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南溟の海魔(メールシュトーム)  作者: 雅夢&白鬼
第一章 ある造船技官の回想録
9/13

新春特別企画「草薙」wiki風

初の連続投稿です、新春特別企画として「草薙」型の色々をwiki風にまとめて見ました。お楽しみください。

新春特別企画


草薙型装甲巡洋艦

※この項目では、装甲巡洋艦について説明しています。その他の用法については「草薙」をご覧下さい


草薙型装甲巡洋艦 (くさなぎがたそうこうじゅんようかん)は大日本帝国海軍の大型巡洋艦。同型艦は4隻で内3隻は開戦直前に、残る1隻は開戦後に竣工している。

 帝国海軍の切り札とも言うべき酸素魚雷を駆逐艦が敵戦艦に肉薄して発射するまでの時間を稼ぎ敵の大型巡洋艦を圧倒することを目的して建造された。開戦から真珠湾攻撃やインド洋作戦、ミッドウェー海戦やレイテ沖海戦などの主だった大規模海戦に参加している。


草薙型装甲巡洋艦


  【艦級概観】


艦種   大型巡洋艦又は巡洋戦艦

艦名   三種の神器より

前型   天城型巡洋戦艦

後型

同型艦 草薙 八坂 八咫 三種


  【性能諸元】


排水量  基準31,400t 公試34,950t 

 (草薙 基準30,800t 公試34,230t)

全長   240.0m

全幅   27.5m

平均喫水 8.8m

主缶   ロ号艦本式重油専焼水管缶8基

主機   艦本式オールギヤード・タービン4基4軸

最大出力 165,000hp

最大速力 35.0ノット

航続距離 18ノット(約33km/h)で8,000浬(約14,800km)

乗員    1,300名

兵装 50口径31cm3連装砲 3基

 60口径三年式15.5cm連装砲 2基

 40口径八九式12.7cm連装高角砲 8基 

 61口径九六式25mm3連装機銃 4基

 61口径九六式25mm連装機銃 6基


装甲 舷側:195mm(傾斜装甲)

 甲板:125mm

 主砲塔:205mm(前盾)、205mm(側盾)、56mm(天蓋)


航空機  固有機無し

 カタパルト2基


【目次】


1、概要

2、艦形

3、主砲、その他備砲

4、防御と艦体

5、米国の大型巡洋艦との関係

6、同型艦

7、脚注

8、関連項目


概要

本来本型は水雷戦隊の指揮・教導を目的として計画された大型巡洋艦で第三次海軍軍備拡充計画(通称マル3計画)の追加計画である昭和十三年度計画として建造が承認実施されている。装甲巡洋艦とされたが本型は実質的には戦艦に準じた構造をもち、短時間であれば戦艦との打ち合いにも耐えられるとされている。このような性能と大きさから海外の資料では巡洋戦艦と類別されることが多い艦である。

1921年に締結されたワシントン海軍軍縮条約において日本は保有艦の排水量において英米の6割以下に制限されることと成った。この不利な条件に対して帝国海軍は個艦の戦力充実つまり重武装化と航空戦力の活用、他国に例を見ない推進剤に純酸素を使用する長射程・大威力の大型魚雷である九三式魚雷(通称酸素魚雷)の開発により数的劣勢を覆そうとしていた。 特に酸素魚雷は決戦兵器とされ、最終的には重巡洋艦にまで装備されることとなった。

日本海軍が策定した艦隊決戦計画において、主力部隊同士の艦隊決戦の前後に巡洋艦を先頭に水雷戦隊が敵部隊に夜間雷撃を行う事になっていた。しかし、4群80隻を超える大艦隊を指揮するのには旗艦として建造された高雄型重巡洋艦であっても司令部要員の収容、或いは通信能力の面からも無理があるとされ、それに代わる艦が必要とされた、こうした要求から計画されたのが本型である。なお本型の開発には時間の短縮から金剛型代艦計画の検討案の一つ、主砲口径抑えて艦の高速化を目指すB-65型大型巡洋艦計画を母体とする事になった。主砲が当時の主流であった35.6センチ砲でなく31センチ砲なのはそのためである。また本型は既に艦齢25年を超えている金剛型戦艦の代艦としての性格も併せ持っておりそうした面からも巡洋戦艦という類別もあながち的外れとは言えない。


艦形

本型の外観は、直後に完成する大和型戦艦に主砲のレイアウトや上部構造物の形状が酷似しているが、当初これは意図して行われたものではないとされている、有る程度設計が進んだ段階で軍令部から大和型に極力似せるように指示があって最終的な外観が決定された。

本型の船体は平甲板型船体であるが同時期の重巡洋艦と同じく艦首の艦舷は高く、強いシアが付けられていた。設計時に大和型や翔鶴型の船体形データを参考にしたため類似した船体形となっていて、一見すると大和型を細身にした船体形に見えるが実際には翔鶴型の船体形の流用となっている。

