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20話 策士の王子は動き出しました

 ここ二週間ほど、王妃教育の授業に、身が入らないご令嬢が多いです。

 八割の確率で、レオナール様と宰相の子息殿が参加されているので。


『ほら、エル、ここの綴りが違うぞ』

『ちかよりゃないで、さいてーのおーちゃま!』 近寄らないで、最低の王子様!

『……レオ、エルを怒らせて楽しいですか?』

『そんなわけないだろう! エル、頼むから機嫌を直してくれ!』

『だいきらいでちゅわ!』 大嫌いですわ!


 今は西の国の語学授業の時間です。レオナール様と宰相の子息殿、そして私の妹が西国の言葉で会話していました。

 王妃教育を受けている者のうち、西国の言葉を最初から勉強している生徒は、王妃候補の東の侯爵令嬢のクレア嬢と、クレア嬢の友人である東の伯爵令嬢。

 そして、側近候補の私とおまけの妹、豪商の娘と文官のご令嬢だけです。

 最近参加し始めた新参の王妃候補たち七人は、三人の会話が理解できずにいました。その中の一人が私に聞いてきます。

 

「アンジェさん、レオナール様とエルちゃんは、なんと会話されていますの?」

「……レオ様がエルの文字の間違いを指摘しました。そしたらエルが怒って、宰相の子息殿がなだめている感じですかね」

「あら、エルちゃん、またご機嫌斜めですの? ここ最近、ずっとですわよね」

「はい。幼い子供には、イヤイヤ期と言いますか、反抗期と言いますか、自己主張して年上の干渉を嫌う時期がありますからね。

下の妹も、その時期を迎えているのかもしれません。あはは」


 私は苦し紛れに、適当な説明をしました。新参の生徒は納得されたようです。

 本当の会話内容がわかる講師の先生や、クレア嬢と側近候補は、苦笑いを浮かべるしかありません。


 最近、妹のエルは、王太子であるレオナール王子を敵視しています。

 ことの起こりは、二週間前。王太子の秘書官である私は、レオ様に言いつけられた仕事をこなしていて、倒れてしまいました。

 私がレオ様の仕事を優先して遊んであげられず、寂しい思いをしていた妹は、とうとう我慢の限界を迎えます。

 レオ様に大嫌いと言って平手打ちをし、先代国王陛下に、レオ様のせいで私が倒れたと訴えたのです。


 一人っ子のレオ様や宰相の子息殿は、六才のエルを自分の妹のようにかわいがっていました。

 かわいがっていた子に大嫌いと言われ、大変ショックを受けたようですね。

 少し前に、こんな会話を交わしましたよ。


「アンジェ、エルの機嫌をとってくれ。僕の姿を見るだけで、顔をそらすんだ!」

「無理です。妹は頑固なところがありまして、私がレオ様と仲直りするように言い聞かせても、首を横に振り、応じませんでしたから」


 私には解決できないとレオ様に申し上げると、妹のご機嫌取り目的で、レオ様が王妃教育に顔を見せることが多くなりました。

 いいのか悪いのか、授業に興味のなかった王妃候補も、レオ様目当てでほとんどの授業に参加するように。

 現在の王妃候補は九人、側近候補は私を入れて五名です。

 総勢十四人のうち、半分が一気に増えたわけですからね。大変にぎやかです。



*****



 平日の王妃教育が終わり、王妃候補と側近候補が帰宅したあと、西国の語学講師は、レオナール様の執務室に呼び出されました。

 王妃教育の教育プログラム責任者である私も、当然呼ばれます。

 レオナール様は仏頂面で告げました。


「おい、ずっと思っていたが、王妃教育は、あんな低レベルなものを教えているのか? 基礎中の基礎じゃないか」


 仏頂面で睨むレオ様は、迫力がありますからね。委縮している語学講師に変わって、私がお答えしました。


「基礎をお教えするようになったのは、女心の分からぬ唐変木が、気まぐれで王妃教育に参加するようになってからです。

それまでは、とても順調でしたよ。皆さん、片言の会話はこなせるところまで来ましたから」

「ほう……その唐変木の参加は、迷惑という顔だな」

「まさか。唐変木を目当てで、やる気のない生徒が授業に出席するようになったのです。大変な進歩を促してくれたと思っておりますよ」


 レオ様が冷淡な感情を視線に乗せて、私を見てきたので、ジト目で見返しました。眼力なら負けませんよ。

 王太子の氷の視線を受けて平然としていられるのは、同年代では親友のお三方と私くらいでしょうか。

