第四話 急転直下
本日(12/7)の8時にアップする予定が出来ませんでした。
第四話 急転直下
「第二艦隊事件ですか?」
「『友鶴』事件や第四艦隊事件のような海難事故ではありませんよ。」
私は、どうやらこの一件を知らないらしいローウェル少佐に対して機を制するように、先回しに答えました、先例もありますから当然そのような問いになることは予想できましたから。
「ローウェル少佐は兵棋演習をご存知ですか?」
「兵棋演習ですか?」
聞きなれない言葉にローウェル少佐は頭を捻る。
「英語では何て言ったでしょうか・・・?」
私は広げたノートの捲り該当記述のページを探しました。
「ああ、有りました。War gameもしくはMilitary Simulationですね。」
「Military Simulation、解ります!我が国でも士官学校で実技演習がありますから。
でもそれと事件となんの結びつきがあるのですか?」
ローウェル少佐は、タバコの火を灰皿に押し付けて消すと訝しげにノートを覗き込んだ。
兵棋演習は、図上演習一種として広く今日に至るまで使用されている軍事教育や研究の手段です。日本へはローウェル少佐の母国アメリカ合衆国から導入されおり、導入を働きかけたのはかの有名な秋山真之中将で、彼は海軍大学校の教官時代にこれを授業に取り入れ生徒らの指揮能力向上を図ったといわれています。
以来帝国海軍において指揮官を目指す学生たちにとっては必須とも言うべき演習科目であるが、同時に現役将官たちもまた作戦の立案や分析などの研究手法として、条件や環境、シナリオを変えて頻繁に行われていました。
ところで兵棋演習などと言う言葉は今日は一般的ではありませんが、ウォーゲームの名で今日でもボードゲームやコンピューターゲームなどでシュミレーションゲームとして一部の層に根強い人気を持っているそうですし、自衛隊では“図上演習”や“指揮所演習”の名で現在も引き続き行われているそうです。
昭和13年5月8日、海軍大学校の兵棋演習場において恒例の兵棋演習が行われました。
当時、統制官(審判)を務めた松田千秋大佐の手記によれば、
『今回極めて特徴的だったのは片方(青軍)の軍側が空母を集めた艦隊編成を行っていたことだ。
対する赤軍は巡洋艦、駆逐艦で編成した本来の第二艦隊へ高速戦艦を編入させた砲撃雷撃が主任務の艦隊編成となっていた。』
と記されていた。さらに手記には次のような内容が記されていた。
『そもそも事の起こりは兵棋演習に先立つ研究会での論争が原因である、樋端久利雄少佐や小園安名少佐らの航空主兵派と砲術士官らの恒例となってしまった感がある、“戦闘の勝敗を決めるのは戦艦か航空機か”の論争からで、“ならば兵棋演習で勝負をつけよう”となったらしい。』
としてしています。
ここで補足説明ですが当時の海軍内事情を説明しておきましょう。
海軍を象徴する艦といえばそれは戦艦である、その中でも旗艦を勤める戦艦をを頂点に一等(重)二等(軽)巡洋艦や駆逐艦といったピラミッド状の階層組織を築くのが当時の大日本帝国海軍のみならず世界の海軍に共通した認識と言えます。
そんな中で、日本は二つの軍縮条約下において欧米列強に比べて主力である戦艦の保有数において大きく制限されていたことは先に記した通りです。
ここで生まれた戦力差を解消するために切り札として開発されたのがアメリカ海軍に“ロング・ランス”や“蒼き殺人者”とも呼ばれた九三式魚雷などの酸素魚雷でした。
これと同時に当時日本海軍が拡充したのが航空戦力でした、陸上基地から発進、長躯して敵に肉薄し攻撃する双発の陸上攻撃機と空母から発進して攻撃を行う艦上爆撃機と攻撃機がそれでした。
当時日本海軍はこうした強力な航空戦力を持ちながら、最終的に勝敗を決めるのは巨砲を積む戦艦であるとする戦艦主兵主義或いは大艦巨砲主義が主流であり、これに批判的な特に若手の航空主兵主義の士官が持論を披露する機会を窺っていたのが現状でした。
こうした中、航空主兵派に煽られる形で行われたのがこの兵棋演習でした。
ノートに記されたメモによりますと投入された戦力は、
赤軍(戦艦主兵派)
戦艦 「霧島」 「榛名」
重巡洋艦 「妙高」 「那智」 「羽黒」
軽巡洋艦 「神通」 「那珂」
駆逐艦 第八駆逐隊(「朝潮」 「満潮」 「大潮」 「荒潮」)
第ニ駆逐隊(「村雨」 「夕立」 「春雨」 「五月雨」)
の計15隻、対する青軍(航空主兵派)は