艦前部には新設計の50口径31センチ砲を3連装にして2基装備、その後方に60口径15.5センチ砲を連装で副砲として装備、この第一副砲の直後から上部構造物が始まり、司令塔の背後に大和型に酷似した塔型艦橋が立っている。この艦橋は一足先に改装の際に塔型艦橋にした戦艦比叡の実績を下に作られている。艦橋のレイアウトは頭頂部に九八式射撃盤と九四式方位照準装置を立てに重ねて搭載、その下に戦闘艦橋、操舵艦橋の順となっている。艦橋の背後には斜めに傾斜した集合煙突が立ち、周辺は搭載艇の置き場となっている。煙突の後方には少し間を空けて後部司令塔が立ち更に後ろ向きの副砲1基と主砲1基が配置され、最後尾には水上機用のクレーンとカタパルトが設置されていた。


主砲、その他備砲

本型の主砲である50口径31センチ3連装砲は新設計の砲であるが、本来この砲は先に記した比叡の改装の際に用意された砲で、結果的に比叡では使用されなかったため本型に使用されたとされている。但し本型に搭載するに当たって内部の再設計が行われ極めて大和型の九四式40センチ砲に近いレイアウトになっており大幅な機械化と自動化が進んでいた。また機械化が進んでいたことから重量砲弾の使用を前提としており35.6センチ砲弾に匹敵する威力があったされている。

本型の内この50口径31センチ3連装砲を3基9門搭載したのは八坂・八咫の二艦のみであり、一番艦の草薙は防空担当艦として60口径15.5センチ3連装砲5基15門を搭載、大戦中期に完成した三種は主砲として50口径31センチ3連装砲を前後2基6門と副砲として60口径15.5センチ3連装砲を前部2基後部1基の計3基の9門と個艦による違いが大きいのも本型の特徴である。

八坂・八咫の二艦は副砲として60口径15.5センチ連装砲を前後に1基づつ、計2基4門を搭載している、この砲は草薙へ搭載される際に大幅な設計の見直しが行われ、50口径31センチ3連装砲と同様に大幅な機械化と自動化が行われ毎分最大12発の発射を可能にしていた。これは大口径高角砲として充分な発射速度であり、長砲身の威力もあって高高度を飛ぶ米軍の大型爆撃機にも対応できる性能を持っていた。

高角砲は新設計の65口径九八式10センチ連装高角砲を搭載しているが、草薙と八坂・八咫では形式が違う。草薙では後の乙型駆逐艦(秋月型駆逐艦)の主砲と同様の砲塔型を搭載、他の二艦は大鳳や大淀と同様の防盾型を搭載している。草薙が砲塔型なのは対空射撃は主砲も行うため主砲の爆風や衝撃波から砲や要員を守る必要が有るからでこのために草薙型の砲塔は乙型駆逐艦のそれより強固に作られている。一方の防盾型は基本的に主砲の使用時には重ならないことが前提であるため主砲使用時には使用できない。また砲塔型では砲塔内に揚弾筒が有るため毎分19発の射撃を可能としているが、防盾型では複数の砲で揚弾装置を共有しているため発射速度がやや落ちる

結果と成っている。なお4番艦の三種のみ65口径九八式10センチ連装高角砲ではなく40口径八九式12.7cm連装高角砲12基24門となっているのは65口径九八式10センチ連装高角砲の生産が間に合わず当面の措置として搭載したまま換装の機会を失った結果である。三種は四隻の草薙型のうち唯一終戦まで生き残り戦後米軍に引き渡されたが米軍はこの艦に米海軍標準の38口径12.7cm連装両用砲を8基16門搭載、朝鮮戦争に従軍させた後に自衛隊の前身である海上警備隊が発足されると装備はそのままで返還させている。

このほか高角機銃として、帝国海軍の標準的高角機銃である61口径九六式25mm3連装機銃を4基、連装機銃を6基と多数の単装機銃を搭載してたが、この61口径九六式25mm機銃威力も問題の多い装備であった、ヴィカースやボフォースの40ミリ機関砲と比べれば短射程と低威力が問題となり、エリコン20ミリ機関砲と比べると射程は長いが反動が大きく取り回しがし難い、そして装弾数が箱形弾倉の15発と言う少なさ。こうした問題から艦政本部第一部はシンガポールのセレター軍港内に荷揚げされていたイギリス軍のボフォース40ミリ機関砲を仮称40ミリ高角機銃として搭載、このほかにもエリコンFFL20ミリ機関砲のライセンス品である99式20ミリ2号機銃の艦載型(60発のどらむ給弾式)をその補助として搭載した。草薙では40ミリ高角機銃の4連装を後部艦橋の両舷に2基ずつ計4基、艦橋基部の両舷に1基づつの計2基そのほか上部構造物両舷に連装を片舷4基づつ計8基搭載している。99式20ミリ機銃は多くは単装だが一部に4基を一つの架台に載せたものを使用している、この対空機銃はドイツの2cmFlakvierling38(38式4連装2cm対空砲=通称魔の4連装)と酷似した架台の左右に単装の99式20ミリ2号機銃を2門ずつ搭載したものでより濃密な弾幕を張ることが可能とし煙突の左右に2基ずつ搭載された。

