第八話 変転
あけましておめでとうございます。今年も南冥の海魔をよろしくお願いします。
第八話 変転
昭和17年(1942年)4月18日、アメリカ軍は空母に搭載した陸上双発爆撃機をもって日本本土を空襲する奇想天外な作戦を計画、実施しました空襲の指揮官は陸軍中佐ジミー・ドーリットル、日本近海に接近した空母ホーネットを発進した16機のB-25は日本各地を空襲した後、中国本土へ脱出したのです。
「陸上用の双発爆撃機を空母に載せるとは良く考えたものですね。」
「苦肉の策でのです.
当時アメリカは真珠湾攻撃とその後に行われた伊号潜水艦による空襲と砲撃により恐慌状態にあったのです。加えて士気の下がった軍の梃入れのためにも大きな戦果を必要としていた、そうした事情からこれらの作戦が立案され実行されたたのです。」
ローウェル中佐は、新しく入れなおされたコーヒーを私に差し出しながらそう作戦を評した。
「ミスターニシオカは、当時どちらに?」
「私はインド作戦終了後に行われる予定の「草薙」型各艦の改装計画の詰めを行うために艦政本部に缶詰でした、『帝都に敵の侵入を許した!』と騒ぎになったのを覚えています。」
開戦より一年目の昭和16年から年が変わって私は再び艦政本部第四部の設計局へ戻っていました、仕事はそのまま「草薙」型に関する設計でした。
実は「草薙」型各艦は完成一歩手前の状態で実戦に配備されていたのです。未完成と言うほどではないが未だ完成ではない状態、具体的には本艦の切り札である高角砲の搭載の遅れそれに当たります。
「草薙」型が搭載したのは始めて実戦に投入された65口径九八式10センチ高角砲、通称長10センチ砲は昭和13年に採用されたばかりの最新式の高角砲でこれまでの40口径12.7センチ高角砲の性能を大幅に凌駕する次世代の高角砲でした。
しかしながら、この長10センチ高角砲は高性能でしたが構造が複雑で生産性が悪く、また「草薙」型に搭載された当時は未だ生産が始まったばかりで数が圧倒的に足りず、防空艦である「草薙」に計画の連装12基24門を8基16門に減らして搭載、他の「八坂」「八咫」は旧式の40口径12.7センチ高角砲を10基20門を搭載することで対応、後日生産が進んだところで追加、換装を予定していたのです。
これ以外にも改正点は多数ありました、最深刻な問題は、長10センチ高角砲と九六式25ミリ高角機銃との間に発生した射程の隙間の問題でした。
当時日本には25ミリ以上の対空機銃が無く高角砲の弾幕を抜けた後、機銃の射程との間に大きな隙間が発生していることが問題とされていたのです。
解決策としてはより射程の長い大口径の高角機銃を導入することです。以前帝国海軍でもヴィッカース社の40ミリ機関砲を毘式40ミリ機銃として採用していたのですが、低初速で弾道が不安定な上に故障が多くて最終的に全て九六式25ミリ高角機銃に換装されています。
我々艦政本部第四部(造船担当)と第一部(砲熕担当)もこの問題解決に多くいの時間を割き、対応策を練っていましたが、これといった策も無く誰もが万策尽きたと思ったとき、思わぬ方法であっけなくこの問題は解決したのです。
「西岡さんいらっしゃりますか?」
第四部の設計局に顔を出したのは最早顔なじみと成った第一部の技官の佐橋氏だった。最近顔を見ないと思ったら少し日焼けした姿で現れた彼に私は訝しげに問いかけました。
「確かに、久しぶりだな佐橋君。この忙しいときにどこへ行っていたんだ?」
「シンガポールですよ。」
私の言葉は少々棘の有る言葉だったらしく、珍しく佐橋技官が不満げに言葉を返した。
「シンガポール?昭南島か?」
「セレター軍港に有ったんですよ。
この問題を解決する鍵が。」
「鍵?」
私の問いに佐橋技官は黙って報告書らしい書類と数枚の写真を渡しました。
「これは・・・。驚いたな。」
「スウェーデン製、ボフォース40ミリ機関砲です。」
「これが昭南島に?
