第十話 鳴動
一度投稿した話が長すぎたので二つに分割しました。
第十話 鳴動
日本時間6月5日午前1時30分、第一航空艦隊は友永丈市大尉指揮下のミッドウェー空襲隊(零式艦戦36機、99式艦爆36機、97式艦攻36機、計108機)を発進させた。
この攻撃隊の任務は6月7日に占領を目的に上陸する近藤中将の第二艦隊(攻略部隊)のために島の米軍戦力を無効化することでした。しかし、ご存知の通り暗号解読で攻撃を察知していた米軍は島に可能な限りの対空兵器と航空機を投入、ミッドウェーの二つの島へ殺到した107機の日本の空襲に耐え、逆激することに成功したのです。
米ミッドウェー基地からの航空機攻撃による第一航空艦隊への攻撃は大きな損害も無くただ一方的に零戦により刈り取られてゆく姿を晒すだけで終わりました。しかし、ここで大きな問題が発生していたのです、先に記したようにミッドウェー島への空襲は後日始まる上陸作戦のために敵の基地航空戦力の壊滅が目的でした。その点で見るならいまだに五月雨的に攻撃隊を放ってくる事実は基地戦力の破壊が不十分であることを証明するものでした。
ここで航空艦隊司令部は再度の基地攻撃を決断、空母機動部隊が出現する可能性に備えて対艦装備のまま待機中だった攻撃隊に対地攻撃装備への転換を命じたのです。
これは限られた戦力を効率よく使う為に第一航空艦隊へ、基地攻撃と空母捕捉攻撃の二重の任務を課した結果でした。
戦後の情報ですが、このとき既に四隻の空母の位置を特定していた米海軍は空母より第一次117機、第二次35機の攻撃隊を第一航空艦隊へ向けて発進させていたのです。
日本時間6月5日午前5時、当時、第12戦隊は第二艦隊より借り受けた第16駆逐隊(「雪風」「時津風」「天津風」「初風」の計四隻)と共に第一航空艦隊と主力部隊の中間地点まで前進して哨戒任務についていた、前日の4日ごろより敵空母らしい呼び出し符号を傍受、敵の機動部隊がいる兆候に気付き万一に備えて対応できるようにとの長官の配慮らしい。こんなことならさっさと第一航空艦隊と合流させれば良いのに、変に面子に拘った参謀たちが渋ったらしい、馬鹿な話である。
それでも悪く無い事柄もあった、先の人事で航海長と副長を兼務してきた加藤明憲中佐が兼務を解かれ副長となり副航海長の川崎信一郎少佐が中佐に昇進して航海長に就任していた、少しは指揮に余裕が出てきていた。それともう一つ、先の改装で加えられた装備があった、二式二号電波探信儀一型がそれであった、通称21号電探と呼ばれるそれの試作型が艦橋の後方にマストを組み搭載されていた(試作の21号電探は「草薙」とアリューシャン方面に投入された「伊勢」に搭載)、性能は単機で70km、編隊なら100kmの対空用の電探だが対艦に限定的だが使用でき先の濃霧の際は対艦見張り用として十分な働きをしてくれた。これで敵航空機の不意打ちを未然に防げれば良いが問題は衝撃に弱く主砲の発射と同時にまず使えなくなると予想されることだった。(松田千秋氏の手記より)
日本時間の午前4時28分、心待ちにしていたが今来て欲しくはなかった『敵艦隊発見』の報告が索敵の利根4号機より入ったのです。
第一航空艦隊司令部は利根4号機に発見した艦隊の詳細報告を求めたがその間にもミッドウェー島からの航空攻撃が続き、午前5時から5時30分にかけてミッドウェー空襲隊が帰還したが、米ミッドウェー基地航空隊の攻撃を受けていて待機を強いられたとされています。
この後情報は錯綜の度合いを深めます、午前5時20分利根4号機からは一旦『敵兵力は巡洋艦5隻、駆逐艦5隻』と入電しましたが、その後『敵は後方に空母らしきものを一隻を伴う。』との修正電が入電している。混乱した司令部は「蒼龍」搭載の試作高速偵察機十三試艦上爆撃機(艦上爆撃機彗星の試作機)に同艦隊の確認を命じ、兵装の転換を中止、更に対艦用への転換を命じています。
一般にこれがミッドウェー海戦の敗因の最大のものと言われていますが、やや酷な批判も有るようです。当時、先の兵装転換は殆ど終わっていませんでいた(「赤城」で6機、「加賀」で9機)。
