11 奪還
AIプローブの同心円状に重なったリングがほどけた。
細いリングは散らばりながら、ゆらゆらと沈降して行く。
障壁に着底したリングは表示灯のように規則的な発光パターンに変わった。
朝比奈はメインスクリーンから眼を離さずに言った。
「マーカーは?」
「すべて『障壁』に着底しました」
コンソールを操作しながら技術者は答えた。
「浮遊変数を算出中。分離したマーカーをグループ化します」
「固定するんだ。急げ!」
朝比奈は興奮して叫んだ。
「受信状態はどうだ? 保持できるか?」
「中継用のトランスポンダ・ユニットが向かっています」
「よし、正確な座標設定にかかれ」
「アカツキは急速浮上中。軌道と速度の遠隔操作を開始します」
女性スタッフが振り返って朝比奈を見た。
「回収のための探深錘を要請します」
「今、潜れるものは?」
朝比奈は傍らの技術者に訊いた。
「いません」
データパッドを確認し、技術者は首を振った。
「なにしろこのダイブは急だったもので」
老博士は女性スタッフに言った。
「探深錘は出せん」
「しかし、浮上途中で意識が途切れたら」
「失敗は許されん!」
朝比奈は甲高い声で叱咤した。
「絶対にロストさせるな! 必ず回収するんだ!」
朝比奈は女性スタッフに指を突きつけた。スタッフは顔を強張らせ、コンソールに向き直る。
朝比奈は正面のメインスクリーンを見上げた。
暗く淀んだ空間の中にマーカーの輪が明滅している。
光は弱々しく儚げだったが、知覚マーカーがあれ以上沈降しないことが意識界の行き止まりであることを証明している。そんなものが実在するとは深層記憶研究の分野でも予測さえされていなかった事象だ。
しかし障壁は、確かにあった。
朝比奈はスクリーンを見上げ、声を震わせた。
「私が、人類で初めて、これを見つけたのだ!」
『障壁』の存在は、本来は荒神が提唱して来たものだ。予測ではなく、それは実在すると荒神は断言していた。
当初は完全な否定派だった朝比奈だったが、実験の進捗と共にその存在を肯定するようになった。
そして今は計画そのものを荒神から奪い、研究成果を独占しようとしている。
「おめでとうございます」
朝比奈の背後から男の声が言った。
老博士はゆっくりと振り返った。スーツを着た痩せた男が立っている。
「湯浅君」
「まさか、本当にあるとは思いませんでした」
「だが、それはあった」
老博士は重々しく言った。
「私の予想通りだ」
湯浅と呼ばれた男は一瞬口をつぐみ、静かに言った。
「驚異的な発見です。発表すれば人類の科学史が書き換えられるでしょう」
「発表は、しない」
朝比奈は気難し気に唇を曲げた。
「ラボ・タワーで研究を続ける」
痩せた男は表情を変えずにうなずいた。
「それは残念。ですが、賢明です」
「うむ」
朝比奈はスクリーンに視線を戻した。
「学会を相手にするつもりはない。この一例がすべてを明らかにする。学説を証明するための量的な測定など無意味なのだ」
スクリーンではアカツキを示す光点が座標マップの中を移動して行く。
脳内空間のグラフィック描出は終了し、コンピュータはすべてのパワーをアカツキの回収誘導に注ぎ込んでいた。
待機していたAIによるサルベージ用の想像的構築体がアカツキに接触し、浮上軌道への誘導を始めた。
コントロールルーム後方がばたばたと騒がしくなった。
ルーム内に配備されたセキュリティ達が慌ただしく駆け出して行く。
朝比奈は不快げに顔をしかめた。
「どうした? 何が起きた?」
「低代謝誘導室です」
年配の研究員が答える。
「あの女ですよ」
「女……」
朝比奈は眉間にしわを寄せた。
「彼の個人警備に当たっているガードだな」
誘導室にいた石井真樹がスタッフのヘッドセットマイクを奪い、沈降中に意識を失いかけたケインに呼びかけたのだ。
「だが、彼の意識を覚醒させるには役に立った。勇猛な呼びかけだったな。我々科学者にはなかなかできんよ」
冗談めかした口調だったが、その表情は硬かった。
「効果がなかったとは言い切れませんが、あんな勝手なことをされては」
年配の研究員は不満げに言った。
「彼女の声がなかったら、きっとあの後ロストしていたかもしれん」
朝比奈は暗く声を落とした。
「そんな」
研究員は小さく笑った。
「まさか最先端の科学に『気合い』が必要だなんて」
朝比奈は暗然として座標マップに眼を向けた。
