1話 秘書の仕事は、胃痛との戦いです
私の肩書きは「王太子の秘書官」です。
現在は、王太子となられたレオナール王子の婚約者を決める業務に携わっており、将来は王太子妃の秘書官になると思われます。
公的な仕事は、王子の補佐で間違っていません。
……ですが、実質的な仕事は、王立学園に通う、王子の婚約者候補と側近候補の不始末をフォローすること。
集団さぼりと思わしき、貴族の一団。自習監督の先生をごまかして、心当たりを探していました。
本来なら、自習授業をしている時間で、全員、教室に居るはずなんですよ。
なのにどうして、中庭にいるんですかね?
「……皆さん、こんな所で何をなさっているのですか?」
「見ての通り、お外でお茶会の自習ですわ。アンジェ秘書さん」
貴族のご子息、ご令嬢に囲まれ、のんきに返答する公爵令嬢。私のため息の理由を、察して欲しいです。
「あら、ごきげんよう。口うるさい腰巾着さん」
「私は腰巾着ではありません」
「じゃあ、馬の落とし物か?」
「王家の犬だろう」
「どちらも違います」
小ばかにした伯爵令嬢の声に、律儀に返答しましたよ。すると、側近候補からヤジが飛び、笑いがもれました。
粗野な言葉が飛び交うことに、公爵令嬢は眉をひそめておりましたが。
今まで幾度も繰り返された、茶番劇。そろそろ、飽きました。
このおバカさんたちの相手をしていると、毎回、胃痛がしてくるんですよ。
上司からの命令だから、言い返さずに黙っていますが、いつまで続くんでしょうか。
そろそろ、終止符を打ちたいです。私の胃が限界を迎える前に。
ちらりと周囲に視線を走らせると、上司と目が合いました。
わざとらしく右手でお腹を押さえ、視線に力を込めて訴えましたよ。
『もう命令に背いてもいいですか?』
『我慢しろ』
『涼しい顔をして受け流しているように見えても、結構、キテるんですよ。胃に!
私の胃に穴が開いたら、責任取れないでしょう?』
『……仕方ない。許す』
うむうむ。眼力は通じたみたいです。渋々と言う感じで、相手は頷いてくれました。
さて、お許しは出ました。おバカさんたちに、お仕置きしておきますか。
ずっと嘲笑されて、私がただ黙っていると? おめでたい方々ですね。
「……常々思っておりましたが、ここにおられる候補の方々は、本当に記憶力が無いようですね。記憶力が無いから、自習の意味も忘れてしまうのですよ」
おバカさんたちが睨んできました。いつも沈黙を通す私が、珍しく反撃したからでしょうか?
向こうが口を開く前に、潰しておきましょう。
「よろしいですか? 私は王家の腰巾着などではなく、王家の公認秘書官です。
真実も捕らえられず、国王陛下が定められた役職も正確に覚えられぬうつけ者が、栄えある王立学園に在籍しているとは、誠に嘆かわしいことですよ。
あっ、私のような優秀な頭脳を持たない方々が、ご理解なさるなど、逆立ちしても無理でしたね。失礼しました」
ここで必殺、憐れみの視線。
私よりも優位な立場と思っているおバカさんたちに、学年首位の余裕を向けて差し上げました。
おバカさんたちが何か言ってきましたが、聞き流します。
品の無い言葉使いは、王立学園の生徒として、恥ですよ。状況把握していない、おバカさんたち。
どこに人の目があり、どこに人の耳があるのか、分からない世の中。
自分で自分の首をしめている事に、気づかないのでしょうか?
「……なんとも、粗野な言動をなさる方々ですね。才知ある王立学園の生徒とは、到底思えませんよ。
これが王子の側近候補と、婚約者候補とは、誠に嘆かわしいことです」
本音を包装紙に包んで、口に出しましたよ
おバカさんたちと、一緒に居たくなかったんです。
「あなた方に忠告しますが、時間外れのお茶会より、教室での自習に戻られた方がよろしいですよ。
先生には、『先ほどファム嬢が落とし物をされたようなので、探す手伝いを申し出てくれました。
優しい方々なので、時間を忘れてしまったようですね。責任を持って、探してきます』と伝えてありますので。
それで、落し物は、見つかりましたか?」
見目麗しい、子爵令嬢の動きが止まりました。あなたが、公爵令嬢の持ち物を盗んだことは、知っていますよ。
頭お花畑の公爵令嬢は、隙だらけですからね。
「落とし物? あら? わたくしのハンカチがありませんわ」
「はい、そちらのルタ嬢たちには、心当たりがあるようで、外に探しに行ってくれたようなのです」
さっきの休み時間、伯爵令嬢の取り巻きたちが、子爵令嬢を伴って、公爵令嬢の席に集まっていたわけですよ。
私が近づいたら、そそくさとは離れましてね。子爵令嬢は青ざめた顔で、教室から出ていかれました。
公爵令嬢の蓋のしまってないカバンと、子爵令嬢の行動を付き合わせれば、あとは想像できますよね。
この悪事を働いた犯人たちは、被害者の公爵令嬢と、のうのうとお茶会。本当に、女性の神経は図太いです。
「……はい、どうぞ。さっき拾いましたの。地面に落ちていたから、泥がついておりますけど」
きっと、あなたが土足で踏みつけたから、ぐちゃぐちゃドロドロなんでしょうね。子爵家のルタ嬢。
自分でやったのか、やらされたのか、知りませんが。
「あら、ありがとう。でも、わたくしに必要ありませんわ。汚いんですもの」
はあ? 何を言ってるんですか、この人。
王子からの贈り物ですよ、わかってます?
