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南溟の海魔(メールシュトーム)  作者: 雅夢&白鬼
第一章 ある造船技官の回想録
12/13

第十一話 海魔(メールシュトーム)

お待たせしました。ミッドウェー海戦の後半戦です。「草薙」無双をお楽しみ?下さい。

第十一話 海魔 (メールシュトーム)


「艦長より達する。」

 艦内放送を告げるブザーの後、艦長の声がスピーカーから艦内に響いた。それは何時ものように冷静だが妙な熱を感じさせる口調だった。

「総員そのままで聴いて欲しい。本戦隊はこれより連合艦隊司令部の命により現哨戒海域を離れ、第一航空艦隊救援の為ミッドウェー島近に向かう。

 本艦は対空戦闘の切り札として建造されながら未だその力を発揮できる機会に恵まれないで居た。

 だが諸君らはその様な状況下においても一時たりとも訓練と整備を怠ることはなかった。

 それは全て今日この時の為である。

 第一航空艦隊の窮地を救うために諸君らが持てる力を存分に発揮してくれることを期待する。以上だ。」

 始まりと同様に艦内放送を使用した艦長の訓示は唐突に終了した。しかし、周りの空気はガラリと変わっていた。現状を知る艦長や戦隊司令ら将官や仕官達と違い一般の兵たちは今何が起こっているか解っている訳ではない、しかし何か大変な事が起こっているのは感じ取っていたのであろう、訓示前はどこか不安そうな表情で居たがこれから向かう戦場で自分達が何をすべきか、何が出来るかを理解して落ち着いた表情になっていた、いや、皆が拳を握り闘志を燃やす姿があちらこちらで見ることができた。

 それは艦橋頭頂部に置かれた高射装置内でも同様であった。

 連合艦隊司令部より第一航空艦隊の救援命令を受け艦長が艦内にこれからの作戦行動を告げたのは、日本時間6月5日午前8時05分であった。

 この時点で我々の第12戦隊と第一航空艦隊との間には120海里の隔たりがあった。

 艦隊速力30ノットど直走っても凡そ4時間の行程と成る隔たり。それでも乗組員達はその時間を利用して装備の再度の確認し、戦闘食の握り飯を大急ぎで頬張り腹拵えしてゆく。

 全てはこの後に起こる激戦に備えてであった。

 午後1時、これまで風を避けて艦内に待機していた機銃要員に持ち場に着くよう命令があり甲板上を鉄兜を被って担当の機銃座に走る姿が防空指揮所からも確認できた。私も再び艦橋頭頂部の高射装置の指揮官席に戻った。

 午後1時35分、我々は第一航空艦隊の唯一と成った、空母「飛龍」の姿をついに認めた。

 最初は、艦橋後方の特設マストに設置された21号電探で、更にその直後に見張り員が双眼鏡により目視で確認した。

「あっ、『飛龍』です、『飛龍』健在です。」

 大型双眼鏡に取り付きながら興奮気味に報告するその一報に一瞬防空指揮所内が沸いたが、直後の悲鳴にも似た叫び声がそれを打ち消した。

「『飛龍』上方に敵機!爆撃機と思われます。」

 その報告は伝声管を通じて高射装置内にも伝えられた。直後、防空指揮所へ通じる高声電話の着信ランプが灯り私は受話器を手に取ると耳に押し当てて名乗った。

「秋山砲術長。」

「砲術長、前方11時上方に敵機が居る。殺れるか?」

私は艦長のその問いに素早く測距儀を覗き込み彼我の距離を確認した。距離は凡そ15,500km、60口径15.5センチ3連装砲の届かない距離では無いが確実に打ち落とすなら12,000km以内に入りたい。だから私はこう答えた。

「未だ限界射程です。打ち落とすのはちょっと厳しいですね。」

「構わん、敵の攻撃の出鼻を叩ければいい。」

艦長の意図は明確だった、ならば手は有る。

「承知しました。15,000で撃ちます。」

15,000kmは60口径15.5センチ3連装砲であっても相当遠方となるがそれでも有る程度目標を狙える距離でも有る。

 私は高声電話をフックに戻し、高射機に付く各員に目標諸元の測定に入るように命じた。(この時私は不覚にも興奮して艦長より先に電話を切ると言う失態を犯してしたのだが艦長は不問に付してくれた。)