よく戦記などで第二航空戦隊の山口少将が『直ちに攻撃隊発進の要ありと認む』と進言したとされこの通りにすればこの敗北は免れたと言われますが、当時、「飛龍」「蒼龍」の飛行甲板に攻撃隊の姿は無く、直援の零式艦戦の補給と弾薬の補充が行われていたのです、この状態は他の艦も同様でさらに帰還してきたミッドウェー島空襲部隊の収容もあって大混乱の状態だったのです。
結局第一航空艦隊司令部は仕切り直しを考え、再度対艦装備への転換と直援機への給油と弾薬の補充を命じたのです、その決断の背景には確認された敵艦隊の攻撃隊が到達するには未だ時間が掛かりその間に装備の転換は充分可能と判断が有りました。
同時に山口少将の主張する援護の戦闘機無しの出撃では戦果が期待出来ないと判断したことも重要な要因と考えられます。
一般にミッドウェー海戦を語るときのキーワードに『運命の5分間』があります、「すでにこの時、攻撃隊は発進準備を終えており、後5分米軍の攻撃が遅ければ全機発進できた。」と言う第一航空艦隊高級士官の主張から始まった言葉だが、これは正しくないようです。当時、各艦は直援機の着艦と補給、発進を繰り返しており攻撃隊は甲板下の格納庫で出発準備を終えエレベーターで飛行甲板に上げる時を待っていたからです。
“自分たちが戦場で主導権を握り、後からあわててやってくる米機動部隊を叩く、だから今は未だ敵空母はいないから考慮の必要は無い。”
“(敵の空母との距離を読み違え)敵空母からの攻撃隊が来るのはまだまだ先の話、兵装の転換は余裕で間に合う。”
どちらも現状の把握を怠り、その結果として状況の判断を誤ったのです。
そして、その結果の代償を払う時は目前に迫っていたのです。
日本時間午前7時22分、エンタープライズ艦爆隊30機とヨークタウン艦爆隊17機が艦隊上空に到着、攻撃を開始したのです。当時、日本側直援機はその前に攻撃した雷撃機に対応して低空に下りており上空は無防備の状態でした。
午前7時24分「加賀」に、7時25分には「蒼龍」に、そして7時26分には「赤城」に次々と直撃弾が命中、各艦は格納庫内に置かれていた爆弾が誘爆し炎上したと言われています。
午前7時58分、艦橋に通信長が飛び込んできた。
「第二航空戦隊より入電です「発 第二航空戦隊司令官 山口多聞 宛 第八戦隊司令官 阿部弘毅 『我航空戦の指揮を取る』平文です。」
それは最強と自認してきた航空艦隊が壊滅したことを示す電文だった。続いて、通信員が電文を持って通信長に駆け寄りそれを渡した。
「連合艦隊司令部より入電。『第一航空艦隊ノ援護ニ向カワレタシ 連合艦隊司令長官山本五十六。』・・・・。」
「馬鹿者が今更遅いわ!」
それは温厚で知られる木村少将が始めて見せた激昂だった。それでも直ぐ気持ちを収めると我々に命じた。
「これより『飛龍』援護に向かう、艦長、最大だ焼き切れても構わん。」
「はっ、速度最大、取り舵。」
私は、木村司令の言葉に従い次々命令を発令していく。
「とり~かじっ。」
航海長の川崎信一郎少佐が伝声管に向かって命令を伝達している姿が目に入る、彼は航海長として初の実戦だが落ち着いていた。
「通信長『飛龍』へ電文を頼む。
宛 第二航空戦隊 発 第12戦隊 旗艦『草薙』『我コレヨリ援護ニ身向カウ』
以上だ!」
木村司令が近くにいた通信長を呼びとめ、打電を命じていた。山口少将にはいま少し踏ん張ってもらわねば成らないが我々も可能の限り急ぐ。艦橋から見渡すと「草薙」を先頭第12戦隊と四隻の駆逐艦が単縦陣を組む様子が確認できた、陣形が整うと戦隊各艦は更に速度を上げ、波を蹴立ててミッドウェーに向かった。この時の彼我の距離100海里が私にはひどく彼方に思えた。(松田千秋氏の手記より)
「艦長、戦闘の指揮は任せます。思う存分やってくれ。」
私は、そう言って松田艦長に指揮を委ねた、ここからは各艦だそれぞれの指揮官の責任に置いて行動する。
「承知しました。」
松田艦長はそう答えて敬礼すると、館内放送のマイクを取った。
「艦長より達する。これより戦隊はミッドウェーで奮戦する第一航空艦隊の支援に向かう、我々が戦う相手は敵艦載機だ、諸君らが日々積み上げてきた訓練の成果を発揮し本艦の真価を敵味方に見せてくれることを期待する。」
