42℃の恋人達(仮)
親友の高橋政志が熱を出し、大学を休んで5日が過ぎた。
俺は冷却シートと適当な食べ物にスポーツドリンクを買って政志の住むアパートを訪ねた。
ポストの裏に磁石で引っ付けていた合鍵を使いドアを開ける。
大学の友人達は政志のアパートを普段からたまり場に使っているので遠慮はない。
「うーす生きてるか?」
返事がない、寝てるのかもしれないな。
靴を脱ぎ、奥にある万年床の布団が敷かれている部屋のガラス戸を開けた。
「起きてるか?食いもんを…」
声が止まる。
そこには確かに政志は寝ていた。
Tシャツに短パンで布団も被らず大の字、だが問題は1人ではなかった事だ。
「柳さん?」
なんで政志の隣に柳さんが添い寝をしているんだ?
同じサークルに所属している柳史佳は政志の恋人じゃない、単なる友人関係のはずだ。
「…ん」
政志の腕に胸を絡め、柳さんは艶めかしい声を上げて政志に擦りつく。
スカートの裾が捲れて目の遣り場に困る。
「あ…白石君」
「ど、どうも…」
柳さんが目を覚ました。
赤く火照った顔で眠そうに目を擦る。
「あのなんで柳さんが政志…高橋の部屋に?」
「もう間違えないためよ」
「…そうですか」
ダメだ話が通じない。
こんなの分かれって方が無理だ。
「とにかく政志を起こして良いですか?」
「ダメよ、まだ熱があるんだから」
「風邪がうつりますよ?」
「構わないわ。
風邪はうつした方が早く治るって言うし」
「なるほど…」
そりゃ迷信だ。
でも反論の余地はないみたいだから、理解するのは諦めよう。
いや待て…確か柳さんって。
「あの柳さん、伊藤の彼女じゃなかった?」
確か柳さんは1年前から同じサークルの伊藤満男と付き合っているはずだ。
先週の飲み会でも2人仲良く乳繰りあっていたし。
「止めて、あんなヤツの名前出すの」
「はえ?」
なんでそんな嫌悪感丸出しの態度を?
「ひょっとして別れた?」
「さっき携帯で言ってやったわ」
「そうでしたか」
まあ別れたなら問題はない。
伊藤はちょっとチャラいが、人間はそんなに悪くない奴だったんだが。
「ちょうど良かったわ、もうすぐ伊藤のバカが来るから証人になって」
「はい?」
証人って一体なんの?
それに伊藤が来るって、突っ込みどころが多すぎて頭が追いつかん。
「うるさかったんで、高橋君の部屋に居るって言ったら、
『直ぐ行くから待ってろ』って、本当女々しいわ」
柳さんが吐き捨てた。
「あの、別れ話って今したんですか?」
「そうよ、さっき初めて」
「ほほう…」
そりゃ伊藤も来るわけだ。
今頃血相変えてこっちに向かってるはずだろう。
「どういう事だ史佳!!」
噂をすればだ。
伊藤は名札のついた白いカッターシャツに茶色のエプロン姿で部屋に飛び込んで来た。
そういえば喫茶店でバイトしてるって言ってたな。
「よう伊藤」
「な…なんで白石が?」
「俺は政志に差し入れを…」
「証人でしょ」
「はい証人でした」
柳さん、そんな目で睨まないでくれ。
切れ長の目が血走って実に恐い。
「まあなんだ…靴を脱げ」
伊藤の足元に指を差す。
慌てるのは分かる、しかし土足はいかんぞ。
「史佳もだろうが!」
「お?」
そういえば柳さんも靴を履いたまま、どうりで玄関に靴がなかった訳だ。
「しょうがないでしょ、高橋君が玄関で倒れちゃったんだから」
よく分からない言い訳です。
それより乱れた服装を直して…いや身体を起こしてくれ。
「高橋テメエ!」
「落ち着け」
「離せ白石!!」
後ろから伊藤を羽交い締めにする。
必死で解こうとするが、華奢な伊藤では186センチの俺から抜け出せまい。
「恋人のそんな姿みりゃ、激昂する気持ちは分かる、
