宮廷画家と竜舎番の奮闘:5
竜舎の天井や壁には所々小さな穴が空いている。それらのほとんどは竜たちが尻尾をぶつけたり、爪を引っ掛けたりしてできたものだ。
点々と散っている無数の穴から、朝の真っ白な陽光が降り注ぎ、竜舎の中を明るく照らし出していた。
未だ夢の国にいる竜たちが気持ちよさげにグルグルと喉を鳴らす音が四方八方から聞こえてくる中、アプティカは希望に満ちた瞳で、ジミグは充血して真っ赤になった瞳で互いの顏を見つめ合っていた。
ヴィオレッタの行く末を心配するあまり、アプティカとジミグは不寝番でもないのに夜通し竜舎で語り明かしてしまった。
不寝番に当たっていたペルーは、邪魔者でしかない二人を竜舎から追い出しもせず、放っておいてくれた。それどころかたまに紅茶の差し入れまでしてくれる始末で、至れり尽くせりにもほどがあった。
おそらく今日ジミグは竜舎番の仕事をさせてもらえないだろう。寝不足の頭で竜たちの相手をすれば、誰かの逆鱗に触れてしまうかもしれない。竜を怒らせてしまったら、最悪、人が死ぬ可能性も高い。そんな事態をエディがみすみす看過するわけがないのだ。
竜舎番の仕事をなめてるんじゃねえ! と説教されても致し方ない。もしおやっさんの拳骨を食らいそうになったらしょうがねえから庇ってやろう、と限界を迎えて左に右にふらふらと揺れているジミグを見ながらアプティカは思った。
竜舎でひっそりと泣いていたアプティカを追いかけてきて、そばを離れなかったのはジミグの意思だ。アプティカがそうしろと命じたわけではない。けれど、アプティカはジミグを拒否することもできたのにそうしなかった。
ジミグを追い返さず自分のそばに留まることを許した。だからジミグが徹夜する羽目になったのは、自分のせいでもあるのだ。
「ほんとお前ってお人好しだよな………」
「え、なんですか? 何か言いました?」
「いーや、なんでもねえよ。………第一区画の見回りが終わったら、早速ミューゼルに一発ぶちかましてやる。あんたは………とりあえず休憩小屋に戻って寝ろ。いいな?」
アプティカとジミグは一晩話し合って、ヴィオレッタを飛ばすための計画を立てた。一つの結論を出した。
ヴィオレッタが再び空を飛べるようになるには、荒療治しか方法はないと。
彼女には酷なやり方かもしれないが、ミューゼルの鼻っ柱を完膚なきまでに叩き折り、彼が騎竜にとって理想的な乗り手ではないことを証明するしかない。
自分にはそれをやってみせるだけの技術がある。アプティカはそう信じている。
「おやっさんは渋い顔するだろうけど、ここまで来たらもう関係ねえよ」
目には目を。歯には歯を。娼館育ちの意地汚さと根性の悪さをとことんまで思い知らせてやる。
ミューゼルが涙を流しながらヴィオレッタに謝罪する場面を想像して、アプティカはにやりと口角を持ち上げた。
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「ミューゼル! オスマン団長がお呼びだ! 今すぐ執務室に向かえ!」
「………は、」
訓練所にて新しい自分の相棒に鞍を取り付けていたミューゼルは、思わず目を瞠った。動揺を悟られないよう、短く息を吸って吐く。
「団長が………? なぜ僕を………?」
「さあな。俺にはよくわからんが、お前、この前竜舎番の‘お姫様’と揉めたらしいじゃねえの。その件じゃないか?」
同僚の揶揄を含んだ台詞にミューゼルは思いきり顔をしかめた。
「………こいつを頼む」
「はいよ」
騎竜を同僚に託し、ミューゼルは重い足取りで宿舎に戻った。竜騎士団の宿舎は三階建てで、執務室は廊下を進んだ最奥にある。
執務室の前で足を止め、ミューゼルは何度か深呼吸を繰り返した。コンコン、と扉をノックするとすぐに「入れ」と入室の許可が降りた。
「竜騎士団所属、ミューゼル・フォートです! 失礼します!」
