神の御子【第一話】
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エリュゼア大陸――
その中央に位置するアストリア神殿のさらに最奥。神官さえも立ち入ることができないほど外界から完全に切り離された旧聖堂では、今まさに、厳粛な会議が行われていた。
ここに集うことが許されるのは、六つの領をそれぞれ統べる”長”のみ。彼らがこの場で交わす言葉ひとつひとつで、大陸全土の運命が左右される。”長”はそれだけの地位を持っていた。
重い空気の中で、ひとつの議題が読み上げられる。
「——神の御子を、捧げるべきか」
次の瞬間、卓を叩く乾いた音と、低く怒鳴るような声が静寂を破った。
「最初に言っておく。生贄など認めん。御子を犠牲にせずとも解決策はあるはずだ!」
「ほう。それでは、その解決策というのは?このままでは、世界が崩壊しかねません」
荒々しい声に、間髪入れず抑揚のない冷たい声が返答する。
「感情論は不要。必要なのは、最悪を含めた最適解のみです」
「うーん……でもさ」
張り詰めた空気を、場違いなほど軽やかで明るい声が和らげた。
「可哀想だよね。なんにもしてないのに殺されちゃうなんてさ〜」
中性的な容姿の彼が、満面の笑みで他の長たちに笑いかける。
「神の御子は肩書きは立派だけどさ、御子サマ自身の意思が尊重されることはないんでしょ?」
「…かみのみこのこと、ころしちゃうの?」
可憐な声が、場の視線を集めた。幼い少女が、自分の体よりも大きい椅子にちょこんと腰掛けて、周囲の大人に混じって会議に参加していた。
「神の御子のことを殺さないと、世界が無くなっちゃうの」
亜麻色の髪の少女が優しく幼子に伝えるや否や、幼子は今にも泣き出しそうな顔をして、大人たちに必死に訴えかけた。
「…やだ。ぜったい、だめだよ!こわいことしないで!」
が、返ってきたのは非情な声だった。
「……これは同情でどうにかなる話ではない。多くの民が犠牲になるのです。」
彼女の氷のような瞳からは、幼子に対しての嫌悪と苛立ちが見える。
「まあ。相変わらず、冷たい人ですこと」
鈴を転がすような美しい声が、聖堂に響く。その優雅な微笑みの奥には、毒が宿っていた。
「けれど、貴女が言っていることは正しいわ。わたくしにも、貴方たちにも、守るべき民がいる。」
六つの価値観が、ひとつの少女を巡って交錯する。
「リューシャ・ヴェイル=アストリアは――」
◆◆◆
天蓋越しに、朝のやわらかな光が差し込んでくる。
「御子様。お目覚めのお時間でございます」
いつも通りの時刻。侍女長の控えめな声と共に、足音が近づいてくる。
”神の御子”、リューシャ・ヴェイル=アストリアは、ゆっくりと瞼を開いた。
神殿に迎えられて以来、目覚める場所はいつも同じ。見慣れた窓からの景色、白で統一された豪華すぎる家具、一人にしては広すぎる部屋。
「お目にかかります、御子様」
そして、周囲の人々のリューシャへの対応。神殿での生活のなにからなにまで嫌だった。
侍女たちはいつものように部屋に入るや否や、深く頭を垂れて跪く。リューシャは侍女に聞こえないように小さく溜息を吐いた。
――崇敬。
それは、十六歳の少女にとってはただの重荷だった。どこに行っても、どこを歩いてもリューシャを見た者はみな同じ態度を取る。従者はもちろん、道行く人たちもリューシャがいるだけで地面にひれ伏して、神を見るように崇める。
「本日も、お健やかにお目覚めで何よりでございます」
(私はもう、普通の人間として接してもらえない。)
リューシャが寝台を離れ、椅子に腰を下ろすと、侍女がそっと髪に触れる。淡い銀色の髪が櫛の間をすり抜け、さらさらと音を立てて流れていく。
(みんなに会いたい)
リューシャは心のなかでそっと呟く。
七歳の頃、神殿に迎えられるまでは、ここからとても遠い小さな村に住んでいた。リューシャには双子の弟がおり、リューシャも弟も、両親と、家族同然の村人にとても愛されて育った。故郷の記憶は今となっては夢のように曖昧だが、そこでは確かにリューシャは普通の少女として生きていた。
「外は穏やかな日和にございます。中庭へお出かけになさりませんか?」
リューシャの曇った表情を見た侍女の一人が窓の外を見て、元気づけるように明るく告げた。
(私、そんなにあからさまな顔してたかな…でも、確かに気分転換にはなるかも。)
侍女の言葉にリューシャはわずかに目を見開き、そして頷いた。
神殿の外へは行事がない限り滅多に出られない。でも、中庭は例外だった。御子として縛られた彼女に許された、世界。
回廊を抜けると、白い石畳の向こうに、噴水と晴天が広がっていた。
水音が心地よく、風に揺れる若葉が光を弾く。侍女が不意に口を開いた。
「近頃、花が咲き始めたのです。御子様もきっとお気に召すと存じます」
「そうなんだ。案内してくれる?」
仰せのままに、と深く頭を下げ、侍女は歩み始めた。
(私はこんなに恵まれているんだから、村に帰りたいなんて思っちゃいけない)
初春の日差しがリューシャを照らす。その暖かさはリューシャの心を軽くした。
少し歩いたところで、侍女は立ち止まり、振り返った。
「勿忘草でございます。いかがでしょうか?」
リューシャは息を呑んだ。ところどころ溶け残った雪の傍らで、淡い青色の花が一面に咲いている。
「…きれい」
思わず零れた言葉に、侍女たちは嬉しそうに微笑む。
リューシャは花を踏まないようにそっと歩み寄り、その青を見つめた。
「摘んでもいいかな。部屋に飾りたいんだけど…」
「勿論です。神殿のものはすべて御子様の所有物ですから。ほら、庭師をすぐに連れてきなさい」
「はい」
侍女長の呼びかけに、若い侍女はパタパタと走っていった。
「申し訳ありません、御子様。庭師が来るまで少々お待ちください」
「うん、ありがとう。」
リューシャが侍女長を見上げ、にこりと微笑んだその時――
「……姫様?」
低く穏やかな声が響いた。
【一話完】
はじめまして、御伽話と申します
記念すべき第一話は楽しんで頂けたでしょうか?
第二話もお楽しみに。




