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06 荒神


 三人は隔壁通路を抜け、エレベーターホールに出た。

 ちょうど開いたエレベーターから医師達とストレッチャーが飛び出して来た。

 入れ替わるようにエレベーターのかごに乗り込む。


「博士」


 アイラーは操作キープレートを指し示した。

 朝比奈は手を伸ばすが、指先を震わせ躊躇ためらっている。

 監視の兵士の一人が気づき、こちらに顔を向けた。


「押すんだ」


 囁くアイラーの言葉に、朝比奈博士はまだ逡巡しゅんじゅんする。


「……わ、私は」


 兵士がSMG(サブマシンガン)のスリングを肩から外し、足を踏み出す。


「どうしました?」


 アイラーは無言でプレートをタップし数字を入力した。

 近づく兵士の目の前でドアが閉じる

 エレベーターは下降を始めた。


「どうして、下だと?」

 朝比奈は顔を伏せた。


「この円筒シリンダーは闇を封じるためのもの。それくらいはわかる」

 アイラーは天井を仰ぎ見た。

「愚かなものを作ったものだ……」


 エレベーターが停止する。


 開いたドアの外を見て、サラは短く悲鳴を上げた。

 ドアの向こう側には、濃密な暗黒の空間が広がっていた。

 エレベーターの照明が足元から延びる細い通路を照らしているが、ほんの数メートル先からは完全に闇に呑み込まれてしまっている。

 恐ろしくてとても足を踏み出す気にはなれなかった。


あま戦場いくさば

 アイラーは呟くと、闇を見透かした。

「ここかと思ったが……」


 朝比奈は押し黙っている。

 アイラーはにやりと笑うと、老人の顔を覗き込んだ。


「案内しろ、荒神の元へ」


 朝比奈は諦めたように深く息を吐いた。キープレートに触り、階数を入力する。プレートが赤く明滅して警告音声が発せられた。


『立ち入り禁止区域です。認証が必要です。立ち入り禁止……』


 朝比奈がパネルを操作すると金属の壁がスライドして認証装置が現れた。

 老人は装置に目を当て、名前を名乗った。


『朝比奈博士を認証しました』


 赤い警告灯が消え、ドアが閉まる。

 かごは再び動き出した。

 長い下降時間があり、ようやく停止する。



 ドアが開くと、金属の壁で囲まれた小部屋があった。

 エレベーターを降りたサラは気温の低さに身震いした。

 吐く息が真っ白い霧になっている。


「ここに、防寒装備なしで来るとはな……」

 朝比奈は白衣の襟元を重ね、アイラーを振り返った。

「長くはいられないぞ」


「気にするな」

 アイラーは唇を歪めて笑った。


 部屋の奥に背丈ほどもある分厚い金属扉がある。

 博士を認証すると、扉は重々しい機械の駆動音が響かせスライドを始めた。

