序章:狭間の存在2
そこは、ありふれた外国街だった。
街道沿いに多くのレンガ造りの商店が建ち並び、品のある街灯のせいで夜なのにやたら明るいのが印象的。
年の瀬でもないのに、人々の往来が激しいのはそこそこ発展しているからだろう。
溢れんばかりの活気が街全体を覆い、ここだけは呪われた世界から隔絶されているのだと錯覚しそうにさえなる。
さて。
朱奈はそんな輝く街中で、息も切れ切れに足を止めた。
店のウィンドウガラスに反映された彼女の顔はひどく無様に思われた。
乱れた前髪がぴたりと張付いた額からは汗が滴り落ち、眼からはそれとはまた別の水が流れ落ちる。
まるで、川に身投げした霊体のよう。
そんな自分を見て、朱奈はまた一つ落ち込んだ。
やっぱり私はこの眩しい街には、似合わないんだ……。
此所でも居場所をなくした彼女は、再び今度は、歩き出す。
重い足取りで。
一歩ずつ着実に。
街から離れていく。
その途端だった。
彼女の目前に悲痛な光景が見受けられたのは。
朱奈が目にしたのは、年老いた女性を集団で囲むという信じ難い程腐敗した若者の姿だった。
彼らが、老婆に対して金銭を要求していることなど、誰でも容易に想像がつく。
なのに。
徘徊する人々は頭から無視を決め込み、誰も救いの手を差し伸べようとはしない。
袖で涙を拭い、彼女はその方向へと疾走する。
途中、背中に負われた血腥い剣の柄に手をかけ、それを抜いた。
が、それは決して戦うためではない。
朱奈は好戦的な性格ではなく、むしろ非戦闘主義だ。
その彼女が、戦わずして、老婆を救うためにはこうして剣を抜き、証明するより他なかった。
そう。己が〈グラント〉であることを。
例え自身が傷つく羽目になったとしても、だ。
朱奈は、集団の中心に体躯をねじ込ませ、老婆を庇うように立つ。
剣の切っ先は、リーダー格と思しき男の喉元をしっかり捉えていた。
突き付けられたその男は一瞬たじろいだものの、朱奈の華奢な外見を一瞥し、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「なんだ、驚かせやがって。おい、女引っ込んでろ」
朱奈は無言で立ち尽くす。
正直、怖かった。今にも崩れそうなくらい、全身が振るえていた。
それでも、出来る限りの活力を瞳に込め、朱奈は男の顔を見据えた。
「それとも、なにか……俺たちに集団で犯されたい願望でもあるのか?」
男の口元が嫌らしい角度で歪曲する。
他の男たちの顔も、見るに耐えないものだった。
ここで、朱奈は目を瞑る。
それは、醜いものから眼を反らすために。
それは、自分を落ち着かせるために。
そして、おそるおそる剣の柄に捺された忌々しい刻印を突き付けた。
人体を象った、無数の虫が這いずりまわる徴。
異形とも思えるそのシンボルは、一度見ると目に焼付いて離れない。
喉元から絞り取るように男が声を出す。
「……グ、グラント」
朱奈が肯定の意で、かぶりを振る。
若者たちは一目散に逃亡した。
彼らだけではない。
周りの野次馬たちも即座に距離を取り、離れていった。
口々に叫ばれる悲鳴。
化物だ。呪われるわ。近付いちゃ駄目。殺されちゃうよ!!!
誹謗中傷を受け流すことができない彼女は剣をしまうと駆け出した。
覚悟はしていたはずなのに、それでもやはり耐えられなかった。
夜闇を目指して駆け出す彼女の背中に、老婆が声を投げ掛ける。
だが、今の朱奈にはその言葉を聞き取る余裕などなかったのだった。