だが先ずは落ち着け」
「元恋人よ…それも汚点ね」
「史佳!!」
「お、おいって…」
柳さんも挑発するのは止めてくれ。
狂ったように手足をバタつかせる伊藤を、俺は力を込めて制圧した。
「落ち着いたか」
ちゃぶ台に伊藤を座らせ、持参してきたスポーツドリンクを紙コップに入れて差し出した。
「なんでだよ…俺達2日前まで普通だったじゃんか」
そう言って伊藤は項垂れた。
身体を起こし、政志の右手に恋人繋ぎをする柳に同情は伺えない。
厳しい展開だ…政志早く起きろ。
「話を整理しよう」
「そうね」
「なんでだよ…畜生…」
伊藤には悪いが、事態を収拾するには話を整理しなくてはならん。
「柳さん、いつから政志と?」
「いつからって?」
「その…交際を」
伊藤の肩がビクッと上がった。
「まだよ」
「まだとは?」
「そのまんまよ、私はまだ高橋君と付き合ってない」
「ふざけんな!」
伊藤が空になった紙コップを叩き潰す。
その気持ちは分かる、いや分かりすぎる。
「まあまあ」
新しい紙コップに再びスポーツドリンクを注いだ。
「その…さっき、もう間違えないって」
「ええ言ったわ」
覚えていたか、先ずはここからだ。
「一体何を間違えないと?」
「高橋君…いいえ政志との仲よ」
「ほ…ほう」
ダメだ、やはり分からん。
分かったのは政志の事を名字ではなく、名前で言い出したくらい。
「俺が何したっていうんだ…」
「伊藤…」
これは辛い…ツラすぎるな。
「なに被害者面してるの」
ドスのきいた声の柳さん、何を話すつもりだ?
「私に政志の悪口を吹聴したでしょ!」
「悪口?」
「2年前よ、サークルに入ったばかりの時に
『高橋は危険だ、アイツは悪い噂が絶えない』って」
「お前そんな事言ったの?」
そりゃ初耳だ。
政志は人畜無害を地で行くような人間で、悪い噂なんか聞いた事ないぞ。
「それは…お前が高橋の事ばかり…」
「だから私を政志から遠ざけたんでしょ!」
「まあ柳さんも落ち着いて」
2年前にそんな事があったのか。
柳さんが政志に対してちょっと余所余所しかったのが分かった。
「なんで嘘だって分かったの?」
「私が10年前に巻き戻ったからよ!」
「巻き戻った?」
いかん、また分からなくなった。
「史佳、お前は…」
「伊藤、ここは聞こうじゃないか」
話を止めたくなる気持ちは分かるが、ここは最後まで聞きたいところだ。
「私はそのままアンタと結婚した…それなのにお前は浮気を…」
「伊藤、お前浮気したのか?」
「してない!」
伊藤は必死で叫ぶ。
これが演技なら大したもんだ。
「コイツは私と付き合いながらずっと浮気していたのよ!
結婚してからもずっと!」
「うわ最低だな」
「だからしてないって、だいいち結婚もしてないだろ!」
「確かにそうだな」
言われてみりゃそうだ。
「疑うなら携帯でもなんでも見ろよ!」
伊藤は尻ポケットから自分の携帯をちゃぶ台に置いた。
こりゃなかなか出来ない行動、俺には無理だ。
「見るだけ無駄よ、浮気が始まったのは今から1年後だから」
「…うーむ」
伊藤の必死な様子に嘘は感じない。
仮に未来がそうだとしても、今は未遂…そもそもこれって浮気に該当するのか?
「浮気を知って私は問い詰めた…
お前は開き直って…付き合ったのも、結婚したのも高橋を絶望させる為だったって…」
涙を流し、政志を抱き寄せる柳さん。
これは政志にとって良かったと言うべきか、寝取られた訳じゃなかったし。
こら政志、早く起きろ。
「いい加減にしろよ!!」
伊藤は再び空になった紙コップを叩き潰した。
「まあまあまあ」
再度紙コップにスポドリを注いだ。
「お前を憎んだ…そして」
「そして?」
何をしたんだ?