空母 「赤城」 「加賀」 「龍驤」
重巡洋艦 「最上」 「熊野」 「利根」
軽巡洋艦 「阿武隈」 「川内」
駆逐艦 第六駆逐隊(「雷」 「電」 「響」 「暁」)
第一一駆逐隊(「吹雪」 「初雪」 「白雪」)
の15隻で艦載機は三隻計で約150機とされました。
兵棋演習場は中央が衝立によって仕切られ、それぞれ並べられた机には海図と艦船を示す駒が置かれる。
青軍と赤軍の指揮官役となった士官がそれを指揮して戦闘を行い勝利条件を満たした者が勝者となる。
この日も演習は粛々と進められる、深夜の設定により開始され演習は指揮役の士官が進行方向と速度を示して時間経過とともに駒は動かされてゆく、やがて夜明けとなると両軍とも索敵を開始、赤軍は搭載の水上偵察機で青軍はそれに加えて艦上攻撃機も索敵に使用、素早く発艦定められたコースを進んでゆく。
最初に敵に達しのは、手数の多い青軍の空母部隊であった。統制官のサイコロが振られてその目数によって結果が明らかになる。
「青軍索敵成功。敵艦隊発見。」
先手を取った事に青軍側が沸く。
「攻撃隊を発進させよう。」
「待った、敵との距離は?」
「約300海里(546km)だ。」
「駄目だ、攻撃機以外は届かない。」
「艦戦が使える220海里(400km)まで我慢だな。」
などの声が聞こえる。
私はここで一つ疑問を持った。
“わが軍の九六式艦戦で片道600km、九六式艦爆なら同じく片道665kmの航続距離を持つ、440kmなら余裕のはずだと。”
この疑問に対する答えは後に得ることが出来た。
通常、攻撃に際しては航続距離の半分を片道の到達距離とはせず、ほぼ三等分とし往復の到達距離として残りを戦闘に使う燃料用と考えます。今回の例では艦戦に合わせて最低でも400kmに近づく必要性があったのです。
それからの展開は中々興味深いものがあった、青赤両軍とも索敵機を飛ばすのだが、艦攻まで索敵に当てる青軍の方が常に優位に立っていた。
それでも赤軍も青軍艦隊を発見、艦隊を敵に向けて進めてくる。
しかし、青軍指揮官たちはそれを待っていた。やがて彼我の距離が220海里(400km)を切ると青軍指揮官は全空母に攻撃隊の発進を命じた。
この時の戦力、旗艦赤城より九六式艦戦5機、九六式艦爆20機、九七式艦攻25機。
加賀より九六式艦戦10機、九六式艦爆25機、九七式艦攻30機。
龍驤より九六式艦戦5機、九六式艦爆15機、九七式艦攻15機。
総数135機の大編隊であった。
発進した攻撃隊は一時間半ほどして赤軍上空へ現れた。
この時の赤軍の陣形は、
「神通」 「朝潮」 「満潮」 「大潮」 「荒潮」
← 「妙高」 「霧島」 「榛名」 「足柄」 「羽黒」
「那珂」 「村雨」 「夕立」 「春雨」 「五月雨」
となっていた。
最初に攻撃を開始したのは龍驤の艦爆隊であった、15機の九六式艦爆が先頭を行く「妙高」に殺到した。
「『妙高』の攻撃・・・・、一機撃墜。」
まず「妙高」の対空攻撃の結果が告げられ、続いて・・・。
「『龍驤』艦爆隊爆撃・・・・成功。」
攻撃の可否を占うサイが振られ出た目の数で成功が伝えられる。さらにサイが振られて結果が占われる。
「命中6発、至近2発。」
「『妙高』・・、大破爆沈。」
私はサイを振って出た目の数から攻撃の結果を対照表から探す。
それに爆撃機の練度と武器の破壊力、標的の練度と回避能力を加味して結果を修正、その結果をそう告げた。
演習場の中にどよめきが起こった。見渡すと観戦席には海軍大学校の日比野校長や海軍次官の山本五十六中将、連合艦隊の元参謀長の小沢冶三郎少将といった大物軍人達の姿が見えた。
「龍驤」攻撃機隊は、当初の目的である「妙高」が沈んでしまったため一度攻撃を見合わせ変わって「赤城」艦爆隊が「霧島」にその矛先を向けた。
「『霧島』の攻撃・・・、撃墜3。」
サイが振られて攻撃の可否が占われる。
「『赤城』爆撃隊の攻撃・・・、成功。
命中7発、至近1発。」
「『霧島』中破、対空火器70%破壊、機関出力低下、速度20ノットに。」
速度が落ちて対空攻撃能力が落ちた「霧島」へ「赤城」攻撃機隊が向かう。
装備は雷装と告げられていた。
「『赤城』攻撃機隊の攻撃・・。」
サイの転がる音が演習場内へ響く。
「攻撃成功。魚雷4発命中・・。」
「『霧島』撃沈。」
それは思いもかけない出来事だった。
戦艦が航空機の攻撃で沈められる。
「榛名」をも葬った攻撃隊は一度空母へ帰還、給油と弾薬の補充を行い再度出撃をする。
