宮廷画家と竜舎番の出会い:3
ロワルメル王国二十七代目国王、アインズ・ヒューゴー・ギム・ロワルメルは嘆願書に目を通しつつ文机の向こうで直立不動の姿勢を取っているジミグを見上げた。
「――すまないがもう一度言ってくれないか」
「ですから僕の創作活動のため、陛下には一筆書いていただきたいんです。とある竜舎番の肖像画を描くように、と」
「………………」
滅茶苦茶な要求を国王相手に突きつけているジミグの身分はその出で立ちを見れば一目瞭然である。絹製の襟付きの白いシャツに腕を通し、濃紺のズボンを履き、腰には王家の紋章が彫り込まれた玉の尾錠が付いた帯を締めている。帯はもちろんなめした牛革を使用した高級品だ。
右肩から胸部を覆う肩布はズボンと同色で、縁に蔦の葉の刺繍が金糸で施されていた。それは紛れもなく宮廷画家の正装である。
「ジミグ・ネヴァ。私の記憶が正しければあなたは絵が描けなくなってしまったのでは……?」
宰相のリチャード・ヴィルヘルム・バークレーが答えに窮している主君の代わりに言葉を紡いだ。問いかけられたジミグは生真面目な表情で「僕もそう思っていました」と首肯する。
「僕の手はこれ以上何も生み出せない。もう筆を折るしかないと諦めかけていました。でもまだやれます。彼女の絵なら、描けそうな気がするんです」
己の両手に視線を注ぎ熱心に訴えてくるジミグにアインズとリチャードは目配せを交わし合った。
ジミグ・ネヴァは史上最高の宮廷画家だ。彼の名前は何世紀にも渡って語り継がれていくだろう。彼の才能を、作品を、アインズは認めていた。彼の絵には人を癒す力がある。どこか懐かしさを感じさせる素朴で温かな風景や表情がジミグの絵の魅力だ。
この五年、ジミグは短期間で次々と新しい作品を世に送り出していった。誰よりも描くことを愛し、この世界を愛していたジミグがぱたりと絵を描かなくなったことにアインズは友人として心を痛めていた。
この半年間、死人のような顔をして城内をうろついていたジミグの顔に生気が戻っている。瞳は夢見る子供のように強い輝きを放っている。
アプティカという少女の人となりをアインズは知らない。が、彼女がきっかけとなりジミグの絵に対する情熱が戻ってくるというならば、アインズは彼の要求を呑むしかない。
平民の出でありながら画家として最高峰の地位を獲得したジミグは庶民の希望の星だ。アインズは貴族も平民も関係ない豊かな国作りをしたいと考えている。ジミグを失うのは国にとって大きな痛手だ。
「構わないな? リチャード」
「陛下の御心のままに」
一応、リチャードに確認を取るとアインズは新しい羊皮紙を手に取りさらさらと筆を走らせた。
「ほら、持っていけ」
アインズは乱雑に令状を放り投げた。ジミグはそれをしっかり受け止めると「ありがとうございます!」と腹を空かせていた子供が満腹になった時に浮かべるのと同じ笑顔を浮かべると、口早に暇を告げて退室していった。
(……すまないな、アプティカ。これも国のためだ)
アプティカという名の竜舎番に迷惑をきたすのは重々承知の上である。恨むなら芸術馬鹿を恨んでくれ。アインズは心の中でそっと顔も知らない少女に詫びを入れた。
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「というわけで陛下から勅命を賜りました。僕をあなたのそばにいさせてください」
竜たちに餌をやっている最中、仕事仲間からエディが呼んでいると教えられたアプティカは餌やりを代わってもらい、休憩小屋に足を向けた。中でアプティカを待っていたのはエディと先日自分の絵を描きたいとのたまった頭のおかしい赤毛男で彼女は思わず「げえ!」と声をあげてしまった。
エディは頭を抱えており、赤毛男はにこにこと機嫌よさそうに笑っている。この時点で嫌な予感がしていたアプティカは話を聞かずに仕事に戻りたかったがそうは問屋が卸さなかった。
とりあえずこれを読めとエディが鼻先に突きつけてきた書状には腸が煮え繰り返る内容が流麗な文字で綴られていた。
曰く――ロワルメル王国二十七代目国王アインズ・ヒューゴー・ギム・ロワルメルは宮廷画家たるジミグ・ネヴァに竜舎番アプティカの肖像画を描く任を与える。
「嘘だろおい………」
アプティカは憤るのも忘れ呆然とした。エディがそうなるように仕向けたとは聞いていたが、本気で国王から勅命を賜ってくるなど正気の沙汰ではない。
(へーかは一体何を考えてやがるんだ? この国大丈夫か?)
