長の孫だろう!?」
「はい? 今すぐと言われましても、起きたままで夢は見れませんよ?」
「このド天然! 頭の回転早いのに、なんでアホなんだ!」
報告書を握りつぶし、絶叫するレオナール様。それ、後で国王陛下に持っていく予定だったんですけど。
はあ、書類のしわを伸ばすのが、大変ですね。
肩で息をしながら、レオ様は仏頂面になりました。鋭い眼光で、にらみます。
「アンジェは、本当に空気をぶち壊すのが得意だな? あの最高のクライマックスを見て、なお、寸劇と言えるのか!?
何度も言うが、お前は、旅一座の座長の孫だろう? しかも、雪の恋歌特別公演、主演女優だろうが!」
「だって、仕方ないでしょう? 小さなころから弟や妹の相手で、あの最後の場面を再現してると、うんざりするんですよ!
祖父母の旅一座舞台を見た後は、弟妹が代わるがわる雪の恋歌ごっこをせがむんです。何百回も、ですからね」
レオ様は仏頂面のまま、少し考えるような表情をしました。
「……エルもやるのか? 雪の恋歌ごっこ」
「ええ、最後のプロポーズから結婚式まで場面を、くり返し何百回もです。下の妹が雪の天使役で、私が王子役ですね。
下の弟とやるときは、弟が王子役で、私が雪の天使役でした」
「……一番上って、性別関係なく、両方やらされるのか。気の毒に。僕は、絶対に王子役しか、やりたくないぞ!」
私は肩をすくめて、無言で答えました。
ワガママなレオナール様は、長子に向きませんね。どちらかと言うと、末っ子のエルを相手にしている気分です。
一人っ子って、こんな調子なんでしょうか? 王太子をやってるだけあり、責任感はあるとは思うのですが。
じいっと私を見ていたレオ様は、急に視線を緩めました。握りつぶした書類を机におき、腕組みします。
「……うん、お前の場合、まだ成長期に入りかけみたいだから、王子役でも問題ないか」
ちょっと、なんですか、その視線。どこ見てるんですか!? 失礼ですよ!
確かに、まだ十二、三才くらいの外見ですが、きちんと成長すれば、母のような絶世の美女になる予定ですからね!
失礼なレオ様は、目を閉じ、なにか考えておられるようですね。
想像の世界に浸っていたロマンチストは、目を開けると、王子スマイルを浮かべました。
「なあ、明日からエルと雪の恋歌ごっこやっていいか? 僕が王子役で、エルが雪の天使だ!」
「はいはい、どうぞ。レオ様は、本物の王子だから、ぴったりだと思いますよ」
「よし、姉の許可は出た。明日から、いとこを誘って、エルと遊ぶぞ!」
……ああ、やっぱりですか。ええ、あれは、恋物語ですからね。
夢見がちなレオナール様は、絶対にやりたがると思いましたよ。
ご兄弟のいない王子たちは、うちの妹と遊べることが、本当に嬉しいようです。
うちの妹レベルで、はしゃいでいるようでした。
「レオ様、お話は終わりでしょうか?」
「うん? ああ、終わりだ。帰る」
「かしこまりました。扉をお開けしますね」
ソファーから立ち上がり、扉に向かわれるオナール様に合わせて、私も立ち上がりました。
レオ様の待つ扉の前に移動します。ドアノブに伸ばしかけた右手を急に捕まれ、引っ張られました。
バランスを崩して、身体が倒れかけ、レオ様にぶつかりました。さも当然のように、抱き抱えられます。
驚きで身体が硬直しましたよ。
「おい。お前は、隙が多すぎるぞ! まだ外見が幼いから、男に相手にされないだけだが。
もう少し成長したら、こういう事が頻繁に起こりそうで心配だ」
……ブラックレオ様が、降臨していました。
油断していました。また、いじめられるようです!
焦りが表情に出たのでしょう、レオ様の目が細くなりました。
「涙目か、泣いたら許してくれると思ってるのか? 本当にお子様だな。
言いたいことがあるなら、きちんと言え。口達者だろう」
「は……はな……して」
「不合格。もう少し、王都の貴族の恋愛を教えるべきだったか。
それとも……」
強引に顎を持ち上げられ、上を向かされました。何やるつもりですか!?
「恋人との過ごし方の練習が、足りなかったか? どっちだ、アンジェ」
いや、分かって居ますよ。今のレオ様の瞳は、冷淡ではないですからね。
親友の私のことを、心配してくれているから、時々こんな試すような行動をとるんですよ。
王都の貴族のように、とっさに返事も対処もできない、田舎貴族ですからね。
「両方だろうな。お前は恋愛に全然興味がないやつだから。はあ……僕の頭痛のタネだ。
お前の将来が心配だぞ。無自覚な雪の天使だからな。
まあ、僕個人としては、王都の女よりも、無垢で初々しい女が理想だが」
「……レ……オさま…の?」
「まあな。しゃべれるようになっただけ、最初よりは成長はしたと思うぞ。ほれ、離してやる」
レオ様はいつもの表情に戻ると、パッと両手を離されました。
私はよろけましたが、きちんと踏ん張って立てました。深呼吸して、レオ様をみあげます。
平常心に戻れば、私のペースに戻れますよ。
「ほら、レオ様、きちんと立てれましたし、しゃべれましたよ!
レオ様に初めてやられたときは、腰が抜けたり、気を失ったりでしたからね。成長しましたよね、私♪」
「……うん、そうだな。お前か切れ者にみえて、ド天然だと、最近よくわかってきた。
本当に、女はよくわからん生き物だ」
「レオ様は、女心のわからない唐変木ですから、当然ですよ」
「……お前も、たいがいと思うぞ」
「そうですか? 恋愛には興味が無いので、ロマンチストのレオ様の理想とは相容れないと、理解していますが」
「……だろうな。僕も、お前とは相容れないと思っている」
きちんと理論立てて説明すると、レオナール様は深いため息を吐きました。
「あ、クレア嬢には、このようなことをされているのですか?」
「……一度だけだ。じゃな、寝るぞ」
「はい、おやすみなさいませ」
ご自分で扉を開けて、待っていた宰相の子息殿と帰られるレオナール様。
よくよく見ると、足取りが重かったように思います。
後日、いとこの宰相の子息殿から聞いたのですが、クレア嬢を後ろからそっと抱きしめることを、レオ様がやったとき。
驚いたクレア嬢に肘鉄を食らわされ、みぞおちに命中したそうです。以後、実行してないとか。
……レオナール様に、悪いことを聞いてしましたね。合唱です。




