宮廷画家と竜舎番の出会い:6
第一区画に落ちている卵を回収し、無事に出産を済ませた母竜を第三区画に移したあと、ジミグは昼食の時間になるまでひたすら竜舎の掃除をさせられた。
午前中は竜舎番が竜の調教をするため、一時的に第三区画以外が空になる。その時間に糞の掃除をし、わらの入れ替えを行った。昼食の時間になる頃にはジミグは精魂疲れ果てていた。
元々力仕事とは無縁の生活を送っていたジミグである。作業を開始してからすぐに全身が悲鳴を上げ始めた。途中で何度も力尽きそうになったが歯を食いしばってなんとか耐えきった。
重い足を引きずり、今にも死にそうな顔をして休憩小屋に戻るとソファや椅子に腰かけて談笑していた竜舎番たちが一斉に振り返った。エディがひょいと片眉を上げる。他の竜舎番たちは一様に驚きの表情を浮かべていた。
アプティカは苦虫を噛み潰したような顔で出窓の桟に腰掛ける。どうやらそこが彼女の定位置らしかった。
「へえ、昼までもったのか」
「ひょろひょろなわりには見所があるじゃねえか」
「くっそ、賭けに負けちまった」
好き勝手言われているがもはや気にする余裕もない。ジミグはエディに手招きされ、彼の隣に腰掛けた。今朝城のメイドに朝食と一緒に用意してもらったサンドウィッチはたったの三口でジミグの胃の中に消えた。
「いい食べっぷりじゃねえか。おい、ペルー。なんか飲ませてやれ」
「へーい」
カチャカチャと陶器のぶつかる音がする。ジミグが目を閉じてぐったりしていると不意に芳醇な香りが鼻孔をくすぐった。香りが気になって目を開けると正面のテーブルにティーセットが用意されていた。
「俺特製のブレンドティー。自分で言っちゃあなんだがそこそこいけると思うぜ?」
自慢げに胸を張るのは小麦色の髪をした男だった。ジミグと同い年くらいに見える。鼻の周りにそばかすが散っていて、焦げ茶色の瞳は興味津々といった感じでジミグを見下ろしていた。
「……ありがとうございます」
ティーカップを持ち上げる手が震える。琥珀色のお茶を口に含んだジミグは目を瞠った。美味しい。ペルーが淹れてくれたお茶はぴりりと辛く、辛さのあとに甘みが追いかけてくる。とても不思議な味だった。
「これは……生姜? ですか?」
「大正解。疲れた体にはこのジンジャーティーが一番効くんだよな。どうだ? 美味いか?」
「はい、とても美味しいです……体が温まる」
ジミグがほうと感嘆の吐息を漏らすと「ちっ」とどこからか舌打ちが聞こえてきた。音の発生源を探るまでもなく、犯人はアプティカだった。
「ほっとけよ、そんな奴」
ペルーやエディがジミグに対して好意的なのが気に入らないのか、アプティカはむっと頬をふくらませている。
「ばっかお前。こいつは国王陛下のお気に入りなんだろ? 最低限の礼は尽くさねえと不敬罪で俺たちの首が飛ぶかもしんねーだろうが」
ペルーが言うと周囲からどっと笑い声が起こった。ジミグは笑顔を浮かべたまま固まる。彼らは完全にこの状況を面白がっている。
「肖像画の一枚や二枚くらい描かせてやればいいじゃねーか。お前だってさっさと厄介払いしたいんだろ?」
そうだそうだと野次が飛ぶ。アプティカの眉間のしわがますます深くなった。ジミグは膝の上で拳を握った。唇を噛みしめた。
(肖像画の一枚や二枚くらい? だって?)
ジミグの存在を彼らが認められないのは事情が事情だ。仕方がない。しかしジミグの愛する絵画を、この国の芸術や文化を軽んじられるのには腹が立った。
ジミグは絵を描くのが好きだ。彫り物も音楽も踊りも好んでいる。美しいものは人の心を明るく照らしてくれる。
どんなに落ち込んでいても真っ青な海や空を見れば何もかもがどうでもよくなるのと同じだ。アインズは、この国の王は美しいものの力を信じている。聡明で真っ直ぐで尊敬に値する人だ。
自分のことを馬鹿にされるのは構わないが、アインズを侮辱されるのは我慢ならなかった。
「……陛下は自分の私利私欲に駆られて政や人事を行う方ではありません」
「あん?」
「僕が陛下の恩寵を賜っているのは事実です。が、それは僕に価値があるからです。正確には僕の才能に」
「…………」
「僕はあなたたちのことを何も知りません。だからこうして教えを乞うています。勝手な想像で根も葉もないことを噂されるのはとても嫌なことです。アプティカさんもおそらくは散々嫌な思いをされてきたんでしょう。だから僕はここにいます。彼女のことを知りたいと思ったから。だからあなたたちも僕のことを知ってください。宮廷画家の僕のことを」
一息に喋ってジミグは頬が熱くなるのを感じた。とても偉そうなことを言ってしまった。生意気だと思われたに違いない。蹴り出される前に自分から出て行くべきではないだろうか。
「美味しいお茶をありがとうございました」
ソファから立ち上がる。ジミグはくるりと踵を返して休憩小屋から出て行こうとした。が、「ちょっと待て」と制止がかかった。ジミグを引き止めたのはアプティカだった。ジミグは無言で振り返る。視界の端でペルーが罰の悪そうな顔をしているのが見えた。
「宮廷画家って一体なんだ? 線描いて色塗っただけで金がもらえる仕事じゃないってんなら教えてくれよ」
「そうですね……」
ジミグは少し迷ってから答えた。
「僕の仕事はこの国をもっと豊かにすることです」
「……もっとわかりやすく言え」
「豊かな国は文化が栄えています。文化が栄えている国は豊かです。文化を栄えさせるためには戦争が起きないのが一番です。だから戦争が起きないように頑張ってます」
「絵を描いてるだけなんだろ?」
「この世界がどれだけ美しいか、輝きに満ちているか、それを知っていれば踏みにじろうという気など最初から起きないと思うんです。だから僕は絵筆を握る。一瞬のきらめきを形にするのが僕の仕事です。所詮は理想論に過ぎませんけどね」
ジミグが胸を張って言うと驚くべきことが起こった。アプティカが笑ったのだ。満面の笑みとは程遠く、わずかに口元をほころばせただけだったが、彼女が悪意も敵意もない表情をジミグに向けたのはこれが初めてだった。
「ちっともわかんねえ」
「お互い様ですよね」
僕も竜がかわいい生き物だとは思えませんから。ジミグが苦笑して言うとアプティカは処置なしとばかりに天井を仰いでため息をついたのだった。