2話 とうとう胃が限界を迎えたようです(一部加筆修正しています)
三ヶ月前、我が春の国の分家王族である、西地方の公爵家の一人娘……つまり、頭がお花畑の公爵令嬢は、春の王女なのですが……。
そのファム嬢に与えた、春の国の王太子のハンカチが、子爵令嬢のルタ嬢の手を経て、王太子に返還されるという出来事がありました。
王宮の執務室でハンカチを受け取った王太子、レオナール王子は、かなり言葉が少なくなり、ルタ嬢との面会を早々に打ち切っておられましたね。
そして、ハンカチ返還事件から一週間日後。
西の公爵家と子爵家に、まったく同じ花束が届けられました。王太子の名前で。
将来の王太子妃候補は、二人に絞られたことを意味します。
……おかげで、王太子の秘書官である私の忙しさは、倍増しましたよ。とほほ。
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「以上が、レオナール王子の婚約者候補である、ファム嬢、ルタ嬢の本日のご予定です。
お二人から『午後のお茶会で殿下にお会いできることを、大変に楽しみにしておりますわ』との言葉を預かって参りました」
私に休日はありません。王立学園が休みの日は、王宮に出仕するので。
婚約者候補に選ばれたご令嬢は、将来の王妃になるため、王妃教育の基礎となる部分を学んでいくことになります。
王宮へ学びに来たお二人を誉め、おだて、その気にさせ、やる気を出させる。
それから、王太子であるレオナール王子に報告することが、私の仕事です。
「アンジェ、他に報告することは?」
「他ですか?」
「王妃教育の進度の報告は、どうなっている。あまり芳しくない噂を聞くが?」
「……もう、レオ様のお耳に届いていましたか。
結論から申し上げますと、子爵家のルタ嬢には、隣国の言葉を覚えるのは、難しいかと。
素敵なダンスの練習に夢中になれても、退屈な文法は眠たくなるそうで、居眠りの常習犯です」
「……ルタは勉強嫌いか」
眉間を押さえた王子の背後で、将来の側近候補のご子息の数名が、微かに笑っていたのが見えました。
公爵令嬢の取り巻きと化しつつある、おバカさんたちですね。
いえ、間違えました。子爵令嬢を敵視する、高位貴族の方々です。
「ファム嬢は、もっと酷いです。分家王族の王女ですのに。
最近では、語学の時間は、お父君である副宰相殿の執務室を訪れ、鍵を閉めて閉じ籠り、出席すらしません。
扉越しに『我が国と取り引きをするなら、我が国の言葉を話せばよい。言語よりも、伝統ある王家の刺繍を勉強するほうが王妃として、国に貢献できる』と言い放ちました」
「ファムも、期待するだけ無駄か。まだ出席するだけ、ルタがマシだな」
「ちなみに先ほどのファム嬢の発言は、偶然通りかかった、国王陛下も聞いております」
今度は、子爵令嬢の取り巻きが、敵視する公爵令嬢派の取り巻きに勝ち誇った笑みを浮かべました。
皆さん、ドングリの背比べと言う言葉を、ご存じないようですね。
側近候補の嘲笑を無視して、王子は会話を続けてきました。北の国の言葉を操りながら。
『わ、我が婚約者候補には、頑張って貰わねば困る。そ、それは、秘書もきーと言え』
『レオナール王子、発音間違えていますよ。「秘書がきちんと伝えるのだ」ですね。
何度も申し上げますが、王子がサボっていた発音勉強を、きちんとやり直してください。
婚約者候補のお二人に期待するだけ、ムダです!』
『確かにし、し、刺繍も、「だろう」も王族としては大事だと思う。だが、困る。なぜむ、む、むだなことを』
『王子、「だろう」ではなく、「ダンス」です。話を戻すと、価値観の違いですね。
女性は、他国との外交戦を有利にする為、国力を見せつける為、きらびやかな外見が最優先事項。
片や王子にとっては、他国と不利な外交契約を結ばない為の、意志疎通の方法が最優先事項であるだけです』
『ゆ、優先じこう。理解できるが、なっとく無料』
……王子は、北の雪の国の発音が下手です。が、こちらの言いたいことは理解しているようですね。
まあ、サボっていた割には、上達したほうでしょうか。
おや? 王子が発言を許可してないのに、側近候補が勝手に話しかけてきましたね。怒られますよ。
「王子は、秘書と何の会話をされているのですか?」
「聞き取れなかったのですか? 内務大臣の息子ともあろう者が。
王子は腕試しの一貫として、外交戦術について、秘書に意見を確められておられのです。北国の言葉でね」
「なるほど。北の言葉でしたか。男爵の秘書の発音が下手なので、聞き取りにくかったもので」
この人、嫌い! 腹立つ!
事あるごとに伯爵家の自分を自慢して、男爵家女当主の私をバカにしますからね。
「……キミは、耳が悪いようだね。発音が下手なのは、レオ様だよ。
完璧な発音ができるアンジェに、注意されていたんだから」
助け船は、外務大臣の息子が出してくれました。
眉をつり上げている年上の少年を、私は「外交官の子息殿」と、呼んでおります。
「レオ様、内務大臣の息子は、致命的な病気をわずらっているみたいだよ。
分家王族である、医者伯爵家の王子たちを紹介した方が、良いんじゃないかな?