八坂・八咫・三種では40ミリ機銃が連装8基、99式20ミリ2号機銃は単装、連装、4連装含めて100基を超える機銃が装備されたが戦闘の激化によりに40ミリ・20ミリ共に増強されていった。


防御と艦体

本型の防御面での特徴だが、海軍の要求である31センチ砲弾に対しては20,000m~30,000m、800kg爆弾の急降下爆撃に耐える防御が成されている。装甲の防御配置は英国式の集中防御方式を採用し、日本独自の技術として大和型同様の下へ行くほどテーパー状にされたものを傾斜して装備する形式で舷側装甲の最大厚は195mmであった。甲板の装甲も125mmの一枚板とされている。

機関は、大和型・翔鶴型と同様のものを使用しているが翔鶴型に搭載した機関よりも更に高温高圧にすすると同時に低速タービンの出力の見直しが図られ燃焼効率の向上が成されている。

艦首は翔鶴型同様のバルバス・バウを採用、大和型と違い前ではなく横へ膨らんだ形状となっているがこれは大和型の27ノットに対して草薙型の35ノットと出す速度の違いにより発生た相違である。

砲塔部の装甲は個艦の装備により違いが有る、草薙はの主砲は15.5センチ砲を搭載し対空射撃を目的とした重高角砲ある為、砲塔の素早い動きを優先して比較的薄い装甲となっていて、重巡洋艦の20センチ砲弾に耐えられる装甲とされている、但し火薬庫への誘爆を防ぐために周囲と揚弾筒の入り口は耐31センチ砲弾の装甲が成されている。他の艦では砲塔は31センチ砲弾に耐えられる装甲が施されている。


米国の大型巡洋艦との関係

草薙型の建造と前後してアメリカ海軍も大型巡洋艦であるアラスカ級の建造を開始したが、大和型と草薙型の情報が日本側の意図もあって混同して伝わった結果、建造中の艦は大型巡洋艦ではなく戦艦だと判断され一時建造が棚上げされた結果竣工は大幅に遅れ大戦末期となってしまっている。


このアラスカ級と草薙型を比較すると、同じ思想によって造られたように見えるが用兵やその建造思想は大きく異なる。


草薙型は、先に記したように艦隊決戦における夜間雷撃において、部隊の指揮中枢を担う機能を持ち、敵主力(戦艦)部隊へ肉薄するため、その前に立ちはだかる巡洋艦を排除する役割を担っていた。その結果として計画された草薙型は自艦の31センチ砲弾に耐えうる装甲を持つ「巡洋戦艦」的な装甲艦として設計されている、実際には巡洋艦の船体構造や防御技術ではなく大和型を含めた日本の戦艦技術の集大成として軽戦艦的に建造されたのが本型であると言える、これには草薙型が金剛型高速戦艦の代艦としての側面を持つこともその理由の一つして上がられる。


対するアラスカ級は、本来持つアメリカ海軍の巡洋艦の役割の上にその建造目的が置かれており従来型の巡洋艦の拡大型と言う事ができる。アメリカ軍の巡洋艦の役割は当時は低速の戦艦に変わる空母部隊の直援任務、及び単艦での分遣・哨戒任務であり、その艦に必要とされるのは想定される敵の条約型巡洋艦や通商破壊艦を一方的に撃破できる能力であり、条約型巡洋艦を超えた大型巡洋艦が出現したときの対抗馬としての役目であった。その結果のアラスカ級は基本的に巡洋艦の設計思想で造られ、自分より下位に戦力の攻撃に耐える程度の防御力有する本来的な巡洋艦の拡大型として建造されることになったのである。


戦後、唯一の生き残りである4番艦の三種を調査したアメリカ軍の調査団は、特筆すべき特徴は無いとしているが、同時に草薙型に対して使用できる局面に柔軟に対応でき使い勝手の良い艦だと評価している。その三種は冷戦の激化に伴いアメリカ軍に接収され艦名をハワイとして星条旗を掲げて戦場に赴くことと成ったが、皮肉なことにそのハワイの艦名は終戦で建造中止となったアラスカ級三番艦に予定されていた艦名であった。