この研究員は知る由もないが、荒神やアイラーなど人を超えた存在を知る朝比奈は、人間の持つ『精神の力』が時として現代科学の常識を凌駕してしまうことを経験している。
それはいずれ科学が正面から対峙しなければならない未知の領域だ。
脳内活動の精密な測定を可能にしたブレイン・テクノロジーによって精神世界への扉は開かれた。しかし実際はまだ前人未踏の暗黒大陸に僅か数歩を踏み込んだだけなのかも知れない。
湯浅が朝比奈に訊いた。
「どうしますか? そのガードを?」
「君に任せる。私はもう、これからのことで手一杯だ」
「わかりました」
立ち去りかけた男の背に、老博士は声をかけた。
「湯浅君、待ちたまえ」
スーツの男は振り返った。
「御門俺の生体はこのまま確保するんだ。絶対にここから出してはならない」
朝比奈は早口に言った。
「彼のブレイン・ギアだけが障壁に到達できる唯一の構築体だからな」
「なるほど」
湯浅は感心したように僅かに眉を上げた。
「あのブレイン・ギアをコピーするんですね」
「長い計画だった。しかし本当の研究はここからだ」
朝比奈は拳を握りしめ、自分にいい聞かせるように呟いた。
「これから、本当の研究が始まるのだ」
「御門ケインの生体を確保」
湯浅は復唱した。
「それから、あのガードは拘束します」
「うむ」
老博士は答えたが、既に別のことを考えているようだった。
コントロールのステージを降りながら、湯浅は小さく独語した。
「研究は、始まらない。計画は最終段階に入った。お前の仕事はそこまでだ」
肩越しに背後を見やり、頬に削げた笑いを浮かべる。
「詰めを誤るなよ、朝比奈」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ウクライナ・オデッサ郊外。
孤児院の二階には十数基のコクーンが並んでいる。
ほとんどがウクライナ軍の研究所から払い下げられた旧型で、シートを覆うキャノピーもなく横たわった子供達の姿は剥き出しだ。
コンソールに向かっているカイルは、部下の研究者と共に新しい知覚遮断構造体の耐圧シミュレーションを行っていた。
内線電話が鳴り、受話器を取った研究者が振り返って叫んだ。
「先生! 奥さんが!」
カイルは一瞬きょとんとしたが、すぐに席を立ってコクーンの間をすり抜け、廊下に続くドアを開けた。
がらんとした廊下の奥から、女性の叫び声が微かに響いてくる。
カイルは思わず走り出した。階段を駆け下りて自室に飛び込む。
寝室のドアを開けると、世話係であるターニャがベッドの優に覆いかぶさっているのが見えた。
「先生!」
ターニャはうわずった声で叫んだ。
どっしりと太った体が大波に揺られるように跳ねている。
「どうしたんだ?」
カイルは駆け寄った。
ベッドに仰臥した優は海老のように背を仰け反らせ、のしかかったターニャを撥ね除けようとしている。細い体からは想像もつかない程の力だ。
「先生!」
ターニャは声を振り絞った。
「早く、手を貸して!」
優は大きく口を開け、獣のようなうめき声を上げている。
「優!」
カイルは振り回す優の手首を掴んだ。
「落ち着くんだ!」
「どうした!」
背後から声がして、この施設に配属されている軍医が駆け込んで来た。
「ドクター!」
カイルは優の腕を抱え込みながら言った。
「急に、興奮状態になって」
「そのまま押さえ込んで!」
軍医はカバンからマスク付きの小さなボンベを出し、優の口に押し当てた。
「吸い込んで! ゆっくり!」
精神安定剤を吸った優の身体から徐々に力が抜けて行く。
やがてぐったりと手足を投げ出して、ベッドに横たわった。
カイルは優から離れると、大きく息を吸った。
「ありがとう、ドクター。もう大丈夫だ」
医師は額の汗をぬぐった。
「発作か? そんな持病があるとは聞いていないが」
「ストレスだと思う。ここ数日は眠れていなくて」
カイルは弁明した。
「ああ驚いた」
ターニャが優の上から重たげに体を起こした。
「突然、叫び声がしたものだから……」
ベッドの上の優は胸を大きく上下させ、まだ苦しげに呼吸しているが、全身の緊張は解けている。
医師が鋭い目をターニャに向けた。
「彼女は叫んでいたな? 何といっていた?」
「いえ、別に」
ターニャはちらりとカイルを見た。
「ただ声を上げて……」
「そうか」
医師はカイルに向き直った。
「先生、何かわかったら、報告を」
カイルは厳めしい表情の軍医に、ゆっくりとうなずいてみせた。
