宮廷画家と竜舎番の出会い:2
竜舎の責任者であるエディは鬼気迫る表情を浮かべている若者と不機嫌そうにそっぽを向いている部下の少女とを見比べてどうしたもんかと頭をかいた。
ここは竜舎番が雨露をしのぐための小屋の中だ。休憩小屋、待機小屋など好き勝手に呼ばれている。簡素な造りではあるが暖炉や本棚、ティーセットにソファなどくつろげるだけの設備は整っている。先程までこの近辺は天地が引っ繰り返ったかのような大騒ぎだった。何せ竜舎で育てている竜が一匹、竜舎番の目を盗み逃亡してしまったのだ。子竜は人間の子供よりずっと好奇心旺盛で危険な生き物だ。もし子竜が城下町に繰り出しブレスのひとつでも吐いていたら、エディの首は胴から切り離され地面に転がっていただろう。想像するだけで冷や汗が止まらなくなる。
「とにかく……アプティカは仕事に戻れ。さっきの騒ぎで竜たちが落ち着きを失くしてる。行って宥めてこい」
「でもおやっさん、」
「口答えをする気ならてめえを城から叩き出すぞ」
エディがぴしゃりと言って聞かせるとアプティカと呼ばれた少女は盛大に舌を鳴らし、足音荒く小屋から出て行った。黙っていれば貴族令嬢にも劣らない美貌の持ち主だというのに、彼女はおしとやかさや慎ましさとは無縁である。どこで育て方を間違えたとエディは遠い目をした。
アプティカの姿が小屋から消えるのを見届けてエディはジミグと名乗った若者に向き直った。
「で? 宮廷画家とやらがなんだってこんなところに?」
「はい! 先程も申し上げましたが僕はアプティカさんの絵が描きたいんです! 彼女を見てから創作意欲が刺激されて少しもじっとしていられないんです! 彼女の髪の色を再現するためにはどの絵具を混ぜ合わせたらいいのかとか、油絵と水彩とどちらがいいだろうとかいろんな考えが浮かんできて……。ですがアプティカさんには忙しいので僕を構っている暇がないと一蹴されてしまいました」
「まあ、俺でもあいつと同じことを言うだろうな。俺たちは忙しい。朝は日が昇る前に起き出して、夜は日が暮れてからもずっと働いてるんだ。あいつに抜けられると一番困る」
「失礼ですが彼女の代わりなど探せばいくらでも見つかるのではないですか?」
心底不思議そうに言うジミグにエディは苦笑した。竜の面倒を見るのは重労働だ。その分、給料は高い。それに竜の世話が出来るというのは大きな魅力だろう。竜はこの世で最も古く賢い生き物だ。普通に生活していたならばまずお目に掛かれない。だが竜舎番として雇ってもらえば間近で竜を見て触れられる。この仕事に憧れる人間は確かに多い。
だがアプティカの代わりになる者などいない。
「アプティカはな、元々スラムの孤児だった。娼館に拾われて下働きをさせられてたのを俺が引き取ったんだ」
幼いながらもアプティカは玉のような可愛らしさだった。娼婦として徹底的に教育すれば稼ぎ頭になるのは確実だと言って、娼館の主人はなかなかアプティカをエディに引き渡そうとしなかった。
「そんで俺が前の国王陛下に直々に談判してな? 金を工面してもらってやっと貰い受けたってわけだ」
「国王陛下に直談判、ですか……?」
ジミグが大きく目を見開く。彼の顔には困惑が滲んでいた。たかが孤児一人のために国王が動いたというのは異例中の異例だ。ジミグが戸惑うのも無理はなかった。
「耳の形で分かるがアプティカはエルフと人間の混血だ」
「っ!」
「連綿と受け継がれてきた古い記憶がアプティカの頭ん中にある。あいつは竜と話せやしないが、竜たちの古い言葉は感覚で理解できる。俺たちには分からないこともあいつには分かる。それにエルフは基本的に眠らない生き物だ。エルフの血が混ざっているあいつは不寝番にはぴったりなんだよ」
「……そう、なのですか」
「竜は、竜騎士は、この国の防衛の要だ。俺には必要なら陛下とサシで話が出来る権限がある。俺たちはただの飼育係だが誇りと責任がある。ただの興味本位で仕事を邪魔されるのは我慢ならねえ。どうしてもって言うんなら国王の勅命でもなんでももぎ取って来るんだな」
「………………」
すっかり黙り込んでしまったジミグにエディはよしよしと自慢の口髭を撫でた。これだけきつく言っておけば今後この若造が訳の分からない理由でアプティカにまとわりつくことはないだろう。
「では、国王陛下の許しを得れば納得していただけるのですね?」
「…………は?」
エディの目の前でジミグはにこにこと笑っていた。エディは頬を引きつらせる。まさか。まさかまさか。こいつはまだ引き下がらないつもりなのか。
「そうですね。では国王陛下のお許しを頂いてから後日改めてアプティカさんにお願いすることにします。失礼します」
ぺこりと頭を下げ、早足で小屋から去っていった若者にエディは何も言えず天井を仰いだ。
ちなみに事のあらましを養父から聞いたアプティカは「余計なことしやがって…っ!!」と可愛らしい顔をゆがめて怒り狂うのであった。