18話 後輩の秘書官ができました
私は王太子の秘書官ですが、将来は「王太子妃の秘書官」になることが決定しています。
十日前に、王太子の秘書業務を休ませてもらう宣言をしました。
前述のような事情もあり、急遽、王妃様の親戚から、新たな秘書官が選ばれます。
元々内務大臣の補佐を勤めており、倒れた父君の補佐をするために休職していた人物です。
現在は父君も持ち直し、王妃様からの打診もあって、秘書官を引き受けてくれました。
休日の今日は、王妃教育がすべて休みで、王子の婚約者候補の方々も、王宮に来られていません。
下の妹と一緒に、王子の執務室で側近の方々と共に、食後のお茶会に参加させていただきました。
「うん? 僕の理想か? 気高くて麗しく、誰に対しても慈愛を持つものだな」
我が国の王太子、レオナール王子は、夢見がちでロマンチストです。
理想の恋人像があるそうで、よく側近の方々と会話をされているようです。
私からも理想をお伺いしてみました。予想通り、おバカさんの回答でしたね。
「レオナール様、それは理想の王妃像ですよね?」
「だから、理想だろう?」
「レオ様が言ったのは、理想の恋人でも、伴侶でもありません」
「僕の理想は、母上のような王妃になれる女が一番と答えただろう」
私が突っ込むと、王子も、側近の同僚たちも、変な顔をしました。
……これは、アレですね。性別の違いから来る、認識の違いでしょうか?
きちんとご理解いただけないと、私は秘書官の仕事ができません。
「私がお聞きしたのは、王子としての、理想の王妃像ではありません。
レオナール様と言う、男性個人の理想の恋人もしくは伴侶についてですよ」
「母上のようになれる嫁が理想だ」
「……分かりました。王子の理想の恋人は、おとぎ話の姫君ですね」
「ちょっと待て、僕は真面目に答えたんだぞ? なんで、おちょくられないといけないんだ!」
「おちょくっていません。私も真面目に答えております」
私と王子の意見は、平行線をたどります。
現実主義者とロマンチストの会話は、なかなか交わりません。疲れます。
同僚の側近たちは、レオ様と私の会話を黙って見守りました。
私は口達者ですからね。下手に王子を庇うと、手酷くやり込められると学習したようですよ。
「あのですね、もう少し具体的に答えてください。見目麗しくと言われても、幅広いんです。
北地方生まれで色白のうちの妹も見目麗しい部類に入りますし、南国の小麦色の健康的なご令嬢も、見目麗しくなります」
「もっと範囲を絞り込めということか?」
「はい」
ようやく、ご理解いただけたようです。仏頂面になって、腕組みしました。真剣に考えております。
しばらくして、母君そっくりの青い瞳を輝かせて、お答えになられました。
「外見は、やっぱり母上だな。印象的な青い瞳、白い肌は譲れん!」
「レオナール様。外見で選んで失敗した前回を、お忘れですか?
それに外見の差違は、個性ですよ。中身は素晴らしい方々なのですから」
「……そうだな。わかった、今の発言は取り消す。
髪や瞳の色には、あんまりこだわらん。肌は白い方が好みだが、健康的な小麦色の肌も捨てがたい」
「なるほど」
前回の婚約者候補のお二人は、確かに美しいのですが、頭お花畑とぶりっこでしたからね。
人間、外見よりも中身だと思います。
「それでは、性格は?」
「子供好きで、皆から好かれる者がいい。国民たちに心を配り、慕われ、慈愛に溢れた笑顔をふりまくんだ。
それから、深い知識を持ち、僕が迷いしときは相談に乗ってくれる。どれも、将来の王妃として、当然だな。
個人的には、僕に一途に思いを寄せてくれ、恥じらいもある……嫁としては当たり前のことだから、理想の条件から除去するがな」
「なるほど。食べ物の好みとか、趣味の希望なども、ありますか?」
「食べ物は、材料を育て、料理を作ってくれた者に感謝して、食べてくれるものが良いな。感謝を忘れて、粗末にして、平気で食べ残し、捨てる者は嫌いだ。
お前の領地に行った時に、どれだけ飢えで民が苦しんでいるか、見てきたからな。
趣味は、歌劇について、語り合える者が良い。お前みたいな歌劇団と関わりがあり、詳しく語れる者が理想だな」
「レオ様、普通の貴族のご令嬢は、平民の歌劇団と関わりがありません。
うちは、平民上がりの男爵家だったから、平民の母を奥方に迎えても問題がなかったんです。特殊な例ですからね」
「む……関係がある筋は無理か。ならば、歌劇の知識が豊富な方がいい。
子供のエルですら、星空行進曲や街中フーガを歌えるんだ。一緒に歌いたい」
「お言葉ですが、その理想を叶えられる貴族のご令嬢は、星の数の中で、一人いるかどうかでしょう。
星空行進曲はともかく、街中フーガ自体を知っている貴族が、身近に居ましたか?