「わかっている」
軍医はいい機会だとばかりに寝室の内部をぐるりと眺め回すと、カバンを持って出て行った。
「嫌なやつ」
ターニャは太った体を震わせた。
「密告ばかりして、最低な男よ」
カイルはターニャの広い肩にそっと手を置いた。
「ありがとう。もう、大丈夫だと思う」
「だといいんですけど……」
ターニャは躊躇いがちに優をみやった。
カイルは眼を閉じた優を覗き込んだ。唇が薄く開き、何かを呟いている。
「さっきはね」
ターニャが声を潜めた。
「『ケイン!』『ケイン!』と叫んでいたんです」
「ケイン……?」
「そう、大きな声で、『ケインが迎えに来た!』って」
カイルは目眩が起きたように目頭を押さえ、よろよろと後ずさった。
「先生?」
ターニャはベッド脇の椅子にカイルを座らせた。
「先生、『ケイン』って、誰なんですか?」
「わからない」カイルは頭を振った。
「わからないって、そんな……」
「優からは何度もその名前を聞いている。優は『あの子』とも言っていた。しかし」
カイルは苛立ったように自分の膝を叩いた。
「私には、そんな記憶はないんだ」
「きっと、お子さんなんですよ」
ターニャは優しく言った。
「ただ、思い出せないだけで」
「思い出せない? そんなことが……」
カイルは急に口をつぐむと、窓に視線を向けた。
何か大きな蝉のようなものが窓の外を横切って行ったのだ。
「そのうち思い出しますよ」
ターニャは太い腰に手をあてて身体を反らせた。
「さて、洗濯物を取り込まなくちゃ」
部屋に残されたカイルは、ベッドの優に眼をやった。
興奮状態は治まり、今は静かに寝息を立てている。
カイルは手を伸ばして額にかかった黒髪を寄せた。美しい顔立ちだが、皮膚には膜がかかったように疲労感が滲み出ている。
この研究施設にもう何年居るのか思い出せないが、決して快適な環境とはいえないし、配給される食料も常に野菜や動物性タンパク質が不足していた。
「私はどうして、ここにいるんだ?」
カイルは寝室を出ると、自室の小さな書き物机に座った。
個人で使えるスマートデバイスはなく、PCも与えられていない。
施設の中は新聞や雑誌もなく、外部からの情報は一切遮断された生活だった。
「ここは、どこだ……?」
カイルは狭い部屋の中を見渡した。いま居る場所の地名さえ思い出せない。
ノートを拡げると、中心に自分の名前を書き、すぐ隣に『優』と書く。
名前の周囲に思いついた言葉をどんどん書き加えていく。
ページが文字で埋まると、大きく息をして、自分の描いた文字を読んで言った。ブレイン・ギアに関する専門用語ばかりで、人名や地名など固有名詞は僅かしかない。
「サイモン・フィリップス……」
数ヶ月前に所長のエルマンが連れて来たアメリカ人のブレイン・バトラーだ。
本人の強い希望で、攻撃衝動を抑制する脳内部位を知覚ウイルスを使って破壊した。
知覚ウイルスはまだ試作段階で、明らかに危険な処置といえる。
カイルは躊躇ったがエルマンの説得に折れた。結果として知覚ウイルスの貴重な人体臨床データが取れ、確かに研究は進展した。
しかしこの男はその後、どうなってしまったのだろう。
「ユーリー・エルマン……」
この施設の所長であり、かって働いていたマイス社での同僚でもあった。
再会したユーリーの要請で、この施設に赴任することになったのだ。
しかしそれまでは、どこにいたのだろう。ここに来るまでは、どこに……。
カイルはボールペンを握り直した。
思い出せる場所や名前を書こうとしたが、指は石のように固まり、書くことを拒絶している。
—記憶障害。
カイルは重い吐息をついた。
要素を並べてみればそう判断するしかない。脳の一部を損失しているわけではない。何かの強い抑圧によって記憶が再生できなくなっているのだ。
アメリカのマイス社設立に関わった留学時代から、仮想装置とシンクロするエントリーフェーズの理論構築と臨床試験、想像的構築体であるブレイン・ギアの駆動実験まで、現在の研究に必要といえる知識は記憶と共に保存されている。
しかしそれ以降の記憶がごっそりと失われている。どうしてこの期間だけが消え失せているのか。
—後天的、いや、明らかに人為的な操作だ。
そう思わざるを得ない。
そんなことが現実に可能なのかどうかは脳科学者であるカイル自身にもわからない。
しかし何らかの方法によって、記憶障害が引き起こされている。
—しかし、誰が、なぜ、そんなことを……?