勿論赤軍側もその間手を拱いていた訳ではない、艦隊を再編成し「足柄」を先頭に青軍艦隊へ進路を向ける。
しかし、索敵機より敵艦隊の動静を逐次知る青軍艦隊は接近を知るや反転、距離を取る。
再び攻撃隊を発進させた青軍、今回は前回と違い防御力の小さな艦艇を狙う為小規模な編隊を多数時間をずらして放つ。
今回は距離が近づいていたためおよそ一時間で赤軍上空へ現れる。
後は前回と同じ情景が繰り返されるだけだった。
統制官のサイが振られるたびに、「足柄」が、「羽黒」が、駆逐艦達が沈められてゆく。
航空機の援護の無い艦隊に130機を越える爆撃機と攻撃機が殺到したのだ、今日の私たちから見れば当然の結果では有るが、当時の将官たちにとってそれはありえない光景であった。
たとえそれが演習上の出来事であってもだ。
演習は終了した。
結果は、赤軍の内、戦艦は「霧島」と「榛名」の両艦が撃沈、重巡洋艦は「足柄」を残して二隻とも撃沈で「足柄」も大破、軽巡洋艦は二隻とも撃沈、駆逐艦は「夕立」と「春雨」を残して全て撃沈もしくは大破となった。
一方の青軍は艦載機を12機失い、艦隊に損害なしの結果となった。
青軍の一方的な勝利であった。
場所を会議室へ移しての反省会は予想通り荒れたものになった。
戦艦主兵派の砲術士官達にこの事実は受け入れ難いものが有ったからだ。
「これは兵棋演習に過ぎない、現実がこうなると決まった訳ではない。」
「今回の演習では航空機の評価が高すぎたのでは無いか?」
などと演習そのものに結果に疑問を持つ者や否定するものが大半であったが中には、
「今回の演習で解ったのは航空機の援護の無い艦隊は航空機からの攻撃に無力であることだ、やはり空母は各艦隊に分散して配備し艦隊を守ることに重点を置くべきだ。」
「各艦の対空砲の能力がお粗末過ぎる、もっと強化しないと我々は良い的になってしまう。」
など、結果を踏まえて対策を提案する士官も少数ではあったが居た。
対する勝者となった航空機主兵派の士官たちであったが、一部に砲術士官たちの発言を揶揄する者も居たが、大半は多くを語らず、特に中心となった樋端や源田、小園たちは青ざめた表情で戦闘結果を纏めていた。
私は不思議に思って樋端に声を掛けてみた。
「どうした?戦艦に圧勝したのだ、もう少し嬉しそうな顔をしたらどうだ?」
と、その私の言葉に樋端は苦しそうとも取れる表情を浮かべて・・・、
「喜べませんよ、こいつ(航空機による攻撃)がこっちに来たら『赤城』も『加賀』も一瞬でやられます。
そう考えたらとても・・・。」
そう力なく答えた。
確かに今は私たちが持っている力だがこれが相手(欧米列強)が持たないとは限らないのだ。
そうなったら連合艦隊は今日の第二艦隊と同じ道を辿ることになる。
確かに浮かれては居られない。
その後、樋端達が小沢少将を通じて機動部隊の設立と、同時に有力な対空攻撃能力を持つ艦船の建造を求めたことを知った。
-松田氏の手記より-
「これが第二艦隊事件の顛末です・・。」
「なるほど、それで『草薙』に15.5センチ三連装が5基も載せられる事になったのですね?」
「草薙」が防空艦として建造されることになる切っ掛けを聞いて納得の表情でローウェル少佐は頷いた。
「だからと言って、最初から15.5センチ砲搭載と決まったわけではありません。
何しろ防空艦をどう造るべきか、誰も解らなかったのですから。」
「なるほど、見本となるものが無い状態からの開発と言うわけですね。」
「世界最初になる英国の防空巡洋艦のダイドー級が1940年竣工、アメリカのアトランタ級が1941年竣工ですからね。此方もまったくの手探りと言うわけです。」
色々な対空砲の配置図を描きとめたノートを挟んで私とローウェル少佐は開発の難航ぶりを再確認することとなりました。
「そうした状況を打破したのが、前述の艦政本部第一部の佐橋技官です。」
「例の31センチ砲を開発した彼?」
「ええ、彼は15.5センチ砲を重高角砲(高射砲の海軍呼称)とし、高角砲の長10センチ砲と機銃で、長中近に対応する防空能力を持たせることを提案してきたのです、しかも、15.5センチ3連装砲の対空砲への改造計画と図面を合わせてです。」
私はノートのメモとローウェル少佐が用意した「草薙」用の15.5センチ砲の青焼き図面を指差してそう説明したのです。
いよいよ「草薙」の姿が固まっていきます。
挿絵描けるかな?頑張ってみます。