同型艦


草薙

一番艦でネームシップであるが、建造途中の第二艦隊事件の結果、防空艦の実験艦とされ60口径15.5センチ3連装砲を前部に3基、後部に2基の15門の重高角砲を持つ前例の無い防空艦として竣工した。ハワイ攻撃を始め、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、マリアナ海戦、レイテ海戦と機動部隊と共に大規模作戦に参加したが、昭和20年4月8日の沖縄沖海戦で米海軍戦艦との砲撃戦の末戦没した。


八坂

二番艦ではあるが一番艦の草薙が設計の手直しで一時建造が中断したため先に完成した。竣工後に草薙・八咫と共に第12戦隊を編成し、ハワイ、インド、ミッドウェーの各海戦を戦い、戦場が南方のソロモン海方面へ移ると僚艦と共に南方方面の作戦に投入されることになった。1942年11月12日に行われた第三次ソロモン海戦において、13日15日に沈没した比叡・霧島に変わって八坂・八咫が再びガダルカナル島砲撃に向かったが米海軍の待ち伏せを受けて八坂はブリッジに米海軍戦艦の主砲弾(ワシントンのものと推測されている)を受けて航行不能となり駆逐艦の魚雷により撃沈された。


八咫

三番艦として三菱重工業長崎造船所で建造され、開戦直前に竣工した。竣工後直ちに姉妹艦からなる第12戦隊に配属、八坂と共にハワイ、インド、ミッドウェーの主な大規模海戦に参加し、八坂が沈んだ第三次ソロモン海戦においても小破で帰還している。その後草薙と共にトラック島を拠点に空母部隊や船団護衛の護衛の任に付いていたが、1944年2月のトラック島空襲で後部に被弾、後部砲塔と機関部に損害を受けたが航行可能として同じく損傷した工作艦明石を護衛してパラオに回航したが3月30日のパラオ大空襲で護衛対象の明石と共に大破着底した。


三種

四番艦として二番艦八坂が進水後の呉工廠のドックで建造、予定通り昭和17年4月12日進水することが出来たのですが、当時既に各工廠、ドックは開戦に伴い戦争に必要な補修や改装に割り当てられており艤装に時間のかかる大型艦は後回しにされることなり竣工が何時になるか決まらない状況が続いた。そして、6月のミッドウェー海戦において三隻の正規空母が失われたことで三種を空母に改装する案も出たが、改装計画の製作中に八坂が撃沈されたことで再び本来の草薙型装甲巡洋艦として完成させることが決まり一気に艤装作業が進められたが、航空脅威に対応するために本来の主砲を前後2基とし、副砲を草薙と同じ3連装に戻して9門とする事になった。しかしその一方で本型の特徴でも有る65口径九八式10センチ連装高角砲は、生産が間に合わないと言う理由で40口径八九式12.7cm連装高角砲12基24門を変わりに搭載する結果と成り防空の力を果たして上げれたのかは疑問とされている。1944年1月に竣工した本艦はその後慣熟航行を兼ねた船団護衛任務に付いたがその後マリアナ沖海戦に参加、初の大規模作戦であったが持ち前の防空能力の高さから逆に空母以上に敵艦載機に狙われる結果と成り爆弾3発、魚雷2本を被弾し中波判定を受けて呉軍港へ戻される結果と成った。三種の損害は大きく坊ノ岬沖海戦までに修理を終えることが出来なかった、三種はその後は呉周辺の浮き砲台として敵艦載機の来襲に対応したが、特に大きな戦果も無く、8月6日に単機で広島上空へ侵入しようとした不信なB29爆撃機を副砲の15.5センチ砲で撃墜したのが特筆すべき戦果と言えた。終戦後三種は戦後賠償の一環として米軍に接収され、調査の後に激しさを増すアジア地域での冷戦に対応するために米海軍は三種を大型巡洋艦ハワイとして艦隊の一員として迎えいれた。接収後三種は1番副砲を撤去して本来の31センチ3連装に換装、対空砲としては米海軍標準の38口径12.7cm連装両用砲を8基16門搭載し他の機関砲はそのままにしてFCSのみを増設、三種改めハワイはこの状態で朝鮮戦争に従軍、終戦後日本に新設された海上警備部隊が設立されると日本に返還された。しかし、当時の日本にこのような大型艦を運用する能力は財力ともに無く、老朽化を理由に解体となっている。


7、脚注


8、関連項目

大日本帝国海軍艦艇一覧

お遊びで書いたのですが、6500文字オーバーになってしまいました。それをほぼ一日で書いたんですが・・・、本編を書いたほうが良かったですかね?

これでストックはなくなりましたのでちょっと投稿の間隔が空くかも知れません御容赦ください。

※戦隊名を変更しました。第10戦隊が史実上存在していましたので第12戦隊に変更しました。

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