国王の勅命には何人たりとも逆らえない。アプティカが彼を毛嫌いしていても、生理的に受け付けなくても、気色悪い野郎だと思っていても、そばに置かなくてはならないのだ。なんたる苦痛。
「………お前、竜と触れ合ったことは?」
「ありません。ですが絶対にあなた方のお仕事の邪魔はしないと誓います。あなた方の言葉にも従って行動します。ですからどうか僕をあなたのそばにいさせてください」
「おやっさぁん」
「情けない声出すんじゃねえ。こうなっちまったもんはしょうがねえだろ。お前がしっかり面倒見てやるんだな」
元々はあんたのせいだろうが! という反論が喉から出かかったがなんとか抑え込んだ。仕方がない。これは決定事項なのだ。逆らう権限などアプティカは持たない。
「というかそもそもお前はなんでおれにこだわるわけ?」
アプティカが胡乱げな眼差しを向けるとジミグは照れ臭そうにはにかんだ。なぜそこで照れる。意味が分からん。
「その、お恥ずかしい話なのですが僕は最近絵がさっぱり描けなくなっていたんです。もうそろそろ潮時ではないか、宮廷画家を辞めてお城を去るべきなんじゃないか。そんなふうに考えていたときにあなたが現れて、雷が落ちたような衝撃を受けたんです」
「………ハア」
アプティカは耳の穴を右手の小指でほじりながら生返事を返した。エディが哀れむようにジミグを見る。
「あなたを描きたい、あなたなら描ける。あなたの絵が描けたなら、僕はもう死んでもいい! そんなふうに思いました」
「描かなくていいから死ね。いや、ちょっと言い過ぎ? 死なんでもいいから消えろ」
「今はあなたを描くことしか考えられないんです。あなたを描かなかったら僕は一生後悔します。あなたの美しさを僕の手で描き出せたなら、それ以上の幸福はないでしょう」
「あー………ナルホドね」
その一言でアプティカは全てを理解した。つまり、つまりだ。宮廷画家とかいうこの男はアプティカの容姿に目が眩んで、すっかり上せてしまっているのだ。異性からそういうふうに見られるのは初めてではない。むしろ慣れっこだ。
(なら、すぐに冷めんだろ)
自分がどんなに屈強な大男にも手に負えないじゃじゃ馬だと分かれば百年の恋など瞬く間に冷める。そういうものだとアプティカは知っている。ジミグはアプティカを美しいと形容した。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
(おれのどこに美しい部分があるってんだよ)
こんなにも醜く、汚いというのに。ゆがんでしまっているというのに。
泥を啜って生きてきたアプティカはきれいな生き物ではない。もし赤毛男が真実を見抜く目を持っているのだとしたらすぐに気付いて離れていくだろう。
「竜舎番のアプティカ。これからよろしく」
アプティカが右手を差し出すとジミグはきょとんとし、それから嬉しそうに破顔した。
「ジミグ・ネヴァといいます。よろしくお願いします」
さて、どうやってこいつと遊んでやろうか。アプティカは胸中の思惑を隠してきれいにきれいに笑ってみせた。養い子の頭の中などお見通しなエディはやれやれと首を横に振った。