 腹黒い本性をお持ちのレオ様は、婚約者候補に、この視線を見せたことがありませんしね。


「……せめて、もう少しペースを上げられないのか?」

「無理ですね。新参者は、唐変木に浮ついております」

「唐変木は参加しない方がいいと、お前は考えるか?」


 氷の視線のまま、尋ねられました。参加しない方がいいという、私の回答を予想している顔ですね。

 ですが、私の答えは、レオナール様の予想とは違います。


「……正直、判断が難しいところですね。今まで、苦手意識が強くて、参加していなかったご令嬢も居ます。

新参者は、まったくやる気のない者と、少し興味を持った者と二種類に分かれかけておりますから。

少なくとも、西の伯爵令嬢は、興味をもっているでしょう。大勢の王妃候補が西国の語学授業に参加しかけたと聞き、今から学んでも間に合うか、私に相談してきましたから」

「西の伯爵家か……最近、あまりよくない噂を聞く。西国に嫁に行かされそうだと」

「はい!? 初耳ですよ! 王妃候補じゃないですか! 西国にお嫁なんて、おかしくありません?」

「情報源は明かせんが。可能性は高いな」


 ……実は少し気になっていたんですよね。私に相談してきたとき、絶望に打ちひしがれる難民たちと、同じような表情でしたから。

 ご令嬢も、政略結婚の道具にされかけているのかもしれません。父君は、野心家ですからね。


「おい、語学講師。一人だけ集中的に教えることは可能か? 今言った王妃候補に、西国の言葉を教えてやって欲しい。

もしも嫁に行くなら、会話や文字ができないと困る。国内に留まることになっても、異国の言葉が分かれば、有利になるだろう」

「王太子様のご命令通りに」

「よし、頼むぞ。アンジェ、今の語学授業は、このままの基礎レベルで進めていい。僕が参加している間に、やる気の有無を見極める」

「かしこまりました」


 レオナール様の一言で、今後の方針が決定です。新たな使命を得た講師は、責任感に満ち溢れた足取りで執務室を出て行かれました。


 お姿が消えてから、扉を閉めて、レオナール様に向き直ります。仏頂面のまま、腕組みをされていました。


「やれやれ、西の伯爵はアホなことをしてくれる。王妃候補には最有力のクレアが居るから、難しいとでも思ったんだろう。

西地方は、西国に近いからな。娘は、国内に置いとくよりも、少しでも役立たせるために、隣国に嫁がせた方が有利になると考えたか」

「お家の事情で政略結婚ですか。貴族には、よくあることですね。優秀なお人でしたが残念です」


 現実主義者の私は、シビアなところがあります。自分でもあきれるくらい、冷たくなれます。

 そんな私と正反対なのが、ロマンチストなレオナール様。夢見がちな王子は、私の常識をしょっちゅう壊してくれますから。


「……おい、アンジェ。お前の上の弟を明日、王宮に呼び出せ。エルの機嫌を取ってくれるように、頼んでくれ。

婚約者候補たちと一緒に、食事のマナーの授業に参加させる。僕やいとこも同席するから、大丈夫だ」

「はあ? マナー教育にみせかけて、お見合いですか。趣味の歌劇の話も聞けるし、うちの妹のご機嫌取りもできるし、一石二鳥ですよね。

……それから、うちの弟と先ほどの伯爵令嬢はお勧めしませんよ。西の伯爵なら、同じ西地方の伯爵家、辺境伯の騎士団長の子息殿の方が釣り合うと思います」

「ふっ……お前のように、頭の回転の早い奴が相手だと、説明が省けて楽だな。本当に手放したくない女だ。

僕の親友は、側近候補の女騎士の一人と恋仲になった。伯爵同士で位も釣り合うから、僕がくっつけた」

「……レオ様、またおせっかいを焼いたんですか?」

「おせっかいなのは、お前の妹だぞ? 側近候補の女騎士が嫁に行くなら、同じ騎士の家がいいと言っていたと、僕の父に教えたんだから。

それに、さっきの王妃候補の西国嫁入り話も、エルが本人から聞いたのを、母上に教えた」

「……うちの妹、なんでそんなに情報通なんですかね」

「子供だから、皆、油断して本音を語るんだろう。お前がエルに本音を愚痴って、僕が嫌われたように」

「あはは」


 乾いた笑いしか浮かびませんよ。うちの妹は、おませさんのようです。


「さっきの見合い話だが、強引にでも、まとめるぞ。半年以上、王妃教育を行った人材を、他国にやってたまるか! エルだって、うちの国に有利になるように、教育しているんだからな。

国益を損ねるような真似は、王太子の僕が許さない。西の伯爵家の考えている、嫁入り先を調べて、潰してやる」


 ……ブラックレオ様、降臨ですね。本音がダダ漏れですよ?