「ファム嬢、今の発言はどうかと思いますが。そのハンカチは、王子の……」
「ええ、レオが、わたくしの服が飲み物で汚れた時に、くださったものです。だから、ルタさんに差し上げますの。
下賜と行った方が良かったかしら? 高貴なる者が、身分の低い者に物を与えることですのよ」
……やらかしてくれました。空気が凍りましたよ、ハイ。
公爵令嬢は、この場にいる生徒の中では、貴族としては最高位ですからね。
上から三番目の伯爵と四番目の子爵が、敵う相手ではありません。
「あら、嬉しくて声が出ませんの?
ほら、ルタさんは一応、王太子妃候補ですし、その他大勢の人と同様に、殿下に憧れてるんでしょう?
でもご身分が違うから、レオとお話しすることも、なかなか叶いませんものね。
せめてレオが使っていた物くらいは、慰みにお持ちになっても、許されると思いますの。
それでは、わたくしは先に教室に戻りますわね。
後片付けは、秘書さんがしておいてくださいな。将来、わたくしに仕えるんですもの」
ちょっと、どこ行くんですか公爵令嬢殿。
後片付けをしておいて、じゃないですよ、頭がお花畑さん!
……えっと、もしかして、これも仕事なんですか? そっと、上司に視線を送ります。
『お前に任せた』
はいはい、やります。やればいいんでしょう。
私しか居ないですよね、不始末をフォローできるのは。
「ファム嬢、『落とし物のハンカチが見つからず、帰ってきた』と、先生に伝えてください」
「分かりましたわ」
……とにかく、頭お花畑の方は片付きましたね。
残りも、なんとかしなくては。
絶句と言うより、怒りで震えている子爵令嬢。仕方ないので、真っ正面から告げました。
「ルタ嬢。一度だけしか言いません、きちんと聞いてください。
ハンカチを洗濯して、綺麗にしてから、レオナール王子に渡すとよいでしょう。
ファム嬢から渡されたけれど、王子からの贈り物だときいたのでと、理由をつけて……」
「何、言ってるのよ? 男爵風情が、命令しないで!」
……要注意言動、発見ですね。ぶりっこの素が出ましたか。
子爵令嬢は、自分の方が上と思うと、高飛車に言う性格なんですよ。
私は貴族の最下位、男爵なので、子爵よりも地位が下です。秘書として会話するとき、どれだけ横暴な物言いをされたか。
「王太子の秘書官として、申し上げるべきでしたか? あなたは、王子と会話できる機会を手に入れたということです」
「……レオナール様と会話?」
「はい。あなた自身もご存知の通り、王子の婚約者候補の一人です。婚約者候補には、王子とお会いできる機会は、身分を問わず、均等に与えられますので」
「ちょっとお待ちなさい。わたくしも婚約者候補だったはずですわ!」
あー、伯爵令嬢が、うるさい。おバカさんの相手は、疲れます。
胃がキリキリ。我慢、我慢ですよ、私。
身の程を分からせておけば、今日の仕事は終わりなんですから!
「残念ですが、あなたは、先ほど王太子妃候補から外れました。人のことを、『腰巾着』などと呼ぶ粗野な王妃なんて、考えられませんよね?
そちらの方々も、同じ理由です。王子の側近の資質どころか、人間として、倫理的な部分が欠落した者に、国政が勤まるとでも?
先ほど、私の事を嘲笑しなかったのは、公爵家のファム嬢と子爵家のルタ嬢だけです。あの瞬間から、側近候補と王太子妃候補はしぼられたのですよ。
私をあざ笑うことは、私を王太子の秘書官に任命された国王陛下のお心をあざ笑うと、同じですからね。ご自分の言動を、振り替えるべきです」
吠えたてる、おバカさんたち。負け犬はよく吠えると言うけど、本当のようですね。
ええ、聞き流しましたよ。言いたいだけ、言えばいいのです。
「……その辺にしておいたら、いかがですか? レオナール王子も、あなた方の言動を、ご覧になっておりますよ。
今の時間、一学年上の王子たちは美術をしていますからね。二階の渡り廊下から、中庭を写生されようと見下ろして、たいそう驚かれたことでしょう」
おバカさんたちの背後を指しました。
見えますか? 冷たいまなざしで見下ろす、レオナール王子と側近の方々の姿が。
「……おい、アンジェがお前たちを補佐するのは、今回が最後だ。理由は分かるな?
分かったら、僕の前から失せろ!」
言い放ち、王子は窓に背を向けました。
立ち尽くす、おバカさんたち。レオナール王子、グッジョブです♪
「元候補だった皆さん、教室に戻ってください。お茶会の片づけは、私がしておきます。
教室に帰ったら、先生に落とし物は見つかったと言って、ルタ嬢がお持ちのハンカチを見せてください」
生ける屍の足取りで去っていく、おバカさんたち。因果応報ですよ。
「ルタ嬢。王子とお会いになる決心がついたら、明日以降に、私へお申し付けください。
それから、私は持病の腹痛が出たので、医務室に行ったと先生に伝言をお願います」
「分かりましたわ、アンジェ秘書」
きゃぴきゃぴ、ルンルン。スキップして移動していく、子爵令嬢。
……胃痛がひどくなりますね、まったく。
王子の婚約者候補でなければ、こんな人、相手にしませんよ。
渡り廊下に視線をやれば、王子たちが、再び見下ろしておりました。
そばにいる騎士団長の子息殿は、視線が合うなり、敬礼してきましたし。
……敬礼よりも、片づけを手伝ってください。どこから持ちだしたんですか、このティーセット。
医務室への道のりは、本当に遠いですよ。