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01 晴れた日には永遠が


 空は高く青く晴れ渡っている。

 ニューヨークでも滅多に見られないような快晴だった。


 ヒューバート・マックスウェルは高層階オフィスの窓際に立ち、マンハッタン島の遠景を眺めていた。

 『晴れた日には永遠が見える』。そんな昔の歌を微かに思い出す。


 腕時計パティック・フィリップの針を確認する。

 間もなく暗号通信回線での通信が始まる時間だった。


 マックスウェルはデスクに戻り、その巨体を豪華な革椅子に沈めた。


 ディスプレイに向かい、少し考えてから、画面を窓側に向ける。

 光が映り込んでしまうが、仕方がない。

 マックスウェルは物思いに耽るように頬杖をつき、暗い画面を見つめた。


 アンリミテッドで起きたことを、国際共通通貨連盟は第一級極秘事項とした。

 ブレイン・バトラー、イワン・マルコヴィッツがその仮想空間に侵入し、ステージごとロストしたことも記録には残されていない。

 それでも連盟は米国国防省を動かし、アンリミテッドを運営していたブロンクスの地下組織そのものを壊滅させてしまった。

 情報の漏洩を、完全に防ぐために。

 もっともまたどこかで、アンリミテッドは復活するだろう。

 人間の欲望は、数千年も昔の時代から、何も変わってはいないのだから。


 マックスウェルは顔をしかめ、居心地が悪そうに椅子の中で巨体を揺すった。


 そう、人は歴史から何も学んではいない。


 今この瞬間にも世界のどこか人は殺され、差別や虐待、憎しみの惨劇が繰り返されている。それでも、人間は、何一つ変わってはいない。

 だが、もし、人間が進化できるとしたら?


