宮廷画家と竜舎番の奮闘:3
「さてと。どうしたもんかなあ」
アプティカは首をコキッと鳴らした。彼女の目の前では頑として動こうとしないヴィオレッタと、そんなヴィオレッタに鞍を載せようとして四苦八苦しているジミグの姿がある。
ここは竜たちのためにあつらえられた飛行訓練場だ。着地の衝撃をやわらげるため、地面には芝生が張られている。
嫌がるヴィオレッタを竜舎から引っ張り出してなんとか飛行訓練場まで連れてくることはできた。問題はこのあとだ。
アプティカはしげしげと自分の両手を見下ろした。指は節くれだって火傷の痕も消えない傷痕もたくさんある。
(――とうとうこの日が来た)
開いていた両手をぐっと握りしめる。アプティカはずっと竜の調教をさせてもらえなかった。女が竜舎番をしているというだけで反感を抱く人間が王城には大勢いる。アプティカが竜の背に乗って空を飛べば、女のくせに生意気だと更に叩かれる羽目になる。
俺でも庇いきれなくなる。だから勘弁してくれ。エディは常々そう言ってアプティカに頭を下げてきた。
しかしヴィオレッタの世話をアプティカが担当するにあたり、とうとうエディからの許可が下りたのである。
やれるだけやってみろ、とエディは言った。アプティカはその言葉の裏に含まれている意味をきちんと理解していた。
エディは実績を作ってみせろと暗にアプティカに示唆したのだ。文句を言う連中を黙らせてやれと。
(やり遂げてみせるさ。絶対に)
ジミグがヴィオレッタから離れる。鞍の取り付けが終わったらしい。ゼーハーと肩を上下させる彼にアプティカは端的に告げた。
「時間かかりすぎ」
「ぐっ」
アプティカから指摘され、ジミグが悔しそうな顔をする。ジミグは自身の手際の悪さを突かれても、ほとんど不満そうな顔を見せない。本業は画家で成り行きでアプティカの仕事を手伝わされているに過ぎないのだが、ジミグは一度も手を抜こうとしなかった。
「ま、頑張れよ」
「はい……」
ジミグが悄然とうなだれる。アプティカの言葉に一喜一憂するジミグは見ていて飽きない。アプティカはわずかに口角を持ち上げた。
「ヴィオレッタ」
名前を呼ばれ、ヴィオレッタの耳がぴくりと動く。アプティカは彼女を刺激しないよう、そろそろと歩を進めた。首筋を撫でようと腕を伸ばす。が、ヴィオレッタは顔を背けてアプティカの手を避けた。
「んー……」
ヴィオレッタの瞳に宿るのは怯えの色だ。アプティカは腕を組んで唸った。わかってはいたがミューゼルがヴィオレッタに与えた精神的な苦痛を取り除くのはかなり難しそうだ。
アプティカはヴィオレッタの正面に回り込んだ。自分の姿が彼女の視界に映っているのを確認して口を開く。
「なあ、お前がどうしても嫌だっていうなら無理やり飛ばせようって気はないんだ」
できるだけ優しく語りかける。竜はある程度人の言葉を理解している節がある。こちらの思いをきちんと話せば彼女たちはわかってくれる。
「でもお前このままだと処分されるぞ? それでもいいのか?」
処分という単語にヴィオレッタの尻尾が持ち上がった。力なく地面を叩く。否定か肯定か判断はできない。どうにでもなれというのが正解だろうか。
「おれ、お前が死ぬのはやだよ、ヴィオレッタ」
ヴィオレッタの瞳が揺れる。アプティカはそっと手を伸ばした。指先が彼女の鼻面に触れる寸前「バカバカしい」と嘲笑の響きを伴った声が後ろから聞こえてきた。
ヴィオレッタがまた明後日の方向を向いてしまう。アプティカは憮然としながら手を引っ込めた。
訓練場の壁にもたれてミューゼルがアプティカたちを眺めていた。偉そうに腕を組み、顎を突き出している。アプティカはちっと舌を鳴らした。
「団長に言われて仕方なく顔を出したが、こんな茶番に僕を付き合わせる気か? 冗談じゃない」
「冗談でこんなことやってると思ってんのか」
売り言葉に買い言葉である。ジミグがアプティカの前に立ちはだかった。アプティカがなりふり構わずミューゼルに殴りかかるとでも思ったのだろう。
「お前に竜騎士を名乗る資格なんかない」
「それは君が決めることじゃない。たかが竜舎番の君がね」
「なんだと……っ!」
「まあまあまあまあ。まあまあまあまあ」
ここはひとつ大人の対応をしてください。耳元でささやかれ、アプティカは深く息を吸った。クロードが言っていた通り、これはかなりの難問だ。
「ヴィオレッタに乗り続けていたらいつか僕が死ぬ。この前の演習でわかったんだ。だから騎竜を変えようと思った。それの何がいけない? 僕がとがめられる謂れはないと思うけどね」
ヴィオレッタがグルルと鳴いた。小さく悲しげな鳴き声だった。ミューゼルがヴィオレッタを見やる。しかし彼の眼差しは慈しみや愛情とは程遠いものだった。無だ。ヴィオレッタに関して彼はもはや欠片の興味も抱いていなかった。
「死ぬなら自分だけで死んでくれ。巻き添えにされるのはまっぴらだ」
ひらひらと手を振りながらミューゼルが去っていく。キューンキューンとヴィオレッタは何度も鼻を鳴らしたがミューゼルは一度も振り返らなかった。
「アプティカさん、今日は……」
ジミグが控えめに声をかけてくる。「ああ」とアプティカは頷いた。予想よりもずいぶん弱々しい返事になってしまった。
「今日はもうやめよう。お前も疲れただろ。な」
今度こそヴィオレッタの体に触れる。彼女の首に額を押しつけてアプティカは目を閉じた。
お願いだから行かないでと。ミューゼルを求める彼女の声がとめどなく流れ込んでくる。アプティカは下唇を噛みしめた。
自分の未熟さを思い知らされるのはこの上なく惨めだった。