私たち家族以外で考えてください」
「……いないな。もしかして、知らないのが普通なのか!?」
「はい、現実を認識してください。
私やうちの妹は、母が雪花旅一座の座長の娘だから、歌を教えられて育ったんです。
旅一座で扱っている歌劇の知識は、教えられたから、当たり前のこととして語れるだけです」
レオナール様の歌劇の知識は幅広く、マイナーな歌まで知っておられるのは、感服しましたよ。
「……なんだ、つまらん。歌劇の醍醐味は、演技と歌だろう!」
「貴族のご令嬢は、演技や歌は二の次で、物語の内容に酔いしれます。王道の恋物語に憧れ、白馬に乗った王子様に見初められる日を、夢見ておりますので」
「白馬に乗った王子なんて、ろくなやつじゃないぞ。王子の僕が言うんだから、間違いない。
相手に愛想笑いをして、おだてて喜ばせ、中身の薄っぺらい話を気長に聞いてやる、そんなやつだ」
「……婚約者候補の方々との会話は、それほど楽しくないのですか?」
「王妃希望のやつらは、中身が薄っぺらで、つまらん。かろうじてクレアが、留学先の東国の文化について語れるだけだ。
むしろ、側近希望のやつと話す方が楽しい。国の内情を分かっているから、税収減の原因についても、気楽に語れる」
「なるほど」
……どうも、王太子のレオナール様は、国政に興味がある伴侶がご希望のようですね。
ご自分では、自覚されていないようですが。
愚痴るお気持ちは、察しますよ。
文官のご令嬢や領主の私のような、国政に向いてる者は、王妃希望ではなく側近希望ばかりですからね。
「母上の装飾品が綺麗だとか、うわべしか見れん嫁はいらん。装飾を誉めた上で、どうやって作られているかまで、尋ねてくれる者が理想だ。
せめて宝石の産地くらいは口にして、尋ねて欲しかったぞ」
「実現不可能な理想は、捨ててください。
誰が一目で、南国の海の珊瑚だって、分かるんですか? 私ですら、わかりませんよ!」
「む……頭の良い、アンジェですら、分からないのか? なら、諦める」
「その頭脳の良し悪し判別で、私を基準にする理由は、なんですか?」
「たった三ヶ月の語学勉強で、三年間留学していたクレアと対等に話せる所を見たら、誰でも頭がいいと判断すると思うぞ」
沈黙で答えました。
……まあ、これに関しては、天から授かった才能なんでしょうかね。
自分では、よく分からないのですが。
「……それでは、理想の内容をまとめます。
子供好きで深い知識を持ち、国民のことを考える者。食べ物を粗末にして、残したり、捨てる者は嫌い。
歌劇は物語だけではなく、歌にも目を向けて欲しい。これでよろしいですか?」
「おい、ずいぶん短くまとめたな!? 僕があれだけ熱く語っていた内容が、短くなりすぎてショックを受けたぞ!」
「いらない部分を、そぎおとしただけです」
夢見がちなレオナール様は、ご自分の理想を長々と語る癖がありますからね。
王子が反論する前に、次の質問をしましょう。
「では、次の質問です。特別なときには、どのような衣類を着ていただきたいですか? レオナール様の衣類も一緒に、お答えを」
「……さっきから、細かい質問が多いな。なんかあるのか?」
「白状しますと、夏に行われる雪花旅一座の特別公演で、誰がレオナール様のお隣に座るか、婚約者候補の方々が火花を散らしています。そのときに着ていく服の参考にされたいようですよ。
舞台主演女優である私は茅の外なので、公平な情報提供ができるとして、王子の好みの女性や服装を調べてくるように、婚約者候補の皆様から頼まれております」
少し前、レオナール様の思い付きで始まった、婚約者候補たちに、我が国最古の歌劇団の特別公演を見せる計画。
現在、夏の実現に向けて、着々と進行しております。
レオ様ご希望の幻の特別公演は、北地方で生まれ育った、旅一座の座長の孫たちが演じていました。すなわち、私と上の弟が役者をしていた、オマケの子供の舞台です。
演じた当人たちの預り知らぬところで有名になり、王都では幻の特別公演と呼ばれていました。
私は二年ぶりの舞台に向けて、稽古の真っ最中です。
「……僕といとこだけ最前列で、婚約者候補たちは、まとめて後ろはダメか?」
「ならば、誰がお二人に一番近い席に座るか、もめますね。私は舞台上から、阿鼻叫喚の地獄絵図を見物させていただきます」
レオナール様は、嫌そうな顔になりました。
知りませんよ。ご自分で解決してください。
「では、お前の妹のエルを真ん中にして、両隣は僕といとこだ。将来の北の国の王子妃を、王子の僕らがエスコートする。
僕らの隣には、側近希望の女騎士を座らせろ。王族の安全確保が最優先としてな」
「新しい秘書官殿、きちんとメモをとってください。今回、私は関わりませんよ。公演の方に集中しますので。
それに、私はいずれ王太子妃の秘書官に配置がえになります。早く業務になれて、一人でできるようになってください」
私の言葉で筆記用具を取りだす、新米秘書官殿。後輩を鍛えるのも、私の役目です。
「ああ、女騎士がそこだ。それから、側近希望で、身分の低い者から並べていけ。