 まあ、弟たちの結婚相手を心配していた私としては、弟のお見合い話は歓迎ですが。


「お見合いは構いませんよ。上の弟はいずれ、私から家督を継いで、辺境伯になりますし。

ですが、うちの北地方で必要なのは、北の国の言葉です。西国の言葉は、使うことはありませんね」

「心配するな。お前の弟の嫁は、将来の僕の子供の語学教師にする。

一対一で集中的に教えれば、僕の子供が生まれるころには、専門家になれる。今の語学教師は、おじいさまの学友たちばかりだからな。世代交代が必要だ」

「……相変わらず、理想を実現するためには、労力を惜しまない方ですね」

「誉め言葉として、受け取っておく」


 北地方の領主を務める私ですが、レオナール様ほどの将来の見通しと計画性を持ち合わせていません。

 夢見がちなこの方の頭の中の作りは、どうなっているのかと、不思議に思う時もあります。


 少なくとも、三年前……いえ、もう四年前ですね。

 私の領地に訪れた時とは、別人です。北地方で過ごした半年間の生活は、レオ様に強く影響を及ぼしたのでしょう。


 北の国で起こった内戦の影響で、住処を追われた難民たち。敗走して落ち延びてきた元傭兵が、暴力で人々を支配する秩序無き秩序。

 作物を取り合い、争い、餓えて死に絶えた人の山。暴動の跡を語る、崩れ落ちた家屋と、血が変色してどす黒くなった道。


 地獄の果てとも思えるような状況を、実際に見れば、性格が変わるのも致し方無いと思います。


 物思いにふけっていると、レオナール様の声が聞こえました。


「あ、忘れていた。アンジェ、じっとしてろ」

「はい?」


 言われた通り、じっとしていると。二週間前の出来事を再現されました。

 急に抱き寄せられ、額に口づけです。驚きで言葉を失い、硬直しましたよ!


「ふむ……やっぱりお前は、喜ばないか。クレアと同類のようだな」


 はい? クレア嬢? なに言っているんですか、この人。


「わからん。なんで、お前たちは笑って喜ばないんだ?

前の婚約者候補たちも、今のやつらも、お前にやったことをすると、皆喜んで笑ったのに。

お前は動きが止まるだけだが、クレアは悲鳴を上げて、突き飛ばすんだ。凶暴すぎるぞ、危ないだろう」


 突き飛ばされた? なにやっているんですか、この人。どう考えても、自業自得でしょう!

 驚いたままの私は、思考回路しか回らず、言葉を失っておりましたが。


「僕は、女心の分からぬ唐変木だと思うか?」


 喋る気力がなかったので、少しだけうなずきました。


「……そうか。僕が理想と信じていた恋人との過ごし方は、お前やクレアのような、純情な者には通じないか。

仕方ない。王道恋愛歌劇のまねをする。おい、恋人の扱い方を練習するから手伝え」


 はい? なに考えているんですか、この人。私が手伝うって、変でしょう?


「クレアは凶暴だから、大人しいお前で練習する。お前も、恋人との過ごし方を練習できて、一石二鳥だ。

お前が一月くらい前に出してくれた具体的な質問で、僕の理想の嫁がやっと理解できたのに、手に入らないのは困るからな」


 はい? なにを言い出すんですか、この唐変木のおバカさん!

 そんなめちゃくちゃな理論、困るのはこっちですよ!


 あっけにとられて、口をパクパクさせましたよ。


「そうだ……この前の教えて貰った、雪の恋歌のセリフが、お前相手なら、ちょうどいいな♪」


 妙に嬉しそうなレオ様の顔。嫌な予感がしました。

 レオナール様がお気に入りの恋愛歌劇「雪の恋歌」の主人公の一人、雪の天使は、私と同じ名前なんですよ。


 止めてください! 私は、練習に付き合うなんて、言っていません!

 抵抗する前に、強く抱擁されました。耳に吐息がかかります。


「……愛してる、愛してる。僕の天使、アンジェリーク。僕は君を愛している」


 いつもと全然違う声音で、ささやかれました。完全に思考が停止しましたよ。


「そうか、驚いてくれたか。僕の演技力もなかなかだな」


 どこかはしゃぐ声が聞こえますが、理解できません。レオ様に手を引かれるまま、歩き出し、自分の部屋まで送られました。


「じゃあな、お休み。僕の天使、アンジェリーク、愛してる」


 部屋の中に押し込まれ、再び耳元でささやかれます。扉が閉まるのを、呆然と見送っておりました。


「あーじぇおーちゃま、おかえりなちゃい♪」

「あ、はい。ただいま」


 扉の閉まる音に気付いたのか、妹が部屋から顔を出します。

 飛びついてくる妹を受け止め、事務的にベッドまで行きました。


 ……思考停止した私は、完全に忘れていました。

 王太子のレオナール様は、策を張り巡らして、理想を実現する行動力をお持ちだと。


 腹黒で策士な王子は、自分の理想の将来を実現するために、行動を開始したのです。

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