 金属扉は奥に向かって何枚も重なり、重い軋み音を立てて次々に開いて行く。


 開いた通路の奥に、小型の昇降リフトがあった。

 永く使われていないらしく、あちこちの塗装がひび割れめくれ上がっている。

 操作パネルに朝比奈が暗証番号を入力すると、リフトはがくんと揺れ、降下を始めた。


 太い金網の張られたシャフトの中をリフトはゆっくりと降りて行く。

 外部は暗く、太いダクトや機械類の輪廓がおぼろげに見えるだけだ。

 気温がどんどん低くなり、サラはスーツの襟を立て、腕を組んだ。それでも寒さに耐えきれずに歯が鳴り始めた。



 リフトが停止してドアが開く。

 サラはあまりの寒気に一瞬、気が遠くなった。

 リフトの外側には金属パイプで組まれたキャットウォークのような狭い通路が伸び、その周囲は白い冷気が轟々と滝のように流れ落ちていた。


 通路の先に、赤錆びた鉄製の貨物コンテナがあった。

 コンテナは支持材で上方から固定されている。いや、リフトデッキである通路自体も同様で、巨大な構造物から吊り下げられているのだった。


「こ、ここは?」

 通路を進みながら、サラは訊いた。


「ラボ・タワーの、底だ」

 背を丸めた朝比奈は声を震わせた。

「円筒形のラボ・タワーは、巨大な垂直孔の中に、保持されている」


「それでは」


 サラは足元に眼を向けた。全く見ることができないが、暗闇の先には、深く穿たれた穴が続いているというのか。


「いざとなれば、切り離して、穴に落とす」朝比奈は言った。


「かっ!」

 アイラーは嘲るように声を上げた。

「よほど懲りたらしいな」


「三十年前、のことだ」

 老人は激しく震えながら言った。

「ラボ・タワーは、在日米軍から、局地核の攻撃を、受けた」


「えっ?」

 サラは叫んだ。そんな事実は聞かされていない。


「地上で、核攻撃を受けるわけには、いかない」

 老人は咳き込み、苦しげに息を吸った。

「もう、二度と」


「穴の深さは?」アイラーが訊いた。


「自動削屈機が、今も、掘り進んでいる」


「なるほど、この冷気は冷却のためか」


 朝比奈の身体がよろめいて金網の側壁にぶつかった。

 アイラーは手を伸ばして白衣の襟首を掴み、人形のように軽々と朝比奈を吊り上げた。


「そんなに寒いか? 死にそうなのか?」

 アイラーは楽しげに笑い声を立てた。

「まだだ。眼を見開け!」


 朝比奈は弱々しく呻き声を上げた。


「最後の扉だ!」

 アイラーは吊り上げた老人の身体をコンテナの扉に押し付け、サラを振り返った。

「カバーを開けろ」


 サラはふらつく足を踏みしめて前へ進み、すがるようにコンテナの壁に取りついた。操作パネルカバーは霜と氷で覆われている。サラは爪を立てて氷を剥がした。爪が割れたがサラは気がつかない。

