第三話 無理難題
第三話 無理難題
「設計から就役まで僅か4年で大型巡洋艦を造れですか?
随分と無理を言いますね。」
私がタバコの灰を灰皿に落とすため言葉を切ったタイミングで、ローウェル少佐は呆れた口調で言葉をはさんできた。
「軍令部が無理難題を押し付けてくるのは常のことですよ。実際私達はまたか位にしか思わなかったですし。
それに国家存亡の危機となれば手段を選んではいられないと言うことは私にも理解出来ましたから。
・・・・アメリカ軍でしたらどうなんでしょうか?」
「軍上層部が無理難題を言ってくるのは万国共通のようですが・・・・。
ただここまで理不尽な要求は通らないと思いますが。」
半ば願望の表情で、そう答えて彼も灰皿にタバコを押し付けた。
「でも結局、あなた方は4年で一番艦『草薙』を造り上げた、
いったいどうやって、この奇跡を起こしたのですか?」
再び口にくわえたタバコに火を着けながら、興味津々と言う表情で彼は再び問いかけてきた。
「何より、藤本先生の“遺産”の存在が在りました。
予定通りに就役できたのは、開発設計に掛かる期間が半年と、極めて短期間で済ませれたことが大きかったのです。
藤本先生の基本計画が在ったお陰で、修正と細部の煮詰めに集中すれば良かったのですから。
それと基本的に使用中もしくは開発が終了した技術、つまり既存の技術を寄せ集める事で開発の期間を短縮することに成功したのです。」
私はそう答えてノートの中からその辺りの計画を練ったページを開きながら説明を始めました。
確かに"設計から就役まで僅か4年で大型巡洋艦を造れ”は無理難題ではありました。しかし私には既にこの段階で、先年亡くなられた藤本造船少将が以前に検討資料として作成した大型巡洋艦の図面や資料を元に検討することで大幅に期間を短縮できると目算していたのです。
しかしながら当然そのままで造れるわけではありません、特に問題なのは船体の形状です。
多くの高速艦艇は上から見た形が紡錘形をしています、これは抵抗を少なくし高速を出そうとする船の基本的な形でした。
従って藤本先生の作成した図面もこの形状をしていました、しかし、この形で高速を出そうとするなら前後の長さを大きくする必要がありました。これは結果として喫水線部分が長くなり粘着抵抗が増大することと成ります、なによりバイタルパート(重要防御区画)の拡大を意味し、艦の更なる巨大化、排水量の増大を招き最終的に速度の低下となるジレンマへ陥ることを意味していました。
この解決策の一つは機関出力の増大がありましたが、これには技術的限界と艦の大型化を招く危険性を持っていました。
更なる解決策は新たなる船体形状の開発ですが時間が有りません、行き成り問題に躓く形となりましたが、解決策は意外なところに有りました。
先に開発が進んでいた1号艦と3号艦に新しい形状の船形が採用されていたのです。当然私にはそのデータに触れる資格は無く、またその様な艦の形状が有効であることも知りませんでした、しかし幸いにも以前供に藤本先生の下で仕事をした江崎氏よりその話を聞く機会がありました。
早速と、新型艦の形状の詳細情報を求めましたが、当時最高の機密情報とあって当然教えてはくれません、色々と伝を頼って話をしたところ3号艦の概略情報なら見せることが出来るとの話があり、さらに水槽試験用の模型も見る許可も貰うことが出来ました。
海軍技術開発の総本山である目黒の技術研究所には全長247メートルの実験水槽が在って、ここで艦船開発の際の船形実験が行われていました。そこを訪れた私達は3号艦の模型を見る機会を得ましたがその船形は少々意表をつく形でした、上方からの図は、お手元にビール瓶や一升瓶を用意して頂くとある意味理解しやすいと思いますが、その形状は涙滴を引き伸ばした様な細い艦首から船体の三分の一のポイントに向けて逆アールで急激に広げた形となっていました。
