宮廷画家と竜舎番の出会い:4
アプティカの仕事は日の出と共に始まる。ゆえにアプティカは日の出よりも前に目覚めなければいけない。彼女は城下町にある家で養父母と共に暮らしている。
家は煉瓦造りの二階建て。一階には夫婦の寝室と居間と台所があり、二階にはアプティカの寝室があるだけだった。寝室といっても二階の部屋は元々ただの屋根裏部屋で物置きとして使われていた。
エディがアプティカを引き取ると決まり、養母のシンシアは急遽屋根裏部屋のガラクタを半分ほど減らし、質屋から買い取ったベッドと鏡台と衣装箪笥を空いたスペースに突っ込んだ。こうして屋根裏部屋は寝室兼物置きと化した。
アプティカは目が覚めるとまず部屋の隅に置いてある甕の中の水を使って顔を洗う。水は近場の井戸から汲んできた地下水だ。床板が水で濡れてしまうと腐ってしまうので洗顔は慎重に行われる。
水で軽く髪を濡らし櫛で梳く。仕事の邪魔にならないよう高く結い上げたら寝間着から作業着に着替え、階下に降りる。
「おっかさん、おはよう」
「おはよう、アプティカ。昨日はよく眠れた?」
アプティカが居間に行く頃にはシンシアはもうすっかり身支度を整えて朝食を作り始めている。朝食はいつも同じ。目玉焼きとハムの乗ったトーストにサラダに牛乳と決まっている。
「あんまり眠れなかった。ナイトメア※1の奴が部屋に忍び込んできておれに悪夢を見せようとしたんだ。よりによってこの! おれに!」
「あらあら。それは大変だったわねえ」
アプティカが歯を剥き出して怒ってみせるとシンシアはくすくすと笑った。シンシアが笑ってくれたことにアプティカは満足する。シンシアはアプティカがこの世で最も尊敬している女性だ。朗らかで優しくていい匂いがする。
ナイトメアという妖精がどんなに卑怯で醜く狡賢いかアプティカが語彙の限りを費やして語っているとエディが居間に現れた。
「二人とも、おはよう」
「おはよう、おやっさん」
「おはよう、あなた」
シンシアが朝食を作り、アプティカは出来たものからテーブルに並べていく。エディが三人のコップに牛乳を並々注いだところで朝食の準備は終了だ。「いただきます」と声を揃えて三人は食事を始めた。
いつもならアプティカが一番早く食べ終わるのだが、今日は彼女が一番最後だった。おまけにやたらとため息をついている。
「どうしたの? どこか調子が悪い? 寝不足?」
「おれは半分エルフだからそう簡単に寝不足にはなんないよ。具合が悪いんじゃなくてさあ、あいつのこと考えると食欲失せる」
「もしかしてこの前聞いた宮廷画家の……ジミグさんのことかしら?」
「…………うん」
アプティカは親の仇を見るような眼差しをこんがり狐色に焼き上がっているトーストに向けた。今日からアプティカはジミグと共に行動しなければならない。ど素人を気にかけながら竜たちの世話を焼くのはかなりの負担だ。ジミグは絶対にこちらの邪魔はしないと誓っていたが、いるだけで迷惑なのだ。
「考えるだけでめんどくせえ」
「でもジミグさんは陛下と親しいんでしょう?」
シンシアがエディに尋ねると彼女の夫は苦々しげに口元をゆがめて肯定した。
「まあ、そうだろうな」
「だったらあなたが我慢するしかないわ。ねえ、わたしのきらきら星さん。あなたはあなたの仕事を、ジミグさんはジミグさんの仕事をするだけよ。もし上手にやり遂げられたらご褒美をあげる」
「それほんとか!?」
「ええ。あなたが欲しがっていたユニコーンの羽根飾りがついたブーツなんてどうかしら?」
「おれ、頑張る! 頑張るよおっかさん! おやっさんちんたら飯食ってんじゃねえよ! そろそろ行かないとやべえだろ!」
シンシアの前にいる時と同じくらい誰にでも素直に接してほしいものだ。アプティカにどやされながらエディは小さくため息を吐いた。
朝食を食べ終え、シンシアが作ってくれた弁当を持つと二人は慌ただしく家を出た。苔むした石畳を闊歩する。朝靄が漂う町はまだ夢の中にあり、清々しい空気と心地よい静寂が満ちていた。
二人が城門に辿り着く頃には雲の切れ間から黄金色の光が降り注ぎ、雲のふちや、家々の屋根や、鶏の羽根や、その他色々なものを美しく煌めかせていた。見張りの兵士に入場許可証を見せて門を潜る。
「おはようございます! エディさん! アプティカさん!」
竜舎に近付くとアプティカが最も聞きたくない声が聞こえてきた。ジミグは竜舎の出入り口の横に立って二人を待っていた。髪の毛が朝の光に照らされて真紅のルビーのように輝いている。服装はアプティカたちが普段着用しているのと同じ上下灰色の作業着だった。ほっそりしていて優しげな風貌のジミグにその作業着は全く似合っていなかった。
自分たちよりも先に来て待機していたジミグにアプティカはげんなりする。この男はアプティカを描くためならなんでもする気だと彼女はここに来てようやく悟った。
エディが激励の意味を込めてアプティカの背中を叩く。アプティカは死んだ魚のような目をして喜色満面の笑みを浮かべているジミグを見つめた。
*1 悪夢を見せる悪魔。夢魔。または悪夢自体のことを指す。