音門
玄関から勢いよく飛び出ると、清々しいくらいの白い雲が空には浮いていた。普段であれば、いい天気だとのんびり上を眺めるかもしれないが、今の咲にとっては嫌味のように感じられた。
時刻は8時25分。家から学校までは徒歩で30分かかる。本来なら走っても間に合わない距離だ。
玄関を出た咲は足に魔力を集中させ全力で走った。次に両目に魔力を集中させ右手の親指と中指でそれを整え、瞳の大きさほどの魔方陣を二つ形成した。次の瞬間、魔力を集中させた足で地面を思い切り蹴り、高く飛んだ。トゥーンの隣街であるファンタジアが一望できる高さだ。すると咲はソフィア学園の方向へ目を向けた。
両目の魔方陣がゆっくりと回りだし、あるところで止まった。その瞬間咲は魔法を詠唱した。
「【光速移動〈ライトポート〉】」
すると咲の身体は白い光に包まれ、一瞬にしてその場から消えた。
そこから数キロメートル離れた空中に白い光が現れると、光はすぐに消え、そこには咲の姿があった。
先程は見えなかったソフィア学園の校舎が咲の視界に入った。
【高速移動〈ライトポート〉】は光の速さで空間を移動できる光属性の魔法だ。移動できる場所は使用者の技術によるが、ほとんどの魔法師は数メートルほどしか移動できない。今回の咲の場合は目に形成したレンズの役割を担う魔方陣と併用させ、ピントの合った場所に移動した。
咲は少し微笑みもう一度〈ライトポート〉を唱えた。
身体が光に包まれ、一瞬にして消えると、次に咲の姿が現れたのは校舎前だった。
そこからは走って教室に向かった。
教室のある通りに来ると音門の姿があった。
「音門教授」
「栗原さん。おはようございます」
声をかけた咲に音門はあいさつを返したが、少し浮かない顔をしていた。
「おはようございます。どうかされましたか?」
「いえ、少し意外だったというか...」
「意外?何がですか?」
「...結構ギリギリなんですね、来るの」
「うっ...」
「栗原さんはもっとしっかりしてる子だと思っていました。勝手なイメージですが」
「すみません...教授の研究に迷惑はかけませんので」
「いえ、そういうことではなく、ちょっと安心したんです。栗原さんも普通の子どもなんだと思って」
音門のその言葉に咲はくすっと笑った。
「普通じゃないと思ってたんですか?」
「はい、こういう言い方は好きではありませんが、栗原さんは普通ではありません。しかしそれは栗原さんに限ったことではありません。私だってそうです」
「教授...」
「あっ!それから、これから教授ではなく、先生って呼んでくださいね。ここでは研究者じゃないんですから」
いたずらに笑ってみせた音門に、咲は微笑した。
「わかりました、音門先生」
お互いに笑い合っていると鐘の音がなり、二人は教室に入った。
咲が席に着くと、音門は教壇に立ち、あいさつをした。教室中があいさつを返すと音門は連絡事項を伝え始めた。
そんなことは聞いてもいなかった咲に隣にいた真理がひそひそとした小さな声で話しかけてきた。
「おはよう咲くん。随分ギリギリだったね」
「うん、ちょっと寝坊しちゃって」
起きたのはほんの10分前なのだからちょっとの寝坊ではない。咲でなかったら遅刻は免れなかっただろう。
音門は連絡事項を済ませると教室を出ていった。
生徒たちは次の授業の確認をすると授業が行われる教室へと向かった。
「私たちも行こ、咲くん」
「そうだね」
そう言うと咲と真理も教室を出ていった。
授業が行われる教室へ着くとそこはクラスルームより一回り大きく、他のクラスの生徒もいた。とりあえず空いた席に着こうとしていた時、そこには綺音と礼奈の姿もあった。真理が声をかけ四人で固まるように席に着いた。
鐘の音が鳴ると授業担当の先生が入ってきた。音門だ。
咲は昨日の校長室での会話を思い出していた。咲の関わる全てに音門が携わると。
授業などまともに受ける気などさらさらなかった咲だが、音門が担当とあらば話は別だった。
音門は教室の真ん中に立つと部屋全体を見渡し、咲の居場所を確認した。
「おはようございます。今年度皆さんの『ウィザーディングプロセス論』を担当する音門です。よろしくお願いします」
憧れである音門の授業を受けられる喜びと同時にに、モヤモヤとした晴れ切らない違和を咲は感じた。