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19話 私もパニックを起こすときがあります

 最近、忙しいです。夏に開演予定の歌劇「雪の恋歌」の舞台稽古に追われているので。


 本日は王妃教育の夜のダンス授業を休み、国王陛下の推薦で、王都の高名な歌劇団のご指導を受けてきました。

 そのおりに、私の苦手な表情の作り方を尋ねてみました。

 「初恋を思い出して、恋する乙女の感情でやれば簡単」と言われましたが……無理ですよ。私は恋というものを知りませんからね。興味もありませんし。

 恋愛感情など、貴族には無意味と思っています。北の王家と婚約した、私の妹のような政略結婚が当たり前ですからね。

 一応、運命の出会いは、素敵だとは思いますよ。貴族なのに恋愛結婚をされた王妃様や私の両親は、一握りしかいない幸福者でしょうね。


 歌劇団の講師とお別れし、迎えの馬車で王宮に帰ると、王子たちが待ち構えていました。


「アンジェ、とうとう、書類を全部終わらしたぞ! 約束だ、雪の天使の衣装を見せてくれ!」


 王太子であるレオナール様は歌劇鑑賞が趣味で、雪の恋歌は名作恋愛歌劇だと言い、たいそうお気に入りのご様子。

 いとこの宰相の子息殿も、レオナール様の影響で、それなりに歌劇が好きなようです。

 二人揃って、舞台衣装を見たいと望まれました。


 ……約束してから、六日ですか。どれだけ歌劇に心を奪われて、書類をため込んでいたんでしょうか、このロマンチスト王子。

 歌劇の想像の世界に浸るのは後回しにして、さっさと重要書類を片付けてほしいものです。

 王太子の秘書官である私には、側近たちの苦労が身に染みて分かりますからね。

 心の中で、側近の同僚に「お疲れ様」と言葉を送っておきました。


 着替える必要があるので、私と妹の住む部屋へご案内しました。

 妹は、私の帰宅が遅くなると分かっていたので、宰相殿の所でお泊まりしています。

 お人形のようにかわいらしい妹は、娘のいない国王陛下と宰相殿に、大変可愛がられていますからね。

 月に数回、交互にお泊まりするんですよ。今回は、宰相殿の日です。


「お茶でも、ご用意するので、ソファーでお待ち下さい」

「飲み物はいらん。それよりも、舞台も見せてくれ! 今日は歌劇団で練習してきたんだろう?」

「……かしこまりました」


 客間のソファーに座るなり、青い瞳を輝かせてレオナール様は言いました。


 という訳で、約一週間前に約束した、舞台衣装の一つ、白いワンピースに着替えましたよ。

 リクエストを受けて、最終幕でヒロインの雪の天使が歌う、喜びの歌をお聞かせしました。


 歌い終わった後は、お二人は大興奮されていました。


「素晴らしい! 本物の雪の天使が歌うと、全然印象が違うな。お前もそう思うだろう」

「ええ、雪の天使の印象が、塗り替えられましたよ」

「そうですか? 王都でも、この場面は公演されているはずですが」

「いや、こっちのは、金髪のかつらをかぶって、白粉を縫って演じることが多いんだ。

生まれついての金髪碧眼、色白の者とは、見た目が比べ物にならんと分かった」

「レオの言うとおり、作り物ですからね。本物を見てしまうと、ちょっとね」

「……お褒めにあずかり光栄です」


 レオナール様と宰相の子息殿に、べた褒めされました。


 雪の天使というのは、北地方の色白美人の代名詞です。北地方の金髪碧眼の者を指すときに、使うのです。

 歌劇「雪の恋歌」は、元々は北地方のおとぎ話ですからね。主役の雪の天使も、王子も、金髪碧眼とされています。

 北地方出身で、金髪碧眼、雪の白肌の私が演じる雪の天使は、配役がピッタリなんでしょうね。


「なあ、他の演技の場面も見たい。雪の天使と王子の語らいとか!」

「無理です。王子役の弟が居ないので、また今度にしてください」

「王子なら、目の前に居るじゃないか。僕がやってやる。一度、歌劇の役者をやってみたかったんだ♪」

「えっと……宰相の子息殿?」

「すみません、レオのワガママに付き合ってください。一回でいいので。言い出したら、叶うまで毎日、言い続けますよ

「……かしこまりました。レオ様、一回だけですよ」


 せっかくなので、レオ様が一度見てみたいと願っている、一場面を演じました。

 こちらは、王都では公演されていない場面です。幻とも言えるでしょう。


 レオ様は、台本片手に棒読みします。まあ、嬉しそうな顔なので、よしとしましょうか。

 という訳で、一度限りの練習舞台、開演です。


「春の国の王子様、約束を覚えていますか? 冬の間は、共にいると。

春になれば、私は北へ帰らなければならないと。私は帰るのです」

「えーと……覚えている。けれども、僕は受け入れられない。

僕は……僕は……!」

「さようなら、私の王子様。春の国の王子様。

私は雪の国に帰ります。あなたと過ごした一時は、一生忘れません」

「えっと……待ってくれ! 雪の天使!」

「何をなさいますの!? お離しください! 皆が待っています!」

「えー、……離さない、離さない。この手を離すものか!