聞き間違えをする耳では、国王様の命令も、聞き間違える可能性があるからね」
「……そうだな。お前、もうさがってよいぞ。王宮に二度と来なくて良い。国王である僕の父上には、僕から説明しておく」
王太子からの戦力外通告。
内務大臣の子息殿は、騎士団長の子息殿によって、強制的に部屋の外へ出されました。
学園の成績が私よりも悪いくせに、無理するからですよ。おバカさん。
それにしても、レオ王子の幼なじみ、外交官の子息殿は、敵を排除するのが上手いですね。
損得勘定をして、王家にマイナスと判断すれば、さっさと切り捨てるように進言していますよ。
「性別における、外面と内面の戦術の違い。おもしろい着眼点ですね。さすが、アンジェと言うべきでしょうか」
……隙がないですね。春の王弟殿下の一人息子で、国王の甥っ子は。
王弟殿下は、春の国の宰相をしているので、私はご子息のラインハルト王子を「宰相の子息殿」と呼んでおります。
レオナール様のいとこは、飄々とした王家の微笑みを浮かべて、私を誉めてくれました。
「王家の刺繍に、そのような意味があったとは、自分は知らなかったっす。あっはっは!」
西地方の辺境伯の孫であり、王宮騎士団長の息子。私は「騎士団長の子息殿」と呼んでいるのですが……。
脳ミソ筋肉に見えて、私と王太子の北国の言葉による会話を聞き取り、きちんと理解しておられました。
子爵令嬢の奇跡の美貌にも、公爵令嬢の優雅な笑みにも惑わされない、稀有な人だけあります。
あ、話は横にそれますが……王太子の婚約者候補、子爵家のルタ嬢を一言で表すと、「奇跡の美貌」ですね。
低い家柄なのに、王太子妃候補に名が挙がったのは、幼少期からの美しさが理由です。
いじめっこ、もとい、学校で仲良くされていた高位のご学友たちが去ってからは、明るい性格になったと評判です。
良く笑うようになり、新しいご学友ができたようですね。
ここにいる、王子の側近候補の貴族子弟をはじめ、男子生徒が多いですけど。
俗な言葉で「逆ハーレム」と言うやつですかね。そんなことに力を入れるから、この前、語学のテストで赤点取るんですよ。
公爵家のファム嬢は、ルタ嬢に危機感を覚えたのか、王子の側近候補とその婚約者の方々と深い親交を持ち始めました。
春の国の分家王族の王女らしい、堅実な選択肢だと思いますよ。頭お花畑が心配ですけど。
頭のできは、私よりも格段に落ちて、学園の成績が中の下くらいですからね。
それでも、将来の王太子妃の筆頭候補は、春の王女であるファム嬢です。
家柄や血筋、立ち振舞いにおいて、子爵家のルタ嬢は敵いませんから。
「アンジェ、聞いていますか? アンジェ?」
「ふぁい!? なんでしょうか、将来の宰相殿」
「アンジェ秘書が、人の言葉を無視するとは珍しいっすね?」
「失礼しました、騎士団長の子息殿。少々、意識が遠くに飛んでいたものですから」
危ない、危ない、王太子妃候補のお二方のことに意識を取られすぎていました。
「意識が遠くに? 持病の腹痛でも起こしたのか?」
「いえ、今は大丈夫です、レオ王子。今朝、吐血したもので、貧血気味なだけですよ」
「とけつ? なんだそれは?」
「分かりやすく言えば、血を吐くことです。出仕前に胃痛がひどくなって咳き込んだら、血がドバって出ました」
「ドバ!?」
「はい。休もうかと思ったのですが、昨日、王子が『絶対に来て、王太子妃候補の勉強を見張れ』とご命令されましたので、慌てて着替えて出仕しただけのことです。あはは」
あはは……あれ? なんで、皆さん、無言になるのでしょうか?
ここ、笑うところですよ? ちょっと血を吐いたぐらいで、死にかけになりませんからね。
「医者を呼べ、すぐにだ! アンジェを部屋に連れていけ!」
「いや、大げさな。少し休みを頂ければ、そのうち治りますから心配いりませんよ?」
ものすごい形相の王子に怒鳴られました。本当に大げさですね。
「失礼するっす!」
「はい?」
私の背後から、騎士団長の子息殿の声が聞こえました。
首の後ろに衝撃を感じたと思ったとたん、私の意識は暗闇に飲み込まれたようです。
悪の組織のボス(王太子レオナール)は、いきなり優秀な部下を失う危機に陥った。
2019年2月22日、一部加筆修正済み。
感想で指摘のあった部分を、分かりやすいように書き直してみました。
以前調べたところ、公爵には、大まかに王族の一員である「王族公爵」。
王家の部下の貴族である「臣民公爵」という、二種類があるようです。
この小説内では、春の国と雪の国の公爵家を、「王族公爵」として扱っています。
よって、現時点で春の国で二つある公爵家は、両方とも、春の王位継承権を持つ、「春の国の王族扱い」なのです。
現在の宰相である、春の国王の弟が当主をしている「王都の公爵」は、本家王族。
宰相も、宰相の一人息子も、「本家王族の王子」と呼ばれることがあります。
春の国の西地方に領地を持ち、副宰相が当主をしている「西の公爵」は、古い時代に本家王族から枝分かれした、分家王族。
副宰相は「分家王族の王子」、一人娘のファム公爵令嬢は「分家王族の王女」とも、呼ばれます。
また、西の公爵以外に、もう一つ分家王族がありまして、本文に軽く登場している「医者伯爵」です。
こちらは、小説開始当時の十七年前に、王女が輿入れしていた貴族の伯爵家が、王族に格上げになり誕生した、新しい分家王族。
この医者伯爵家の次期当主も、後で重要人物として登場するので、お楽しみに。
ちなみに、男爵家の女当主のアンジェリーク秘書官が、春の王女をファム「様」ではなく、ファム「嬢」と呼んで、貴族令嬢たちと同列に扱っているのは、間違いではありません。
秘書官なりの理由がありますので。