 それはやはり、人間の脳そのものにかかっている。

 この世界は、脳が造り出したのだから。



 軽やかなチャイムが鳴った。

 暗号通信であるログイン画面が表示される。

 マックスウェルはぶつぶつ呟きながら、長い数字を入力した。


 ディスプレイが明るくなる。

 マックスウェルは、画面に現れた男へ向け、親愛の笑顔を浮かべた。


「初めまして、私がヒューバート・トーマス・マックスウェルです。お会いできて光栄です」


 画面の中の男は軽く会釈をして言った。


「こちらこそ初めまして。私が『先生』です」


 マックスウェルは一呼吸置き、眼を細めたまま言った。


「あなたが本当に『先生』なのかは詮索しません。重要なのは、私たちが初めてコンタクトを取ったということなのです」


「同意します」


 画面の男の姿は、若い女性に変化モーフィングした。


「それは?」


 いぶかるマックスウェルの表情は、カメラで相手にも送られている。


「『先生』は一人ではありません」

 女性は白髪の老人に変わった。姿に連れて声も変わる。

「私たちすべてが『先生』なのです」


 マックスウェルは呆れた表情を作り、肩をすくめた。


「それは『総意』という名の隠れみのかね?」


「もはや誰か一人が何かを成す時代ではありません」

 真面目そうな白人青年が言った。


「もういい。本題に入ろう」

 マックスウェルの顔から笑みが消え、がらりと冷たい口調に変わった。

「ブロンクスのアンリミテッド組織は壊滅した。お前たちの復讐戦は完敗だったな?」


「そうでもない」

 ユダヤ系の中年男性は鼻で笑った。

「収穫はあったさ」


「ロシアンマフィアめ」

 マックスウェルは毒づいた。

「きれいごとを並べる一方で報復とは、言っていることとやっていることが矛盾しているぞ」


「あれは私の本意ではないわ。教え子の一人が、独断でやってしまったの」

 金髪の少女は悲しげに言った。

「でも、起きてしまったことは仕方がないわ。誰も悪くはないの」


「ふざけるな……!」

 マックスウェルは低く唸った。

「お前たちにこれ以上アメリカで好き勝手な真似はさせんぞ」


 ビルマの僧侶が坊主頭を下げた。

「ブレイン・バトルは世界中で行われている人気のゲームだ。広めてくれたのはあなた方連盟のたゆまぬ努力による。大変、感謝している」


 マックスウェルは無言のまま画面を睨みつけた。


 黒人女性が微笑んで言う。

「そう、『新しいメディア』を創ってくれて」


「なん、だと?」


 ツインテールの日本の女子高生が言った。

「私たちは、世界中の人々が視聴するメディアを待っていた。それも、『脳にダイレクトに情報を送り込める未来のメディア』を」


「どういうことだ?」


 チベットの子供が甲高い声で叫ぶ。

「ようやく、その時は来た。ブレイン・テクノロジーの創発も、ブレイン・バトルの隆盛も、すべてはこのためにあったのだ!」


「ずいぶん強引な理屈だな。前部、後付けだろう」


「進化は必然、淘汰は当然、人は変わる、そして来る朝」

 サングラスの黒人ラッパーが歌う。

「新しい時、神の庭に集え」


「神の庭だと?」

 マックスウェルは疑わしげに言った。


「ここよ」

 北欧の美女が自分の頭を指差す。

「脳であり、人の心」


「そんなところに心があるものか!」


 イヌイットの男が言った。

「偽らない。あなたは知っている。脳がすべてであると」


「ちがう!」


 スペインの闘牛士が厳かな口調で言った。

「心とは神の前庭なのです。神に近づくことも、背を向けることもできる。そして神の庭とは人間の脳そのもの。人間が変わるには脳を変えるしかないのです」


「いいや。そもそも人間の脳を変えることなど不可能だ」


 ブラジルの少女が言った。

「人間の破壊衝動を司る脳内モジュールは発見されました」


「そんなモジュールがあることは解明されていない」


「はっ、あんたは知っているはずだぜ、じいさん」

 サングラスの白人バイク乗り(ヘルズ・エンジェルス)が歯を剥き出した。

「わかってんだろ? 人間の脳は変えられるんだ」


戯言ざれごとをいうな!」


 白衣のベトナム人医師が言った。

「訂正しましょう。変えるではなく、影響を与えることができると。『それ』を送るメディアさえあれば、さしたる問題もなくね」


「そのメディアがブレイン・バトルだと?」


「ビンゴ!」

 金髪のカジノ・ディーラーが叫ぶ。

「しかも来年にはワールド・バトルがある!」


「やはり狙いはそれか……!」

 マックスウェルは唸った。


 品の良いイギリスの老婦人がにっこり笑う。

「私たちに必要なのはたったの『数秒間』ですよ。あなたたち、それを食い止めることができるかしら?」


「そんなことをしたら、世界がどうなるか……」


 アフリカの子供が困ったように顔をしかめた。

「ほんと、ぞっとしちゃう! 沢山の人が死んじゃうかもね?」


「まさか」

 マックスウェルは腰を浮かした。

「人質に取るつもりか、人類全体を!」


 ユダヤ教のラビが言った。

「もちろん、その選択もあります。我々も世界の破滅など望んではいません。大切なのは、お互いが心から理解できるまで話し合うことです」


「……くそっ」

 マックスウェルは唇を噛んだ。


 フランス人のシェフがにこやかに微笑む。

「皮肉なことに、破壊衝動の昇華が最も必要な人々が求めているのがブレイン・バトルなのです。そして彼等こそが、真っ先に変わらなければならない。心穏やかな人はブレイン・バトルなど見ませんから」


「それであの光パターンを?」


 髭の濃いギリシャの漁師は言った。

「破壊衝動は他人を傷つけ、そして自分自身をも破壊してしまう。破壊衝動を捨てられるかどうか、その選択をするのは本人しかいない」


「捨てられなければ、死ねというのか? それこそ野蛮で乱暴な論理だ。そんな選択は絶対に受け入れられない!」


 マックスウェルは画面を睨みつけた。


「あの異形の黒い子供達は何だ? あんな奇怪なブレイン・ギアなどありえない。あれは強度の催眠暗示、洗脳によるものにほかならない。偉そうなことをいっているが、お前たちがやっていることは明らかに非人道的行為でありテロそのものだ!」


