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最強の忠犬【第二話】

◆◆◆


「……姫様?」

背後から届いた凛とした声に、リューシャは振り返った。

一人の美青年が立っている。

陽光を背に受け、白銀の鎧と剣の柄が静かに輝く。風に揺れる淡い金色の髪、海のような碧い瞳。


その姿を見た瞬間、侍女長は深く一礼し、同時にリューシャの表情がふっと和らいだ。


「エリオット」


名を呼ばれ、彼は迷いのない足取りで歩み寄る。そして彼女の前に膝をついた。

その動作には一切の無駄がない。鍛え上げられた体躯、研ぎ澄まされた気配。


神殿に属す聖アストリア騎士団団長――

リューシャ直属の守護騎士にして、エリュゼア大陸最強と名高い剣。

エリオット・フェルディナンド=ルシウス。


だが。


「はい、姫様」


その声音は、驚くほど穏やかだった。

最強の騎士は、ただ一人の少女の前でだけ、柔らかな忠臣になる。


「見て、勿忘草って言うみたい。綺麗でしょう?」


リューシャは花を指さし、無邪気に笑う。長く艷やかな銀の髪が、陽光を弾いてきらりと光る。

エリオットは視線を向ける。

しかしそれは花ではなく――彼女へ。

わずかに目を細める。


「……ええ、ですが」


風に揺れる髪、無邪気に細められた瞳、花を愛でるその横顔。

エリオットは少しだけ目を細め、穏やかに主人を見上げて微笑む。


一拍の間。


「姫様の美しさには、敵いません」


その言葉は、誇張も戯れもない声音だった。

言い終えたあと、エリオットはほんのわずかに視線を落とす。まるで、自らの本心を見透かされることを恐れるかのように。


「え?」


きょとん、とした声が返る。


「エリオットはお世辞が上手だね」


リューシャはくすりと笑い、再び花へと向き直る。


「……」


沈黙が降りる中、水音だけがやけに大きく響く。


やがてエリオットは一歩下がり、静かに片膝をついた。


「そろそろ鍛錬に戻らなくてはなりません」


「…もう? もっとゆっくりして行ってもいいのに」


「君主のためにより一層強くなるのが私の役目ですから」


そう言って、彼はそっとリューシャの手を取る。


白く細い指先。


彼女の手の甲へ、静かに口づけを落とす。触れたのは一瞬。熱を残さぬほど、淡く。


「姫様に永遠の忠誠を」


顔を上げたとき、そこにあるのは忠臣の眼差しだった。


「では、失礼いたします」


彼は背を向ける。振り返らない。求めない。未練を残さずただ、去っていく。


「…お世辞ではありません」


その小さく掠れた声は風に紛れ、リューシャに聞こえることはなかった。


◆◆◆


回廊に差し込む日光が、石床に長い影を落としていた。

リューシャから逃げるように早足で歩くエリオットの胸の内は騒がしかった。

手の甲に触れた感触。白く細い指先。一瞬だけ伝わった温度。


(あれは騎士の礼儀だ)


忠誠の証。格式に則った、正しい作法。そう、自分に何度も言い聞かせる。


だが。


本当に、ただそれだけだったのか。

指先に残る柔らかさを思い出すと、胸の奥が、かすかに軋む。

本来ならば許されない。主に向けるべきは忠義のみ。そこに私情が混ざれば、それは騎士として失格だ。


「……私は、姫様の剣であり、盾だ」


立ち止まり、拳を握る。


(剣が、持ち主を欲してどうする。)


あの瞬間視線を落とさなければ、自分の心の醜い感情が彼女に見透かされる気がした。

気づかれてはならない。知られてはならない。それは忠臣としての裏切りに等しい。

深く息を吐く。


「愚かだ」


この心はただの忠誠心――それ以上ではない。そうでなければならない。


(姫様の傍で守ることさえできればそれでいい)