 高射装置の内、艦長頭頂部に設置されているのは計測装置である高射機で6メートルほどの円筒状の筐体の中に測距儀と各種望遠鏡が設置されておりこれ用いて敵機との距離、方角、高度、進行方向などを測定し、その観測結果を艦内の発令所に設置した機械式計算機の高射射撃盤へ送りそこから出た計算結果を各砲塔へ送る仕組みと成っていた。

 私が指揮官用照準望遠鏡で捕らえた目標、敵急降下爆撃機の編隊は連動する測距手の4.5メートル立体視測距儀で距離と方位が測定される。これに合わせて筐体である高射機覆塔もその目標に指向し更に連動する主砲塔、この場合は進行方向の前部3基が連動して旋回を開始する。但し今回はほぼ正面の為大きく旋回はしない。距離・方位の測定と平行して高度の測定が行われそれに各種修正が行われて各諸元は発令所内の高射射撃盤へ送られる。

 各砲塔内では旋回手、仰角手が個々のタコメトリックス式(メーター指針追尾式)指示器の指示針に自機の針を重ねるように操作する、重なったところで針を固定すると砲は高射装置の制御下に入り以後発射命令も高射装置から行われることとなる。

「測距(手)、距離知らせ。」

「14.900」

 私はその数値を聞いて再度各砲の準備状況を確認する。攻撃可能な前部砲塔の各砲は現在高射機の制御下に有ることを各砲塔に割り振られたランプが点灯する事で示していた。

「撃ち方よし!」

 同じく各砲の状況を確認していた高射機長が報告してきて準備は整った。そのまま待機、砲は高射機の制御の下じっくりと敵を追いながら発射の機会を窺っていた。

 指揮官用双眼望遠鏡内に捕らえたていた敵急降下爆撃機が急速に機首を翻し急降下に入る体勢に移ろうとしていた、敵編隊の内先頭の6機は零式戦の迎撃で攻撃に失敗した、しかし後続の編隊はその間隙を掻い潜る様に「飛龍」上空に進入し降下を開始した。

「撃ち方はじめ!」

「撃ち~方はじめ!」

すかさず私は射撃を命じ、高射機長がそれに応じ主砲発射警告ブザーを鳴らす。

短3長1、長のブザーが成り終わると同時に高射機長はすばやく主砲発射の引き金を引た。

 前部9門の主砲が一斉に火を噴いた。(正確には同一砲塔の各砲は100分の3秒づつの発砲のずらして発射されている。)

 我々が、いや高射機内だけではない防空指揮所や各機銃座の要員たちもこの攻撃の結果を固唾を呑んで見守っていた。

 前部の60口径15.5センチ3連装砲が放った15.5センチ通常弾は発射直前に指示された通りに時限信管を作動させ、急降下途中の敵爆撃機の目前でそれを作動させた。

 信管が作動した砲弾は瞬時に、炎と鋼鉄の破片からなる凶悪な火球に姿を変えた。降下途中の無防備の状態で突如として現れた火球に行く手を阻まれた敵機は降下コースを乱して爆弾を「飛龍」から遠く離れた海面に落として行った。

 初撃による戦果は無かったが、2射3射と重ねるにしたがって正確さが増し、一機又一機と屠られていった。(秋山氏の遺品より「日記」)


 60口径15.5センチ3連装砲による初撃の試みはこちらの思惑通りだったといえた、しかし米軍もこれで終わりではない。

「敵機10機『飛龍』上空に近づく。」

 発泡炎や爆発の黒煙が棚引き視界が悪くなっている状況下でも、熟練の見張り員の目は彼方上空の敵機を捕らえていた。(21号電探は予想通り初撃の衝撃で使用不能になっていた。)

「敵機6機本艦に向かう。3時方向!」

 どうやら敵は「草薙」を手強い相手と認識し、先にこれを叩くと判断したようだ。

“よかろう、相手をしてやる。但し、『飛龍』からは離れてもらうぞ。”