「昭南島セレター軍港の倉庫に隠されていたのです。
連装型60基120門、補修用の部品も各100点ほど有りました。砲弾は600万発。
全て抑えて此方へ運ばせています。」
少し得意げな表情に変わった佐橋氏が無邪気に胸を張ってそう答えました。
「しかし、どうしてシンガポールに大量のボフォース機関砲が有ったのだろうか?」
「英軍の捕虜の話ですと、シンガポールのセレター軍港へ回航したプリンス・オブ・ウェールズとレパルスのビッカース40ミリ機銃をボフォースに変える予定だったらしくて、先廻しにシンガポールに運び込んでいたらしいのです。」
「つまり英軍が、ご自慢のポンポン砲を諦めたと・・?」
ポンポン砲は、ヴィッカースQF2ポンド砲(QF=速射)の別名です、このヴィッカースQF2ポンド砲は先に記した毘式40ミリ高角機銃の原型となった機関砲ですが、実際には濃密な弾幕を張るために4連装(MkⅦ)または8連装(MkⅤ及びⅥ)にして使用されました。
イギリス海軍の主力対空機関砲として大型の8連装は戦艦や空母に、4連装は巡洋艦や駆逐艦に搭載されましたが、複雑で大掛かりで重い割りに故障が多く、更に有効射程が短く発射速度も遅く、初速が低いため弾道特性も悪いなど問題が多く結果的に次に採用されたボフォース機関砲に取って代わられることになったようです。
そのボフォース機関砲は、北欧のスウェーデンのボフォース社が開発した大口径機関砲でイギリスやアメリカ等の連合国だけでなく、ドイツや日本などの枢軸国でも広く使用されています。
L60=60口径という長砲身で最大射程はポンポン砲の約倍の7100m(有効射程4000mでほぼ同じ)で故障も少なく発射速度が速く、重量も比較的軽いため極めて有効な対空砲として使用されました。
唯一の欠点は砲弾が4発のクリップで給弾されるため弾幕を張り続ける為には常に砲弾を補充し続ける必要が有る事で、射撃中の写真には4発クリップの砲弾を手にした装填要員が機関砲を取り囲むように待機している様子が写されています、対照的にヴィカースQF2ポンド砲は20連発(組み合わせると更に増やすことが出来た)のベルト給弾が特徴ですがそこに故障が集中していました。
「草薙」改装の時点で未だ英軍は、ポンポン砲への執着を捨てきれずにいたようですが転ばぬ先のナットやらで、シンガポールに派遣したプリンス・オブ・ウェールズとレパルスや他の艦艇の対空能力の向上のために大量のボフォース機関砲を送り込んだのが真相のようです。
しかしながらその荷の到着を待たずにプリンス・オブ・ウェールズとレパルスはその脅威とみなした航空機による攻撃で沈められ、結果的に行き先を失った大量のボフォース機関砲はシンガポールのセレター軍港に有った倉庫に眠ることと成ったのです。ちなみに何故降服時に破壊を免れたかと言うと陸軍に秘密のまま持ち込まれたためその存在を陸軍が知らず破壊に対象とならなかったオチが付いています。
意外な方面からその支給を受けたボフォース機関砲は秘匿名称を40ミリ高角機銃として「草薙」型各艦へ搭載される事と成り、インド洋作戦終了後65口径九八式10センチ高角砲の増設、換装時に九六式25ミリ高角機銃に換えて搭載することが決まり帰港後に実施に移されたのです。
なおシンガポ-ルで見つかったボフォース機関砲はコピーの為と称して全在庫は艦政本部第一部が管理することになり実質的に「草薙」型や防空艦へと配備されて行きました。また陸軍も本砲を鹵獲しコピーして使用しているが本件とは別口で入手したと考えられています。
これ以外にも対空能力向上策は考えられていて、効果の見込めない13ミリ機銃を廃止、換えてエリコンFF機関砲のライセンス品で有る99式20ミリ機銃の地上配備型を搭載する案が纏まりました。99式20ミリ機銃は有名な零式艦上戦闘機に搭載されたことで知られる海軍の標準的機銃です、ただこの時点で使用されていた99式20ミリ機銃は後に一号銃と言われる銃身が短く薬莢のサイズも小さなタイプで対空砲として使うには有効射程距離が300m程度と短く使用できないとのことで、長銃身を採用した2号銃の艦載型を開発することになりました。実際の開発製造は富岡兵器製造でしたが艦政本部第一部より担当官が派遣され開発に協力することになったのです。
実は性能向上型の2号銃は昭和16年11月には開発が終了していたのにも係わらず現場の部隊から重量が増えることに対する反対があって店晒しになっていたのです、したがってこれを艦載型に仕様を変更するのはさほど大きな問題も無く実行に移すことが出来、「草薙」の改装時には50基ほどの艦載タイプが生産されており「草薙」へ優先的に搭載されることとなりました。
インド洋作戦が終了し本土へ帰還中の「草薙」「八坂」「八咫」の各艦は、連合艦隊司令部より呉への寄港を命じられ、4月2日には第一航空艦隊の空母より一足早く呉へ入港した。
ドックで船体の検査を行った後、艤装岸壁で対空砲の換装と増強が行われました。第一次改装に要した期間は約一月、例の無い早さですがこれにはタネも仕掛けもありました。
「草薙」では当初の予定通り12基分の搭載場所が用意されており、揚弾筒も設置された状態で砲の置かれない場所は一時的に蓋をしてその上に機銃座を設けて対応してきたのです。こうした対応は「八坂」「八咫」においても同様に行われたので開戦後、砲の生産が進み時間が取れたところで増設、もしくは換装となった訳です。
短期間での改装が行われたのには更に理由がありました、先のアメリカ軍による日本本土空襲に対する報復策として行われるミッドウェー島攻略作戦に間に合わせるためのものです。
その結果、三隻とも改装を5月上旬までに終え、その後に増設・換装された高角砲や新設の40ミリ機銃や20ミリ機銃の動作確認や試射などの行い艦隊に復帰したのは20日ごろとなり、27日には第一航空艦隊としてミッドウェー島攻略作戦に参加するためミッドウェーへ向かいました。
作戦に先立ち参加する艦艇指揮官並び各戦隊指揮官は新しく旗艦となった戦艦「大和」の会議室に召集され詳細な作戦に対する説明と命令を受けたのですが、第12戦隊指揮官の木村少将と松田千秋艦長はその席で驚くべき命令を受けたのです。
「主力部隊の支援に回れと言うのですか?」
その命令を聞いた松田大佐の、凍て付く様な声が会議室に響いと伝えられています。
さて、この後新春特別企画として1話投稿します。お楽しみに。
※戦隊名を変更しました。第10戦隊が史実上存在していましたので第12戦隊に変更しました。
MI作戦をミッドウェー島攻略作戦に変更しました。