艦長の放送が終わると、艦内の空気が変わったことを実感した。
これまで「草薙」は防空戦の要として建造されながらその力を発揮する機会に恵まれなかった。今回、第一航空艦隊の危機という場面で出番が回ってきたことは不謹慎ながら幸運と思えた、最も最初から第一航空艦隊にいればこんな事態に陥らなかったのでは無いかとも思うのだが。(木村少将の手記より)
「砲術長、対空戦闘の指揮は任せる。」
私は、艦長にそう命じられたので敬礼をすると指揮下の高射長と機銃長を呼んでそちらの指揮を任せて艦橋頭頂部の九四式高射装置に昇った。
内部で要員は既に配置に付いており、私も指揮官席に腰を下ろすと各砲の状況を確認した。
(秋山氏の手記より)
次々と被弾して炎上する空母の中、唯一被弾を免れた一艦がありました。
第二航空戦隊旗艦の「飛龍」です。幸運の猛将と評される山口多聞少将(当時)が座乗したこの艦は、他の空母が爆撃を受けたとき雲下に居てさらに敵雷撃機の攻撃を避けた結果他の空母と離れてしまったおかげで米爆撃機の目から逃れることが出来たのです。
他の艦が次々被弾してのた打ち回る様子を尻目に、山口司令は猛将の名に相応しい行動を起こしました。
「我航空戦の指揮を取る。」
彼が打電を命じたのは、同じ第一航空艦隊の次席指揮官である阿部少将でした、山口司令と阿部司令は同じ少将でしたが阿部少将の方が先任であったため、南雲中将が指揮を取れない場合は阿部少将が指揮を取らなければなりません、本来この電文は独断専行を宣言したようなものですが実際には自分が航空戦の指揮を取れないことを自覚していた安部少将が相前後して第二航空戦隊に対して「敵空母ヲ攻撃セヨ」と打電しているので山口司令の勝手な行動では無いといえるでしょう。
その電文を発した後「飛龍」は猛然と敵空母との距離を詰め、二度の攻撃を行い米空母の三隻の内、ヨークタウンを大破に追い込んだ。この攻撃で先のミッドウェー島空襲隊の指揮官でも会った友永大尉は、損傷した97式艦攻のまま雷装で出撃、魚雷投下後、対空砲火で炎上、ヨークタウンの艦橋付近に激突自爆したと記録されています。
「飛龍」が反撃を開始してよりおよそ三時間、第二次攻撃隊を収容した「飛龍」は残る米空母に攻撃を行うべく第三次攻撃隊の発進準備を行っていた。たった一隻の反撃は非情に厳しいものがあったが、先に大破炎上した「赤城」「加賀」「蒼龍」の艦載機の内の飛行中の機体を収容する形で戦力の増強を行い、今時点でも小さくない攻撃力を持っていたが既に三時間を超える激戦が続いた為、搭乗員、艦乗員特に整備兵の疲労の蓄積が激しく発進は午後2時までずれこむ結果と成ったのです。
『電探に感あり、11時方向、距離およそ20,000。』
「11時方向、20,000だ、何か見えるか?」
私は電探室からの高音電話を片手に、見張り員に声をかけた。
「あっ、『飛龍』です、『飛龍』健在です。」
見張りよう大型双眼鏡に取り付いていた見張り員がその姿勢のまま叫んだ。
『良かった、間に合った。』と、思うまもなく他の見張り員が声を上げた。
「上空、敵機!爆撃機です。」
「どこだ?」
防空指揮所は一気に緊張と喧騒に包まれた。私は直ぐ後ろの高射装置で指揮してしていた秋山砲術長を高音電話で呼び出した。
「秋山砲術長。」
「砲術長、前方11時上方に敵機が居る。殺れるか?」
「未だ限界射程ですが?」
「構わん、敵の攻撃の出鼻を挫けばいい。」
「承知しました。15,000で撃ちます。」
秋山砲術長はそう言うと少々興奮しているらしく先に電話切った(海軍では許可されるまで上級士官より先に電話を切ることは禁止されている)。
上方の94式高射装置がその測距儀の入った筒ごと旋回を始めた。やがて前方甲板の3基の60口径15.5センチ3連装砲が旋回を開始、その方向が定まると砲身が鎌首を擡げ11時方向、15,000mの彼方を指し示した。
やがて、主砲発射を警告するブザーが、短三、長一、鳴らされ最後の長一が鳴り終わると同時に9門の主砲が発射炎を放った。
後二話です。次回は「草薙」無双の予定です。
予定です。重要だから二度言いました。