「…白石、お前楽しんでないか?」
「待て最後まで聞こう!」
「フグッ!」
伊藤の口を塞ぐ。
ここで止めちゃいかんだろ。
「8年掛けてお前を見つけ出した。
お前の脇腹を刺して私も自分の喉を掻ききったの。
薄れる意識の私は願った、
『どうかやり直させて…まだクズに抱かれる前の10年前に…』」
「それが今か」
「そうよ、叶ったの!
私の願いが遂に!!」
叫び終わった柳さんは政志を抱き寄せたまま白目を剥いてひっくり返った。
「お…おい」
2人に駆け寄る。
いかん、柳さんは完全に気を失ってる、しかも凄い熱だ。
「伊藤、柳さんが!」
「史佳…」
持参して来た冷却シートをデコに貼り、伊藤と一緒に押し入れから予備の布団を出して、柳さんを寝かせた。
「どうするよ?」
「どうもこうもないだろ…」
伊藤が呻く、確かにどうしようもない。
過去から巻き戻ったなんて荒唐無稽過ぎる。
「まあ伊藤、柳さんに嘘を吹き込んだのは感心しないぞ」
「それは…反省してる」
やはりそこは真実だったのか。
なら未来も実際に起きる事なのかもしれないな。
「不倫はイカンぞ」
「だからしてない!」
また紙コップを潰しやがった。
今度は中身が残っていたから、ちゃぶ台に飛び散ったじゃないか。
「信じてくれ…俺は浮気なんか」
「伊藤…」
気の毒になってきた。
「ふざけんな!!」
突然部屋の扉が開き、見覚えのある女が飛び込んで来た。
「佐藤さん?」
「な…なんで佐藤が」
同じサークルに所属する佐藤紗央莉。
彼女は政志が大好きな想い人、もっとも片想いだが。
「ああ政志…やっと会えた」
佐藤さんは政志の姿を認めると、俺達の前を通り過ぎ、政志の胸に顔を埋めて泣き出した。
「…なんか既視感あるな」
先程の柳さんと被ってしまう。
「ごめんね政志…もうあんな事しないから…直ぐに言うわ、だから…」
伊藤と顔を見合わせる。
髪を振り乱し、汗を一杯に掻いた佐藤さんの目もやはり血走っていた。
「白石君、居たの?」
一頻り泣いた佐藤さんが俺達を見た。
「…俺も居たんだけど」
伊藤がおずおずと手を上げた。
「お前が!!」
「うわ!」
伊藤を見た佐藤さんの目つきが変わる。
佐藤さんは伊藤に飛びかかり、手にしていたハンドバッグで叩き始めた。
「お…落ち着け」
なんとか止めさせようとするが、半狂乱の佐藤さんは止まらない。
伊藤は身体を丸め、なすがまま叩き回されている。
「お前が!よくも政志を!
私の幸せを返せ!!」
数分後、ようやく佐藤さんの攻撃が収まる。
どうやら体力が尽きたようだ。
「大丈夫か伊藤?」
「白石…お前止めるのが随分遅かったな」
「そうか?」
気づいていたか。
無理矢理引っ剥がして佐藤さんに怪我でもさせたら、後で政志に何を言われるか分からんからな。
「その、佐藤さんも巻き戻って?」
「…そうよ、10年前に」
なるほど、また10年前か。
佐藤さんは政志の横に座り、愛おしい手つきで政志の頭を撫でている。
いい加減起きろ政志。
「史佳来てたんだ…」
「ああ、さっき」
「そう」
静かな目で政志の隣に眠る柳を見つめる佐藤さん。
どうしてか、その目に嫉妬は感じられない。
「史佳も巻き戻ったみたいね。
同じ被害者よ」
「被害者?」
「まさか…伊藤お前…」
隣で息も絶え絶えの伊藤を見る。
伊藤は痣だらけの顔で首を左右に振った。
「お前は私を襲っただろ!