聞いておくれ、北の雪の天使。僕は君に恋をしてしまった。この思いは止められない」

「お戯れを。ひと冬の恋など、雪解けとともに消えましょう」

「君に再会したら、告げたい言葉があったんだ。

愛してる、愛してる。僕の天使、アンジェリーク。僕は君を愛してる」

「……はい、これが幻の第二幕の見所の一つ、王子が告白する場面です」

「いや、素晴らしいですね。成り行きとはいえ、幻の舞台を初めて見れた私は、幸せものです。

レオのワガママに付き合ってくれて、本当にありがとうございます」


 私は宰相の子息殿の拍手を受けながら、レオナール様に右手を捕まれていました。

 上からレオ様の声がふってきます。


「しかし、演じているはずなのに、まったく違和感がないな。自然と納得してしまう。

お前の外見は、北地方の美人の代名詞、雪の天使そのものだし。

名前だって雪の天使と同じ、アンジェリークだからかもな」

「昔から雪花旅一座の座長の最初の娘は、アンジェリークと名付けられることが多いんですよ。だから、私の母も、アンジェリークです。

納得されたら、右手を離して帰ってください」

「お前は人付き合いが悪いな。僕は余韻に浸りたいんだ、もうちょっと、色々な場面を見せてくれ」

「お断りします。一回だけと申し上げました。私は疲れているので、寝たいんです」


 思わず、レオ様を見上げて、睨んでしまいました。さっさと手を離してくださいよ!


「そんなに怒るな、女は笑顔の方がいいぞ? ほら、これで機嫌を直せ」


 そう言うと、突然、腰に手を回されました。一気に引き寄せられ、レオ様と密着しました。


 いや、あの、今のって、何?

 なにやったの?

 えーと、えーと?


 パニックですよ、理解不能です。レオ様の行動が意味不明。


「……レオ、離れてあげてください。アンジェがオーバーヒートしているようです」

「はあ? 額に口づけをしたくらいでか? 他の婚約者候補たちは、大喜びするぞ?」


 宰相の子息殿に言われ、レオ様は両手を離してくれたのですが、急に支えを失った私は床に崩れ落ちてしまいました。

 驚きすぎて、腰が抜けたようです。


「アンジェ!?」


 えーと、えーと? 上手く思考が回らないのですが……レオ様が口づけた?

 額に口づけをしたらしい?


 ……あっ、マズイ。理解するんじゃなかった。

 恥ずかしさのあまり、顔に血が登ってくるのが分かります。

 レオ様に文句を言いたかったのですが、うまく言葉が出てきません。


「レオ、やり過ぎたようですよ。文句を言いたいのに、言えないアンジェになっています」

「あー、もう、調子狂うな。ほら、立てるか?」


 無理、無理、無理無理!

 腰が抜けてるのに、立てるわけないでしょう!


 ようやく思考は回りかけたのですが、言葉がうまく出てこないので、首を小さく横にふりました。


「ちっ、仕方ないな」

「ちょっとレオ、それは逆効果……」


 宰相の子息殿が止めるのも聞かず、レオ様はしゃがみこみ私を抱き上げました。

 世に言う、お姫様抱っこで、私のベッドに運ばれたのです。


 再び、パニック到来ですよ。身体が石みたいに固まりました。

 なんで、私、こんなことになっているんでしょうか!?


