表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/5

六長と御子【第四話】

◆◆◆


昼のやわらかな光が、神殿の庭園に降り注いでいた。


噴水の水音が静かに響き、風が吹くたびに花々が揺れる。


エリオットが去ってから、庭園には再び穏やかな時間が流れていた。


リューシャは花の前にしゃがみ込み、小さく可憐な青い花を見つめる。


「勿忘草…っていうんだよね」


「左様でございます」


侍女長が答える。


「花言葉は、"真実の愛"というのだそうです」


リューシャは侍女長をちらりと見てから呟いた。


「真実の愛…綺麗な花言葉だね」


風が吹き、小さな花たちが、波のように揺れる。


――そのときだった。


回廊の奥から、慌ただしい足音が響いた。


先ほど庭師を呼びに行った侍女だった。


だが様子が違う。


息を切らし、額に汗を浮かべている。


「侍女長様……!」


彼女はリューシャではなく、侍女長のもとへ駆け寄った。


そして耳元で、小さく何かを囁く。


その瞬間。


侍女長の表情が、ほんのわずかに変わった。


侍女長はリューシャの前へ進み、静かに頭を下げた。


「……御子様、旧聖堂へお越しくださいとのことです」


リューシャは目を瞬かせた。


「旧聖堂……?」


神殿の奥にある古い聖堂。


それは、神官でさえ滅多に立ち入ることを許されない場所だ。


(なにがあったんだろう)


理由はわからない。


不安が押し寄せてくるが、リューシャはその気持ちを胸の奥に押し込め、立ち上がった。


「……わかった」


侍女長が一歩前に出る。


「私がご案内いたします」


二人は庭園を後にした。


石造りの回廊を進む。


歩くたびに足音が小さく響く。


神殿の奥へ進むほど、人の気配は消えていった。


やがてリューシャが口を開く。


「侍女長さん」


「はい、御子様」


「旧聖堂に呼ばれることって……よくあることなの?」


侍女長は一瞬だけ沈黙し、躊躇ったように告げた。


「……いいえ」


短い答えだった。


それ以上、リューシャは聞かなかった。


しばらく歩き、二人は巨大な扉の前へ辿り着く。


白い大理石でできた旧聖堂。


重厚な扉が静かに佇んでいる。


侍女長は立ち止まり、深く頭を下げた。


「申し訳ありません、御子様」


「この先は、私は立ち入ることができません」


リューシャは自分よりもずっと背の高い扉を見上げる。


侍女長が、もう一度小さく言った。


「御子様」


「うん」


「……どうか、お気を強く」


リューシャは少し驚いたように目を見開いた。


けれどすぐに、侍女長に心配をかけないよう微笑む。


「ありがとう」


そう言って、一歩前へ出た。


扉に手をかける。


(一体、なにが言われるんだろう)


冷たい石の感触。


ゆっくりと押すと、重たい音を立てて扉が開いた。


扉の向こうは薄闇に包まれていた。


高い天井と古い柱が並ぶ空間には、ひんやりとした空気が満ちている。


リューシャはゆっくりと中へ足を踏み入れた。


背後で重い音を立てて扉が閉じる。


その音が、聖堂に響いた。


リューシャは数歩進み、足を止める。


そして気づいた。


聖堂の奥。


祭壇の前に――六つの人影が並んでいる。


暗がりの中で、その姿ははっきりとは見えない。


だが。


そこにいるだけで分かる。


ただならぬ存在だと。


六つの視線が、静かにこちらへ向けられている。


その重さに、胸の奥がわずかに締めつけられる。


(……この人たちは)


言葉にしなくても理解できた。


この世界の支配者――長だ。


リューシャは小さく息を整え、ゆっくりと頭を下げた。


「……リューシャ・ヴェイル=アストリアと申します」


「お呼びでしょうか」


沈黙。


誰もすぐには答えない。


ただ、六つの視線だけがリューシャを見つめている。


やがて――


その中の一人が、口を開いた。


低く、よく通る声だった。


「顔を上げてください」


リューシャは言われた通り、顔を上げる。


暗闇の向こう。


六人の姿がぼんやりと浮かんでいる。


「御子殿」


その声が続けた。


「貴女様に伝えなくてはならないことがあります」


リューシャは小さく頷いた。


「……はい」


短い沈黙。


そして。


別の声が、静かに言った。


「一年後」


その一言で、空気がわずかに張り詰める。


リューシャの心臓が、小さく脈を打った。


「御子様には――世界のため、生贄となって頂きます」


その言葉は、あまりにも無情だった。


まるで特別なことではないかのように。


ただの事実を告げるように。


リューシャは、すぐには言葉を返せなかった。


(生贄……)


意味は分かる。


この世界を守るための存在。


神の御子として生まれた以上、いつかはその役目を果たす。


――そう教えられてきた。


けれど。


「一年後」


その期限は、あまりにも近い。


胸の奥で、なにかがぎゅっと縮まる。


それでもリューシャは、静かに息を吐いた。


そして、小さく言った。


「……そうですか」


それだけだった。


泣きもせず、取り乱しもせず。


ただ受け止めた。


その反応に、六つの影のうちいくつかがわずかに動く。


やがて、別の声が続けた。


「この世界を維持するために、必要なことなのです」


(頭ではわかってる)


リューシャは少しだけ目を伏せた。


(…でも)


指先が、ほんのわずかに震える。


けれど、それを見られないように手を握りしめる。


そして、もう一度顔を上げた。


「……わかりました」


その声は、驚くほど落ち着いていた。


聖堂の空気が、わずかに動く。


だがリューシャは続けた。


「でしたら」


六つの影が、わずかに身じろぐ。


「お願いがあります」


沈黙。


誰も止めない。


リューシャは一歩だけ前に出た。


「一年」


芯のある声が広い空間に反射して響く。


「一年だけ、時間をください」


「私は、この世界をほとんど知りません。神殿の外も、街も、人々の暮らしも」


胸の奥が、少しだけ苦しい。


それでも言葉を続ける。


「どうせ死ぬのなら」


そして。


「……最後に、世界を旅させて下さい」


長い沈黙が続く。


六つの影の間で、わずかに視線が交わされた気配があった。


やがて――


そのうちの一人が、口を開いた。


「僕はいいと思うよ」


軽い中性的な声。


「一年の猶予を与えよう、皆もそれでいいよね?」


別の人影が続ける。


「一年後」


「その時は、迷わず役目を果たして頂けるのならば構いません」


それが、この場の結論だった。


リューシャは深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


声は、震えていない。


顔を上げたときも、表情は穏やかなままだった。


まるで、動じていないような神の御子。


だが――


誰にも見えない場所で。


彼女の指先だけが、ほんのわずかに震えていた。


彼女の指先だけが、ほんのわずかに震えていた。


一年後、自分がこの世界から消えることを思いながら。


【4話完】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