 聡明そうな黒髪のラテン系少女は言った。

「あの子達は、神の庭に遊ぶ子供達よ。美しいのは花だけではないわ。あなたは泥のついた球根を美しいと思えるかしら?」


「思えないね」

 マックスウェルは顔をしかめた。


「悲しい人だ」

 黒人牧師は言った。


「ふん、あれは単にモンスターに見えるがな」


「悲しい人ね」

 中国の婦人警官は言った。


「繰り返すな!」


「どうやら僕たちは」

 赤毛の眼鏡の少年が言った。

「まだまだ話し合う必要がありそうですね」


 マックスウェルは短く吐息をつくと、低く凄みを帯びた口調で言った。


「いいか、よく聞け」


 その声の冷たい威圧感に、初めて画面の中の人物は口を閉じた。


「バックに誰がいるか知らんが、連盟に仕掛けようとするのなら覚悟をしておけよ。お前たちが考えている以上に連盟のネットワークは強大だ。お前たちが世界のどこに隠れていても連盟は必ず見つけ出す。どんな場所にいても絶対に引き摺り出す。お前たちは決して逃げられない。撤退するのなら、今しかないぞ」


 イスラムの青年が笑顔を見せた。

「ご忠告ありがとう。貴重な意見として受け取っておく」


「仮にお前たちが正しくて、誰もが平等で平和に暮らすことができる社会になれるとしても、人間自身がそれを選ばないだろう」

 マックスウェルは拳でデスクを叩いた。

「わからないか? お前たちが闘わなくてはいけない本当の相手は、あらゆるものを消費し続ける『経済』なのだ!」


 利発そうなアメリカ人の少年が言った。

「やれやれ、確かにそうだね。でも、僕は頑張るよ。だってそれが人類のためだもの」


「お、お前は!」

 マックスウェルは青い目を見開いた。

「ショーンじゃないか……?」


「ひさしぶりだね、ダディ」

 少年はにっこり笑い、初期のデジタルカメラを構えた。

「はい、笑って」


 ディスプレイの中からフラッシュが光る。

 白く強い光だ。


 マックスウェルは眼を閉じ、銀髪の頭をぶるぶると振った。


「元気そうでなによりだよ」


 老人はデスクに両手をついた。

「ショーン! どうして、そんな所に?」


「ダディもこっちに来るよね?」

 少年は笑顔で手を振った。

「待ってるよ!」


 少年は白い画面の奥に向かって歩き出し、どんどん遠ざかっていく。

 やがてディスプレイは真っ白い空間だけになった。




 マックスウェルは椅子に深く座り、震える手で顔を覆った。


 どうやって三十年以上も前に死んだ息子の姿と声を再現できたのか。それは見た目だけでなく、表情や喋り方まで本人そのものだった。

 相手は戦慄するほどの情報収集能力を持っている。


「甘く見ていたか……」

 マックスウエルはスマートデバイスをタップし、部下をコールした。

「サラ、早く出るんだ」


 コールは続く。しかし、信頼する部下は応答しない。


 突然、マックスウェルの手が激しく震え出した。

 握っていたスマートデバイスが床に振り落とされる。

 その手が勝手に動き、デスクの引き出しから護身用のハンドガンを取り出すのを、マックスウェルは信じられない思いで見つめていた。


 あの一瞬のストロボ光に、強制行動情報が圧縮されていたのだ。

 相手の技術力は想像を遥かに超えていた。


 ハンドガンを握った腕が曲がり、硬い銃口がこめかみに押し当てられる。

 全身が硬直し、身動きができない。

 マックスウェルは眼球だけを動かし、窓に視線を向けた。


 晴れ渡った青空が広がっている。


 そこに一瞬だけ『永遠』が見えた、気がした。



 ニンジャ・バグは床に倒れた対象者をズームした。

 それから再びデスクのディスプレイにカメラアイを向ける。

 対象者がディスプレイを窓側に向けたため、バグは通話音声だけでなく画面に現れた様々な人物の画像も録画していた。


 『帰還』コードが送られて来た。


 監視バグは翅を振るわせ、澄みきった青空の中に飛び立っていった。

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