 カバーを押し上げると操作パネルが露出する。アイラーに吊り下げられた朝比奈が、パネルのキーを震える指で押した。 


 コンテナ壁面の細いドアが軋みながら内側に開いた。

 人ひとりが通れる狭さだ。アイラーは朝比奈とサラを押し込むと、自分も後に続いた。


 コンテナの中は暗く、何が置かれてあるのかはっきりとはわからない。

 サラは壁にもたれて荒い息をついた。

 鉄板の壁には氷が貼り付き、サラの頬を冷たく刺した。それでも外の冷気に比べたら暖かくさえ感じる。

 サラは震える手で服の上から身体を擦った。なんとかして体温を上げなくてはならない。しかし体内には僅かな熱量さえ残されていないように思えた。

 かすむ視界の隅に、床に倒れた白衣の朝比奈が見える。

 しかし助けようにも、もう身体が動かなかった。


「私は死ぬ……?」

 朦朧とした意識の中で、サラは呟いた。

「ここで……こんなところで……?」


 どこからか人の声がする。

 それは会話する声だった。アイラーと、もう一人。

 深く響く声と、暗く虚ろな声。


 どこにそんな力が残っていたのか、サラはよろばいながら壁を這い伝った。

 話し声が近づいてくる。

 伸ばした指先に何かのスイッチが触れる。


 サラは無意識のうちに、スイッチを押した。

 白い光が瞬き、天井の蛍光灯が点いた。


 蒼白い光の中にアイラーと、椅子に座った男が浮かび上がる。

 サラはよろめくように数歩進み、アイラーの傍らに座り込んだ。


「お前のやって来たことはなんだ」

 アイラーは厳しい口調で話している。

「唯の歴史の傍観者ではないか。そんなことのために我々が存在しているとでもいうのか?」


「我々は人の寿命では計れないものを見るのだ」

 椅子に座った男が答える。その声はこのうえもなく暗く、重い。


「見るだけか?」

 アイラーは吐き捨てた。

「つまらん」


「すべては大きな流れの中にある」

 椅子に座った男は言った。

「お前がここに来たことも、その流れの中にあるのだ」


「その流れの果てはどこにある?」

 アイラーは苛立ったように声を荒げた。

「それさえわからぬくせに!」


「故に、私は探求する」

 男は淡々と言った。

「摂理を隔てる壁の向こうに、その答えはある」


「異なる世界を隔てる壁を壊せば、何が起きるかわかっているはずだ。お前はこの世界を消し去りたいのか?」


「私は永い時間を生き、そして感得した。この世が無常であることを」

 男は静かに言った。

「だからこそ見たいのだ。無常の指し示す先を。すべての成り立ちである『対』の意味を」


「この世界を俺から取り上げるな」

 アイラーは声を上げた。

「俺は世界を変える。俺はその力が欲しいのだ!」


「お前は『神』にでもなるつもりか?」


 低く笑う椅子の男に、アイラーは訴えるように言った。


「俺は歴史を読み解き、その意図するものを理解した。それは宇宙の法則でもある。俺はこの世界を進化させることができるのだ!」


「お前のいう『進化』とは、上辺だけのものだ。そんなものには何の意味もない」


「なん、だと?」アイラーはかすれた声で言った。


「人の進むべき道はあの大いなる男が知っている」


偉大なる父(マーグヌム・パーテル)……」アイラーは呟いた。


「しかし、教えてもらってはいないようだな?」

 男は冷ややかに言った。

「確かに、お前では理解できないだろう」


「くっ」

 アイラーは唇を噛んだ。


「お前は空虚だ」

 椅子の男は完全否定の言葉を吐いた。

「本当は何も考えていない。考えられない。数百年生きただけで、お前はもう思索し続けることに耐えられなくなった。そして力を使い、人間の歴史にかかわろうとした。それがどういう意味を持つかも知らず、ただ自分という存在を確かめるために」


「言うな!」アイラーは声を震わせた。


「余計なことをするな。お前は『何かをしている』つもりになりたいだけだ」


「それ以上いうと、許さんぞ!」

 アイラーは拳を握りしめた。


「私を消しても流れは変わらない。種は蒔かれた」

 椅子の男は、低く声を落とした。

「障壁は、必ず開かれる」


 サラは顔を上げた。

 霞む眼を凝らし、二人の男を見上げる。


 椅子の男と対峙しているアイラーは、強い言葉とは裏腹に立ちすくむように身体を硬直させている。椅子の男の方が強い立場にいるように思えた。


 椅子の男に眼を向けたサラは、はっと息を呑んだ。

 肘掛け椅子に座った男は、頭から足先まで、全身が鑞か樹脂のような半透明の物質で塗り固められていた。


「哀れな姿だ」

 サラの視覚に感応したように、アイラーは口調を変えた。

「それが千年を生きた男の成れの果てか」


「千七百年だ」


「もう充分だろう、荒神」

 アイラーは首を振ると、憎悪のこもった暗い眼で椅子の男を睨みつけた。

「闇の求道者、死の僧侶よ。無明の世界を願い、数多の命を使って秘法を求めながら果たせなかったお前に、もう時間は残されていない。この上未練がましくまだこの世界に留まるつもりか?」