ドアが激しくノックされ、若い研究者が青ざめた顔を出した。
「先生、ナターシャが!」
「すぐに行く」
カイルは立ち上がった。
やはり新しい保護スーツは負荷が強すぎる。子供達は耐えられないのだ。
部屋を出ようとしたカイルはふと振り返り、ぎょっとして立ちすくんだ。
ベッドに仰臥した優が、天井に向かって両手を差し伸べていた。まるで空から舞い降りた訪問者を迎え入れるように。
もしそれが『ケイン』であるならば、彼は天使に違いなかった。
なぜなら眼を閉じたままの優は、喜びに満ちた微笑みを浮べていたから。
夜になっても優は眠り続けていた。
カイルはパンとじゃがいものスープという質素な夕食の後も、研究室で構造体の設計を続け、自室に戻ったのは夜半過ぎだった。
白衣を脱いでハンガーにかけ、カイルは優の眠るベッドの端にそっと腰を降ろした。
優は仰向けになったまま、静かに寝息を立てている。
優の人格の一部が乖離してしまったのは、過去の深層記憶探査の後遺症だとエルマンは説明した。『パーソナリティ』の一部が分離して深々度に取り残されているためだと。
そしてこの研究が一段落したら、優の分離した人格を捜し出し、必ず引き上げるとエルマンは約束した。
カイルは重い溜息をつき、目頭を指でもんだ。
現実には、明日以降やらなければならない作業、知覚ウイルスの再設計や子供達の適性検査、保護スーツの強化実験などが山積している。いったいいつになったら優を元の状態に戻せるのか、自分でも判らなくなっていた。
どこかでガラスの割れる音がした。
カイルは顔を上げ、耳を澄ました。
こんな深夜に誰かが出歩いているのだろうか。子供が寝ぼけているのなら、部屋に戻さなくてはならない。
腰を浮かすのと同時にドアが蹴破られ、黒いフルフェイスのヘルメットを被った武装兵士たちが踏み込んで来た。
「動くな!」
兵士は英語で叫んだ。
構えたカービン銃の先端からまばゆいライトが浴びせられる。
カイルは手で光を遮りながら、英語で答えた。
「撃つな! 私は民間人だ!」
「そこに立て!」
兵士は荒々しくカイルを引き立てた。
もう一人の兵士が眠っている優に銃口を向けた。
「起きろ!」
「妻は病気だ! 起きられない!」
カービン銃の銃床が飛んで顎に入った。
カイルは顔を押さえてうずくまった。
『おいおい軍曹』
兵士のヘルメットから音声がした。
『その男の顔を見せろ。乱暴はするなよ』
ヘルメットの兵士はカイルの腕を掴んで立ち上がらせ、向かい合って立った。
真っ黒なシールド上部のLEDが点灯しカイルの顔を照らし出す。中央にカメラレンズが見えた。
「照合完了」
武装兵士は言った。
「Sクラスの重要人物です」
シールドの内側に画像情報が投影されているのが透けて見える。
『ビンゴ!』
ヘルメットの音声は叫んだ。
『こんなところにいたなんて! これは思わぬ収穫だ!』
カイルは光線の眩しさに顔を歪めた。
「いったい、何をいって……?」
『俺だよ、俺!』
音声は笑いながら言った。
『アイラーだ!』
「アイラー?」
『かっ! 俺を忘れたのか?』
シールドが輝くと男の顔が浮かび上がった。
彫りの深いラテン系の顔立ち、快活な声とは真逆の暗く沈んだ双眸。
知的だがどこか獣じみた不気味さを感じさせる顔だった。
「アイラー……?」
カイルは困惑した顔で呟いた。
『まぁ記憶は消されているだろうな。当然だ。俺だってそうするだろう。だがそんなことはどうでもいい!』
