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「好きなんだ」
「私もよ」
私の即答に何かを話していた義弟の目が驚いたように見開らかれた。
「え?仕方ないなぁ」
私は目の前の皿にある焼き鮭を、大きくほぐして身を箸でつまみ上げる。骨が無いかを目で確かめてから名残惜しげに腕を伸ばして隣に座る義弟の茶碗に放り込む。
今夜は義弟と二人だけの夕食なので、リビングのテーブルで並びソファーを背に座っている。けれど、これがお茶だったりお菓子だったり、私の部屋で漫画だったりでもよくある姉弟の光景だ。
「もうあげないからね」
「……ありがとう」
「お代わりもあるから出そうか?」
上辺だけの私の言葉に気落ちしたように義弟は静かに首を横に振ると、綺麗な所作で箸を動かしはじめる。
義弟が鮭が好きな事は知っている。なので、多めにも焼いてもいる。けれどそれを用意してやるよりも、今は夢中になっていた事があった。
義弟のしょげた様子には気が付かない振りをして、私はまたテレビに釘付けになる。
画面には、普段よく見る製品を作る工場内での制作過程が特集で流れている。すぐにそれに目を奪われ、食事よりもテレビになった不器用な私の箸の動きは再びゆっくりとしたものになった。
時間をかけながら鮭と煮物と味噌汁の食事を終えてからも、片付けもしないままでいてしまった。
そうするうちに、二時間の特集番組が終わりを告げるテロップが流れ始めた。そしてCMが始まると、同時にテレビ画面が突然真っ暗になる。
「え?」
「母さん達がいないからって、お姉テレビ見すぎ」
すぐ隣から聞こえた声の方には不機嫌そうな顔の義弟がリモコンを握っている。今は二人で家にいるから私じゃなければ義弟がテレビを消した事は当たり前だけれど、いきなり消されて少し腹が立つ。
私達の家は、親がそれぞれ子供を一人ずつ連れた再婚だ。私はそれまでフルタイムで働く母と二人で暮らしていた。私の実父とは、私が二歳の頃に別れたらしい。
そして母は、私が小学生三年の時に小学生二年の和哉を連れた父と再婚した。それからも母はパートに転職して働き続け、私達は四人家族で暮らしてきた。数年たち、下に双子の弟と妹が出来た時に母はやっと何かに解放されたように仕事に行く事をやめた。
その、母と双子の三人は夏休みだからと母の実家に今日から三泊の予定で里帰りだ。
もちろん、私達も誘われたけれどバイトを頑張るつもりだったから私は断り、私とは違う文武両道の偏差値が高いレベルの高校に通う義弟は部活のサッカーでレギュラーになれそうだからとの理由でに断ったらしい。
母から聞いたので詳しくは分からないけれど、文武両道のみならず見た目も良い義弟にそれ以上干渉する気もなく終わらせただけだった。
そして、義父も今日から突然の出張のが入り家にいない。母達との里帰りの予定がかなわず、誰かを呪うように文句を言いながら出掛けた。幸いな事に一泊の予定の為、終わり次第母の実家に向かうそうだ。
義父は、第一印象から嫌いではなかった。優しい人で仕事から早く帰れば私を誘い二人で散歩してはアイスや駄菓子を買ってくれたり、なかなか打ち解けない私に困った顔をしていた良い人だ。
今まで居なかった父親。正直、周りを見聞きして憧れていたから出来た嬉しさもあった。イケメンの類に入るだろうけれど、再婚しても母が少ない時間とはいえパートに出て行き家にいない事に期待を裏切られた悲しみもいくらかあって私は余計に素直になれなかった。
そんな探り合うような日々をすごした中で家族となれるように仲良く慣れていたある日、深夜のトイレに起きると珍しくリビングで声を荒げて喧嘩をする父母の声を聞いてしまった。
「もう、いいだろう!いい加減にしてくれ。頼むから」
「本当にあと少しなの。今までで助けてくれたおかげで、随分減った。絶対に返したいの。お願い。もう少し待って」
なおも、押し問答が続く中で私まで引くに引かれず硬直した時に私までお願いされた。
「お姉ちゃん。トイレ先にいい?」
慌てて振り向けば、そこには義弟がいた。囁き声の同志のような言葉に期待をして振り向き頷けけば、無情にもバタンと大きな音をたててトイレのドアは閉められた。途端にリビングの声も消え母が顔を出した。
「美月……どうしたの?」
「あの、順番待ち。トイレに起きたら和哉くんもトイレだったの」
「そう……」
「意見交換してただけだよ。お母さんと別れたりなんかしない。大丈夫だよ。美月はいつまでも娘でいてくれ」
両親の声を荒げる喧嘩を見てしまった私は、泣いてしまいそうな顔になっていたんだろう。
ぎこちなく微笑み頭を撫でながらいう父の一声の後で、久しぶりに母と一緒の布団でに眠りにつきながらも心中穏でない夜を過ごしたこともあった。
小学六年生の時に勇気を振り絞り、夏休みの宿題にかこつけ義父に仕事を聞いてみた。その問いに、大分距離の縮まっていた義父はどこか遠くを見て答えてくれた。
「会社員……だな」
少し生活に不安を覚えた答え方だけれど、どこか疲れたように有名企業だと遠くを見ながら明かした義父に深くは聞けなかった。
そんなこんなで、高三にもなるとスッカリ私はお姉ちゃん立場になった。
父母や生まれた姉弟とも仲は良く、和哉からは「美月ちゃん」から始まり「お姉ちゃん」と呼ばれ今では「お姉」だ。
ごく普通の家族だ。
母は昔からあまりテレビは付けない人だった。けれど、居ない時には一人ぼっちの留守番の寂しさを紛らわす様にテレビを付けていた。その習慣からか、私は寝る時やテレビが煩いと感じる時以外は付けている。
なので、双子に遊びをせがまれる事もなく母の小言もない今夜、せっかくリビングの大きなテレビを堪能していたのに……。
けれど、ここで揉めて余計な時間を潰したくはないのでご機嫌をとって自室に戻り後で自室でくつろごうと計画をたてた。
「後は、お姉ちゃんがするから和哉はお風呂行きなよ」
「いや、俺がするからいい」
ぶっきらぼうな言葉で、幼さがわずかに残る整った顔を私に向けずにテーブルの上の食器を片付ける和哉は言った。
「でも……」
「今日は子守もないんだから、ゆっくり一人で風呂に入れ」
「んじゃ、よろしくね」
たまにしか食事の後片付けをしない和哉なのに、珍しい事もあるものだと自室で首を傾げながら私は着替えを持ち風呂場に向かった。