「まだ、終わってはいない」独白のように呟く声。


「終わりだ。お前の時代はもう終わったんだ!」


 荒神は僅かに顔を上げ、上目遣いにじっとアイラーを見つめた。朦朧としたサラの眼にも、アイラーがたじろぐのがわかった。


 アイラーは拳を男の顔に突きつけた。


「いや、ここで終わりにしてやる。この俺が!」


「できるのか、お前に?」

 荒神は初めて感情を見せた。口から放たれたのは、強烈な嘲りの言葉だった。

「まだ坊やの、お前に?」


「荒神—ッ!」

 アイラーは甲高い声で絶叫した。


 手を伸ばしてアイラーは椅子の男に掴みかかった。鋭い視線を遮ろうとするかのように両手を顔に押し当てる。


「く・た・ば・れ・ッ!」


 空間が歪んだように見えた。重ねた両の掌に見えない力が凝集され、荒神の頭部が歪にひしゃげる。

 その途端、アイラーは弾かれたように後ろに吹き飛ばされた。


「くそっ!」

 アイラーは鉄の床を叩き、唸りながら起き上がった。

「どこにまだそんな力が!」


 壁際に消火器が置かれていた。

 アイラーは金属ボンベを抱え上げ、荒神の前に立った。


「そんなものを」

 荒神は吐き捨てた。

「無様な」


「なんとでもいうがいい! お前はここでくたばるんだ!」

 アイラーは憎悪に顔を歪めた。

「この、くそったれがぁぁぁぁぁ!」


「汚い言葉だ」

 荒神はアイラーを見上げ、冷笑を浮かべた。

「どこで憶えた、坊や?」


 アイラーは重いボンベを頭上に振り上げ、怪鳥のように絶叫した。


「きゃああああああああああ!」


 渾身の力で叩きつけたボンベが見えない壁に当たったように弾き返された。

 仰け反ったアイラーの手からボンベが飛ぶ。

 一瞬空中で静止したボンベは何かに弾かれたように猛烈な速さで壁や天井に当たり、狭いコンテナの中を跳弾のように跳ね回った。拮抗する二人の力がボンベを奪い合っているのだ。

 砲撃のような衝撃音が轟々と響き、コンテナが揺れ動いた。

 サラは轟音に頭を抱えた。


「がああああっ!」アイラーが叫んだ。


 サラは強烈な力で床から引き起こされた。

 立ち上がったサラの顔に跳ね返ったボンベが突っ込んでくる。サラは激突を悟って眼をつぶった。

 ボンベが空中で停止した。

 顔の直前、数ミリのところだ。


「!」

 アイラーが無言の気合いを放った。

 静止していたボンベは反転し、一瞬で荒神の頭部を直撃した。

 鈍い音がして硬い破片が飛び散り、サラの顔に当たった。

 身体を支えていた力が消え、突き飛ばされたように床に倒れ込む。


 アイラーは荒神に歩み寄った。

 消火器は荒神の側頭部を削り、鎖骨を砕いて肩にめり込んでいる。消火器を揺さぶって引き抜くと、再び頭上に振り上げた。


「女をかばうとは」

 アイラーは顔を歪めた。

「腑抜けたな! 荒神!」


 アイラーはボンベを振り下ろした。

 黒髪を振り乱しながら消火器を何度も振り上げ、振り下ろした。その度に嫌な音がして、砕かれた鑞の塊が周囲に散乱する。

 椅子に座った荒神の身体がぐらりと傾ぎ、床に横倒しになった。大きな音が響き、吊り下げられたコンテナがぐらぐらと揺れる。


 サラは床に打ち倒れた荒神を見て、はっと息を呑んだ。荒神の頭部は完全に潰れ、胸元にまでのめり込んでいる。

 荒神は鑞で固められていたのではなく、自身が鑞のように硬化していたのだ。


 アイラーの狂ったような高笑いがコンテナに響く。


 蛍光灯が明滅して、ふっと消えた。暗闇の中に反響するヒステリックな笑い声は、泣き叫んでいるようにも聞こえた。


 サラはもう頭を起こしていることさえできず、薄く氷の張った床に顔を伏せた。


 散らばった荒神の欠片が頬を刺す。しかしもう寒さも痛みも感じない。

 自分はここで死ぬのだと思った。


 その時、サラは遠ざかる意識の中で、微かな声を聞いた。



 —この時を。



「……え?」



 —待っていた。



 それは確かに、荒神の言葉だった。

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