◆◆◆


休憩時間の闘技場は鍛錬中とは打って変わり、団員たちが賑やかに過ごしている。

壁際では二人の騎士が木剣を軽く打ち合わせ、汗を流しながら型を確認している。

別の一角では数人が腰を下ろし、水を飲みながら談笑していた。


「どうすればあの子が振り向いてくれるかな」


「前に言ってた美人さんか?お前には無理だろ」


「はあ!?」


笑い声が弾ける。


「団長はモテモテでいいよな〜」


「綺麗な顔立ちしてるからな」


「ほんと羨ましいよ」


「お前には可愛い婚約者がいるだろうが」


そんな軽口が飛び交ったそのとき。闘技場全体の空気が、急激に変わり、全員が振り返った。


白銀の鎧。端正な顔立ちと美しい金色の髪。

エリオットが、そこに立っている。


「……団長!」


慌てて立ち上がる者、直立する者、手にしていた剣を鞘に収める者。

それまでバラバラだった団員たちが、わずか数秒で整列する。まるで、群れの猟犬たちが格上の者に服従するように。


「まだ休憩時間だ。楽にしていい」


「はい!」


だが、団員たちは完全には崩れない。


そして、先ほどまで恋人の話をしていた若い騎士が、意を決したように口を開いた。


「だ、団長」


「何だ」


「団長の……その、好みの女性ってどんな方なんですか?」


一瞬、周囲が凍る。


「おい馬鹿!」

「なにしてんだよ!」

「団長に聞くことか!?」


小声で制止が飛ぶ。…が、もう遅い。

エリオットは、ほんのわずかに目を細めた。


好みの女性。


その言葉が、胸に触れる。

――花を手に笑う姿。陽光を弾く銀の髪。無邪気に「綺麗でしょう?」と首を傾げた横顔。指先に残る、あの温度。


「好みの女性か…」


エリオットが口を開く。


「ない」


簡潔な一言。

そして次の瞬間には、何事もなかったように視線を平静へ戻す。

団員たちが「ええ!?」と小さくざわめく。


「で…でも、団長はこの前令嬢に求婚されていましたよね?」


「とても美しい令嬢みたいですけど、どうなのですか!?」


「もちろん断った。恋よりも最優先は姫様の護衛だ」


淡々と続ける。


「それ以外に割く感情はない」


声音は、いつも通り冷静で揺るがない。


(どれだけ令嬢が美しくとも、私の心は姫様以外に揺さぶられることはない)


「やはり団長は御子様がなによりも大切なのですね」


副団長が少しからかうように悪戯っぽくエリオットに笑いかける。


「……休憩時間はここまでだ。午後の鍛錬を開始する」


姫様がなによりも大切なのは当然だろう、と喉まで出かけていた言葉を飲み込み、きっぱりと宣言した。

まるで、話は終わりだ、と告げるように。


「午後の鍛錬はなにか」


「団長が直々に指導してくださるのですよね」


突如指名された団員の一人が、動揺する素振りも見せずに答えると、エリオットは満足気に目を細めた。


「ああ。私を殺す気で向かってこい」


「はい」


「六名、前へ」


――空気が一変する。


先ほどまで普通の少年のように談笑していた騎士たちの目が、獲物を狙う猟犬のそれへと変わる。


エリオットは剣を抜いた。

澄んだ金属音。


騎士団の中の特待生、選ばれた六名が前に出る。


構え。


静寂。


「始め」


地を蹴る音が重なる。

左右からの連撃、正面からの刺突。

連携は悪くない。


だが。


エリオットは軽々と刃を弾き、団員の体勢をいとも容易く崩す。

相手の剣が届かない絶妙な間合いに踏み込み、安全な距離から華麗に制圧する。

一人、また一人と地面に膝をつく。


だが一瞬――


“ない”と断じたばかりの言葉が脳内で反芻する。


『それ以外に割く感情はない。』


(......果たして本当に?)


剣と剣が強く噛み合う。

火花が散る。

見学している団員たちが息を呑む。

次の瞬間には、エリオットが最後の一名を制し、喉元へ刃を添えていた。


「終わりだ」


エリオットが剣を収める。


「お前たちの一人一人の守るべき者はなんだ」


低い声が響く。誰に問うわけでもなく、語りかける。


群れの猟犬たちは、その背を見上げる。

圧倒的な強さ、揺るぎない統率。


だが彼の胸の奥で、“ない”と断じた感情が、消えずに燻っていることを、誰も知らない。



◆◆◆


その夜。月明かりの届かない地下室に、赤が広がっていた。

水面のように揺れるそれは、静まり返った空間を鈍く映している。

青年は剣を下げたまま、動かない。刃先から落ちる雫が、ひとつ、またひとつと波紋をつくる。

足元に横たわる人だったものには、もう声はない。

彼はゆっくりと視線を伏せる。


「……」


黒い革製の手袋が、刃をなぞる。赤が拭われ、やがて剣は鞘に収まる。

薄暗い地下室に残るのは、静寂だけ。

そしてその静寂の中で――

もう一つの忠誠が、確かに息づいていた。


【二話完】

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― 新着の感想 ―
前回はリューシャの視点だったのにエリオットという新しいキャラが主体となった物語にしてるがとてもすごい!! そして最後の文の続きがとても気になる!!
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