後で見ることが出来た一号艦は巨砲を装備する関係上さらに顕著な船形となっていましたのでより印象的だった記憶があります。飛行甲板が乗っているため判り難いのですが実は「翔鶴」型空母(3号艦)の船体は「大和」型(1号艦)の船体をスリムにした形になっています。
本来新型の大型巡洋艦を開発する時には、ここの実験水槽で繰り返し船形の実験を行いその形を決めるのですが、3号艦のデータを得たことでこの辺は大幅な短縮ができました。
勿論3号艦のデータがそのまま使えるわけは無く、大型巡洋艦(この頃にはB-65型巡洋艦と呼ばれていました)の仕様にあわせて形状を変更した模型が作られ船形は決められたのです。
この後、機関や兵装の選定が行われました。
機関は1号艦や3号艦と同じく主缶はロ号艦本式専焼缶8基、主機は艦本式タービン4基4軸が採用され3号艦よりも更に高温高圧化して出力は170,000馬力を出すものとされました。
そして兵装は主砲として藤本先生の計画通り50口径31cm砲三連装3基、対空砲兼副砲として15.5cm三連装もしくは連装を2基、対空砲として九八式10cm連装高角砲4基、九六式25mm三連装機銃4基等となり、航空兵装は後部にクレーンとカタパルトだけを設置することとしました。
船体は先のように1号艦、3号艦に類似したものとし、艦首には3号艦と同じ型ののバルバス・バウを採用しました。
防御としては、他の戦艦同様に31cm砲弾に対して20km~30kmの直撃に耐えるものとした集中防御方式の装甲が採用される計画となっていました。
特徴的なのは1号艦3号艦同様に主舵と副舵のタンデム配置を採用して高い旋回性能を目指した設計となっていました。
更に設計途中に軍令部より、昭和11年に行った戦艦「比叡」の改装結果を下に同様の塔型艦橋の採用を求められ、当初の一般的な日本型戦艦の艦橋構造、アメリカ軍が言うところのパゴダマストから変更されています。
「三連装主砲を前2基後ろ1基と塔型艦橋、艦中央部の対空火器の配置など。
遠方から見ると、ヤマトタイプと見分けが付きませんね。
これは意図して設計されたのですか?」
ローウェル少佐は、目の前に広げられた「草薙」型の青焼きの図面をなぞりながらそう言った。米海軍情報部が作成したその図面は、多少の誤謬があるものの非常に正確で情報戦におけるアメリカ軍の強さを誇る一品だった。
「当初は意図したものでは有りませんでしたが、途中で軍令部の指示により極力『大和』型に似せた配置にするようにしました。
ついでに建造も呉と長崎、つまり『大和』と『武蔵』の近くで行うなどして情報の混乱も意図しました。」
「おかげでこちらは大混乱だったようですよ、小口径の高速戦艦という情報と大口径砲搭載の中速艦もしくは低速艦という情報が錯綜して随分と混乱させられました。
結局大和型どのような艦なのかは戦争が終わるまで解りませんでしたよ。」
「それでは企みは成功したと言って良いのでしょうね。」
私は少し笑みを浮かべタバコに火をつけました。開戦以来、情報戦では負け続きの我が国です、少しは溜飲を下げても良いでしょう。
「似ている言えば、共に原型がユルコヴィッチ型の所為でしょうか?大和型や草薙型の艦形は、我が国のワシントン条約明けの戦艦、ノースカロライナ級やサウスダコタ級、それにアイオワ級にとても良く似ていますね、互いに手の内を見せないで造ったはずなのに似てしまったのは面白いですね。」
ローウェル少佐は、今度は「草薙」の俯瞰図の横にアイオワ級戦艦の図面を並べて指差しながらそう語った。
「確かに、私も貴方達の戦艦の図面を見たときに、良く似ているのに驚いた記憶が有ります。
考えてみれば独自に研究していたとはいえ、この艦形は我が国固有のものではありません・・。」
「求める結果が同じなのです、突き詰めれば似てくるのは当然・・・か。」
「しかし、直接のライバルであったはずのアラスカ級大型巡洋艦は旧来の艦形というのも興味深い話です。」