アイラーは興奮してまくしたてた。
『カイル・ローゼンバーグ博士! ブレイン・ギアの開発者である君は今、最も必要とされている人材だ!』
「どういう、ことだ?」
『実は不測の事態が発生した』
アイラーは急き込んで言った。
『偉大なる父でさえ予想できなかったことだ。この意味がわかるか? これはとんでもないことだ!』
兵士のヘルメットの中で別の無線音声が交錯している。
ハンドサインを出すともう一人は部屋から素早く出て行った。
『もう撤収か。仕事が早いな』
アイラーはせわしげに視線を動かした。
先程の兵士が仲間を連れて戻って来た。眠っている優をベッドから抱え起こすと強引に肩に担ぎ上げる。
「何をする!」
カイルは兵士の前に立ち塞がった。
アイラーの顔をした兵士がカービン銃の銃口をカイルの顔に突きつけた。
『ではローゼンバーグ博士、同行願おうか?』
「どこへ?」
『帰るんだよ』
アイラーはぞっとするような笑顔を見せた。
『合衆国へ!』
銃に追い立てられて廊下を走った。
玄関から表に出ると、地元でよく見かける貨物トラックが数台止まっている。
カイルと優は監視の兵士と共に荷室に入った。
後部ドアが閉められると中は真っ暗闇になる。兵士が小型のLEDランタンを点した。
エンジン音と共に荷台が揺れ、トラックは動き出した。
眠り続ける優を抱きかかえたまま、カイルは壁にもたれた。
施設にいた子供達や他の職員、警備兵はどうなったのだろう。しかし密閉された荷室の中では外の様子を確かめようがない。
同乗している米軍特殊部隊の兵士たちは押し黙ったまま車の揺れに身を任せている。おそらく質問をしても、何も答えはしないだろう。
トラックが立ち去った数十秒後、古びた施設は爆発するように一瞬で燃え上がった。
コクーンや様々な管制機器、医療装置、蓄積されたデータ。
それらすべてが、灰になった。
轟々と燃え上がる建物から離れた休耕地に、幼い子供達が身を寄せ合って立っていた。
「ねぇ、私たち、これからどうなるの?」
金髪の少女が不安そうにスカートを引っ張る。
ターニャはしゃがみ込むと大きな身体で少女を抱きしめた。
「ナターシャ」
ターニャは綺麗な髪の毛にほおずりした。
「もうお家に帰っていいんだよ」
「でも……私……」
少女はべそをかいた。
「お家、ないの……」
「もうすぐ、陸軍が来る」
軍服を着た若い将校が言った。
「君たちはこの計画の被害者だ。きっと保護してもらえる」
ターニャは将校を見上げた。
「少尉」
「米軍は約束を守ってくれた。子供達は誰も殺さないと」
少尉は燃え上がる赤い炎に顔を照らされながら言った。
「エルマン所長の行為は許されない。私は告発する」
「この子達は、解放されたのね」
ターニャは大きく息を吐いた。
「来たようだ」少尉は呟いた。
暗闇を裂いて、遠くから何台もの大型車輛のヘッドライトが列になって近づいてくる。
ターニャは少女の涙を拭うと、重たげに立ち上がった。
この施設を出ても、決して安寧な日々が待っているわけではないと知っている。しかし今だけは、この正しいことが行われたという安堵の気持ちを、少しでも長く味わっていたかった。
「さぁ、みんな手をつないで。行きましょう」
ターニャは両手に子供の手を握り、ゆっくりと荒れた地面を歩き出した。
「きっと明日は、美味しいものが食べられますよ」