宮廷画家と竜舎番の出会い:5
休憩小屋で作業着に着替え、長靴を履き、豊かな金髪をきっちり編み込んでシニヨンにする。これで仕事の準備は完了だ。休憩小屋を出たアプティカはにこにこ笑いながら外で待機していたジミグをきっと睨みつけた。
国王からの勅命が下っている以上、アプティカがジミグを遠ざけることはできない。しかし竜は危険な生き物だ。ど素人が生半可な気持ちで竜に関われば命を落とす危険性もある。
ジミグの細腕で竜の世話ができるとはとても思えないが、彼はやる気のようだった。アプティカとて何もしないくせに周りをうろちょろされるのは迷惑だ。
アプティカはジミグが音を上げるまでとことん彼をしごいてやるつもりだった。エディから許可はもらっているし、ジミグ本人も宮廷画家としてではなく一端の竜舎番として扱われることを望んでいる。
(なーにが少しでもあなたのことを理解したい、だ。馬鹿にしやがって)
竜舎番の仕事は過酷で三日ともたずに逃げ出す者も珍しくはない。きれいな世界できれいなものだけに囲まれて生きてきたジミグがどれだけ続くか。竜舎番たちの間では賭け事になっている始末だ。
アプティカは頭を振って思考を切り返る。仕事は仕事。感情に引きずられてヘマをすればエディの雷が落ちる。他のみんなはもう自分の仕事に取りかかっている。これ以上遅れるわけにはいかなかった。
「ジミグ、まず最初に言っとく。おれの指示がない限り竜に触るな。近寄るな。勝手な行動は絶対にするな。もし竜騎士が来て何か質問されたら絶対におれか他のやつらに取り次げ。竜がくしゃみしそうなときは気を付けろ。うっかりブレスを食らったら丸焦げになる。あとは追々教えてやる。……何か質問は?」
「あなたは竜に乗って空を飛んだことがありますか?」
ジミグの瞳が期待に輝いている。アプティカは少しだけ沈黙した。
「調教もおれたちの仕事だ。……けどおれは乗ったことねえ。おやっさんが許してくれないから」
「なぜです?」
「おれがハーフエルフだからだよ」
ジミグに悪意はないのだろうが、アプティカはいらいらしながら答えた。完璧な八つ当たりである。
エディの判断に異を唱えられるはずもないが、竜の調教をさせてもらえないのは密かな不満だった。アプティカは一番の下っ端だがエルフの血が混じっている分、竜との意思疎通は誰よりも上手く行える。だからまずいのだとエディはいうのだ。
「おれが誰よりも上手く竜を乗りこなしちまったら竜騎士団の面目を潰すかもしれねえ。おやっさんはそれを心配してんだ。竜騎士の若い奴らは無駄にプライド高くておれたちのこと見下してる。自分たちが一番竜のことをわかってると思ってやがる」
「……ここは王城ですから。そういうことも起こるでしょうね」
ジミグがしみじみと言う。まるで実際に体験したかのような物言いだ。アプティカが目を瞬かせていると彼は静かに微笑んだ。
「僕もやっかまれる立場ですから。少しは君の気持ちがわかります。庶民のくせに生意気だとかね。もう耳にタコができるくらい言われましたよ」
アハハと軽やかにジミグが笑う。アプティカが知らないだけでジミグは相当な悪意にさらされながら、それでも宮廷画家として絵筆を握る道を選んだのかもしれない。
(結構根性の据わってるやつなのか?)
もしかしたらジミグにはジミグなりの信念があるのかもしれなかった。しかしあれこれ口さがないことを言われてのほほんと笑っているだけなら、ジミグはただの臆病者だ。自分の名誉のために戦うことのできない男など、アプティカにしてみればゴミも同然である。
ジミグの置かれている立場に思考を巡らせつつ、アプティカは竜舎番に足を踏み入れた。
竜舎の中は正方形で四つの区画に仕切られている。出入り口の真横、向かって右が第一区画。向かって左が第二区画。右奥が第三区画。左奥が第四区画という具合だ。
第一区画には腹に卵を宿している雌の竜、つまり妊娠しており出産間近の竜が入れられている。
第二区画には商人から買われてきたばかりの竜、まだ仕えるべき主人が決まっておらず、調教もされていない竜が入れられている。
第三区画にはなんらかの病気や怪我が原因で体調が万全ではない竜が入れられている。
第四区画に入れられているのがその他の竜である。
竜舎で飼育されている竜の数は全部で五十頭に上る。竜舎番の数は五人。竜の数に対して竜舎番の数は常に不足していた。
「竜舎番にはそれぞれ決まった役割が与えられてる。おれの最初の仕事は第一区画の見回りだ」
「見回りというと?」
「夜の内に出産した竜がいないかどうかを確認する。卵が落ちてたら、腹が空っぽの竜を探して親を特定する。卵は回収して別の場所で孵化させる」
「出産を済ませた竜は第四区画に移動させるのですか?」
「産後で弱ってる奴を第四区画に入れられるわけねーだろ。分娩した竜は第三区画に移す。それから五日間様子見て大丈夫そうならそこで初めて第四区画行きだ。わかったか?」
「ええ、了解です」
「んじゃおれは卵回収してくるからお前は囲いの外で見てろ」
竜の寝床にはわらが敷かれ鉄の柵で囲まれている。竜が本気になれば簡単に壊されてしまう代物ではあるが、人間と深い絆で結ばれている竜が本気で暴れることは滅多にない。とはいえ胎内に卵を宿している竜は総じて普段よりも気性が荒くなっている。
アプティカは慎重に歩を進めた。と首筋に生温かい吐息がかかる。
「っ……! なんだお前か。びっくりさせやがって」
後ろから忍び寄ってきたのは青みがかった鱗の竜だった。首筋がほっそりしていて体格も小さい。名前はエステラーダ。女王のように気位が高く、人間をからかうのが大好きな性格をしている。
エステラーダは気配を消して人間に近寄り、驚かせるのが大好きなのだ。
「おはよう。今日も美人だなあお前」
アプティカが首を撫でてやるとエステラーダはグルグルと喉を鳴らした。うっとりと目を細めるエステラーダに自然と口元がほころぶ。明かり取り用の窓から差し込む陽光がアプティカとエステラーダを照らし出す。
「……紙と木炭を持ってくるんだった」
エステラーダと戯れるアプティカを見つめ、ジミグはがっくりと肩を落としていた。