「アラスカは大きくても巡洋艦なのです・・・。」
「確かに、「草薙」型は書類上は巡洋艦でも戦艦の代役が出来る艦、まあ実質戦艦として造られましたから。」
お互いが納得して私はコーヒーを一啜りし、、彼がタバコに火をつけると話を先に進めました。
「主砲は唯一新開発ですね。」
「元々この砲は近代改修した比叡に使われるはずの装備でした、改修の際31cm三連装砲4基に変える計画がありましてそのために開発されえた装備なのです。
結局、比叡単艦のみを改装しても他の艦との共同運用に支障が出るため取りやめになった経緯があり余剰になっていた砲の流用なのです。
それを艦政本部で兵装を担当する第一部の佐橋技官が、開発中の1号艦用の九四式40センチ砲(46センチ砲の秘匿名称)を参考に実質的なスケールダウンとして再設計したもので砲身とターレット以外は別物になってしまったそうですが・・・。」
編注)砲口径が31センチと中途半端なのは対するアメリカの同クラスの砲が12インチ=30.5センチとなっているため切りのいい数字に切り上げた為です
開発開始から詳細設計終了までを半年と言う驚くべき短期間で終了させられたB-65型巡洋艦はいよいよ次の段階へ入る事となりました。
先にも記した第三次海軍軍備補充計画の追加計画である、昭和十三年度計画へ建造計画が組み入れられ、正式に第75号艦から第78号艦の番号が割り振られて建造が開始されたのです。
実際には議会で予算が承認される前に昭和12年、暮れも押し迫った吉日、一番艦で有る第75号艦のキールが横須賀工廠の船台に据えられ、起工式の後建造が開始されました。
以来ほぼ2ヶ月の差を置いて、二番艦の第76号艦が呉で、三番艦の第77号艦が長崎の三菱造船所で相次いで建造が開始されたのです。四番艦の第78号艦のみ二番艦が進水後、そのドッグで建造されることが決まっていったため後回しとされました。すでにどこの工廠も造船所も新造艦の建造と既存艦の改修や改造、修理で埋まっていた現状から導き出された結果でした。
そして年が明けた昭和十三年1月末、私は人事異動で艦政本部を去ることになりましたが、次の赴任先は横須賀海軍工廠、そこに駐在する海軍監督官が私の次の仕事で、建造中の「草薙」が私の担当でした。
建造開始より凡そ一年半、途中トラブルは有ったものの概ね予定通りに建造が進み、船体の完成の目処が立ってきた昭和14年5月、突然建造の休止が命じられたのです。
当時私は監督官として現場を無視して無理な工期短縮を求めてくる軍令部と現場の工廠との間に立って調整をする毎日で、艦政本部第四部でも船体完成後に使われる艤装の詳細設計の真っ最中でした。
予期しない命令でしたが命令は命令です、直ちに工事は中断され同時に出頭の命令を受けて私は古巣の艦政本部へ向かいました。
「第75号艦を対空専用艦にせよと仰るのですか?」
意外で唐突な命令でした、重々しくそれを命じた上田本部長は口調と同様に頷いてその問いを肯定した。
実は私達が知らないところで一つの事件が発生していたのです。それは小さくても重要で深刻な問題でした。
“第二艦隊事件”後にそう名づけられるその事件により、第75号艦、後の「草薙」は大きく運命を変えられることとなったのです。
B-65型大型巡洋艦
性能諸元(建造前につき計画値)
排水量 基準31400トン
全長 240.0m
全幅 27.5m(公試水線)
主缶 ロ号艦本式重油専焼水管缶 8基
主機 艦本式オールギヤード・タービン 4基4軸
最高出力 170000hp
最大速力 35.0ノット
乗員 1300名
兵装 50口径31cm3連装砲 3基
60口径三年式15.5センチ三連装砲 2基
65口径九八式10cm連装高角砲 4基
九六式25mm3連装機銃 4基
同じく 単装機銃 10基
すみません、当分建造話が続きます。次回は少し戦闘シーンが出てくる予定です。宜しかったら感想を下さい。