宮廷画家と竜舎番の奮闘:1
衝撃の次に浮遊感が来た。視界がぐるぐると回る。空の青と草の緑が混ざってまだら色になる。ミューゼルは重力に従って落下しながら必死に自分の相棒を探した。
「ヴィオレッタ! 来い!」
ミューゼルの騎竜であるヴィオレッタは手を伸ばしてもぎりぎり届かない位置にいた。石弓をまともに食らったダメージが残っているのか、ふらふらと左右に揺れながら飛行している。ミューゼルはぎりと歯を食いしばった。
「ヴィオレッタ! 僕の声が聞こえないのか! おい! ヴィオレッタ!」
何度も何度もヴィオレッタの名を呼ぶ。だがヴィオレッタは苦しげな鳴き声を上げるばかりだ。地面が近付いてくる。ミューゼルはとっさに頭をかばった。
「ぐああっ!!」
地面に激突する。全身がばらばらになりそうな衝撃に襲われ息が詰まる。バキボキと何本か骨の折れる嫌な音がした。ミューゼルは恥も外聞もなく悲鳴を上げる。陣形を組んでいた竜騎士たちが次々地面に降り立ち、ミューゼルを取り囲む。
「大丈夫か! しっかりしろ!」
「頭は打ってないな!?」
「ミューゼル! おい! 聞こえるかミューゼル!」
苦痛に悶えながらミューゼルは自身の騎竜が地面に着地するのを見た。竜に人間のような感情があるのかは知らない。だがヴィオレッタは今にも泣き出しそうな顔でミューゼルを見つめているように思えた。
ミューゼルは怒りに燃える瞳でヴィオレッタを睨む。
「この役立たずが……っ!」
石弓から放たれた石は弧を描きながら真っ直ぐミューゼルに向かってきていた。ミューゼルは弾道を予測し回避行動を取ろうとした。そう、避けられるはずの攻撃だったのだ。ヴィオレッタが身をすくませ、動きを止めさえしなければ。
「二度とお前なんかに乗るものか! 失せろ! 目障りだ!」
「言い過ぎだぞミューゼル」
誰かがミューゼルをたしなめる。だが怒り狂うミューゼルには何を言っても火に油を注ぐ結果にしかならなかった。
その日からヴィオレッタは空を飛ばなくなってしまった。
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休憩小屋では各々が仕事を始める前に必ず朝礼が行われる。申し送り事項を確認し、変更を必要とする作業がある場合は割り振りを変えたり、予定を組み直したりする。
「ライオネルの足はほぼ完治してるんで、薬はもう切っていいと思います。俺からは以上です」
「第四区画のところ、昨日雨漏りしてました。これから梅雨が来るので今の内に修理しときたいっす。休憩の間にやっちまいます」
「――今日はこのくらいか?」
エディが輪になっている全員の顔を見回す。全員の報告が終わったのを確認してエディは再び口を開いた。
「俺からもひとつ話がある。今日の午後、竜騎士が一人竜舎に来る。そいつの騎竜選びを誰か手伝ってやってほしい」
「騎竜を変えるってことですか?」
「そうだ」
「その竜騎士の名前は?」
「ミューゼルだ」
ミューゼル。アプティカは口の中でその名前を転がした。ミューゼルなら知っている。栗色の髪に青い目をした青年で年は十八。どこかの貴族のお坊ちゃまで自尊心が高く、いつも取り巻きを連れている。
ミューゼルの騎竜は確かヴィオレッタだ。新雪のように真っ白な鱗の雌。ヴィオレッタは大人しく、御しやすい性格をしている。その分臆病で引っ込み思案なところがあり、彼女を馴らすまでかなりの時間を要した。
「……おやっさん、ヴィオレッタはどうなるんだ?」
「普通は新しい主人が現われるのを待つところだが、ヴィオレッタは、な」
エディが気まずげに目を伏せる。アプティカはエディが言わんとするところを悟りかっとなった。
「駄目だ駄目だ絶対に駄目だ!」
「ア、アプティカさん!?」
「くそ離せっ!」
エディに殴りかかろうとしたアプティカだったが、ジミグに腕をつかまれる。竜舎番の何人かがジミグに親指を掲げた。
「あいつはまだ飛べる怪我だって治ってる! 処分なんか絶対駄目だ!」
「え、処分? 処分って殺すってことですか?」
ジミグが尋ねるとペルーが肩をすくめながら答えた。
「その通りさ。ただ飯食らいをいつまでも飼っておけるほど予算が豊富なわけじゃねえ。かといって軍用に調教された竜を民間人に売り飛ばすわけにもいかねえ。なら選択肢はひとつだ。だろ?」
「で、ですがアプティカさんの言うようにヴィオレッタの怪我はほぼ完治していて、」
「飛べない竜は竜じゃねえ。翼が生えてるだけのでっかいトカゲだ」
今から十日前のこと。竜騎士団が城門の外で野外演習を行った。その場には宮廷魔導師も駆り出され、石弓や火矢なども使用され、かなり大規模な演習となったらしい。演習で負傷した竜騎士や竜も多かった。
ヴィオレッタも野外演習で傷を負い、滑車に乗せられ人力で竜舎まで運ばれてきた。ヴィオレッタは石弓の容赦ない攻撃を浴びたらしく、翼の骨が折れて飛べなくなってしまっていた。
当然翼が治るまでは調教や飛行訓練に参加させることなど不可能だ。ヴィオレッタはこの二十日間、竜舎の第三区画でずっと療養させられている。
折れた骨は既に元通りになっている。だがヴィオレッタには別の問題があった。
何度か調教や飛行訓練の場にヴィオレッタを出してみたのだが、彫像のように固まって彼女は動こうとしないのだ。
鞭を使っても駄目。別の竜と縄で体をつないで無理やり宙に引っ張り上げようとしても駄目。ヴィオレッタは頑として飛ばなかった。翼を広げようともしない。
「ヴィオレッタを飛べなくしたのはミューゼルだ」
アプティカには確信があった。ヴィオレッタは今深い悲しみの中にいる。彼女の体に触れる度、胸が締めつけられるような感情がアプティカの中に流れ込んでくるのだ。
悲しい、痛い、苦しい、辛い。一緒にいて。見捨てないで。
ヴィオレッタはずっと泣いている。なのにヴィオレッタの主人は一度も会いに来ようとしない。
エディやペルーの言い分も理解できる。だがきっかけさえあればヴィオレッタはまた空を飛べるはずなのだ。簡単に見捨てるのは納得がいかない。
「おれ、竜騎士団の団長と直談判してくる」
「…………」
「おやっさん。向こうの団長がいいって言ったら、ヴィオレッタのことおれに一任してくれないか? 頼むよ」
アプティカは深く頭を下げた。エディの許可が出るまでその場から動くつもりはなかった。やがて頭上から盛大なため息が聞こえてきた。
「――条件をつける。一週間だ。一週間でなんとかできなければ諦めろ。クロードとの交渉はお前に任せる」
「っありがとうおやっさん!」
アプティカは顔を上げて喜色満面の笑みを浮かべた。「ま、やるだけやってみりゃいいんじゃね」「俺たちにできることがあれば協力してやるからな」ペルーを皮切りに、竜舎番の仲間たちも応援してくれる。みんななんとかできるならなんとかしてやりたいと思っているのだ。
今すぐにでも竜騎士団のところに行って交渉したいところだが、午前中の仕事はきっちり終わらせなければならない。
アプティカはそわそわしながら竜舎へと足を向けた。