執務机の前に立ち、ミューゼルは両足を肩幅程度に開いた。両手を背中の後ろで組み、執務机の向こうに座るクロードを見つめる。
羊皮紙にさらさらと羽根ペンを走らせていたクロードがゆっくりと面を上げた。クロードの全身から放たれる威圧感にミューゼルはごくりと息を呑む。
ミューゼルは竜騎士団に入団してまだ間もない。ほんの下っ端に過ぎないミューゼルがクロードと二人きりで話すのはこれが初めてのことだった。
王城一の堅物、青い血の流れている男、氷の長官などなど。いついかなるときも眉間にしわを刻み、部下に対して笑顔を見せたことのないクロードは、ミューゼルにとって尊敬と畏怖の対象であった。
相対しているだけでクロードの放つ威圧感に呑まれ、冷や汗がだらだらと背中を伝う。膝が震えそうになる。
「お前に果たし状が届いている。正式な決闘の申込みだ」
「………決闘? 僕にですか?」
クロードの口から放たれた言葉は、ミューゼルの予想をはるかに超えていた。鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべるミューゼルに、クロードは淡々と答える。
「そうだ」
「一体、誰から………そんなものが」
「差出人は竜舎番のアプティカ」
「っな………!?」
「日程の調整はこちらに任せると書いてある。決闘を受けるか、辞退するか、ここで決めろ」
クロードが執務机の上にアプティカから届いたという果たし状を置く。ミューゼルは引っ手繰るようにその果たし状を手に取った。
表も裏も矯めつ眇めつし、文面を何度も確認する。確かにこれは正式な作法に則った果たし状だ。
アプティカは騎士ではない。一介の竜舎番に過ぎない。しかし騎士としてミューゼルと本気で渡り合うつもりでいる。
騎士の決闘を行う場合、そこにはいくつかのルールとマナーが存在する。決闘はただの喧嘩ではない。長々と受け継がれてきた伝統があり、作法がある。どうしても譲れないものがあるとき。騎士は己の誇りと矜持を賭けて決闘に臨むのだ。
「竜舎番と騎士の決闘が許されるのですか?」
「陛下から許可が降りた。やらせろ、と」
「なんですって………?」
「アプティカの竜騎士としての戦力は未知数だ。今までは竜舎番の長が彼女が竜に乗ることを許さなかった。だが奴がとうとう折れたらしい。彼女は思念のようなものを通して竜との意思疎通を行っている。彼女がどれほどまで竜を操れるのか、確認しておく必要がある。これが私と陛下の意向だ。――文句があるか?」
「………いいえ」
「理解が早くて何よりだ。それでお前はどうする?」
「………彼女が僕に決闘を申し込んできたおおよその理由は推測できます。ならばここで引くわけにはいきません。竜舎番ごときが竜騎士に勝とうなど、侮辱するにもほどがある………っ! 挑戦を受けます」
頬を紅潮させ怒気をあらわにするミューゼルに、クロードはわずかに目を細めたが、何も言わなかった。
「ならば仲介人はこちらで手配をしておく。期日も私のほうで決定する。それでいいか?」
「はい! よろしくお願いします」
「話は終わった。退室を許可する」
「失礼しますっ」
くるりと踵を返し執務室を立ち去る。背後でクロードがぼそりと小声で「若いな」とつぶやくが、ミューゼルには聞こえなかった。
「くそっ、くそっ、くそっ! 僕を馬鹿にしやがって!」
十中八九、アプティカは決闘に勝ってミューゼルの行いを正そうという腹積もりなのだろう。しかしミューゼルは己の行動が誤っているとは思わない。ヴィオレッタは弱く、臆病で、戦場には向いていない。ヴィオレッタに命を預けることはできない。
「何も知らない竜舎番風情が………っ!」
どれだけの覚悟をもって自分たちが竜騎士を志したのかも知らず、外野から非難ばかり浴びせてくるアプティカがミューゼルはどうしても許せなかった。




