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宮廷画家と竜舎番の出会い:9

 開き直ってしまえばいいのにとその人は口癖のように言っていた。

 圧倒的な美しさには人を屈服させる力がある。自分を上手く使って強者になればいいと笑うその人は大輪の薔薇のようにあでやかで、生命力にあふれる人だった。

 本当の自分を押し殺して誰かのお人形になるならそんなのは死んでるのと同じだ。アプティカがすかさず反論するとその人はくすくすと笑った。楽しそうにしていたけれど瞳には常に深い悲しみを湛えていたように思う。

 憮然とするアプティカの頭を撫でながらその人は可哀想にねとつぶやいた。

 不器用で愛しい子。この世界で生きるにはあなたの輝きは強すぎるのね――。

 今思えば彼女にとってアプティカはとても愚かしく、無垢な生き物として映っていたのだろう。

 アプティカはまだ幼く、彼女たちが夜毎訪れる客と何をしているのかも、自分が哀れまれていることも、一切を理解していなかった。

 成長するにつれてアプティカは自分の美貌がどれほど男を狂わせるのかを知った。大抵の男は馬鹿だ。見た目でころっと騙される。忌々しいことだが都合のいいときもある。――今のように。


「ロナルド? あんたロナルドだろ? こんな夜更けにどうしたんだ?」


 侵入者の中に一人、見知った顔が混じっていた。素行不良が原因で数週間前に除籍された元竜騎士だ。下町の酒場で悪酔いをして、給仕の娘にしつこく絡み、騒ぎを起こしたのが原因だと聞き及んでいる。

 竜騎士団は徹底的な実力主義だ。身分や地位よりも中身を重視される。入団前には厳しく身辺調査が行われ、人となりを問われる。規律をひとつでも破れば、ただちに追い出される。例外はひとつもない。

 わざと怯えた振りをしながらアプティカはなるほどと得心する。ロナルドは竜騎士団を辞めさせられた腹いせにこのような犯行に及んだのだろう。城の内部を把握している者が手引きしたのなら、ここまで忍び込んでくるのもたやすかったはずだ。

 自分の体を抱き締め身を震わせるアプティカにロナルドはますます笑みを深くする。


「拘束しろ」


 ロナルドから指示を受け、二人の男がナイフをちらつかせながら近付いてくる。男たちは革の胸当てを身にまとい、腕には籠手を装着していた。片方は禿頭で、片方は顔面に禍々しい刺青を入れている。


「わりいなお嬢ちゃん」

「雇い主には逆らえねんでな」


 二人は金で雇われたゴロツキか何からしい。彼らはアプティカの両腕を背中に回すと縄できつく縛り上げた。その際、胸や太股に手が当たったのは偶然ではないだろう。俗物めとアプティカは胸の内で吐き捨てた。


「さて、と。竜共の卵を運び出す手伝いをしてもらうぞ」

「素直に協力すると思ってんのか?」


 竜の卵は孵化するまで竜舎の地下に保管されている。子竜の住まいは竜舎の外だ。生まれたばかりの子竜は免疫を持たないため、体が弱く病気になりやすい。竜舎は隙間風が吹くので決して居心地のいい環境とはいえない。

 体調を万全に保つため、子竜は竜舎の外に並び立つ犬小屋よりも一回り大きな小屋に移され、一匹一匹隔離して育てられる。子竜用の子屋は密閉率が高く、保温性に優れ、竜舎よりもよっぽど暖かいのだった。

 どちらにしても親と子を引き離そうとすれば必ず母竜が勘付いて騒ぎ出す。静かにさせるには直接言い聞かせるか、特殊な香を炊くしかない。


「とんまな奴らだな。てえっ……!」


 髪をつかまれ、地面に引きずり倒される。アプティカの意思とは関係なく、目尻に涙が浮かぶ。アプティカの顔にランプを近付け、ロナルドは愉しそうにくつくつと喉の奥を鳴らした。


「その強気な態度がいつまでもつか見物だなあ。いつもお高くとまりやがって。知ってるか? 竜騎士の中にはなあ、あんたをめちゃくちゃにして泣かせたいって奴が何人もいるんだぜ?」

「できるもんならやってみやがれ。このピーナッツ野郎」


 アプティカはロナルドの顔に向かって唾を吐きかけた。唾はロナルドの頬に見事に命中する。ロナルドの顔面からすうと笑みが消えた。


「おい、ナイフを貸せ」

「へい」


 禿頭の男がロナルドにナイフを差し出す。ロナルドは無表情のままアプティカの作業着を下着ごと切り裂いた。ささやかな胸のふくらみや、なだらかな曲線を描く腹部があらわになる。白魚のように透き通る肌を見て、三人の男たちがごくりと唾を飲む。