 そう私は腹の中でほくそ笑むと命令を発した。

「航海長、面舵だ、面舵一杯。」

「面舵ですか?」

「そうだ、急げ。」

私の意図に気付かない航海長は一瞬首をひねったが命令に従い羅針艦橋につながる伝声管へ向かった。

「おも~か~じ、一杯!」

「おも~か~じ、一杯。宜候!」

「『八坂』『八咫』へ伝達、『飛龍』の直援に付けと。」

航海長が躁艦をする向こうで、戦隊司令の木村少将が私の意図に気付いて「八坂」「八咫」へ「飛龍」の近接支援に向かうよう信号員に指示しているのが窺えた。

 舵が効き始めると「草薙」は遠心力で艦橋を左に傾けながら右へ旋回していった。(松田千秋氏の手記より)


 ミッドウェー島に近づくに従って、戦隊は単従陣から陣形を変化させ、私の乗っていた「八坂」は戦隊旗艦の「草薙」の左舷側後方に位置する布陣となっていました。

 戦場に近づき「飛龍」が健在であることの一報が知らされると艦内が沸きましたが、その直後に、

「『飛龍』の上空に機影、敵機と見られる。」

との報が知らされると皆が身を固くし緊張の色を濃くしました。

 その直後であった記憶しています。当然右舷前方を進む「草薙」の前部甲板が炎と煙に包まれたのです、私は敵の攻撃と思って配置についていた20ミリ機銃をそちらに向けましたが敵機影は見当たらず、やがてそれが「草薙」の主砲の斉射であったことをしったのです。(「八坂」右舷20ミリ機銃分隊 神谷義孝兵長の証言より)


 敵の一部がこちらへ向かって来るのを確認した艦長は「飛龍」より離れる進路へ艦を進め、兵力の分散に成功した。そのまま左舷側で敵を迎え撃つ形となり左舷の長十センチ高角砲と40ミリ機銃が敵機を指向して旋回を始めた。そちらの指揮は高射長と機銃長に任して有るから口を出す必要は無い。間もなく射程に入ったらしく、長十センチ高角砲と40ミリ機銃が射撃を開始した。

 本艦に近づく敵急降下爆撃機6機のうち半数は爆撃体勢に入る前に長十センチ高角砲の危険半球に捉えられ、あるものは主翼を半ばより吹き飛ばされ、またあるものは機体半ばより炎と黒煙を吐きながら急降下コースよりはるかに深い角度で海面に向かっていった。更に急降下体勢に入った爆撃機には40ミリ機銃が牙を剥いた、これまで帝国海軍では見られなかった太い火線が打ち上げられそれが掠めた機体はエンジンやコックピットから無数の破片を撒き散らして海面に向かって一度限りの急降下を行っていった。(秋山氏の遺品より「日記」)


 我々が戦場にたどり着いたとき、戦場では一隻となった敵空母が艦載機の発進を行おうとしていた、先行するエンタープライズ艦爆隊指揮官のギャラハー大尉はすぐさま攻撃に移ったが敵もこの攻撃を予期してた様子で、ジークが進路上に躍り出て攻撃の妨害を行った、更に敵空母の的確な回避運動もあってエンタープライズ隊の攻撃は失敗した。しかし、私たちヨークタウン隊と残存のエンタープライズ隊はその戦闘の隙を縫って敵空母上空に向かうことに成功していた。

 我々は敵空母に対して太陽を背にするように位置して降下を始めた、必中を期して高度500メートルまでの降下を目指した我々だったが高度1000メートル手前でそれは起こった。

 突如として目前に巨大な火球が現れ、我々の機体はその中に飛び込む形となった。

 私は必死に操縦桿を操りその火球を抜けたが、その結果我々の降下コースは大きく逸らされており敵空母に投弾するタイミング逸していた。それだけではないたて続けて加えられた攻撃に周囲の機体は次々と被弾し攻撃開始時に5機いた爆撃機隊は自分ともう一機を残して撃墜され我々も爆弾を海面に捨てて回避運度をとっていなければ撃墜されるところだった。