王妃希望のやつらは、身分の高い者ほど、遠くに追いやれ」
新米秘書官殿は、まだ業務になれていません。レオナール様の性格を、把握しきっていませんからね。
ちょっと横やりを入れておきましょう。
「レオ様、横から失礼します。その席順について、婚約者候補の方々に、どのように説明されますか?」
「簡単だ。身分の低い者の中には、歌劇を見たことが無い者もいるはずだ。王子として慈悲を与える。
そして、高貴なる身分の者は、歌劇を見慣れているだろうから、今回は側近希望の者の教養のために、譲ってやれとな」
「なるほど。新しい秘書官にお任せせず、きちんとご自分の口で、皆さんに説明してくださいね。婚約者の面倒くらい、責任を持ってみてください。
秘書官に任せた場合、婚約者候補の方々が納得しませんよ。絶対に秘書官に詰めよって、言葉の暴力をふるいます。私の体験談ですね。
新しい秘書官がお辞めになって、後任が決まらなくても、あなたが悪いです。その程度の見通しも立てられないくらいなら、王太子として失格ですからね」
「お前、相変わらずキツいな」
「うちの妹は、無責任なあなたの被害者ですからね。こんなに幼いうちから母と引き離され、どれだけ泣いたか、お忘れですか?」
「ぐっ……わかった。きちんと僕がやる」
「新しい秘書官殿。こうやって、王子に苦言を呈するのも、秘書の仕事の一つです。
夢見がちなレオナール様は、理想を追い求めるあまり、足元を確かめることを、しばしばお忘れになりますから」
「わかりました。秘書をはじめ、側近の進言を無視するようになれば、それは愚王への道を歩き始めた証拠ですからね。目を光らせておきます」
新米秘書官殿は、私の言い付けを少しづつ、覚えてくれています。口うるさい私とは違い、静かですが切れ者ですからね。
「そういえば、王立劇場の件は、どうなった?」
「一週間ほど、公演予定がなかったので、貸しきりで三日間押さえています。
王子と婚約者候補の方々が、初日の公演見物。二日目は王族と招待した貴族たち、三日目は王立学園の生徒の予定です」
ちょっと、待ってください。二日目と三日目って、なんですか?
「レオナール様、貴族と生徒って?」
「うん? アンジェに言ってなかったか? 雪花旅一座の幻の特別公演なら、ぜひ見たいって、王宮勤めの貴族や、学園の生徒たちが、僕に頼んできたんだ」
「……どうして、王宮勤めの貴族が、私のような大根役者の舞台を見たがるんですか? 王都の歌劇団の方が、よほど上手ですのに」
「お前は、自分の実力を過小評価しているな。
特別公演の噂は、治安維持支援で北地方に行っていた兵士たちから始まったんだ。兵士の中には、目の越えた貴族だっている。
その貴族が、子供が演じた特別公演を、『さすが雪花旅一座の役者だ。まだ子供なのに容姿も演技も、王都の歌劇団に迫るものがある』って、褒めてたぞ。
皆が見たがって当然だろう。だから、三日間やれ。命令だ」
「……ならば、全幕公開は、一日一回にしてください。それ以上は、自分の身体に自信がありません。私があまり丈夫でないのは、ご存じでしょう?」
「……しかたないな。それでいい、開演前に血を吐いて、中止になったら一番困る。
開演は、午後一回だけだ。そのつもりで、体調を整えろ」
「それなら、構いません」
レオ様は、ぶつぶつ文句を言いながらも、あれこれと指示を出していきます。
手際はいいですよ。理想のために策を張り巡らして、実現する行動力をお持ちなので。
今回の三日間公演は、わざと私に黙っていたのでしょうね。断れないように退路を塞いでから、やっと伝えたのだと思います
レオナール様は側近たちと、細かな打ち合わせをはじめました。
相談が終わるまで、気長に待ちましょうか。質問が残っていますし。
※※※※※
「……うん? アンジェ? お前、まだ居たのか?」
「はい。レオナール様が歌劇の当日着ていく服を、お答えしてくれなかったので、お待ちしていました」
計画に夢中になっていたレオナール様は、私と妹の存在を忘れていたようです。
新しい秘書官殿が声をかけてくれ、ようやく私たちに意識が向きました。
「服か……白にする。白は僕の好きな色だ。雪の恋歌の雪にちなんで、ちょうどいいだろう」
「あの……エルは、藍染の服を着るかもしれませんが、よろしいですか? 昨日、領地から夏用の布地が届けられて、これでワンピースを作ってと駄々をこねるんです」
「……藍染か。なら、白か青系を基調にした服装にしろと、皆に通達を出せ。女騎士のようなものは動きやすさを求めるだろうから、服装は個人の良識に任せる。
希望者にはエルとお揃いの藍染布地を、王家が準備するとも伝えろ。
アンジェ、服は用意できるな? もちろん、代金は払う」
「あー、貴族が着るようなドレスは、厳しいですかね。田舎職人では、王都の洗練された職人のような仕事はできません。
布地はすぐにでも準備できるので、服飾職人はレオ様が頼んでください」
「うん? お前、この前の舞踏会で、藍染のドレスを着ていなかったか?