その様子をスマホで撮って無理矢理関係を強要して…私が政志と結婚してからもずっと…」
「ホント最低だな、お前」
「…知らないって」
伊藤はもう言い返す気力も湧かないみたいだ。
「その…伊藤はどうして佐藤さんを?」
伊藤はなんでそこまで佐藤さんに執着してたんだ?
「コイツ、私がサークルに入った時から口説いてたのよ。
その気がないって断ったのに」
「伊藤よ…」
コイツはクズだ。
「だから知らないって…」
「とぼけないで!私を口説いてたメールは保管してたのよ」
「どれどれ」
差し出された佐藤さんのスマホを確認する。
そこには確かに甘い言葉で伊藤から佐藤さんを執拗に誘うメールが残っていた。
「二股か…柳さんが居たのに」
「違う…史佳と付き合う前だ」
力なく伊藤が呟いた。
確かにメールの日付は2年前、最後は[もう直接連絡してこないで下さい]で終わっていた。
「振られてるな」
「うるさい…」
ここまで拒絶されたのに、よく同じサークルに顔を出せたな。
俺ならサークルを辞めるぞ。
「政志にバレた日は今も覚えてる。
コイツとホテルから出てきた私に、政志は今まで苦しめてごめんって…」
「地獄だな」
もちろん政志にとって。
いや、現実に起きた事じゃないのは分かってるけど。
「政志は全部知っていた、私が苦しんでいた事も全部。
だから慰謝料は要らないって」
「なるほどな」
「なるほどじゃねえよ…」
もはや伊藤は蚊の鳴く様な声しか出せないみたいだ。
「私は被害届を出してコイツは捕まった。
他にも被害者が居たみたいで、5年の実刑が下ったの」
「そんなもんか」
意外と刑事罰が軽いな。
「離婚してから私は酒に溺れて…気づいたら5年が経ってた」
「よく立ち直ったな」
俺なら無理だ。
「史佳がコイツを刺し殺してから死んだって聞いて…そこでようやく我に返ったの。
ケジメすらつけない自分は何なのって」
「そうか…」
「白石…お前信じてるのか?」
「そう見えるか?」
「見える」
俺は無言で2リットルのスポドリを伊藤の前に置く。
もう紙コップは無いから直飲みしてくれ。
「やっと見つけた政志は…政志は…」
「既に死んでたとか?」
「おい伊藤」
なんで伊藤が食いつくんだ。
「再婚してたのよ!
子供まで作って!!」
「そりゃ良かった」
「よくない!
その帰りに私は泥酔して川で溺れ死んだのよ!」
佐藤さんが白目を剥いてひっくり返り返る。
駆け寄ると凄い熱だ。
「おい伊藤、押し入れから布団を…」
「畜生、なんで佐藤まで!
政志ばっかり…おかしいだろ!!」
伊藤は立ち上がり部屋を飛び出した。
押し入れから新しい布団を敷き、佐藤さんを寝かせた。
政志を真ん中に川の字か、この野郎幸せそうに寝やがって。
「ごめんね白石君…」
「構わんさ」
うわ言のように佐藤さんが呟いた。
作り話と思えばどうということはない。
「…最後に教えてあげる」
「なにを?」
一体何を言うつもりだ?
「政志が再婚した人って九条さんだったの…」
「九条って九条美愛か?」
「びっくりした?」
「あ…ああ」
びっくりしたさ。
だって九条美愛も同じサークルで幼馴染、ずっと好きだった俺の天使
「美愛…ずっと白石君が好きだったんだけど…」
「九条が俺の事を?
けどってなんだよ!」
いかん声が裏返る。
「それは…」
「おい佐藤!!
九条は…美愛はいつから俺が好きだったんだ?」
なんで肝心のところで意識を失うんだ!
「ん…亮二来てくれて…ってなんで柳さんと佐藤さんが?」
やっと起きたか政志…なにが人畜無害だ。
人の良さそうな顔して…よくも美愛と結婚を…その上、子供まで作りやがって…
「なんだ亮二?恐い顔して、一体何があったんだ?」
「お前なんか嫌いだ!!」
俺は部屋を飛び出した。
大団円?