 高度を海面すれすれまで落として周囲を見渡すと、敵空母からやや離れたところに三隻の戦艦がいることに気付いた、うち一隻戦艦にしては不釣合いな巡洋艦のような小型の砲塔を載せており周囲に棚引く発射煙から先ほど我々を攻撃したのはこの艦のようだった。しばらくすると到着が遅れていたホーネット爆撃隊15機が姿を現した、彼等は先ほどの戦艦も攻撃対象にするようで15機のうち6機がその未知の戦艦に向かっていった。それに気付いた敵戦艦は素早く面舵を切り空母から離れるコースを取り始めた、しかしだ、その戦艦は自分に近づく爆撃機対処しながら空母に向かう爆撃機にも自艦の主砲で攻撃を加えていた、その主砲は15センチクラスの中口径砲のようだが発射速度が速く明らかに対空用として作られた砲のようであった。加えて自艦の防御に使う対空砲も充分に搭載しているらしく左舷を炎で染めながら打ち出される高射砲と40ミリと見られる機関砲は攻撃隊をほとんど近づけることなく撃ち落として行った。

 それはまるで伝承に聞く海の魔物、海魔或いは北方の海あって近づく船を海のそこへ引き込む大渦巻きメールシュトームのようであった。(ヨークタウン爆撃隊指揮官デイヴ・シャムウェイ大尉による戦闘詳報より抜粋)


日本時間6月5日午後9時15分、山本長官は作戦中止を決意し第二艦隊と第一航空艦隊の主力艦隊への合流を命じました。同じ頃日本艦隊による夜戦をおそれた米機動部隊も戦場を離れていましたが翌日7日黎明と共に攻撃を再開、しかし、第一航空艦隊との戦闘で艦載機、特に爆撃機と雷撃機の大半を失ったていたため攻撃は陸軍の陸上爆撃機に限定され、それも「草薙」型の対空射撃で攻撃のタイミングを外されて帰還しています。

 日本軍の最後の攻撃である「飛龍」の第三次攻撃隊は引き上げる敵艦載機の後を追う形で適空母に接近し空母の飛行甲板を爆撃して一応の作戦成功となっています。ただし、攻撃隊(戦闘機6、艦爆5、艦攻4)の内、帰艦できたのは戦闘機4のみでした。

 結局、主力で有る戦艦「大和」以下の本隊は無いもすることなく日本への帰還の途についたのです。何のために行われた作戦だったのか?今日まで問われる海戦です。

 この戦いで日本は3隻の正規空母と熟練の乗組員と貴重な艦載機を無駄に失い戦いの主導権を自らの失策で相手側に渡してしまったのです。この後、二度と主導権は日本側に移ることは無く最後まで守勢を強いられることとなったのです。


「なるほど、このシャムウェイ大尉の報告書が海魔の始まりだったのですね。」

「この報告書は、ミッドウェー海戦が勝ち戦であったことから大きく注目されることは無かったのですが、戦場が南方のソロモン海へ移ってからのクサナギよる被害の多さから注目されることとなりました。」

私の問いにローウェル少佐はこの日何杯に成るか記憶に定かでないコーヒーを飲み干して答えてくれました。

 約一月に渡る聴取もこれで一応一段落となりました。語りつくせないことはまだまだ多いものの私も一度御役御免となるようです。

「ミスターニシオカ、貴重な話をありがとうございました。また一度鎌倉にもお邪魔させて頂きますよ。」

と親しげに握手の手を差し伸べるローウェル氏に私は微笑んでその手を握り返しました。

「目的は私ではなく、紀子さんでしょ?」

 私のその言葉に彼ははにかむ様な笑みを浮かべて握り返してきました。

 彼とは判り合えました、それまで敵意を抱き殺し合いをしてきた相手とでもです。幸い私も戦争ではなくそれに使う道具の方に興味があり関心がありました、そこに籠めた技術者の思いに対しては等しく敬意を払うことに抵抗はありません。

 願わくば、このまま日米が二度と悲惨な戦争を行わない、そうなって欲しいと思っています。

 

 それは終戦より40年経った今日に至っても代わることのない願いです、どうかこの平和の日々が続くことを願って一先ず筆を置く事にしましょうか。

 

昭和60年(1985年)6月7日 鎌倉にて 西岡昌幸元帝国海軍技術大佐

最後まで読んでいただきありがとうございます。

戦闘シーンはどうしても話が長くなってしまって読みにくくて申し訳ないです。

戦闘話はこれでお仕舞いですが後一話エピローグお付き合い下さい。

すみません、面舵と漢字で書いてと~かじと平仮名で書いてしまったので修正しました、誤字です><

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