 普通の年頃の娘であったなら泣き叫んで彼らに協力を申し出ていただろう。乱暴はやめてくれと足の甲にキスをするくらいはやってのけるかもしれない。

 生憎アプティカはそのような可愛げはとんと持ち合わせていなかった。


「そんなにおれとやりたいのかよ?」


 濡れた吐息と流し目と。たっぷり蜜を含んだ甘い声。アプティカが涙目で見上げるとロナルドの雰囲気がはっきりと変わった。


「やだ、やだよぉ。怖いよ。助けて、誰か助けてよぉ……っ!」


 足をばたつかせ、色事など何も知らない純情な少女を演じる。アプティカが胸を突き出し、切なげな呼吸を繰り返しているとロナルドの手がアプティカの首筋に触れた。ロナルドの手が鎖骨を辿り、谷間を通り、腹部を這い回る。

 アプティカはぎゅっと目をつむった。


(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……っ!)


 額に脂汗が浮かぶ。吐きそうだ。アプティカは必死に演技を続ける。ロナルドの手が作業着の中に滑り込んでくる。太股の付け根を撫で回され、アプティカは本物の嗚咽を漏らした。


「う、うううっ」

「助けて、ほしいか? 楽になりたいか? ん?」

「おい旦那。本来の目的を忘れんな。お楽しみは後にしとけ」


 刺青の男が時間を浪費するなと釘を刺す。だがロナルドは「うるさいっ」と聞く耳を持たない。ロナルドの瞳は情欲にまみれ、暗闇の中でぎらぎらと輝いている。理性を失った獣だ。


「いつも知ったような口叩きやがって。ずうっとこいつが目障りだったんだ……っ!」


 ロナルドがアプティカの顎をつかむ。ロナルドの意図を理解したアプティカはとっさに頭突きをかましていた。


「なあっ!?」

「貴様ら! 何をしている!?」


 ドタドタと荒い足音が響き、いくつもの松明によってその場が照らされる。城の警備兵たちが駆けつけてきたらしい。彼らはロナルドに押し倒されている半裸のアプティカを見て、一様に絶句し、顔を赤くした。


「か弱い婦女子に手を出すとはどういうつもりだ! ひっ捕らえろ!」

「ははっ!」


 たったの三人で大勢を相手にできるはずもなく、ロナルドたちは捕縛され、連行されていった。アプティカがその様子をぼーっと眺めていると、むき出しの肩に何かが触れた。


「ん?」


 それは作業着の上から羽織っていた上着だった。アプティカのよりも少しだけ大きい。


「あ………」


 アプティカの背後に立っていたのはジミグだった。ジミグはまったくの無表情だった。恐ろしいほどに。


「あー、ジミグ?」


 アプティカの呼びかけに彼は応えなかった。黙って跪き、アプティカの腕の拘束を解く。


「……怪我は?」

「ないよ」


 ジミグの声は淡々としていて、やはり感情がこもっていなかった。アプティカは気にしないように努めようとしたが無理だった。


「……すみません、でした」

「は?」


 自分を粗末に扱ったアプティカに対して、ジミグは怒りを覚えているのだと想像していたが、どうにも違うらしい。アプティカは戸惑った。

 もしもジミグが怒りをぶつけてきたのなら、アプティカはおれはおれにできる最善のことをやったまでだと開き直るつもりだった。


(だって他にどうすればよかった?)


 アプティカは非力だ。竜の世話ができるといったって高が知れている。男を手玉に取るのに一番いい方法をアプティカは知っていて、それを実践しただけだ。そういう戦い方しかアプティカは知らない。


「君に恐ろしい思いをさせてしまって、すみません、でしたっ」


 エディもシンシアも竜舎番の仲間たちもきっと認めてはくれない。もっと自分を大切にしろと怒るだろう。けれどアプティカは自分より竜たちのほうが大事だ。自分がどうなっても竜たちが無事なら後悔なんてしない。


「間に合って本当によか……っ」


 ジミグがその場に座り込み、ぽろぽろと涙を流す。何もなくてよかった。何もできなかったと自分の不甲斐なさを責める。彼は一度もアプティカを責めなかった。


「お前さ、おれが最低だって、汚い奴だって、思わないのか?」

「アプティカさんに汚いところなんてひとつもないです!」


 即答だった。アプティカはあーあーあーあーと頭をかきむしる。ジミグは目にしているはずだ。ロナルドを誘惑する自分を。嫌がる振りをしながら流されようとする愚かで卑しい少女の姿を。それでも彼は自分がきれいだとそう言いながら泣いている。

 これ以上は痛々しくて見ていられない。らしくもなく罪悪感を覚えてしまう。


「………ごめん、な」


 自分を大切にできなくてごめん。こんなどうしようもない人間でごめん。アプティカがぎこちなく頭を下げると、ジミグは鼻をすすりながら言った。


「いいんです。もう諦めました。アプティカさんが自分を大切にできないというなら、僕がその分まで大切にします。だから覚えていてください。――僕と竜たちを守ろうとした君の行動は尊敬に値するものであることを」

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