「ほら、ベッドに着いたぞ。落ち着いたら、さっさと寝ろ」


 レオナール様と宰相の子息殿が口々に言うのですが、あんまり理解できません。


「額に口づけたぐらいで腰抜かすか? 本当にお子様だな。おい、涙目で睨むな、僕がいじめたように見えるじゃないか!」

「まあ、まあ、レオ、落ちついて。しかし、広い世の中には、アンジェみたいな子もいるんですね。驚きましたよ」

「……やりづらい。年頃の女なら、あそこで微笑んで、ちょっとワガママを言いつつ、機嫌を直すもんなのに。

もうちょっと、貴族の立ち振舞いを勉強しろよ、アンジェ! こんな弱点があるんじゃ、将来が心配だ」

「まあーね。王都の貴族のご令嬢なら、恋の駆け引きを楽しめるんですが。

アンジェは、一年前まで田舎暮らしの貴族ですからね。私やレオの婚約者候補たちと比べてはいけませんよ」

「ちっ、じゃあな、アンジェ。さっさと寝ろよ」

「むしろ、胃痛を発症しないか心配です。今日は、ゆっくり寝て、明日に備えてください。おやすみなさい」


 言いたいだけ言うと、お二人は部屋の外に出て、帰っていかれました。


 ……少しづつ、冷静になり、お二方の会話を反芻してみましたよ。

 貴族のご令嬢なら、王家の恋愛歌劇のような、親密な男女の語らいを行うのが当たり前のようです。


 うーん、それが貴族の常識なんですかね?

 私は、雪の恋歌のような、純粋無垢な恋人の語らいが好きですけど。

 まあ、今日は疲れたので寝ましょう。



※※※※※



 翌朝、レオナール様と宰相の子息殿が、妹のエルを連れてきてくれました。

 平常心さえ取り戻せば、いつもの私に戻りますよ。

 昨日のご行為に少し腹が立っていたので、レオ様に嫌み混じりの苦言を申し上げました。

 嫌みを言われて、向こうもムッとしたんでしょうね。本箱の整理を押し付けれました。


 執務室の本は数が多いですし、王子が適当にいれるから、ぐちゃぐちゃです。

 新しい秘書官殿も、まだここの整理までは手が回らないようですし。時間がかかりそうですね。

 片付け中の私は、隙だらけになります。そこにつけ込まれました。


 だから、何でいじめっこの笑顔を浮かべて、だきしめるんですか!

 額に口づけして遊ぶんですか、勘弁してください、レオナール様!


 とうとう緊張感に耐えらず、そのまま気を失ってしまいました。


 気がつけば、自室のベッドで横にされておりました。

 記憶をたどると、ふつふつと怒りがわきます。


 ……私は、王子様に遊ばれて、いじめられたんです。立場上、仕返しできないのが、悔しいです!


 悔しがっていた私の仇討ちは、下の妹がしてくれました。

 六才の子供ですからね、油断していましたよ。姉を慕う、末っ子の行動力を、甘く見ていたんです。



 私が気を失っていたので、今日は先代国王様の元で、可愛がってもらっていたようですね。

 王宮の使用人に連れられて、一度私の様子を見に帰ってきました。


 私の意識が戻って、喜んだ妹に、つい愚痴ったんです。

 レオナール様に、大きな本箱の整理を押し付けられて、いじめられた。

 ワガママな思い付きで、演技の練習もしてて、疲れて倒れただけだから心配しないでって。

 今日は、遊べなくてごめんね。また元気になったら、遊んであげるからねとも、付け加えてしまいました。


 妹は、子供なりに考えたようです。使用人に連れられて行った、王族の集まった晩餐会で、やらかしました。


「ちゃわらないで! あーじぇーおーちゃまをいじめりゅ、さいてーのおーちゃま、だいきらいでゅわ!」


 触らないで! 姉をいじめる最低の王子様、大嫌い!


 そう怒鳴って、エルを抱っこしようと、しゃがみこんできたレオナール様を平手打ちしたそうです。

 すぐに先代国王陛下の所に走りより、しがみつきました。先代様に抱っこされた妹は、平手打ちしたレオ様を指差して、堂々と訴えます。


「さいてーのおーちゃまが、あーじぇーおーちゃまをいじめりゅの! つかれてるのに、いじわりゅされて、また、たおれたの!

あーじぇーおーちゃま、いつなおるの? いつ、えりゅとあちょんでくれるの?

いつもわがままな、おーちゃまのおちごと、てつだってばかりで、つかれてるの。つかれてるから、あちょんでくれないの。

えりゅ、ちゃみしくて、かなちいでちゅわ!」


 最低の王子様に、姉がいじめられた。疲れているのに、いじめられて、また倒れた。

 姉は、いつ治るの? いつ、遊んでくれるの?

 いてもワガママな王子様のお仕事を手伝ってばかりで、疲れてる。疲れてるから、遊んでくれない。

 さみしくて、悲しい!

 

 そう言い切ったあと、妹は大泣きしたそうです。


 末っ子のエルは、よく人間観察をしていますからね。誰を頼れば力を貸してくれるのか、知っていたんですよ。


 青ざめたレオナール様。その後の晩餐会がどうなったかは、想像がつきますよね。


 

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