お前の体型にあわせてあるのか、全体的にほっそりしたドレスだったと記憶している。
膝から下にスリットが入っていて、王都では見たことがないデザインだっただろう」
「自分で作れば、自分好みで体型にあった服を作れますよ。当たり前じゃないですか」
「……お前、服が作れるのか!?」
「何驚いているんですか? 旅一座の役者は、すべての衣装を手作りするんですよ? 座長の孫の私が作れて、当然でしょう。
今着てる私の服も、エルのワンピースも、この前の舞踏会のドレスも、自分で作りました」
「……特別公演を夏休みにしたのは、衣装準備もあったからか?」
「はい。二年前と比べて、私と弟はずいぶん成長しました。衣装を作り直さなければなりませんので」
二年前の舞台衣装は全部、手作りです。母や上の弟と一緒に作りました。
うちの下の弟が、手職を身に付けようと思い立ち、北国の難民から刺繍を習ったのは、母や私たちが裁縫をしている姿を見たからですね。
服飾職人に任る王子や、貴族のご子息の側近の方々には、想像できない世界でしょう。
服は自分で作るものではなく、誰かに作ってもらうものと思っていますから。
「レオ様、希望者の服の手配は、いかがしますか?」
「服飾職人は、王室御用達の工房に頼む。布地は、お前の領地から取り寄せる」
「かしこまりました。女性はこだわりが強いので、布地は届いた実物を見せて、ご自分で選んでもらう方式にします。
デザインについては、服飾職人の方とあわせて、ご本人に決めてもらうことを提案します」
「あー、デザインか……王妃希望のやつらは、特にうるさいからな。
布地だけお前の領地から取り寄せで、服飾職人は、各家のお抱えの者に任せてもいいかもしれん。
まあ、その辺りは、あいつらに付き合ってやる。気は進まんが、将来の嫁のご機嫌取りも、将来の夫の勤めだからな」
……これに関しては、反論ができませんね。私も、妹も、買い物の時間が長いので。
「なあ、舞台衣装は、どれぐらい出来ているんだ?」
「完成しているのは、一着だけですね。雪の天使の幼少時代の衣装は、白いワンピースなので、作るのも簡単なんです。
それ以外は、裁断ができていません」
「なら、その一着だけで良いから、見せてくれないか?」
「構いませんが……遅れている公務書類、及び提出期限が迫っている重要書類、すべて終わってからですよ?」
「わかっている。よし舞台の段取りも一区切りしたし、頑張るぞ!」
やる気を出したレオナール様は、ようやく執務机に向かわれます。
視線を巡らせると、新しい秘書官殿をはじめとする、側近たちに拝まれました。
最近、歌劇「雪の恋歌」の話ばかりして、書類が遅れがちだと新しい秘書官殿から聞きました。
弁論では私に劣りますが、レオナール様に似て、策士の秘書官です。
舞台主演女優である私に、立場を利用して、仕事をたきつけるように依頼してきましたからね
婚約者候補の代表として、レオナール様の女性の好みを探らせてくれるならば、協力すると取引しました。
新しい秘書官殿は、レオ様に内緒で王妃様に相談したようです。
本日の王妃教育を全部お休みにしてもらい、私がレオ様と直接話しても自然な状況を作り出しました。
なんとも有能な新米秘書官ですね。暗躍しながら、将来の国王を支えてくれるでしょう。
頼もしい後輩を持てて、私も一安心です。